03
昨日一緒に帰ったあざみと待ち合わせをした紫苑は、今朝も一緒に登校した。ドッペルゲンガーに狙われているというのだから、当たり前のことではある。バス、地下鉄、バスと乗り継いで辿り着いたいつもの学校。このどこかにドッペルゲンガーが隠れているのだろうか。下足室の手前の駐車場にちょうど車を停めたであろう深見が居た。彼はしゃがみ込んで駐車場の黒い猫を撫でている。紫苑がこの間撫でようとした時に引っ掻かれた猫だろう。
「よ、今日はバスか?」
「何故それをお前に話す必要があるんだ」
「ツレねぇなぁ……なぁ、猫ちゃん?」
ニャアと返事をした猫が紫苑の顔を見上げた。猫はまるで紫苑を呼ぶかのように再度鳴く。この間引っ掻かれたばかりではあるが、猫好きな身としては呼ばれて無視するわけにもいかない。そろそろと彼が近づくと猫は彼の足に擦り寄った。どこを撫でれば良いのか分からないが、確かあざみは前回この辺りを撫でていたなと思い出しながら猫の耳から頭にかけて紫苑は恐る恐る撫でていく。すると猫は嬉しそうにニャアと鳴いたので、紫苑の顔にも安堵の表情が浮かんだ。
「シオン?」
そんな彼の隣にあざみがしゃがみ込む。しかしその瞬間猫は今まで見たことが無いぐらいの威嚇をした。ギャアという鳴き声に剥き出しの牙、背は丸まり毛が全て逆立っている。あざみは震えながら紫苑の腕にしがみついた。
「こわい……早く行こ……」
「あ、あぁ」
紫苑はあざみに促されるまま、下足室へ歩いていく。その様子を深見は彼に甘えるように戻ってきた猫を撫でながら見ていた。偉いな、と猫を褒めると嬉しそうにゴロゴロ喉を鳴らしたのだった。
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「……失礼します」
始業前、紫苑は保健室の扉を開けた。そんな彼を深見とひまは不思議そうな顔で見る。あざみや萩と違って滅多にこの場所へ近づこうとしない彼がここに来るのは珍しい。しかし色を失ったその顔に、彼の具合が悪いのは明らかだ。
「シオン兄、珍しいね。顔色悪いけど……体調悪いの?」
「昨日寝れなかった」
「じゃあベッドで休むと……いや、ちょっと待ってくれ」
深見は突然焦った顔になり、慌ててカーテンで仕切られた向こう側へ入っていった。保健室にはベッドが三台ある、始業前のこの時間ならば少なくとも一台は空いているはずなのだ。ボソボソと何かを話している声は紫苑にも聞こえるが、小さすぎて内容は聞こえない。しばらくすると困ったような顔をした深見が出てくる。
「あのさ、椎名……どうしてもベッド使いたいよな……?」
「教室に行きたくないし、寝たいんです、俺は」
「そうだよなぁ……あとちょっとだけ待ってくれ」
苦い顔で額を押さえてから彼は再びカーテンの向こうへ入っていく。良いから早く入れてくれれば良いものを、と思いながら紫苑はソファに腰掛けた。そんな彼の隣にひまが座る。彼女は紫苑の顔をじっと見た。
「シオン兄、お姉ちゃんに会った?」
「あぁ、一緒に登校してきた」
「そっか、元気だった?」
「……いや」
彼女はドッペルゲンガーの存在に怯え、憔悴しきっているようだった。不安な顔で紫苑にしなだれる様はいつもの彼女らしくない。紫苑が寝不足になったのは、悪い夢を見たからだ。二人のあざみが出てきて、殺し合っていた。むせかえるような血の臭いに、生暖かい感触。妙に鮮明な夢の中、勝ったほうのあざみは紫苑に向かって微笑んだ。それは今までに見たことがない、邪悪さを孕んだ笑みで。紫苑はそこまで思い出し頭を抱えた。
「……椎名、待たせて悪いな、もう入って良いぞ」
「ありがとうございます」
紫苑は一礼してからカーテンを開ける。三台それぞれの間にも仕切る為のカーテンがあるが、普段は開いている。しかし一番奥、窓際のベッドを仕切る為のカーテンだけが閉まっている。もう既に誰か来ていることは驚きだが、それよりも気になるのはその人物の足元にスリッパが無いことだった。各学年毎に色違いのスリッパは全生徒が持っているもので、家に持ち帰ることもないので忘れるわけがない。仮に何らかで忘れたとしても、来客用のスリッパを借りるはずだ。この人物は素足でここまで来たのだろうか。しかし自分には関係が無いことだと紫苑はベッドに滑り込む。目を閉じると一瞬で彼は意識が溶けていったのだった。
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心地の良い夢だった。あまり内容は覚えていないが、それでも心は幸せで満たされている。まだ夢に浸っていたい紫苑はそのまま目を閉じたままぼんやりとしていた。誰かが自分の額に触れているような気がする。
「ごめんな……シオン」
よく聞き覚えのある声。目を開ければ彼女がどこかに行ってしまうような気がして、紫苑は目を開けることができなかった。
「ごめん、私のせいで……シオンは巻き込みたくなかったのにな……」
巻き込みたくない、なんて言われるのは紫苑にとって辛いだけだ。ずっと彼女を守ろうと生きてきた、思い出せないほど昔からずっとだ。初めて彼女に出会った日、彼女は幼くて、一人ぼっちで、それでも前を向いて生きていこうと決めた顔は綺麗で、この世の汚いもの全てから守ろうと思った。隣国との戦争で親を亡くして、一人ぼっちの
「……アザミ?」
紫苑はそう問いかけながら、目を開けた。今、何かがおかしかった気がするが、何がおかしかったか思い出せない。目を開けてもどこにもあざみの姿は見えなかった。隣のベッドのカーテンも開いており、窓の外がよく見える。やけに静かだな、と思いながら紫苑がカーテンを開けるとそこには誰もいなかった。ひまはまだしも、ここに一日居るべき深見すらその姿がない。今何時だ、と壁掛け時計を見るとちょうど一限が終わる頃合いだった。この学校は原則保健室では一限分しか休めないことになっている。それ以上休むならば、早退して病院へ行くなり家に帰るなりしろということだ。
「起きたのか。悪かったな留守にしてて」
「シオン兄おはよ~~!」
その時、引き戸が開き深見とひまが入ってきた。それぞれ二本ずつペットボトルが握られている。深見は手に持っているペットボトルのうち、カフェラテのボトルを紫苑に差し出す。
「これ、アンタの分な」
「……いや」
「いい加減信じてくれって。好きなんだろ、これ、ほら……もしかして別のやつが良いか? どれでも良いんだぞ」
深見が持っているもう一本のボトルはブラックコーヒーだった。ひまが持っているのは炭酸飲料とミルクティーだ。紫苑は炭酸が飲めないし、ブラックコーヒーも好まない、更に言えば紅茶よりコーヒー派である。
「……礼を言う」
そう言って紫苑は深見からカフェラテのボトルを受け取った。どうせ紫苑の好みだってあざみや萩によって彼らに筒抜けなのだろう。紫苑はキャップを開け、ボトルに口をつけた。甘く冷たいカフェラテが喉を通り過ぎていく。そんな彼の後ろで深見がいつもの仕事用の椅子に座ろうとして何かに驚きペットボトルを落とした。紫苑が驚いて振り返ると彼は慌てて椅子に座り笑みを浮かべている。
「も、もう教室に帰るのか?」
「……それ、拾わないのか?」
「わぁ~~~~! ひまが拾う!」
仕方なく拾いに行こうとした紫苑を制し、ひまがブラックコーヒーのボトルを拾う。えへ、とニッコリ笑っているがどうも怪しい。そもそもこの二人が怪しいのだから、今更かと思い紫苑はそのまま流す。ひとまず深い睡眠はとれた、しかしまだ疑問は残っている。
「……さっき、アザミがこの部屋に居た気がするんですけど」
「いや、誰も来てないぞ」
疲れてるんだな、と深見は苦笑いを浮かべる。紫苑の顔は納得がいっていないことがよく分かる。しかし嘘はついていないのだ、少なくとも紫苑が来てからは誰も来ていない。屁理屈だとは分かっているが、机の真下に隠れている彼女に口止めされているので許してほしい。ちょうどその時、一限の終わりを知らせるチャイムが鳴った。
「……授業、行ってきます」
「ん、大事にな」
溜め息を一つついてから、紫苑は諦めたようにそう言った。そのまま彼は保健室から出て行く。扉が閉まるその音に、安堵の息が三人分漏れた。深見にひま、そして深見の机の下に隠れていたあざみの分だ。
「ビックリした、バレるかと思った」
「いや本当だぜ、俺たちに飲み物買いに行かせたと思ったら何でそんな所に隠れてるんだよ」
「いやっ! ちょっと、シオンに用事が、そのぉ」
「お姉ちゃん、とりあえず飲みなよ。そして口を閉じて?」
「むぐ」
ひまがあざみの顔に炭酸飲料のペットボトルを押し付け口を閉じさせる。あざみは礼を言ってからそれを受け取り、一口飲んだ。甘すぎない、爽やかなグレープフルーツ味の炭酸は今の時期に美味しい。それにしても机の下はまるで秘密基地のようで居心地が良かった。
「……ここから出たくないなぁ」
「頼むから出てくれ。仕事できねぇから」
「そうだよなぁ……現実逃避するわけにもいかないしぃ……」
あざみは渋々机の下から這い出る。そのままいつものソファではなくベッドへ向かい、腰掛けた。入口近くのソファならば突然の時に隠れることができないからだ。ドッペルゲンガーと対峙するのは放課後と決めている。授業中に騒げば目立つだろうし、ただでさえ悪い噂だらけなのに菊家 あざみが二人いたなんて言われればより一層化け物扱いされることだろう。昨日文芸部に来た女子生徒には見られているが、それでもこれ以上たくさんの人に見られるわけにはいかない。
途中お昼休みにひまを呼びに来た萩に見つかりかけるなどの危ない出来事はあったが、何とかあざみは放課後まで保健室に身を隠すことに成功したのだった。
うちの高校にはキ〇ンの自販機がありました
深見たちが買ってきた炭酸はそうです、メ〇ツです
美味しくて好きだったんだぁ……




