02
「どうにか……なれば良いけど」
あざみはそう呟いて左手を胸の上で握る。それは彼女が『力』を使う時にいつもしている仕草だ。
昔、この力を探し物の為に使ったことがある。あの時のようにこの場所からの出口を探せば良いのではないか、とあざみは思いついたのだ。目を閉じて息を止め集中すると、身体に浮遊感が生まれる。それはあざみだけではなく、萩や紫苑も一瞬まるで無重力に投げ出されたような気がした。
「…………駄目かも」
あざみはそう呟いてその場にしゃがみ込んだ。そんな彼女を萩は目を丸くして見つめた。
「あ、ああ、あざみチャン⁉ 今の何⁉ え、あざみチャンも今ふわってした⁉」
「え……今のは私が『力』を使ったからというか……あ、やば」
しゃがみ込んだままふらついて地面に手をつこうとしたあざみの身体を紫苑が支える。萩は一体今何が起こったのか理解できていない。『力』を使ったと言われても、何が何やらさっぱりだ。そんな彼女にあざみは少しずつ説明した。
「私もよく分かってないんだ、けど……昔から、何となく使える……物体を動かしたり、心を読んだり、探し物したり……さっきの浮遊感は私が『力』を使った時に起こるもので……」
「待って、この間音楽室の前で一瞬ふわっとしたのも? だから扉が勝手に開いたの?」
「そうだけど……気づいてなかったの、萩?……というか、気づいてなかったなら逆に何であの時私にお礼を言ったわけ……?」
「何というか……吹奏楽部の人はあの扉を開けるスイッチでも持ってるのかと……」
「そんな大掛かりな仕掛けしてどうすんのよ。大体保健室でアンタの心を読んだのはどう思ったわけ?」
「洞察力凄いなぁって思ってた!」
あまりにも素直すぎる萩の返しにあざみは苦笑する。あざみのすぐ隣にいる紫苑もどこか可笑しそうに笑っていた。普段から無表情、ともすれば不機嫌な顔になりがちな紫苑が一日に二回も笑うなんて天変地異の前触れかもしれない、とあざみは空を見上げる。自分たちの世界よりも薄い水色の空が視界に入り、今の状況が異常そのものであることを改めて自覚した。先ほど『力』を使って出口を探したが、全く見つからなかった。
「……誰かと思えば君?」
途方に暮れたあざみの後ろ、路地裏から聞こえてきた突然の声に三人は驚いて振り向く。声からして女性であることは分かるが、彼女は頭から白い布を被っており全く顔が見えなかった。しかし布の下に見える白いシャツや長めの紺のプリーツスカートに、あざみたちと同じ世界の人なのだろうということは分かる。
あざみたちの通う高校は私服校であり各々が好きな服装で通学しているが、女子の多くは自身の好きな制服もどきを着てきているのだ。萩も白いシャツにリボンをつけ、チェック柄のミニスカートを履いている。あざみはあまりスカートを好まないので白いジップパーカーにデニムのショートパンツを着ていた。ただ、いくら学生のような恰好をしているとしても、こんな場所にいる時点で彼女は異様な存在である。
「あら? ちょっと待って、違うじゃない……てっきりあの子かと思ったわ」
彼女はほんの少しだけ布を持ち上げあざみの顔をまじまじと見た。知らない人間にジロジロと見られたうえに意味の分からないことを言われ、あざみは気がつかないうちに呼吸を止めている。そんな彼女を庇うように萩は抱き締めた。その温もりにあざみも自身が呼吸を忘れていたことに気がつき大きく息を吸う。
「どうしてこんな所に来てしまったの?」
彼女はあざみに問いかけるが、何故こんな所にと言われてもどう説明すれば良いのか分からない。ドーナツ屋へ向けて信号待ちをしていた時、萩から噂を聞いたと思えば気がつけばこの場所に居た。
「噂ねぇ……」
そう、噂を聞いて、そのとおり何か唱えた。確か〝へびびる〟とかいう意味の無さそうな言葉。
「君が、その言葉を、よりにもよって正しい場所で唱えたのね……」
「その言葉って……この言葉を知ってるんですか?」
知らない人と話すな、と隣の紫苑には口酸っぱく言われてきたが目の前の彼女の言葉にあざみはつい聞き返した。しかし聞き返してみてからあざみは気がつく。あざみは一言も目の前の彼女にここまで来た経緯を話してなどいない。心の中で思い出していただけだ。
「知ってるわ。だって私が創った言葉だもの」
目の前の彼女は確実にあざみの心を読んでいた。自身にも出来ることではあるが、自身以外でそれができる人間をあざみは初めて見た。青ざめるあざみの顔を萩は不安気に覗き込む。言葉を創ったとはどういう意味なのか、そもそも何故こんな意味の分からない言葉なのか、そして何の為に創ったのか。心が読めるのならばこの問いも聞こえているのだろう、とあざみは彼女を真っ直ぐに見つめる。白い布の隙間、かろうじて見える彼女の口元は笑っていた。
「流石アザミちゃん。よく分かってるみたいね」
「……アザミの知り合いなのか?」
「私が一方的に君たちのことを知ってるだけよ。寂しいけどね」
あざみの名前が出てきたことに紫苑は一気に顔を顰める。目の前の不審者から庇うよう、彼はあざみと萩の前に立った。ただの不審者かと思っていたが、名前まで知られているのならば厄介だ。紫苑に睨まれても彼女はニッコリと笑っている。
「シオン君、そんな睨まなくても大丈夫よ」
「黙れ」
「そういう乱暴な言葉遣いはやめなさいな。そりゃ年齢的にそういうお年頃かもしれないけど……それでね、さっきの私が創った言葉は世界を繋ぐ為のものなの……この世界を覗く為に創ったのよ……この世界、私はどう頑張っても覗くことしかできないけど……辿り着ければ全てを終わらせられるのに……」
彼女の何かを諦めたような声色に、何故かあざみは胸が痛んだ。そんなあざみに向かって彼女は一言、優しいのねと呟く。
「覗き窓を創るには時間と空間を交差させることが大事なの。その点君たちの学校裏の大きな交差点がちょうど良かったのよね……それであの場所にこの窓を創ったわけなんだけど、噂話っていうのは本当、どこからでも湧くわよねぇ……あぁ! そうそう、君たちはちゃんと送り返すから安心して……これに懲りたら噂話には気をつけるのよ。たかが噂じゃないことだってあるんだから」
あざみも紫苑も萩も、彼女の話の内容が全く理解できなかった。彼女はそんな三人に手を振って、何かを呟く。その瞬間、暗かったはずの路地裏から光が溢れ、三人は眩しさに思わず目を閉じた。
ピッポッと音に、あざみは慌てて目を開ける。目の前には見慣れたドーナツ屋。あざみは隣の萩と目を合わせた。
「帰ってきた! 私たち帰ってきたよあざみチャン!」
「本当だ……今のは一体何だったわけ……?」
「ちょっとした旅行みたいだったね~~」
「まぁ確かに、ちょっと面白かったかも……小説の参考になるかな」
「ファンタジー小説書くの?」
「アリかもね」
紫苑は先ほどまでの異世界もどきが明らかに異常事態だったと思うのだが、あざみと萩は能天気に楽しんでいるようで。この二人だけで行動させるのはやめておこう、と心の内で決意した。それでもあざみが楽しそうにしていることには喜びを感じる。その『力』のことで他人と距離を置き友人もほとんど作ってこなかった彼女が、ついに心を開いたのだ。
「全然時間経ってない。さっきの世界は時間の流れが違うのかな」
あざみはスマホの画面で時間を確認しながらそう呟いた。部室を出てからほんの数分しか経っていない。異世界に居た間、恐らく横断歩道を渡ってから反対側の歩道に辿り着くまでの時間ぐらいしか経っていないのだろう。あの場所で出会った謎の人物といい納得していないことしか無いが、今は早くドーナツを買って部活が始まるまでに部室に戻らなくてはならない。
「早くドーナツ買おう。部室に戻らなきゃ」
そう言ってあざみはスマホを尻ポケットに入れ、ドーナツ屋の扉を開けた。
なかなか不思議な体験だったと思う。それでもこれまでのつまらなかった日常よりはマシかな、と彼女は口元に笑みを浮かべ並んでドーナツを選んでいるシオンと萩を見つめていた。




