04
「今日の晩飯はハヤシライスの予定だったけど……アンタ食べれるか?」
「問題無い。というか……むしろごめん、私の分まで」
「良いって。大体ハヤシライスだぞ? 人数増えたって何も変わんねぇんだから。それより風呂入ってこいよ、もう沸いたみてぇだし……ひまのやつで寝間着は大丈夫そうか?」
「……問題ない」
ひまはスタイルが良い。あざみより年下ではあるものの、身長も高く手足も長いのだ。それにメリハリのある体型で、ひまに借りた半袖のTシャツはあざみにとって短めのワンピースになる。
「良いな、ひまはスタイルが良くて……」
「そうか? 別にアンタだって悪くないだろ」
「別に……身長も無いし、胸だって無いし……どうやったらひまみたいに育つのか」
「無いわけじゃねぇと思うけど……」
「何ジロジロ見てんだ変態。ノンデリロリコン野郎」
「理不尽な……いやまぁ今のは俺が悪いな、申し訳ない……頼むから虫ケラ見るみたいな目で見ないでもらえませんか……」
野菜を切りながら謝る深見にあざみは鼻で笑った。それから彼女はひまから受け取っていた寝間着を持って風呂場へ向かう。深見が肉を鍋で炒めていると、部屋で荷物の片づけをしていたひまが階段を降りてきて彼の腰に後ろから手を回し抱き着いてきた。
「お友だち来るの、うれしいね」
「そうだな」
「ひまね、今すごく幸せなの。大好きな人たちがたくさんいてね、こんな日が来るなんて思ってもなかった」
ぎゅう、とひまの腕に力が入る。深見は鍋に切った野菜を入れてから振り返った。彼女の背に左腕を回し、右手でその頭を優しく叩く。そうすると彼女は嬉しそうな顔で彼の胸板に頬をぐりぐりと押し付けた。
「あの……」
そんな控えめな声がする方向を深見が見れば、壁の陰から片目だけ覗かせたあざみがこちらを睨んでいる。ベタベタいちゃいちゃと料理中に何をしているのか、とあざみは呆れていた。鍋を火にかけている時に目を離すなんて危ないだろう。
ひまは彼女を見つけるやいなや満面の笑みで駆け寄った。その勢いにあざみが仰け反っているのを見て、相変わらず猫みたいな奴だなと深見は口元を手で押さえる。猫みたいな彼女の様子が可笑しくて吹き出してしまいそうだが、ここで笑えばきっとあざみがヘソを曲げてしまうからだ。
「ほら、ひまも風呂入ってこい。晩飯遅くなるぞ?」
「入る~~!」
深見に促されひまが風呂場へと走っていった。あざみと深見だけが部屋に残される。深見はトマト缶とウスターソースを鍋に入れている、なるほどルゥを使わないハヤシライスかとあざみは感心した。彼の隣から鍋を覗き込むと美味しそうな匂いがする。
「何か手伝うことある?」
「いや、もう後は煮込むだけだから大丈夫だ。ありがとな」
「そう……ごめん」
「謝んなって、アンタは何も悪いことしてねぇだろ」
急に家に来て夕飯と寝床を提供させている時点で悪いことをしているつもりなのだが、深見はそう思わないのだろうか。あざみは彼の空いた右手に指を絡ませた。もう一人の自分のことを思い出し心細くなったのだ。そうしたら無意識に彼の手に触れていた。
彼女の震えている指先に気がつき、深見は火を止める。
「どうした」
「……こわいんだ」
「今日はえらく素直だな」
今にも倒れるんじゃないかというほど真っ青な顔のまま黙り込んでしまったあざみをソファに連れていくと、彼女は大人しく体育座りで座った。深見もその隣に腰掛ける。彼女は彼の肩に頭を乗せた。
「お前になら、何か言えるっていうか……シオンには無理なんだけど……迷惑かけたくなくて……」
「俺には迷惑かけても良いって?」
「そんな意味じゃ」
「分かってるって。俺はアンタらよりは大人だしな」
深見は笑って彼女の頭をわしゃわしゃと撫でる。甘えられるほど信頼されたのならば喜ばしいことだ。きっと彼女にとって自分は雑に扱って良いと思われているのだろう、と深見は推測している。椎名 紫苑は彼女にとってずっと側に居た何よりも大事な人であり、宮城野 萩もまた初めてできた気が合う同性の友人ということもあり傍から見てもとても大事にしていた。ひまにも心は開いているものの、彼女よりも年下で甘える対象ではないのだろう。その点深見は年上であり、そもそもの出会いも最悪であり、彼女が泣くのも見たことがある。もう取り繕っても無駄だと思っているのだろうか、最近の彼女はかなり自然体な姿を見せてくるのだ。
「……深見は、私に少し似てる気がするから」
「そうか?」
「お互いに大切な人がいて、守らなきゃいけないのに、守られてて」
「あぁ……確かにそうかもな」
「シオンは大丈夫かな……アイツの目的は私だし、きっと大丈夫だと思うんだけど……シオンに何かあったらどうしよう……」
あざみの目から涙が零れ落ちた。紫苑は昔から側に居て何かあれば守ってくれたのだ。『力』がある自分こそ彼を守るべきだとあざみは考えているが、その実『力』を使えば倒れてしまい結局紫苑の世話になる。今だって指輪のおかげで一回使った程度では倒れなくなったが、それだって紫苑と萩から貰ったもので守られていることに違いないのだ。それだけでなく、紫苑はクラスメイトとほとんど交流をもたない。全てあざみを優先してしまうからだ。萩と出会うまでは気にならなかったが、萩と楽しそうに話している彼の姿にあざみはこれまで彼に酷いことをしてきたのだと理解した。そんな彼の為に、あざみに何ができるのか分からない。
「大丈夫だって、アイツ強いんだろ?」
「うん……剣道部でも一番強いって言ってた……でも、相手は化け物だから」
「あ~~! お姉ちゃん泣いてる⁉」
洗面所から出てきたひまが驚いた声を上げる。あざみが顔を隠す前にひまはソファに駆け寄り彼女に抱き着いた。
「ぐえっ」
深見とひまに挟まれ潰されるあざみは苦し気な声を漏らした。そんな彼女の声にはお構いなしにひまは彼女の頭を高速で撫で、背中に頭を押し付けている。乱暴に撫でられすぎて乾かしたての彼女の髪がぐしゃぐしゃになっていた。
「こんな泣いて! どうしたのお姉ちゃん! 先生が悪いことした⁉ 仲直りさせなきゃ!」
「ち、ちが……げほっ……苦し……」
「ひま、ひま、落ち着けって、あざみが息できてねぇから」
あざみごと深見に抱き着いている姿勢のひまを、彼は優しく遠退ける。ひまは少し不満気な顔で深見から離れた。解放されたあざみの顔は真っ赤になっている。深見はそんな彼女を心配げに見つめた。
「あざみ、大丈夫か?」
「だからっ! 名前呼ぶな馬鹿ぁっ!」
「わ、悪ィ……つい」
「ごめんねお姉ちゃん、先生友だちできたことないから下の名前を呼んだら駄目ってすぐ忘れちゃって……」
「もーやだ……機関なんてやっぱり敵なんだ……」
あざみがギロリと深見を睨みつけると彼は慌ててキッチンへ避難した。コンロの火をつけハヤシライスを温めながら、ダイニングテーブルの上にランチョンマットを置いていく。
米を皿にをよそっていた時、突然家の電話が鳴った。電話はソファの近くにあるので深見からは遠く、ひまは電話応対などできもしない。
「悪いあざみ、取ってくれ!」
「だから名前、というか私が⁉……ああもう……はい、深見です」
咄嗟に深見の名前が出てきた自分をあざみは心の中で褒めた。そんな彼女をひまは見つめる。この家に電話がかかってくるのは珍しい。機関からの連絡も学校からの連絡も深見の携帯に入り、この家の電話番号を知っているような知り合いもいないのだ。一体誰がかけてきたのか、ひまには分からなかった。
『深見 あざみ?』
「お前……っ!」
受話器越しに聞こえてくる自分とよく似た声に、あざみは息を呑んだ。
「違う! 菊家 あざみだ!」
『へぇ? 深見って答えたのにな、変なの』
「何の用だ。わざわざ深見の家にまで電話かけるなんて」
『シオンって優しいね。目の前で泣いてみせたらずっと手を握ってくれるし、側に居てくれるって……カッコいいし、こんなに大事にしてくれる人がいるなんて狡い……私、シオンが欲しいな」
この偽物は紫苑の前で泣いたのか、とあざみは目を見開いた。あざみを何よりも優先する彼の前で泣けば、きっと何もかもを犠牲にしてでも救おうとするだろう。そうなるのが嫌で、彼の前では絶対に泣かないようにしていたのに。
『決めたんだ。だから私は菊家 あざみになるって』
アンタを殺してね、と語尾にハートマークの付きそうな言い方。あざみはその声に背筋が冷える。まるで氷水を被ったような寒気に受話器を持つ手が震えた。その手に一瞬温もりが触れたと思った瞬間、受話器があざみの手から離れる。ガチャンと大きな音をたて、受話器は電話に叩きつけられた。
「ひま⁉」
「お姉ちゃん怖がらせるのダメなのっ! 悪い奴っ! きらいっ!」
そう叫ぶひまの目には涙が溜まっている。すぐ側には深見も来ていた。
「シオンは、無事そうだ」
「アンタはどうなんだ」
「シオンのことが気に入ったんだって。だから……やっぱり私のこと殺して成り代わるって」
彼女はそう言いながら涙目のひまの手を握った。ありがとう、と小さく呟く。するとひまはぎゅうっと彼女に抱き着いた。
「深見、私お腹空いちゃった」
「……あぁ、じゃあ飯にしようぜ」
「楽しみだな、ハヤシライス好きなんだ……ほら、行こ? ひま」
あざみが彼女に笑いかけると、ひまは驚いた顔をする。何をそんなに驚いているのかと思ったが、そういえばひまの前であまり笑ったことがなかったかもしれないと彼女はふと思い出した。驚いた顔のひまは段々と口元を緩ませていき、輝かしいほどの満面の笑みになる。そんなひまの笑顔に名は体を表すって本当のことだよな、とあざみはしみじみと感じたのだった。
* * * * * * * * * * * * * * *
「うーん……ドッペルゲンガーの情報も機関が知ってる分を貰ったみたいだし、この調子だと私の出る幕は無さそうだな……」
同じ家の中、電気のついていない部屋で少女は伸びをして呟いた。
「××の成長、見てて楽しいな」
少女はニヤリと笑うとふと部屋を見回した。クローゼットについた鏡を見つける。少女はフードを脱いで、鏡を眺めた。
「私も頑張らなきゃ」
そう言って彼女は再びフードを被り、闇の中へ溶けていったのだった。




