第四話 八十年目の裏切り
「……にせん、にじゅうろくねん……?」
彰一の唇が、わずかに震えた。
数字の意味を脳内で反芻し、それが持つ絶望的なまでの重みを理解した瞬間、彼の血の気がサーッと引いていく。
「……ふざけるな」
低く、押し殺したような声だった。
彰一はガタリと立ち上がり、カレンダーの前に歩み寄ると、その紙片を鷲掴みにした。
「昭和二十年から……八十年以上だと? そんな馬鹿なことがあるか! 幾万の英霊が散り、本土決戦へ向けて国民が一丸となって耐え忍んでいる最中に、なぜ八十年もの時間が勝手に進んでいる!」
「ちょっと、破らないでよ! それ私の大事なスケジュール帳代わりなんだから!」
葵は慌てて立ち上がり、カレンダーを取り返そうとしたが、彰一の纏うただならぬ気圧に気圧され、その場で足が止まった。
彰一の手からカレンダーが滑り落ち、床の上にらへらりと舞い散る。
彼の視線は、部屋の隅で黒く光る液晶テレビへと向けられていた。
「……その、『てれびじょん』とやらをつけろ」
「え……?」
「つけろと言っている! 今すぐだ!」
ただならぬ剣幕に圧倒され、葵は恐る恐るリモコンを手に取り、電源ボタンを押した。
瞬間、黒い画面に鮮やかな光が灯り、スタジオのセットとアナウンサーの姿が映し出された。
聞き取りやすい滑らかな日本語。だが、その内容は彰一の耳に突き刺さるようなものばかりだった。
『――続いてのニュースです。与党の裏金問題を巡り、首相は本日も記者団からの追及に対し、明確な説明を避けて釈明を続けました……』
『続いて経済情報です。円安の進行と物価高騰が止まらず、家計の負担は過去最高を更新……』
『外交面では、周辺国からの相次ぐ領空侵犯への対応について、外務省は遺憾の意を表明しつつも、実効性のある抑止策を示せておらず……』
テレビ画面の中で、政治家がヘラヘラと頭を下げながら言い訳を繰り返し、アナウンサーが無表情で不穏な国際情勢を読み上げていく。
彰一の身体が、怒りのあまり激しく震え始めた。
「な……なんだ、これは……」
「……は?」
「これが……これが、八十年後の日本の姿だというのか!」
彰一の怒号が、狭い六畳の部屋を揺るがした。
彼はテレビ画面を指差し、血走った目を葵に向ける。
「政治を司る者たちが私腹を肥やし、国民に背を向けてヘラヘラと頭を下げているだと!? 諸外国から理不尽な圧力をかけられ、抗う気気概すらないまま『遺憾』などとほざいているのか!」
「ちょっ、ちょっと待ってよ! そんなのいつものことだし、政治家なんて昔から……!」
「黙れ!!」
その一喝に、葵は息を呑んで喉を詰まらせた。
彰一の目から、大粒の涙がポロリと零れ落ちていた。
それは怒りだけではない、あまりにも深い絶望の色を帯びていた。
「我々は…我々の仲間は…知覧の空で、何を信じて散っていった……!」
彰一は床の上に両手をつき、歯噛みした。
「明日の命すら知れぬ極限の中で、お国のためにと飢えに耐え、爆弾の雨を潜り、愛する家族や後世の日本人へ『誇り高き独立国』を手渡すために……
命を捧げたのだ!
なのに、残された未来がこれか……自らの国を護る気概も誇りもすべてドブに捨て、与えられた平和を貪りながら、ただ不平を垂れて生きるだけの腑抜けた者たちの世界か……!」
その言葉は、現代を生きる葵の胸を、ナイフのように鋭く切り裂いた。
「っ……!」
「教えてくれ、婦人! お前たちは……この腑抜けた平和のために、我らが流した血の重さを、少しでも考えたことがあるのか!」




