03
「シオン……っ!」
「アザミ……っ、大丈夫か?」
「……私、殺されちゃうかもしれない……! アイツに追われてるんだ……!」
部室へ息を切らせながら走ってきたあざみを紫苑は抱き止めた。いつも強気に振舞う彼女にしては珍しくその肩は震えている。怯えるその姿に自分がついていくべきだったと彼は酷く後悔した。シオン、と弱々しく呟いた彼女は涙を浮かべて彼を見る。その頭を撫でると彼女はついに涙を零した。彼女のその姿に、紫苑は胸が痛むと同時に珍しく彼女が自分に頼る姿に心の奥底で歓喜する。
「ごめん……、わたっ……わたし……らしくない、よな……っ」
「大丈夫だ」
「こんなに、こわいの、はじめてで……っ」
「大丈夫だから、今日は早く帰ろう、アザミ」
部活が終わる時間まではまだあるが、紫苑は他の部員たちに早退すると伝えあざみの荷物と自分の荷物を肩にかけた。それからあざみの手を取り教室から出る。今日は彼女と帰ろうと自転車には乗らず彼女とともにバス停まで歩きバスに乗った。夏が始まろうとしており、十七時前の空はまだ昼かと思うほどに明るい。バスの一番後ろ、五人掛けの席の左端。俯くあざみの手を彼は握った。
「一緒について行かなくて悪かった」
「……シオンは、悪くないし」
「これからは絶対側にいるから」
紫苑がそう言ってあざみを見つめると、彼女の顔がどんどんと赤く染まっていく。彼女は少し目を泳がせ、ぎゅっと目を閉じた。それから意を決したように彼女は紫苑の肩に凭れる。その温もりを守り抜こうと紫苑は繋いだ手に力を込めたのだった。
* * * * * * * * * * * * * * *
「黒松先輩! シオンは⁉」
「あれ、菊家?……さっき椎名と帰ってた……ような…………」
「帰ってない! 私はここにいます!……ってことは、あぁぁぁぁ! やられたぁぁぁぁっ!」
先ほど紫苑と帰ったはずのあざみが突然部室に走ってきた。部長ではないほうの長身の三年の男子部員、黒松がそんな彼女の姿を見て驚く。
『力』を二回使って倒れたあざみはしばらくして目が覚めた。真っ暗闇の中で目が覚めたので、一瞬本気で死んだかと思ったが何てことはない生きている。扉の小窓につけられたカーテンを少しだけずらし視聴覚室の中を確認すると誰もいない。恐る恐るドアノブに手をかけると簡単に回り扉は開いた。ゆっくりと壁伝いに歩き視聴覚室を出て階段を降りる。図書視聴覚棟から出た瞬間、彼女は全力で走り出した。そして辿り着いた部室、そこには紫苑がおらず自身の鞄も無かったのだ。
「あぁ~~! 帰れないじゃん! 荷物が何もない!」
「あざみっちー、どうしたのー?」
「どうもこうも……」
「なになに、話のネタになりそう?」
「なりませんからその開いたノートパソコンを閉じてください、神津先輩」
鞄が無くなっているのならば財布もスマホも無い。絶望して机に手をついたあざみに三年で唯一の女子部員である神津が興味津々といった様子でノートパソコンを開き始めた。彼女は何でも自身の小説のネタにしようとする癖がある。あざみも人のことは言えないが、彼女のほうが人の心が無い。
どうしようもない状況にあざみは溜め息をつく。物理講義室の時計は十七時を指している、思ったよりも時間が経っていなかったようだ。それならばまだ彼らはいるはず。
「すみません、早退します! また明日!」
十字棟三階から北館三階への渡り廊下夕陽になる前の太陽があざみを照りつける。遠くまで見渡せるこの場所からの景色があざみは好きだ。しかし今は悠長に眺めている時間は無い。彼女は北館の階段を駆け下り、一階の渡り廊下を南館へ向けて走る。目的地は目の前だ。
「失礼しますっ!」
勢い良く引き戸を開ける。部屋の主は驚いた顔で彼女を見た。その隣の少女も驚いた顔をしている。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「ど、ドッペルゲンガーが出た!」
あざみもパニックになっていたようで、説明が上手くできない。それでも今日の放課後に起こった出来事を何度も詰まりながら、時には同じことを繰り返しながら説明する彼女に深見とひまは頷きながら聞いた。深見が淹れた紅茶を飲み、ひまが彼女の手を握っているうちに少しずつ冷静になっていく。
「……というわけで、今晩はここに寝たいんだけど」
「それは~~……厳しいんじゃねぇかなぁ……見回りもあるだろうし」
「うぅ……それならその辺の公園で」
「いや、いつ殺されるか分かんねぇんだから一人になるのはやめたほうが良いだろ、な?」
「そうだよお姉ちゃん!」
深見がそう言うとひまも頷く。しかしならばどうしろというのか。あざみは怪訝な顔で二人を見た。
「今日はうちに来いよ。まぁ……アンタにとったら俺たちの家なんて居心地悪ィかもだけどさ」
「一緒に帰るの楽しみ~~! 初めてのお客さんだね~~!」
「で、でも二人に迷惑をかけるわけには」
「お姉ちゃん、ひまたちの家に来たくない……? ひまはお姉ちゃんと晩ご飯食べたいし一緒に寝たいのに……」
「うっ……」
ひまの潤む目に見つめられあざみは言葉に詰まる。彼女にはいつも有無を言わせない圧があるのだ。助けを求めるように深見を見ても腹立たしいほど優し気な笑みを浮かべている。お人よしどもめ、とあざみは彼を睨みつけた。人に甘えるのは良くないことな気がするが、それでも背に腹は代えられない。
「その……ありがと、ございます……お言葉に、甘えさせてもら、います……」
あざみの顔が赤くなっていく。ありがとう、なんてこれまでの彼女の人生において言わないし言われたこともほとんどない言葉だった。萩と友だちになって、深見とひまと知り合って。日常にどんどん色がついて、愛おしくなって。少し前のあざみには考えられないことだった。この日常を守る為にも、決してドッペルゲンガーには負けてはならない。そう決意して、彼女は手を力強く握りしめたのだった。




