02
「失礼します!」
「あ! ハギ姉だ! 来てくれて嬉しい~~!」
音楽室であざみと別れた後、萩は紫苑を連れて保健室に来た。勢い良く扉を開けた彼女に気がついてひまは嬉しそうな顔をする。ひまは座っていた入口近くのソファから立ち上がった。
「シオン兄もいる! 珍しいね~~! どうしたの? アザミお姉ちゃんは?」
「あざみを連れてくるわけないだろ、こんな所に」
「も~~! シオン兄つれない~~! ねぇ先生ひま悲しい~~!」
萩の後ろの紫苑の姿にひまは更に目を輝かせるが、紫苑の冷たい態度に彼女は頬を膨らませる。そのまま部屋の奥の椅子に座る深見に抱き着いた彼女の頭を深見は慰めるように撫でた。この間も思ったがこの男はひまに甘すぎる、と萩は彼の顔を睨みつける。とんでもなく顔が良いので忘れがちだが、やってることは未成年に手を出す犯罪者だ。
「それで、どうしたんだ? その二人で来るなんて本当に珍しいな、大概あざみと三人で行動してるだろ」
「あわわわ……あざみチャンのことあざみって呼んだ⁉ 紫苑クンまずいよ!」
「殺すぞ」
「おいおい、いきなり来て何だよ……」
いつの間に下の名前で呼ぶことを許すほどにこの男と仲が良くなったのか、紫苑には分からない。よっぽど仲がよくなければあざみは異性に下の名前で呼ばせないのだ。それこそクラスメイトの花が一度冗談で下の名前を呼んだことがあるが、鬼の形相でキレていたしそれから数日間は話しかけられても無視していた。そんな彼女の事情を知っているからこそ紫苑は目の前の男が腹立たしい。
「向日さん」
「ひまって呼んでほしいな、ハギ姉?」
「……ひまさん」
「他人行儀でやだ」
「……ひまチャン、あなたの大事な先生は浮気してますけど、良いんですか?」
「え~~? 何のこと?」
「昨日、そこのソファであざみチャンのこと抱き締めてたんだから! ほら!」
「やっぱ二人で見てたのか、というか宮城野さんは写真撮るの好きだな……」
深見の言葉を無視して萩は怒った顔でスマホの画面をひまに見せる。この間の保健室でのことといい萩はよく写真で証拠を押さえているな、と紫苑も感心する。昨日の夕方だって一緒に居たはずだが一体いつ撮ったのか紫苑は全く気がつかなかったのだ。
ひまはその画面を見るとニッコリと笑った。全く気にしていないような、それどころか嬉しそうな笑みである。
「え~~! 可愛い~~! ハギ姉その写真ちょうだい! 連絡先交換しよ!」
「え、えっと」
「ほら、コードの画面出して!」
「あ、はい……」
「やった~~! ハギ姉の連絡先ゲット~~! ほらほらさっきの写真送って?」
紫苑が止める間もなく萩がひまと連絡先を交換させられている。これはよく詐欺師が行っているという焦らせて相手の判断力を失わせるという手段ではないだろうか。意味の分からないことを言ってから相手を焦らせて自分の要求を通す、見事な手腕だ。あれよあれよという間にひまは萩の持っていた写真を手に入れ、拡大したり縮小したりと忙しなく指を動かしながら愛しそうに眺めていた。
「本当可愛い~~! 何でひまお休みしちゃったんだろ! 頑張って来れば良かったな~~」
「ひまちゃん、嫌じゃないの……? その、先生のこと好きだよね……?」
「だって先生にとって一番大切なのはひまだし、何より先生に仲の良いお友だちができたのが嬉しいの! 機関じゃ仲の良いお友だちいなかったから……」
「そうなんですか? あんなに女の子たちからモテてるのに?」
「モテてるってわけじゃねぇと思うけど……ただ新しい人間が来て物珍しいだけじゃねぇの?」
「うわ、無自覚なんですか⁉ 最悪じゃないですか!」
萩は信じられない、という顔で口元を押さえた。しかし今のひまの話で確信したことがある。この男はあざみに似た育ち方をしたのだ、だから他人との距離の取り方を知らないし、自分が他人にどんな影響を与えるかも理解していない。
「距離感バグが二人……最悪な相乗効果……」
「何言ってるんだ?」
「いや、でもやっぱり抱き締めるのはやりすぎですよね⁉ 何であんなことしたんですか⁉」
「それはあざみが寂しいって言ったから……」
「えぇ……?」
寂しいと言ったから何だ、と萩が首を傾げるとひまは深見の手に触れ彼のことを見上げた。
「先生、ひま寂しい」
「はいはい」
仕方ないな、という顔で彼はそのままひまを抱き締める。萩はあんぐりと口を開けた、流石の美少女でも間抜けな顔だ。紫苑も呆気に取られている。そんな二人にひまは振り返ってウインクした。
「ひまが教えたの、寂しいって言ったら抱き締めてって! 先生って素直で可愛いでしょ!」
「あわわわわ……最悪のコンボだ……だからこんな距離バグ男に……」
「アザミお姉ちゃんも口は悪いけど素直だもんね。先生に似てるからひま気に入ってるんだ~~」
「ひまチャン、ただの可愛らしい子だと思ってたのに……深見先生のほうが厄介な相手だと思ってたのに……」
「ええ~~ひまこんなに可愛いよ? 可愛くない? ねぇ、可愛いよね?」
「ぐっ……可愛いですけど! 見た目は!」
「やった~~! ひま、ハギ姉も大好き!」
首を傾げ潤んだ上目遣いで見つめてくるひまに萩は言葉を詰まらせた。見た目は間違いなく可愛いのだ。しかし性格に抜け目が無さすぎる。あざみのように流されやすい性格ではない萩ですら、ここに来てから完全にひまの手のひらの上で転がされていた。なおのことあざみを近づけさせるのは危ないだろう、と萩は頭を抱える。
そんな彼女に抱き着きながらひまは笑って言った。
「あのね、お姉ちゃんには先生から説明したみたいだけど、ひまと先生はお姉ちゃんを積極的に連れていきたいわけじゃないんだよ……例えばお姉ちゃんが自分に『力』がありますって言ってもただの冗談だろうって流すつもりだからね?」
「何を今更そんなこと……私たちがそれを信じると思ってるんですか?」
「まぁ難しいかもだけど……でも本当にお姉ちゃんが『力』を使ってるのをひまか先生が確認しない限りは連れていかないよ。だから安心してほしいし、ひまと仲良くしてほしいな~~?」
「最初の日のことを忘れさせたとは言わない」
「シオン兄が怒るのももっともだけど~~! だってひまたちもあんまりやる気無いと思われたら殺されちゃうかも……いくら監視は無いとはいえ学校に他の機関の人もいるし……」
「他の人がいるんですか……?」
「そう、流石にひまの口から誰って伝えるわけにはいかないんだけどね~~」
そんなことしたら殺されちゃう、とひまはにこやかに言っているが冗談ではなく本当に殺されるのだろう。しかし他の機関の人間がいるとは萩にとっても紫苑にとっても驚きだった。一体誰なのか、教師なのか学生なのか、萩には全く分からない。そう考えると初めて会った時から機関の存在を伝えてきたひまや深見は良心的なほうなのだろうか。
ひまはそんな彼女の目をじっと見つめる。
「ハギ姉が信じられないのも無理ないよ。でも少しでも信じてもらえると嬉しいな」
「……何故、そんな逆らうようなことをするんですか?」
「ひまも先生も機関が嫌いだから」
ひまはそう言いながら棚からマグカップを四つ出し始めた。彼女はそれを深見の目の前に置いていく。飲み物を用意しろということだろう。
「ハギ姉とシオン兄は紅茶とコーヒーどっちが良い?」
「俺たちが信頼のおけないお前たちから飲み物を受け取ると思うか?」
「それ、あざみにも言ったほうが良いんじゃねぇの。アイツ毎度飲んでいくぞ」
「はぁ…………」
紫苑は深い深いため息をつく。知らない人から食べ物や飲み物を受け取るな、とはあざみに伝えていた。紫苑としては信頼のおけない人物から受け取るなという意味で伝えていたが、あざみのことなので本当に知らない人からのみ受け取ってはいけないと覚えていたのだろう。その理論でいうと深見は既に知っている人物なので、絶対に何も気にせずに飲んでいる。
「コーヒー、砂糖とミルク入り」
何だか馬鹿らしくなり、紫苑はそう言ってソファに座った。萩も紅茶を頼んでその隣に座る。ひまはそれぞれの前に深見が用意した飲み物を置き、自らは端に畳まれていたパイプ椅子を広げ二人の前に座った。
自身の飲み物を冷ましながら、ひまは話を始める。
「あのね、ひまは機関に来るまでの記憶が無いの。ひまの『力』は強いんだって、だからどうしても欲しかったらしくて無理矢理連れてこられたの! その時使われたお薬のせいで全く記憶がなくなっちゃって……それから先生もそう、小さい頃から機関にいて、ひまにそっくりな幼馴染がいたんだよね?」
「……そうだな」
「先生はその実験の為に目の前でその幼馴染を殺されちゃったの。無理矢理能力も持たされて、お仕事の時だけ呼び出されて、それ以外の時は閉じ込められて……ひまが機関に来てからはひまのお世話係になったからこうしてお外に出られてるけどね?」
「そうだな、感謝してる」
「ま~~そういうわけでひまたちは機関がだ~~~~いきらい! だからお姉ちゃんのことを積極的に連れていく気は無いんだ~~」
「そういうことだったんですね……というかそれ、私たちに話して良かったんですか?」
萩が心配そうに聞くと、ひまはニッコリと笑った。飲み頃になった紅茶を嬉しそうに飲んでから彼女は言う。
「お友だちになりたいから、正直に話したかったの! 皆みたいに学校に通うの夢だったんだ~~!」
彼女の名を冠する花のような、眩しい笑み。自分も絆されやすい性格なのかもしれない、と萩は苦笑いを浮かべる。
「明日からはひまチャンも一緒にお昼食べますか?」
「本当に⁉ 嬉しい! ハギ姉だいすき!」
「おい、萩」
「私は信じてみたいって思った。紫苑クンも信じられないと思うならいっそ一緒にご飯を食べて見極めてみようよ」
確かに今ひまが話していた内容が全て嘘の可能性もあるが、それでも話している間の彼女の顔は酷く悲しげで、瞳の奥に深い闇があるように見えた。自分の直感があざみほど当たるとは思っていない萩だが、それでも少し信じてみようとは思ったのだ。それに紫苑はまだまだひまたちを疑っているようで、それならば何かあったとしても彼が止めてくれるだろう。あざみも最初は断るかもしれないが、ひまの身の上話を聞けばきっと断れなくなるのだろう。
明日の昼が楽しみだ、と微笑んで萩はすっかりぬるくなった紅茶を飲み干した。




