第十二話 傾いた天秤
世田谷の街を巡り、スーパーの処分売りワゴンを巡る会話を交わした二人は、「月見荘」の六畳間へと戻ってきた。
葵のへそくりで買った安売りの食パンと、100円のペットボトルのお茶をローテーブルに広げ、二人はささやかな昼食をとっていた。
部屋の隅にある小さなテレビでは、昼のニュース番組が流れている。画面には「2026年 衆議院選・直前情勢」の文字と、世田谷駅前の映像が映し出されていた。
『――続いて、世田谷区の駅前から生中継です。現職の坂東たかし候補が、多くの有権者を前に熱弁を振るっています』
画面の中では、白い手袋をはめたスーツ姿の政治家・坂東が、マイクを握りしめて満面の笑みを浮かべていた。
『長年この街を支えてくださった人生の大先輩方の暮らしを、何としても守り抜く! 年金・医療・介護の拡充こそが、この国の最優先課題であります!』
周囲で拍手を送っているのは、時間と生活に余裕のありそうな高齢の層ばかりだった。
彰一は食パンを噛みしめる手を止め、テレビ画面を凝視していた。黒のパーカーを着ていても、その鋭い眼光は画面の中の政治家を射抜くかのようだ。
「……葵さん。あの画面の中の男は、何を言っているのだ?」
「ああ……地元の政治家だよ。今度選挙があるから、アピールしてるの」
葵はお茶を飲みながら、自嘲気味に息を吐いた。
「『高齢者の安心を守る』って言っとけば票になるからね。若い人の雇用とか、派遣切りで苦しんでる生活のことなんて一言も言わないでしょ」
「若者に対する言葉は、一つもないのか?」
「あるわけないよ。若者は人口も少ないし、選挙に行かないから政治家からしたら『客』じゃないの。私たちみたいな若い世代から税金や保険料をむしり取って、高齢者に手厚く配るシステムになってるんだから」
彰一の声が、一低くなった。
「……天秤が、完全に傾いているな。これから国を支え、未来を紡ぐべき若い世代が明日への恐怖に心を擦り減らし、すでに責務を終えた世代ばかりが過剰に保護されている……。それは政治ではなく、未来の破壊ではないか」
彰一は右手のポケットに手を入れた。指先に触れるのは、妹のハツが手縫いしてくれた布のお守りだ。
――若者は大切にされていたか?
脳裏をよぎる疑問に、彰一の胸の奥が冷たく凍りついた。
知覧の地で見た、十六、七の少年兵たちの顔。
彼らは軍の上層部から「お国のため」という大義名分を与えられ、練習機同然の機体に爆弾を括り付けられて出撃させられた。
軍部にとって、若者の命など「一車の駒」――一発の弾丸と同じ消耗品に過ぎなかった。
『俺たちは未来の家族を守るために死ぬんだ』
そう思わなければ狂気に呑まれそうになるから、必死に信じ込もうとしていた。
上層部にとって自分たちがただの使い捨ての駒に過ぎないという残酷な現実から目を背け、「尊い犠牲」なのだと自らを欺いて飛び立ったのだ。
そして今、テレビの画面越しに見える未来でもまた、若者たちが形を変えた「消耗品」として扱われている。
「……ハッ」
彰一の口から、乾いた自嘲の笑いが漏れた。
「……何を勘違いしていたのだ、私は。……私たちの時代も、上層部の奴らにとって若者の命など『捨て駒』に過ぎなかった。……国家や大義という言葉で飾り立て、若者を消耗品として使い潰したのだ」
彰一の肩が、かすかに震えた。
「『未来のために』と自分に言い聞かせていなければ、出撃などできなかった。そうやって自分を偽り、命を差し出した結果がこれか……。時代が変わっても、上に立つ者たちは何一つ変わっておらん。若者を搾取し、都合の良い捨て石にしているだけではないか」
『――以上、世田谷駅前から生中継でお伝えしました』
テレビのアナウンサーの声が響く。
画面の端には「現在:世田谷駅前ロータリー」の字幕が出ていた。
彰一は、すっと立ち上がった。
「神崎さん……?」
「葵さん。あの場所は、ここから近いのか?」
「え? 世田谷駅? ……徒歩で十分くらいだけど……」
「行くぞ」
「ちょっと待って!? 何で!?」
葵が驚いて立ち上がるより早く、彰一はパーカーのフードを目深にかぶり、ドアノブに手をかけていた。その瞳には、かつて敵機に立ち向かっていった時以上の、静かで苛烈な怒りの炎が宿っていた。
「自分の命を捨て駒にされた過去も……今、お前たちが捨て駒にされている現実も……黙って見過ごすわけにはいかん。あの男に、問いたださねばならんのだ」
「神崎さんっ!」
葵は慌てて財布とスマホをひっ掴み、部屋を飛び出す彰一の後を追った。




