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第六話
「というわけで指輪を買いに行くよ、紫苑クン!」
「何が、というわけで、なのか分からないが」
「んもぉ~~! そういう話聞いてないところ! 散々あざみチャンに言われてるでしょ!」
放課後、剣道部へ向かっていた紫苑を萩は呼び止めた。突然何だと紫苑が思えば、彼女は開かずの扉がどうこう言っていた。しかしそういった噂はあまり信じていない紫苑には理解ができず、ぼんやりと聞き流しているといつの間にか指輪を買いに行くことになっているではないか。とりあえず目的地に着いてから再度説明するから、と促され紫苑と萩は各々自転車に跨った。
この学校の大半の学生は自転車通学をしている。ほとんどの学生が学校のある市やすぐ隣の市に住んでおり、そこからならば公共交通機関で来るよりも自転車のほうが便利だからだ。しかしあざみや紫苑が住んでいる学校の南の市や更にその先の〝市内〟と呼ばれる地域に住んでいる人間は自転車だとかなり距離があり公共交通機関を使う人間がほとんどだ。実際あざみも自転車と地下鉄とバスを乗り継いで学校へ来ていると言っていた。それにも関わらず紫苑は体力づくりの為に自転車で一時間かけて通学している。そのおかげで今日は二人で買い物に行けるわけではあるが。
例の交差点がある大通りを自転車で十分ほど走れば大きなショッピングモールがある。茅野という場所にあるそのモールは、昔店員がスケートのような靴を履いて駆け回っていたことで有名だったが、いつの間にか普通のショッピングモールになっていた。けれど百軒以上の店舗がある為、ちょっとした買い物にはうってつけだ。駐輪場に自転車を停め萩は目的地であるアクセサリー屋へ向けて歩きながら紫苑へ再度説明した。
「あざみチャンと深見先生は仲良くなるおまじないをしたの、十中八九ね」
「何で、そんな」
「何でかなんて知らないよ~~……何かして巻き込まれたんじゃないの? あざみチャンだし」
「けど、それと指輪を買うは関係無い」
「だから~~! 仲良くなるおまじないっていうのはね! 仲が良くない二人で同じお部屋に入って、左手の薬指に約束の形を残すの! 分かる? 実質結婚指輪だよ?」
結婚指輪、という言葉に紫苑の眉が曇った。やっとこの男が危機感を持った、と萩はほくそ笑む。あざみが懐いているということは深見はさほど悪い人間ではないのかもしれないが、それでも彼女の迂闊さを考えるとあまり機関に肩入れさせてはならない。萩だって機関が結局どういうものなのか、未だに分かっていないのだ。
「というわけで上書きの為に、私たちも指輪を贈ろう! ね?」
「……けど、誕生日でも何でも無いのに贈れば怪しむ」
「意気地なし。女の子はいつだってプレゼント貰ったら嬉しいの」
あざみにはいつもニコニコと話しかけている萩だが、紫苑には割と冷たいところがある。紫苑もあざみに対してよりも萩に対してのほうが遠慮が無いのでお互い様だ。正直、あざみの存在が無ければこんな風に一緒に買い物に行くような仲になることは一生無かっただろう。萩は男子に興味が無いし、紫苑はあざみ以外に興味が無いからだ。
目当てのアクセサリーショップは学生にも手を出しやすい価格帯の店で、萩は早速指輪を見繕い始めた。派手なデザインからシンプルなものまで、様々な種類の指輪がこれでもかと眩しい照明に当てられ輝いている。普段のあざみがつけているピアスなどを考えるとあまりにもゴテゴテとした物は好みではなさそうな気がした。それに顔立ちが派手な彼女が厳つめの物をつけてしまうと少し怖く見えてしまうかもしれない。そこまで考えてから萩は一本の指輪を手に取った。銀色でオーソドックスな形のイミテーションダイヤが嵌まった指輪だ。
「あざみチャン、こういうシンプルなの好きそうだし似合いそう!」
「そうだな」
「紫苑クンも選ぶんだからね」
「俺も……?」
「あのさぁ……余裕ぶってたらサクッとかっさらわれるよ。良いの? あざみチャンがあんなに仲良くしてる異性今まで他にいた?」
「クラスメイトの花は……」
「知らない人かも、誰?」
「庭石 花っていう去年からずっと同じクラスの男子で、普通科に双子の弟の菖がいて……」
庭石 菖は萩も知っている。時折廊下で見ることがあるからだ。飛び抜けて長身の彼は確か紫苑と同じ剣道部だったと萩は記憶している。萩自身は彼に興味が無いが、同じバンドの菊が度々彼の話をしていたので部活も知っていた。
「へぇ……それで、その花クンはあざみチャンと仲良いんだ?」
「まぁ、仲が良いというか……クラスで唯一あざみに話しかけてる」
「それは凄いかも。いつ一組の前通ってもあざみチャンがクラスメイトと話してるところ見たことないよ私」
萩は移動教室の際に一組の前を通ることも多々あった。その度にコッソリとあざみの様子を見ているが、いつ見ても彼女はイヤホンをして本を読んでいるだけで。これまで他人と関わらないようにしていたと本人も言っていたが、本当に関わっていないのだと再確認させられたのだ。
ある昼休み、萩があざみとともに食堂へ歩いていた際に普通科の男子から声をかけられたことがある。萩が声をかけられるのはよくあることだが、彼は無謀にも萩だけでなくあざみにも声をかけたのだ。あざみは一切返事をすることもなく彼を睨みつけてから足早にその場から離れていった。これが初めて会った時に紫苑の言っていた〝気に入らなければ何が何でも離れようとするはず〟ということか、と萩は納得した。そして改めてあの時のあざみが萩に心を開いてくれたことに深く感謝したのだった。
「流石に今年に入ったぐらいからあざみも返事をするようになった」
「おぉ……執念の勝利だね…………ん? でも紫苑クンはそれは良かったの?」
「まぁ、花からは一切下心を感じないから……ちょっと変な奴だが」
「多分紫苑クンには言われたくないんじゃないかな……というか最初の質問覚えてる? あざみチャンが深見先生ぐらい仲良くしてる異性が他にいたかどうか聞いたんだよ? かろうじて会話ができる程度の異性の話はしてないわけで……花クンとはハグなんかしてないでしょ」
「それはまぁ、そんなことがあれば俺が止める」
「全然止められてないからね。頼りないなぁ本当」
これまでは紫苑以外と関わることが無かったあざみは他人との距離を取るのが下手だ。萩が見ている限り、0か100しかない。紫苑に言われたとおり知らない人のことは全く相手にしていないが、ひょんなことから一度でも自身の内側に入れた人間には甘いし完全に信頼しきっている。人付き合いを学ぶべき時期に孤立していた弊害だろう。だから恐らく深見との距離が近すぎることに彼女は気がついていない。普通に考えて学生にあんなことをする成人男性は異常だし、距離を置くべきだ。
「……これが好きそうだ」
そう呟きながら紫苑が手に取ったのは少し装飾の施された金の指輪。嵌まっている石は橙黄色で、その石の横に一つだけ淡水パールが飾られていた。確かにこれはあざみに似合いそうだと萩は驚いた顔で紫苑を見る。
「紫苑クンって意外と趣味良いんだ?」
「意外とは何だ」
「いや、あんまりそういう物に興味無いのかと思ってたから……ごめんって、睨まないで!」
「……俺自身は興味無いがアザミの好きそうな物くらい分かる……ずっと、一緒にいたから」
それもそうか、と萩は納得する。そうして二人はレジまで向かいそれぞれ選んだ指輪を一緒の紙袋に入れてもらい、自転車に乗って学校まで戻った。時間はまだ十七時前で、あざみは音楽室にいるはずだ。下足室から北館を通り抜けて十字棟三階の音楽室へ二人は向かう。音楽室の前でスリッパを脱ぎ、重たい鉄の扉を紫苑が開けた。
「あの~~……」
女子生徒しかいない吹奏楽部。萩が音楽室に顔を覗かせると一人の部員が気がついたが、彼女は萩を一睨みして知らん顔をした。彼女は確か去年萩と同じクラスだったはずだが、これまた同じクラスだった男子にアタックをしていたはずだ。ただしその男子は萩のことが好きだったので、まぁ当然の反応かもしれない。けれどもそんな態度を取られると流石の萩も部屋に入りづらい。
困った彼女の頭に紫苑は一度だけ手を置いて、一人遠慮なく音楽室の奥まで進んでいった。窓の外を見ながらクラリネットを吹いているあざみの肩に彼は手を置く。彼女は肩をビクリと震わせ振り返り、紫苑の姿を確認すると更に驚いた顔をした。それから紫苑が入口を指差すと彼女は萩の姿も見つけ零れ落ちるのではないかというほどに目を見開く。慌ててクラリネットを棚の上に置き入口の萩の所へ駆け寄った。
「……何で来たの、外出るよ」
どこか怒ったような声であざみはそう言って萩と紫苑を音楽室の外へ連れ出す。仲良くなれたと思っていたが、流石に部室に押しかけるのはまだ許されていなかったのかもしれないと萩は不安になった。重たい扉の外、あざみは大きな溜め息ついて萩と紫苑を見る。
「何しに来たの」
「ごめん……突然来て迷惑だったよね?」
「迷惑とかじゃないけど……」
謝る萩からあざみは視線を逸らす。きっと萩からは怒っているように見えるのだろうな、とあざみは自身の目つきの悪さにウンザリした。怒っているわけではなく心配しているのだが、それを口にするのは気恥ずかしくて無理だ。部員の中の複数人が萩を恨んでいることを知っているので、あまり音楽室に来てはほしくなかった。萩が悪いわけじゃないこともあざみは知っているし、むしろ男子に絡まれて辟易しているのも知っている。それなのに部員たちからすれば萩がチャラチャラと男に色目をつかっていることになっていた。本人と仲良くなるまでは宮城野 萩とはそんな感じなのかと勝手に思っていたが、実際は全く違ったしそれを部員に一度伝えたことはある。結果として元から部で少し浮いていたものが完全に浮いてしまっただけだった。今や他の部員から腫れ物に扱うような接し方をされている。どこに行っても同じ様な対応をされていたあざみは慣れているので良いものの、萩がそんな態度を取られるのは可哀想だと思った。だから慌てて部室の外に連れ出したのだ。
「……それで、何の用?」
「あ、あのね……あざみチャンに紫苑クンと私から贈り物しにきたの!」
「……これ」
紫苑はあざみに小さな紙袋を差し出す。
今の萩の言い方として、二人で買い物に行ったということだろう。何だか仲間外れみたいだな、と思ってしまう自分に辟易しながらあざみはそれを受け取った。手のひらサイズの紙袋は軽く、一体何だとテープを外す。中は更に小さな透明のビニール袋が二つ入っていた。
「……へ?」
金と銀の指輪がそれぞれに入っている。予想外の物にあざみは首を傾げた。そんな彼女の手の上から紫苑は自身の選んだ指輪を取り、ビニール袋から取り出す。そして彼女の左手を取り、取り出した指輪を薬指に嵌めた。
突然の出来事にあざみは顔を真っ赤にして固まっている。萩もまた同じように彼女の薬指に指輪を嵌めた。
「な、なな、何⁉ 何で⁉」
「あざみチャン、深見先生とおまじないしたでしょ」
「してない! あれは不可抗力で……!」
「……やっぱり、したんだな」
地を這うように低い紫苑の声にあざみは肩を震わせる。これは彼が一番怒っている時の声だ。確かに結果として仲良くなるおまじないは成立してしまったし深見ともそれなりに仲は良くなったが、決してあざみが望んでやったことではないので怒られるのは理不尽だと思う。
「……突き指のテーピングが外れて、巻き直してもらったら、よりにもよって左手の薬指だっただけでぇ……私が望んでしたことじゃない」
「えぇ~~……テーピングでもおまじない判定あったの……それは盲点過ぎるよ……」
「何で俺に頼まない」
「紫苑は部活行ってたし……というか保健室の正しい使い方だと思うんだけど! そこ怒られるの意味分かんないし!」
あざみは不機嫌そうに腕を組み視線を落とす。左手の薬指に見慣れない指輪が二本。キラキラと輝くそれは綺麗で、少しこそばゆい気持ちになる。
「それで、この指輪は何?」
「私たちもおまじない! あざみチャンともっと仲良くなれますようにって!」
「そういう……」
萩の言葉や想いに仲間外れにされて悲しいと思っていた気持ちが霧散していく。我ながら現金なものだとあざみは苦笑いを浮かべた。左手を目の前に広げてまじまじと指輪を見る。それからあざみは自身がつけていたネックレスを外し、ペンダントトップを抜き取った。代わりに薬指から指輪を取りチェーンに通す。
「……馬鹿。左の薬指に指輪なんかしてたら皆から変な目で見られるでしょ」
胸元に揺れる指輪を彼女は左手で握りしめた。何だか身体の調子が良くなった気がする。いつも不安定だった『力』の流れがハッキリと分かるような、そんな感覚だった。
「でも、その……えっと……あ、ありがと……大切にする」
「あざみチャン……」
「じっ、じろじろ見るな! 慣れてないんだ、こういうのっ!」
友人からの贈り物なんて初めてだった。それにこうして素直に礼を伝えることもあざみは慣れていない。彼女は耳まで赤くしてプイっと横を向いてしまう。そんな彼女の不器用な態度に萩と紫苑は目を合わせる。萩が嬉しそうに笑うと、紫苑も珍しく淡い笑みを浮かべたのだった。




