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第八話
「お願い! 解決して!」
木曜日の放課後、すなわち文芸部の活動の日。部室である物理講義室で座っていたあざみの元に同じ二年生の女子生徒が来た。顔は見たことあるが、名前も知らない彼女はきっと普通科なのだろう。
「ドッペルゲンガー?」
「そう! ドッペルゲンガーがこの学校に隠れてるって! 見たら死んじゃうんだって! 菊家さんてそういうの得意なんでしょ⁉ 私が死んじゃう前にどうにかしてよ!」
彼女の言うことにはこの学校にドッペルゲンガーがいるという噂があるらしい。更には彼女の友人がそれを見たという。何しろ彼女が居なかったはずの廊下で彼女を見たと言うのだ。その話を聞いてあざみは馬鹿馬鹿しいと感じた。廊下なんて人の多い場所、見間違いがあったっておかしくない。
目の前の彼女はこれといって特徴の無い、いわゆる量産系と言われる見た目をしている。この学校の生徒に人気な制服もどきのメーカーのニットベストにチェックスカート、あざみのクラスでも全く同じ物を着ている生徒がいた。そのうえ髪型もいかにもアイロンで伸ばしましたよというロングヘアで、化粧だって流行りのもので、完全に没個性だ。何より何故こんな見ず知らずの人間の為にあざみが行動を起こさなければならないのか。名前も名乗らないような、一方的にあざみを知っているだけの人間に。仮にこれが紫苑や萩の頼みなら動かないわけにはいかないが、目の前の人間はあざみにとってどうでも良い人間である。
「……アンタを助ける義務が私にあるって?」
「はぁ? アタシがわざわざ頼みに来てんのに何その態度?」
ほらね、本性現しましたよ。あざみは呆れたような顔で大きな溜め息をついた。突然来たうえあまりに不躾な態度にもうんざりだ。一方的に名前を知られているだけでも鬱陶しいというのに。
そんなあざみの態度が気に食わないのか彼女はあざみを睨みつけた。それに対してあざみも睨みつけ返すと、その目が怖かったのか彼女は顔を覆い大げさに涙声を出すではないか。
「ひどい……アタシ、こわいのに……」
仰々しい泣き方にあざみはいつの間にか握っていた拳に力が入る。一番苦手なタイプの女子だ。右にならえで自分っていうものも無い、あざみがちょっとでも人と違うことをすれば仲間とともにクスクス笑い除け者にする、喧嘩を吹っ掛けてきたのはそっちなのにすぐに被害者面する、自分たちが正義だと信じて疑わない。
「……用が他に無いなら出てって。二度と顔見せないで」
冷たく言い放ったあざみに彼女は顔を覆っていた手を上げる。振りかぶったその手はあざみの頬へ一直線に向かった。心配そうに眺めるだけの他の部員たちに止めることはできない。彼女の隣によくいる紫苑は今日は掃除当番でまだ来ていないのだ。
あまり痛くなければ良いけど、とあざみが目を閉じたその瞬間。
「アザミ……⁉」
紫苑の焦る声にあざみは再び目を開ける。彼女を殴ろうとしていた女子生徒の手は驚き空を切った。
けれど、自分が殴られたかどうかなんてあざみにはどうでも良かったのだ。数少ないものの部員も全員が息を飲んだ。紫苑の隣に立つ少女。胸まで伸びた赤みがかった茶色の髪。あざみを不審げに見るその顔はなるほど不機嫌に見える。
「シオン、と……」
「アンタ、誰?」
キツめの顔に似合わない、少し甘ったるいような声。その声があざみは嫌いだった。紫苑の隣にいるのは間違いなく見覚えのある人物で。けれどもそれは絶対におかしいことで。
「アンタこそ、誰……」
「私ィ?」
彼女はあざみを見下すように見て笑った。いかにも馬鹿にしていますよ、という顔だ。
「菊家 あざみ……それでアンタは?」
その問いにあざみは咄嗟に答えられない、自分の存在を疑ったからだ。自分こそ菊家 あざみのはずだ。けれども目の前の彼女も間違いなく菊家 あざみだった。髪の色も目の色も肌の色も顔貌その全てがもう見飽きるほどに見てきたのだ。
「何、名前無いの?」
「な、無いわけない! 私が菊家 あざみだ!」
「へぇ……」
紫苑も信じられないという顔をしている。ずっと昔から見てきたはずのあざみが、分からない。自身の隣にいる少女か、目の前の少女か。そんな彼に隣の少女は聞く。
「シオン、大丈夫か……?」
「……大丈夫じゃない、問題だ」
彼はふらふらと歩くと物理講義室の四角い木の椅子に腰掛けた。机に肘をついて頭を抱える。そんな彼と二人現れた同じ顔の人物を他の部員たちはこの世の終わりかのような顔で見ていた。あざみにとって大事な居場所が今、自分のせいでぐちゃぐちゃになろうとしている。この場所を、彼らを、巻き込むのは嫌だった。
「アンタなんか……私じゃない!」
確かこんな台詞だったと思う、萩が話していたゲームの話は。あざみはそのゲームを遊んだことがないのでうろ覚えではあるが、自分と同じ姿の何かに出会ってそういう台詞を言えばどうこう、と萩が昔熱く語っていたことは覚えている。文芸部にはオタクしかいない、きっと大丈夫なはずだ。
「……なんて、ちょっとなりきりして遊んでました。お騒がせしてすみません」
「おぉ! 良かったぞ菊家! 事件かと思ったがただのなりきりか!」
部長がホッとしたように言ったのを見て、あざみも安堵の表情を浮かべる。他の部員たちも納得したようで各々の作業に戻った。ひとまずこの場は誤魔化せたが、何も解決はしていない。
あざみはもう一人の自分に腕を掴まれた。彼女は怒った顔であざみを見ている。
「ねぇ、ここを荒らすのやめてくんない? 私にとって大事な場所だから」
「それはこっちの台詞だし……良いから外行くよ」
シオンはここにいて、ともう一人のあざみは微笑みいけしゃあしゃあと心配そうな顔の彼に伝えている。本物であるはずの自分よりも健気なその様子にあざみは眉を曇らせた。紫苑の手を握る彼女をこれ以上見る気にもなれない。あざみは早急に部室である物理講義室を後にしたのだった。




