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第二話
吹奏楽部に所属しているあざみだが、週に一回木曜日だけは別の部活に顔を出す。それが文芸部だ。普段は剣道部に行っている紫苑も同じく文芸部に所属しており、この日だけは二人揃って部室である物理講義室へ向かう。
「お疲れ様です」
「おぉ菊家に椎名よ! よく来たな!」
「部長先輩、今日のおやつは何食べてるんですか」
「うむ、ドーナツだ! 学校裏の店でさっき買ってきてな、うまいぃぃぃ!」
黒縁眼鏡をかけた恰幅の良い三年の男子生徒、文芸部の部長がドーナツを一口かじり叫び始める。彼はいつも美味しい物を食べると叫ぶ癖があるのだ。学校の裏にある有名なドーナツの店で買ってきたようで、紫苑がどこか羨ましそうな顔で見ていた。甘いものがあまり得意ではないあざみと違って紫苑は根っからの甘党である。
文芸部といっても九月にある文化祭に部誌を出すぐらいで、それまでは各々が好きなことをしている部活だった。主にパソコンでゲームをしたり、カードゲームをしたりと、本当に文芸部なのかと疑いたくなることも多々ある。けれど、ここの部員たちは誰もあざみのことを悪く言わないので彼女にとっては居心地が良かった。
「シオンも食べたいの?」
「……そうだな」
「じゃあ買いに行こ。私もコーヒーが凍って牛乳に入ってるやつ飲みたい……部長先輩! 部長先輩のせいでシオンが食い意地張っちゃったから私たちもドーナツ買ってきます」
「おぉ、気をつけて行くのだぞ!」
鞄から財布を取り出し二人は歩き出す。どうせすぐそこまでなので、スマホと財布があれば十分だ。
物理講義室は音楽室と同じく十字棟の三階にある。十字棟の階段を下りて下駄箱へ向けて北館の中を通り抜けていると、部活前に部室でバンドメンバーと話している萩と目が合った。萩はあざみの顔を確認すると顔を輝かせ部室から小走りで出てくる。
「あざみチャンに紫苑クン! 二人してどうしたの? 今日は文芸部だったよね?」
「そう。シオンがドーナツ食べたいらしくてそこの店に買いに行こうと思って」
「え! 私も行きたい! 待ってお財布取ってくる!」
あざみの返事も聞かず萩は慌てて部室に戻りすぐさま財布を取って戻ってきた。その様子に紫苑が笑みを浮かべており、珍しいこともあるものだとあざみは驚いた顔をする。あざみと紫苑の二人ならば会話は無いが、萩が入れば賑やかなものになるのだ。
音楽室の前であざみと萩が出会ってから一週間、萩は毎日昼休みや放課後にあざみたちのクラスに来てはあざみに話しかけていた。今日クラスであったことや、あざみや紫苑がどう過ごしていたのか聞いて会話を回してくれる。あざみは賑やかなのは苦手なはずだが、何となく萩の話は遮ることなく聞いていた。保健室で冷たく接してしまった負い目があるのだろう、とあざみは自分で納得している。負い目があるから、ついつい何となく、勢いに負けて、こうやって断ることもできないのだ。決して萩に絆されているとかそういうわけではない。
スリッパから靴に履き替え、校門から出て右に進むとドーナツ屋まではほんの二百メートルほどの道のりだ。学校のグラウンドを横目に見ながら三人は歩く。学校の真裏にはペンギンのマークが目印の大型の総合ディスカウントストアがあり、その道路を挟んだ向かい側に目的地であるドーナツ屋があった。
大きな交差点、信号待ちをしていた時だ。
「そういえば、ここの交差点が異世界に繋がってるって噂、あざみチャンは知ってる?」
「何それ。どんな噂? 聞いたことない」
萩が言った話をあざみは一切聞いたことが無い。そもそも学校で話す相手など限られているのだから噂を聞くことはほとんど無いのだ。萩は顎に手を当てて思い出しながら噂の内容を話す。
「何かねぇ……確かこの交差点を渡る前に何か唱えるんだっけ……何か……へびびる?……みたいな本当、聞き覚えの無い何かだったんだよね」
「へびびる……? 何それ、蛇みたな蛭か何か? 意味分かんない何でそんな噂立ってんの?」
「分かんないんだけど、うちの学校って変な噂が多いからかなぁ……ほら、開かずの扉の噂とか恋愛成就のおまじないとか」
萩は思い出しながら学校で言われている噂の話をするが、あざみはそのどれも聞いた事がない。そんな話をしていると車の音が途切れ、あざみは前を向いた。歩行者信号が青になる。ドーナツ屋はもう目の前に見えていた。
ピッポッという音が聞こえ横断歩道へ足を踏み出した瞬間、何か嫌な空気が彼女の首筋を撫で突然冷汗が流れる。彼女は驚いて後ろを振り返った。
「何、これ」
そこにあるはずの大型ディスカウントストアは無くなっている。それどころかその奥にある学校も見えなくなっていた。代わりにあるのは石造りの街で。驚くあざみの顔に萩も振り返る。彼女は両手で頬を押さえ叫んだ。
「あわわわ……何これ、どういうこと⁉ え、本当に異世界に繋がっちゃったってこと⁉」
「落ち着いて萩。残念ながらそんな気がする」
「私のせいだよね⁉ ごめんあざみチャン!」
「いや、でも普通噂なんて眉唾物だし……ただ興味深い話で終わるはずのものだから……そうだよな、シオン?」
「まぁ……俺は全く信じてなかったし、今も信じてない」
「シオン、流石にそれは現実逃避って言うんだ」
気がつけば横断を促す音も消えている。車もいないし目的地のドーナツ屋も無い、スマホも勿論圏外で使い物にならない。一体ここはどこなのか、三人の誰にも分からなかった。
学校で流れてる程度の噂など嘘に決まっていると決めつけていた自身の甘さをあざみは痛感する。ひとまず止まっているわけにもいかず、おずおずと歩き出した。一人ならばもっとパニックになっていただろうが、今は紫苑も萩もいる。
「それにしても変な造りの街だ、まるでファンタジー作品の街みたいな」
「確かに、RPGのゲームとかにありそうだよね」
「萩が……ゲーム……?」
「うん、めっちゃするよ。休みの日とかやり込んでる」
「何か勝手にキラキラ人種にはそんな趣味無いと思ってた……学年一の美少女がオタクって知ったら男子たちの幻想崩れるんじゃない?」
「崩れてくれて良いんだけどなぁ~~」
萩とこうして話しているといつもの放課後のような気がするが、周りの景色がそれを許さない。あざみたちが最初に立っていたのは暗くて細い路地裏のような場所だった。話しながら路地裏を抜けると一気に明るさを増す。眩しさに目を閉じたあざみが再び目を開けると、そこは多くの人が行き交う広場だった。目の前を歩いていく人々のほとんどが金髪や薄い茶髪などの異なる人種の人々で。
「本当にどこ、ここ……?」
「歩いてる人に話しかけてみる?」
「いや、私にそんな勇気は無い。シオンから知らない人と話すなって言われてるし」
「……紫苑クン、あざみチャンももう高校生なんだよ?」
「厄介ごとに巻き込まれたらアザミが困るから……これまで一回や二回じゃなかったし」
萩があざみと知り合ってからの短期間でも彼女が度々厄介なことに巻き込まれているのを見たので紫苑の言い分も分かる。しかしながら過保護すぎるだろう、と萩はジトっとした視線を紫苑に送った。紫苑はそんな目にも素知らぬふりをする。
「もう……とりあえず話しかけてここがどこか聞いてみなきゃ」
「言葉通じる……?」
「分かんないけど、やってみなきゃ……あの、すみません!」
意を決した萩が通行人の一人に声をかけたが、反応が無い。仕方なく他の人にも同じように声をかけたが、同じように反応が無かった。まるで萩たちが見えていないような態度である。埒が明かない、と萩が通行人に触れてみようとしたがその手は空を切った。まるで透明人間になった気分だ。
「あざみチャン、紫苑クン……私のこと見えてるよね?」
「見えてる。萩も私のこと見えてるよな……?」
「勿論だよ! 見えてなかったら話しかけられないよ!」
萩があざみに手を伸ばし、その手を握る。他人に触れられることが好きではないあざみも、震えるその手を振り払うことはできなかった。それにしてもここがどこなのか本当に分からない。どうすれば元の場所に帰られるのかも分からないのだ。




