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第三話
梅雨の晴れ間、六月の真夏日のこと。あざみは顰め面で自身の左手を見つめていた。
「あぁもう、やっちゃった……また怒られんじゃん……」
曲がりも伸びもしない薬指。人生初だが、間違いなくこれが突き指なのだろう。体育のバスケの試合が原因だ。紫苑にバレればもっと自分に気を遣えと怒られるに決まっている。次の授業は英語で、担当の教師には保健室に行くので遅れると伝えてあるので問題無い。そして訪れた保健室は扉の外からでもやけに騒がしかった。いくら休み時間とはいえ、この騒がしさはおかしい。
「失礼しま…………は? 何これ」
扉を開けて広がった光景。やけに女子が居る。というか異常なまでに女子生徒が集まっていた。巣窟、という言葉を用いても間違いではないだろう。何故こんなにも女子生徒が集まっているのか、全く分からない。この中に割って入れる気がしないあざみは大人しく休み時間が終わるまで待つことにした。どうせあと一分ほどで終わるのだ。
「せんせ~~!!」
扉の近くに立っていたあざみの後ろから声が聞こえ、彼女は振り返る。そこに立っていた少女は可愛らしいがどこか高校生らしくない見た目をしていた。私服校であることも災いしているのだろう。顔立ちは幼げにも関わらず身長が高い、彼女の纏う雰囲気はどこか大人びていて。そうだ、女子高生特有のきゃぴきゃぴとした雰囲気が無いのだ。何というか、きゃぴきゃぴというよりも色気があると形容したほうが正しい気がする。どこかアンバランスな彼女のスリッパは青く、一年であるということは分かった。つまりあざみより一学年下になる。
「ひま!……ったく、アンタまた用も無いのに来たのか?」
「そうだよ、そこの先生の周りのお姉ちゃんたちもね、ひまと一緒なの!」
ひまと呼ばれた少女は人込みを割って入っていく。その中から聞こえてきた声はいつもの養護教諭ではなく、男の声だった。そういえばいつもお世話になっている養護教諭の女性は急に長期休みになったとかで代わりの人が来たとか担任が言っていたな、とあざみはふと思い出す。
それにしても新しい養護教諭が来ただけでこんなにも人が集まるものだろうか。恐らくそこそこのイケメンでも来たのだろう。まあ年上の男なんて女子高生からすればそこそこの顔でも憧れるだろうしな、と考えたところでチャイムが鳴った。女子たちはキャーキャーと言いながら蜘蛛の子を散らすように走っていく。人込みがなくなりついにその中心の人物が見えた時、あざみはあんぐりと口を開けた。
「うわ、何コイツ」
ようやく見えた養護教諭。どうせそこそこのイケメンだろうと思っていた予想は裏切られた。黒い艶のある髪は後ろに撫でつけるようにセットされていて、額から顎にかけてのラインがよく分かる。このラインは美術の教科書の彫刻のページでしか見たことが無い、肌が大理石に見えてきた。それから眉はキリッとしていて、目は甘く優し気に垂れていて。
「……世の中不公平だ、同じ人種とは思えない」
「おう、どうした?」
「……あ、突き指しちゃったっぽくて」
本当に同じ人間なのかと疑いたくなるようなイケメンだ。あざみは自身が面食いの自覚がある。これまでの人生ずっとあの紫苑が側に居たからだ。紫苑も一般的にはカッコいいと言われるらしいが、それが基準となってしまっている。そんなあざみでもこの顔は間違いなくカッコいいと認められた。
「ちょっと見せてくれるか?」
「あ、はい……」
彼はあざみの手を取り、指を少し動かした。痛みにあざみが顔を歪める。あざみの手を伏し目がちに見る彼の頬にまつ毛の影が落ちていた。一瞬どこのメーカーのまつ毛美容液を使っているのかと聞きたくなったが、どうせ天然なのだろう。それにしても早く手を放してほしい。あざみは他人に触られることが嫌いだった。相手がどれだけイケメンでも関係ない。紫苑のように長年の慣れがあれば問題は無いが、初対面の人間にこんな風に触られることは不快だ。
「やっぱり突き指みたいだな、氷渡すから一時間冷やしてくれ」
「はい、ありがとうございます」
彼の言葉に早速氷を用意している少女をあざみはチラリと見た。チャイムはもう鳴っているのに少女は帰る気が無いらしい。彼女はあざみをソファに座らせると氷を渡し、すぐ隣に座った。その手にはバインダーが握られており、挟まれた紙には問診票と書かれている。
「お姉ちゃん、クラスと番号と名前教えてほしいな?」
「……二年一組七番、菊家 あざみ」
「お姉ちゃんはあざみっていうんだ! 良い名前だね~~」
「……アンタは」
警戒心を剥き出しにしているあざみに養護教諭は喉を鳴らして笑った。あざみが彼を睨みつけても全く怯むことなくあっけらかんとしている。そもそもこの男の名前すらあざみは知らないのだ。どう考えても怪しい男だと思う。
「その様子だと俺のことも知らなさそうだな……俺は深見、前任者が長期休暇になったから代わりに呼ばれたしがない養護教諭で、こっちがムコウビ アオイ……けど呼び名は」
「ひまだよ! よろしくね、あざみお姉ちゃん!」
「ムコウビ アオイ?……あぁ、向日 葵だからひま」
なるほど、と頷いているあざみをよそにひまは深見に問診票を持っていく。彼女はそれから彼の膝の上に座った。そのうえ彼の頬に手で触れているではないか。それは確実に男女の距離感をしており、あざみの身体がピシリと固まる。
あざみはスマホを取り出し、メッセージアプリを立ち上げ〝保健室〟〝ロリコン〟と、その二言だけを何故か送ってしまった。 恐らくこの光景を一人では受け止めきれず、誰かに聞いてほしかったのだろう。授業中にも関わらず、メッセージには既読の文字が付く。そしてその数十秒後には保健室の扉が勢い良く開かれ、紫苑が入ってきた。
「アザミ、大丈夫か」
「ごめんシオン。ちょっと混乱してた」
「……コイツがロリコンか」
「おいおい、授業を抜け出してくるなんて不良か? つーか俺はロリコンじゃねぇって。ひまは特別なんだよ」
深見は呆れた顔で溜め息をつく。紫苑は彼からあざみを庇うようにその肩を抱いた。特別だ、と言われてもこの二人の関係があざみにはさっぱり分からない。目の前の異様な光景に、あざみは深見の心を読もうと彼の目を真っ直ぐ見つめた。
それから目を閉じて集中しようとした瞬間だ。再び扉が大きな音をたてて開いた。
「あざみチャン! 大丈夫⁉」
「……何で、萩まで?」
集中が乱され、目を開けたあざみは入ってきた人物に振り返り目を丸くする。走ってきたのか息を切らしている萩が立っていた。メッセージを送ったのは紫苑に対してだけだ。そもそも授業中にメッセージなんか送るべきではなかった。今この状況は確実に自分の行動が引き起こしたものである。
これからは何かあってもまずは落ち着こう、とあざみは溜め息をついたのだった。




