青い光を追って……
妖精編はそれっぽい文章を書こうとしたため結構堅いです。
こういうのも好きという方、お付き合いください。
「ごめんなさい、お祖父さま」
エドガーは小さくつぶやいた。
浮遊する青い光に導かれ、寝間着姿のエリザベスが森の中へ入って行くのが見えた。
エドガーは靴を履いて上着を羽織ると、こっそりと寝室から抜け出した。
大人たちは全員ぐっすりと眠っている。
ランプもなしに階段を下り、歴々の当主の肖像画がかかった廊下を横切る。
エドガーは肖像画というものが嫌いだった。精巧であればあるほど、まるで生きているかのようで気味が悪い。
昼間この廊下を通る時は、できるだけ早足で駆け抜ける。
しかしこの夜に限っては、肖像画たちの視線は十五歳の若き次期当主を見守る優しいものに感じられた。
我らが子よ、勇気を奮い立たせよ。奪われたものを取り戻せ。それがスコットランド人の気概である。
エドガーはキッチンに入り、瓶に入ったワインをほんの少しだけ口に含んだ。胸の辺りがじんわりと熱くなる。
短く息を吸い、裏庭に通じる扉を開けた。
夏の夜の空気がエドガーの頬に優しく接吻した。古代ローマのものを模した石像が並べられた裏庭は静まり返っていた。
手入れされた薔薇の茂みがあちこちに暗がりを作っている。噴水は夜中でも水を吐き出し、月明かりに照らされた水盤で魚の背がきらりと光る。生温かい風が吹き、草木をそよそよと揺らした。
庭の向こう、青い光が壁を飛び越えて消える。
エドガーは早足で庭を抜ける。世界中に聞こえてしまうのではないかというほど、心臓が大きな音を立てている。
煉瓦の壁に開いた背の低い通用口を抜ければ、そこは屋敷の外だった。アーサー王の時代から変わらぬ風が、草の海に浮かんだ黒い巖を撫でていく。
エディンバラは岩に囲まれた都市だ。
というより、岩と岩の間に人間が都市を築いたといった方が正しい。
石造りの建物がギザギザの谷間の稜線をさらに細かく刻む。広い草原にもところどころ黒々とした玄武岩が顔を出し、まるで草の海に浮かぶウミガメのように見える。
太陽が沈むだいぶ前から暗くなる森の中にはローマ時代に拓かれた道が通っているが、石さえも敷かれず砂埃が舞うに任せている箇所がほとんどだ。
普段エドガーが暮らしているロンドンと違い、エディンバラの田舎には街灯など存在しない。けれど今宵は月がエドガーの足元を照らしてくれている。
青い光を見失わないように、エドガーは歩き出す。森へと一直線に続く道はすっかり荒れ果て、馬車の轍はもはや歩行者の足を邪魔する凹凸でしかなくなっていた。
羊と季節の鳥だけが、この大地の変化を知っている。森が近づくにつれて夜は一層暗くなり、星々はおしゃべりを慎むようになってしまった。
エドガーは心細い気持ちになりながら進んだ。
引き返して温かなベッドに隠れれば、すぐに朝日を迎えることができる。
しかし、エリザベスを見捨てるわけにはいかない。
ここで彼女を追わなければ、その聡明かつ可憐な笑顔に二度と会えないという確信がエドガーにはあった。
いよいよ夜の森に足を踏み入れると、そこは昼間とはまるで違う世界だった。太陽の光に照らされて穏やかにそよいでいた森が、夜は不吉にざわざわと揺れている。
青い光はそんな森を迷うことなく奥へ奥へと進んで行った。
すぐ近くで大きな目をした梟がエドガーの背中を見つめている。鳥や虫たちの鳴き声があちこちから響き、月光は木々の隙間から白い絹糸となって垂れている。エドガーが生まれる前に倒れた古い苔むした木からは、新しい緑の苗が幾本か伸びている。誰がいつ架けたとも分からない石造りの橋が、星々を映した小川に横たわる。
今は亡きヘンリーお祖父さまが暖炉の前で聞かせてくれた妖精の物語を、エドガーは思い出していた。
幼き日のエドガーは毎晩のようにお祖父さまの膝に座って、身体の奥にまで心地良く響くバリトンの声で紡がれる物語に胸を躍らせた。
ヘンリーお祖父さまのお話は、決まってロイヤルマイルにあるパブ『妖精の囁き亭』から始まった。パブの入り口には妖精をかたどった小さな銅像が掲げられ、看板にはビールの樽と紅茶のポットを持った妖精が描かれている。
若きヘンリーがお祖母さまと出会ったのも、両親の目を盗んで逢瀬を重ねたのもそこなのだという。
エディンバラの住民に限らず、スコットランド人はみないつも酔っぱらっているのではないかと思うくらいビールを飲む。『妖精の囁き亭』では紅茶やコーヒーなども提供しているが、太陽が沈むのと同時に下層労働者が訪れると、注文はすべて酒類に変わった。
ヘンリーもかつては大酒飲みであったが、妻が亡くなったのを機に酒を止めた。
しかし、紅茶を止めることはついぞしなかった。それは呼吸を止めることにも等しかった。
ほとんどの英国人と同じく、ヘンリーも紅茶には一家言があり、外ではもっぱらコーヒーばかりを口にした。
ヘンリーは、妻が裏庭で育てたハーブを使ったハーブティーと、遠くインドから運ばれてきた夏摘みのダージリンしか、紅茶だと認めていなかった。
彼からはいつもどこか芳しく繊細な紅茶の香りが漂っていたことをエドガーは覚えている。整えられた白い口髭と青いつぶらな瞳のヘンリーお祖父さまは、エドガーの憧れる紳士そのもののような人だった。
「青い光が見えてもついていってはいけないよ」
妖精たちは悪戯好きで、時に人を助けるが、時には人を騙して混乱に陥れる。特に幼い子どもは妖精にとってかっこうの獲物であり、散々玩ばれてから酷い目にあわされるのだ。
昔から、エディンバラでは思春期の男女が行方不明になることがよくあった。そういう時、住人達は口をそろえて妖精の仕業であると断言した。
外からやって来た犯罪捜査の専門家たちは個人の犯罪ではなく組織的な誘拐の可能性を探ったが、何も分からないまま捜査は暗礁に乗り上げた。
ヘンリーお祖父さまも幼い頃、郊外の森で妖精と踊ったことがあるという。
また明日~




