アスタ ラ ビスタ!
ハ〇ニバル・チ〇ウ
《part 9》
取り巻きのスカイフィッシュが反転し、ペコたちに向かって殺到する。
「ペコ、これ!」
かまどが投げ渡したのは山刀――藪の伐採に使われる薄手の鉈である。こんなこともあろうかとカバンに忍ばせてあったのだ。
受け取るが早いか、ペコは雲霞のごとく群がるスカイフィッシュの波に走り込んだ。
途端に飛翔生物が彼女を取り囲み、鋭い歯で柔肉を抉ろうと密集する。
しかしペコの驚異的動体視力はそれらを全て見切っていた――風鳴るマチェーテが両断し、スニーカーの脚が踏みつけ、裏拳が牙を砕き、貪欲な口が逆にスカイフィッシュを捕食する。
「ん! 踊り食いも行けるよ!」
「お腹壊すよ! 加熱しなさい!」
そう叫んだかまどは手持ちバーナーを振り回し、たかるスカイフィッシュを次々炙り焼きに変えていた。虫のような見た目だが一定の知能を持つらしく、白い群れは大気を揺るがせる熱量から距離を置き、竜巻のように旋回しつつギィギィと威嚇音を立てている。
――さて、ここからどう抜け出そう……。
炎を振りつつ思案するかまど。クールな横顔に冷や汗が垂れる。
目にも止まらぬ高速生物のベール。濃くなる一方に思われたが、不意に包囲の密度が下がり視界が良好となった。
彼女の眼前には、身の丈より巨大な死の洞窟――巨大スカイフィッシュの口腔!
咄嗟に横っ飛び、岩の陰に身を隠す。間一髪で通り過ぎた暴力的な質量は、恐ろしいことに岩の先端を削り取り、凄まじい風圧で彼女を嬲りながら高度を上げて身を翻した。
次なる標的は、数の暴力で釘付けにされたピンクの人影。
強靭な鰭の蠕動と重力によって加速する(特大)を視界の隅に捉えて、ペコの眉間に珍しくしわが寄った。襲い来る(中)や(大)を打ち落とす照準は依然正確。だがその勢いには若干の疲れが窺える。
腕に、腿に、頬に、刻まれた歯型から血が滲む。鮮紅の飛沫と共にマチェーテを振るうペコ……しかし側面に体当たりを受けた刃がへし折れ……丸腰で敵に晒される!
「かまど! これじゃキリないよ!」
その声に呼応し、かまどが駆け寄って液体をばら撒いた――オリーブオイルだ。
魔法陣のように二人を囲った油の帯は、次の瞬間に点火されて炎の壁と化す。
無謀なスカイフィッシュが焼け死ぬ断末摩を聞きながら、二人は背中合わせに立っていた。かまどが苦々しい顔で唸る。
「小さい方はまだ逃げようがあるけど、あのデカブツは無理でしょ。ここで仕留めないと」
「分かった。何かある?」
「これくらいしか無いけど」
カバンの口から覗いた把手をちらりと確かめ、ペコが獰猛に歯を剥き出す。
「十分。いけるよ!」
「じゃ、あたしは小さい方の囮になるから。頼むね」
「かまども、あとでおやつ作ってね!」
合図も無しに二人は防壁から飛び出した。
かまどは(特大)に背を向け逃げる。取り巻きたちが咎めるように声を上げ、制服の背中に追いすがっていく。
そしてペコはその正反対――(特大)の底知れぬ顎門へ一直線に速度を上げる。
彼女が握った把手は無骨な駆動機と長大な刃鎖を伴い、始動紐を荒っぽく引くと同時に凶刃が咆哮を上げて回り始める。
虐殺、惨劇、陵辱の象徴――チェーンソーを下段に構え、ペコは風となった。
長髪が舞い、健脚は土を巻き上げる。
木々が薙ぎ倒された進路に障害物はなく、巨怪の胃の腑へと直通している。
ペコとスカイフィッシュ、最高速度に達した一人と一匹は脇目も振らず猛進する。
そして両者が交錯し、ペコが口内に囚われんとする――その刹那。
油煙の軌跡を残しながら、ペコが――跳んだ!
山のような巨大スカイフィッシュを、ペコは軽々と跳び越えた。鯉幟のような両眼には驚愕の色が浮かんだようにも見える……否、それは気のせいである。スカイフィッシュに感情は無く、ペコに余計な思考は無い。
引き伸ばされた静寂の中で、ペコは重たげな得物を悠々と取り回し、体操選手をも凌ぐ身のこなしで姿勢を整えて重力に身を任せる。
真下に向けられた回転鋸が、母なる地球による厳然な加速を享受して――迫る。
そしてペコは、かまどの料理で覚えたスカイフィッシュの延髄へ――
無慈悲な凶器を深々と突き立てた!
根本まで刃が通ると同時に振り抜き、大蛇のごとき背中に着地する。スカイフィッシュは野太い苦悶の声をあげているが、それでもまだ致命傷ではない――本能で悟る。
瞬間、彼女は再びチェーンソーを足元に突き刺し――疾駆!
今度は体の向きに沿って、頭から尾へと一気に裂き進む!
……巨大スカイフィッシュの雄大な体躯に比べれば、チェーンソーごときで付けられる傷は浅い。しかし全身が筋肉で出来たその巨体は、各部位の奇跡的なバランスによって形を保っている。
ほんの些細な亀裂、僅かな瑕疵は、鰭がひとたび波打つごとに広がり、深まり、取り返しのつかない断絶を齎していく。
ペコは尾の先から跳び、土煙をあげて着地した。
特大スカイフィッシュが怒りの咆哮を上げ、その動きで更に傷が深まっていく。
そして管状の胴体は……背中からゆっくり裂き割れ……。
中米の太陽の下へ、臓腑を、露わにした。
地響きを立てて怪物が墜落した――と同時に、かまどに群がっていた小振りのスカイフィッシュが一斉に飛び去っていく。
逃げ出したのかと思いきや、それらは剥き出しになった巨大スカイフィッシュに群がり、主であった存在の内臓を次々食い荒らし始めていた。
――確かに人間より食べやすそうだけど……。
弱肉強食をまざまざと見せつけられ、苦笑を隠せないかまど。
でも何にせよ……生き残った。
安堵のあまりへたりこんだ彼女をペコが見下ろす。
「かまど、これ料理できる?」
平常運転の食欲おばけに脱力して、かまどはようやく緊張を解いて大きく息をついた。
「そうだね……。背開きだし、蒲焼にでもする?」
「いいね、美味しそう!」
和やかに談笑する二人の目の前、無数のスカイフィッシュに食いつかれた巨大な胃袋が、突如内側から突き破られた。
バタフライナイフを握ったその腕は臓腑の穴を切り広げ、中から人影が頭を見せる。
「ワガハイの靴はどこナリ……」
アントニオだ。困憊した様子の彼は消化液で全身ドロドロであったが、大きな怪我もしておらず無事と言ってよさそうだ。
遠くで手を振る二人に手を振り返し、寄ってくるスカイフィッシュをナイフで必死に退けながら、彼は空を仰ぐ。
「……もうスカイフィッシュは懲り懲りナリィーーーーっ!!」
渾身の叫びがメキシコの青空へと響いていった。
来週からはかまどとペコが出会った話、百合度の高い「くねくね」編です!




