02
「保健室……行ってみようかな」
ドラムスティックをスティックホルダーに入れ、萩はそう呟いた。民謡研究部、とは名ばかりの軽音部の部室。何故軽音部なのにこんな名前なのかは誰も知らないが、昔から民謡研究部として活動しているらしい。今日は萩の所属するバンドの練習日で彼女はドラムを叩いていた。部活前に萩を助けてくれた彼女を保健室まで運んでからもう一時間は経つ。彼女の名前すら知らないが、このまま放っておくことができる萩ではない。少しぐらい抜けても大丈夫だろう、と萩は立ち上がり同じバンドのメンバーである友人に断りをいれて部室を出た。保健室のある南館は萩の部室である北館から渡り廊下で繋がっている。どちらも一階にあるので保健室へは萩が思ったよりも早く着いた。
何て声をかければ良いかな、と悩みながら扉に手をかけようとした途端扉が突然開き彼女は驚きのあまり悲鳴をあげる。
「きゃぁ⁉」
「あぁ、ごめん……大丈夫か?」
「あ、いえ! お気になさらず!」
「そうか、じゃあ急いでるから」
吊り上がった眉に少し垂れた目は不機嫌そうだ。それでもスッと通った鼻筋に、横顔だけでも彼の顔が整っていることが分かる。萩を見ても動じない男子はこの学校に入学して初めてだった。どんな男子も萩を見れば下心を隠さない目で見るのだ。それだけで済めば良いが、先ほど告白してきた男子のようにベタベタと触られれば気持ち悪くて敵わない。
「は、はい……」
萩の返事を聞く前に彼はスタスタと歩いてその場を去っていった。スリッパはえんじ色で、萩と同じ二学年であることが分かる。それでも見たことが無いということは恐らく普通科の萩と違って国際科の生徒なのだろう。七クラスある普通科と違って二クラスしかない国際科はクラスの場所も普通科と離れており、あまり関わることが無いのだ。
跳ねる心臓を押さえながら萩は扉から保健室を覗く。ここに来たのはイケメンを見る為ではない。
「あのぉ……」
「あら宮城野さん、どうしたの? 貴女も菊家さんに用事?」
「アナタ、も……?」
「ええ、さっきまで紫苑君が来てたのよ、椎名 紫苑君、貴女と同じ二年生の男の子で……」
萩と同じ二年生ということはやはり先ほどの男子のことだろう。先ほど見た男子の横顔を萩は思い出す。
「紫苑クン……あ、あの、えっと……き、菊家さん? は……」
「もう元気、そこの裏のベッドに寝てるわよ、さっきは連れてきてくれてありがとうね」
驚いたでしょう、と言いながら女性の養護教諭はカーテンの方を指さす。仕切る為のそれの裏にはベッドが三つ置いてあり、萩はおずおずとカーテンの隙間から中を覗いた。部活動も終わりに近いこの時間、ベッドにいるのは一人だけで。彼女は上半身を起こし、ぼんやりと窓の外を見ていた。
「菊家さん……?」
萩が呼びかけると彼女はゆっくりと振り返った。不思議そうな、かつ儚げな顔。しかし、萩の顔を見た瞬間その顔は敵に向けられる強い意志を持ったものになった。
「何か用、宮城野 萩」
「あれ、私のこと知ってる?」
「アンタを知らない人間がこの学校の何処にいるっての……で、用は何?」
「いや、あの……」
萩が言いよどむと彼女は人差し指で萩を指差した。そして目を閉じた彼女は、そのまま口を開く。
「……あの子の名前知らないけど助けてくれたから一応お見舞いでも行こうかな」
「え」
「しゃらくせぇ」
けっ、と彼女は吐き捨てた。今彼女が言ったのは萩が考えていたことだ。恐ろしいまでに当たっている。萩は驚き目の前の少女をじっと見た。相変わらず彼女は萩を睨みつけている。
「助けてないし、用が無いなら帰って」
「いや、えっと……」
「何、友だちでもないのに居座るつもり?冗談じゃない、帰って、そうじゃなきゃ呪うから」
一見怒っている。しかし萩は彼女の怒っているような態度の奥に本当の彼女を見た気がした。
「菊家さん、何をそんなに怖がってるの?」
「べ、別に怖がってなんか」
「ねぇねぇ、じゃあ友だちになろうよ! そしたらここにいて良いんでしょ?」
ね、とウインクする萩に彼女はこれまでと比べ物にならないほどの不機嫌な顔を見せる。口を動かし何か言おうとしては閉じるを繰り返し、彼女はついに言葉を零した。
「高校では友だちは作るつもりがない」
「どうして?」
「……どうしても」
「紫苑クンは?」
「アレは別だし……もう良いでしょ、何がしたいのアンタ」
ため息交じり彼女が言うと萩はあっけらかんとした顔をする。何を今更、という目だ。その顔に彼女はジトっとした目を向ける。
「だーかーらっ! 菊家さんとお友だちになりたいの!」
「馬鹿言ってんじゃ……」
「アザミ、帰るぞ」
「げっ、シオン……」
カーテンを開けて入ってきたのは紫苑だ。可愛らしい名前のわりに凛々しい顔立ち。萩はギャップ萌え、と小さく呟いた。しかしそんな彼に呼ばれた当のあざみは物凄く嫌そうな顔をしている。
「シオン、私一人で帰れ」
「ない、アザミに限ってそれは無い」
「いやー……でもほら、ね? たまには『力』使った後も自力で帰る練習しなきゃ……」
「アザミ」
紫苑に名前を呼ばれあざみは完全に固まってしまう。先ほどまで萩に見せていた威勢はどうしたのか、蛇に睨まれた蛙そのものである。その瞬間再び彼女はふらつき、ベッドから落ちそうになるのを紫苑は支えた。萩には二人の会話の意味が全くと分からない。
「ほら、帰るぞ」
「ま、待って、私まだ菊家さんとお友だちに」
「なってる、アザミが話を聞いてる時点で君はもう認められてる、アザミは気に入らなければ何が何でも離れようとするはずだ」
「……保護者面」
下を向いて呟くあざみの髪の隙間から覗く耳が真っ赤に染まっている。対して紫苑は満足気に笑っていた。彼はあざみの頭に手を載せる。
「高校生活初めての女子の友だちはどんな気分だ?」
「うるさい」
「あざみチャン……?」
「何、宮城野……というか馴れ馴れしく下の名前で呼ばないでくれない?」
「萩だよ! 萩なの! あざみチャンが萩って呼んでくれなきゃ帰らないんだもん」
頬を膨らませてそっぽを向く様も流石美少女、可憐である。しかしあざみも簡単に絆されるわけではない。彼女は大きく溜め息をついて、頭を抱えた。
「この女、面倒くさぁ……」
「あざみチャンひどーい!」
「シオン、私は良いからソイツ連れて帰って」
「やだね、アザミの『友だち』なんだろ?」
そう言った紫苑をあざみはキッと睨んだ。それから彼女はベッドから下りて立ち上がる。ふらふらしたまま彼女は扉の方へ歩き出した。そんな彼女を紫苑は支える。
「アザミ」
「帰るよ、シオン」
「……分かった、けど」
紫苑はチラリと萩を見た。コイツは良いのか、と言いたいのだろう。紫苑に支えられながら扉に辿り着いたあざみは、振り返らず一言呟いた。
「……運んでくれて、ありがと……萩」
「あざみチャ」
「行くよ、シオン」
萩の声を遮り彼女はシオンを連れ、部屋から出て行った。去り際に微かに見えた顔が赤かったように見えたのはきっと萩の気のせいではないのだろう。不機嫌そうな表情や態度をしているが、どうやら根は素直で可愛らしいのだと萩は満足気に笑って扉を見つめる。明日からたくさん話しかけに行こう。まずはクラスを調べなければならない。きっと国際科だ、明日の朝から二クラスとも覗けばきっと見つかるはずである。
萩がニンマリと笑って部室に帰ると、同じバンドの東雲 菊が不思議そうな顔で彼女を見た。
「萩さん、何だか嬉しそうですね?」
「菊チャン分かる? 新しいお友だちができたの!」
「お友だち、ですか」
「うん! あざみチャンと紫苑クンっていってね、多分国際科だと思うんだけど……」
「もしかして……菊家 あざみさんの話してます? 一組の?」
「やっぱり国際なんだ! ていうか菊チャン知ってるの?」
それはもうあなたぐらい有名ですから、という言葉を菊は飲み込んだ。萩が注目されて辟易していることは知っている。上機嫌な萩は菊の表情に気がつかない。その顔は萩が見たことが無い不気味な笑みを浮かべていた。
「……でも、それなら都合良いんだってば」
菊はそう呟いてから、目を閉じる。こんな顔を友人である萩に見られるわけにはいかない。いつもの優し気な笑みを浮かべて菊は自身のベースを手に取る。
「帰る前に一回合わせましょう、萩さん」
「そうだね! ごめんね、今日抜けちゃって」
「ライブはまだ先ですし大丈夫ですよ、それより菊家さんと友だちになれて良かったですね」
「うん! あざみチャン、良い人なんだ~~!」
萩もスティックを手に取り、ドラムを叩き始めた。明日の朝一番、一組に行ったらあざみはどんな顔をするだろうか。きっと嫌そうな顔をするだろうけれど、何だかんだお話ししてくれるんだろうな。ベタベタと男子から触られたのは嫌だったが、あざみと知り合いになれて良かった。
この偶然に感謝しよう、と萩は満面の笑みを浮かべたのだった。




