妖精の歌
歌です
青い光はいよいよ森の奥深くまでエドガーを導いた。もはや狩人の小屋もなければ、現代的な送電線もない。巖と植物が幾千年もかけて築き上げた自然の王国に、人ひとりが辛うじて通れる獣道が続いている。
「エリザ……待ってろよ……」
やがて、青い光は動きを止め、しばらくふわふわとその場に留まってからフッと消えてしまった。
妖精の広場は近い。いよいよ空気は濃くなり、呼吸するたびにエドガーの肺にしっとりと染み込んでくる。古の魔法があちらこちらに息づいている気配がする。
エドガーは額の汗をぬぐう。
足を踏み出す度、腐葉土の地面はみしりと沈み、視界を覆う松の葉は露に湿った無機質の光沢を放っている。かつて川が流れていたのだろう、森の中には幾本もの筋が通っており、倒木が苔に覆われた自然の橋をかけていた。ムカデが湧き出す腐った幹があちらこちらに、まるで磔刑の十字架のように聳え、見たこともない色をした茸の類が地面を覆って不気味に光る。
そしてついに青い光が消えた辺りに差し掛かると、何の前触れもなく森が開けた。
木々によって遮られていた遥か頭上の星空が綺麗に見える。黒い海の中にぽっかりと口を開けた空き地。大いなる手が森の一部を円形に握って持ち去ったかのように、周囲とは異なった一種の異界がそこにはあった。
小規模な教会ほどの敷地の中心には天然石の門が聳え、その向こうには清水を湛える泉が湧いていた。
異界の縁に立つエドガーと門との間には草も生えないむき出しの砂地があり、月の光に照らされたエリザベスがその中心に立っていた。
奇妙なのは彼女の姿勢。まるで今から踊り始めようとしているかのように、彼女は片腕を宙に伸ばしたままで静止していたのだ。
「ほらほら、あなたのお姫様がおひとりよ」
エドガーの耳元で妖精が囁く。その声は鈴のように軽やかで、スッと思考に染み込んで浸透していった。
赤、青、緑、黄、橙、紫、白……様々な色の光の球が木々の隙間から次々と湧き、森の大広間を自由に飛び交う。
妖精の光は月明かりを集めたものだという言い伝えがエディンバラにはあるが、それは事実だろうとエドガーは思った。
妖精の光は絹のように繊細で、明るいけれども眩しくはない。それは夏の陽射しや夕陽の堂々たる姿とは似ても似つかない、神秘的で静かな月の光にそっくりだ。
「そうそう、手を取って踊りなさいな」
「私たちが素敵な音楽を奏でてあげる」
「永遠にふたりで踊っていられたら幸せだって思うでしょう」
妖精たちに囁かれ、エドガーはついにエリザベスの前に立った。彼女は白いレースの寝間着姿で、微動だにせずエドガーを待っていた。
月光に照らされたエリザベスの美貌は月の女神セレーネに勝るとも劣らぬほどだ。
「あなたたちお似合いよ、エンデュミオン」
「彼女もあなたを愛しているわよ」
「ロンドンもエディンバラも嫌になっているのでしょう」
「一緒に行きましょうよ、妖精の楽園へ」
「そこには苦しいことなんてひとつもないわ」
畳みかけるような妖精たちの声に急かされ、エドガーはエリザベスの腰に手を回す。細やかな布の手触りの向こうに、エリザベスの少女特有の柔らかさがあった。
「エディ……?」
「……エリザ」
エリザベスは笑顔を作る。しかし、その目は虚ろなまま。たとえ網膜に映っていても、その心にエドガーを映してはいない。
いつものエリザベスの笑顔はまさに夏の祝福だった。デイジーの花だった。今の彼女は寒い灰色の冬に閉ざされた夜でしかない。
もしかしてエリザベスは――
「あぁ、なんて可愛らしいふたりかしら!」
しかし、エドガーの疑惑の発芽はそんな声によって遮られてしまう。
天然石の門の上、月を背に浮かぶ一際大きな妖精がソプラノで歌い上げる。彼女は六枚の翼を持っていた。彼女の纏う光は他のどの妖精のものよりも神々しく、彼女の美貌は春の若さを象徴する処女のそれに等しい瑞々しさを讃えていた。
「私は妖精女王ティターニア。あなたたちは私の王国で永遠を謳歌するのよ! なんて素敵なことかしら!」
ティターニアがその指をタクトのように振ると、周囲を飛び交う妖精たちが一斉に歌い出した。
永遠の愛を誓いましょう
長い冬に別れを告げて
彼女は月の涙を飲んだのよ
もう二度と涙を呑まなくていい
重い歴史を脱ぎ捨てて
音に合わせて踊りましょう
羽たちが心を運んでくれる
高い石の門をくぐったら
花が枯れる心配はない
また明日~




