いつまでも受け身のままじゃいられない
青藍さまカッコいい……
必要とされるっていうのはそれだけで嬉しいことなのよ。
「かまどぉ!」
「はいはい~、イタリアンドレッシングお待ち!」
そう、あんな風にね。
ペコがかまどを必要としているのはお料理を作ってくれるから。
胃袋から掴めとはよくいったものね。この化け物はかまどのお料理に夢中。
でもそれって、かまどからお料理の腕をなくしたらどうなってしまうのかしら。
「すごいよかまど! これいい匂い!」
私の髪にぶっかけられるイタリアンドレッシング。野菜のみじん切りとハーブをベースに酢やオリーブオイルで味を調えたものよ。
イタリア本国ではオリーブオイルのまま使うことが多いから、この形式のイタリアンドレッシングは使われないらしいわ。
使われない。ええ、悲しいことね。それは私のような受け身でしかいられないものにとって何よりも苦しいことよ。
人間だったら目的が見つからなくても生きていける。生きること自体が目的でもあるし、そもそも人間は目的ありきに作られていないもの。
けれど、目的が先に作られた道具はそうはいかない。目的のない道具は道具じゃないの。
多少人間に似ている人形だって、所詮は目的を持って作られた道具でしかない。
私はご主人様に愛されて、ご主人様を愛するために作られたのよ。
私を見つめていた幼子は、久しぶりに私を必要としてくれたご主人様だった。寂しがり屋の彼女は、周囲のみんなに愛されて、すくすくと成長したわ。
そしていよいよ彼女が女学校へ入学する前日、家族総出でお祝いしたの。
私もこの日は無礼講、彼女たっての願いでご主人様のお膝の間に座ることを許されたのよ。家族もみんな笑っていた。
その夜の食卓にはご主人様の大好きなおかずが並んでいたわ。鰆と里芋と人参の煮つけ、きんぴらごぼう、牛のすき焼き、どれもご主人様のために材料から厳選されたお料理だったの。
幸福の絶頂にいれば、その後もきっといいことばかりが続くだろうって思うものよ。
けれども世の中は残酷ね。いつだって幸せには不幸が伴うのだもの。
人間の気持ちは変わりやすくて、些細なことで争っては傷つけ合うの。
ある夏の暮れ、ご主人様は女学校で悲しい思いをして泣いていた。
彼女は母親に手を引かれ私の前にやって来ると、代々伝わる儀式なのよと教えられ、私に髪を一本植えたの。
私の中の水晶に、彼女の悲しみが加わった。
可哀想なご主人様。
彼女はその後、同級生と心中したらしい。私の呪いではないかと囁かれたけれど、そんなわけないじゃない。
だって私は動けないもの。何もできない、人形なのよ。
私の新しいご主人様は彼女の妹。
気味悪がって私を避けたから、私はまた仏間に追いやられたの。
湿った空気のこもる暗い部屋で、私は何年も考えたわ。どうして前のご主人様の力になれなかったのかしらって。
私がただの人形じゃなくて、せめて話し相手にでもなってやれたなら、ご主人様だって死なないですんだかもしれない。今までのご主人様たちみたいに、私を置いてどこか遠いところへ逝ったりなんてしなかったでしょう。
『あなたたち、もう諦めなさい!』
私はペコに向かって髪の束を振るうわ。苦し紛れで力任せの攻撃。
ペコは華麗に回避してカウンターを決めてくる。無尽蔵の体力と人間離れした反射神経に、私もいい加減疲れてきちゃった。
このままじゃジリ貧になって、私は負けてしまうでしょう。
「ペコ!」
打開策を練っている間にもかまどから、また新しいドレッシングがペコに届けられたわ。
それはピリ辛ねぎドレッシング。ドロドロになったねぎの破片がオニオンベースのオイルに浮いている変わり種。独特の酸味と辛さが舌を刺激するそうよ。
そう言えば、味覚の中で辛さだけは痛みに近いって聞いたことがある。
痛み、人間に特有の感覚ね。私、身体の痛みは分からないけれど、心の痛みっていうのははっきりと分かるわ。
私はご主人様たちの心の痛みを蓄えてきた。髪の毛が私に挿し込まれるたびに、私はそれを感じたわ。
そんな中でも最大の痛みを感じた出来事は、昨日のことのように覚えているわ。
心中したご主人様の妹、この新しいご主人様は、私が仏間にいる間に結婚して赤ちゃんを授かったの。
嫁入りの日、私も一緒に相手の家に連れていかれてご主人様のお部屋に飾られた。蔵にしまっておくのは怖かったのか、それとも心境の変化があったのかは分からない。
日に日に大きくなっていくご主人様のお腹を見ていると、私はちょっぴり幸せな気分になったわ。次のご主人様が育っていっているのねって、長い過去に思いを馳せながら見守ったの。
けれどある暑い日の昼時のこと。
ご主人様は突然破水してしまったわ。私の見守る前で、畳が真っ赤に染まっていったの。
蝉の声がうるさかったからでしょう、ご主人様の助けを求める声を、広いお屋敷で聞き取れる者はいなかった。
私が叫べたらよかったのでしょうね。
ご主人様はその場に倒れて、気を失う寸前に私を見上げたわ。私は微動だにせず虚空を見つめて立っていた。
せめて動けたなら、ご主人様の代わりに誰かを呼びに行ったのに。
発見された時には誰の目にも手遅れだった。ご主人様は助かったけれど、赤ちゃんは死産になったわ。
しばらく入院して帰ってきたご主人様は別人のようにやつれていた。
彼女は箪笥の上の私を掴むと、思い切り庭に投げたのよ。
お前のせいだ、お前のせいで。彼女は血走った眼で叫んでいたわ。
どこかで何かが割れる音がした。そこで弾けたものこそ、心の痛みってやつだったのでしょうね。
その瞬間、私はついに呪いを持った。防衛本能みたいなものだったのかしら。
咄嗟に髪を伸ばしてご主人様の追撃から逃れたわ。
彼女は驚いてひっくり返ったから、私も彼女が心配になって近づいた。
ご主人様は涙目になって私に謝った。
だから私も許したの。物に当たりたいと思うことだってあるわよねって。まだ会話はできなかったけれど、伸ばした髪を元に戻すことで示したつもり。
彼女は私を仏間に置くと、大慌てで出ていった。
仏壇には死産した彼女の赤ん坊の灰が、まだ壺に入って置かれていたわ。
私の未来のご主人様。今では過去になってしまったのね。
そんなことを思っていると、何人もの足音が聞こえてきて、私の視界は急に真っ暗になったのよ。
そして、私はここのお寺に閉じ込められたわ。
何時間も、何十日も、何十年も、私は封印が施された桐の箱の中で過ごしたの。
それは地獄のような牢獄よ。何も見えない、何も聞こえない、ただただ私の意思だけがそこにあったんだもの。
私とご主人様は最後まで分かり合えなかった。私は人形として、ご主人様に愛されたいだけなのに、どうして私を遠ざけるの。
人間と人形、異なる存在が通じ合うことは無理なのかしら。
誰かに必要とされることを目的に作られた私が、必要とされなくなった。むしろ存在を疎まれてしまった。
だから気が狂ってしまったのね、私。
新任の僧侶が間違えて私を開けた時、鬱憤を晴らすように髪の毛を伸ばしたわ。
彼は小便を漏らして気絶したの。
大勢の僧侶がやってきて彼を救出したわ。
私は髪を伸ばしただけなのに、彼ら髪を切ろうとするの。
はさみ、ナイフ、日本刀、チェーンソー……もう何でもありだった。
だから余計に伸ばしてやった。
私の置かれていた倉庫は髪の毛だらけになったのよ。彼らは倉庫ごと封印を施したわ。
そこからまた数年が経ったの。
倉庫の扉が開いた時、そこに立っていた僧侶の背後からは後光が差しているように見えたわ。
そう、それが青藍様だった。
彼は私を見て、「……綺麗だ。だが惜しい」と言ったのよ。
それから私はガラスケースを与えられ、本堂にずっと祀られているわ。
私を壊せとか、封印しろとか、反対意見もたくさんあるみたいだけれど青藍様は気にしない。私のことを憐れんで、慈しんでくれるのよ。
彼が言った「惜しい」の意味は分からない。
でも好意的にとれば、私が暗闇に閉じ込められていたことなのではないかしら。綺麗な私が人目に触れられないでいること。
それを青藍様は惜しいと言ってくださった。きっとそういうことなのよ。
私には青藍様しかいない。
たとえいつか離れ離れになってしまうのだとしても、私はもう自分から身を引く気はないわ。いつまでも受け身のままじゃいられない。
『決着をつけましょう!』
また明日~




