04
中庭や食堂、東館に十字棟、北館に南館と走り回り時間はいよいよ十八時直前。あざみはついに少女を壁際に追い詰めた。追いかけっこもこれで終わりだ。本当にあるかどうかは分からないが、世界の秘密とやらを教えてもらう。じりじりと壁際に追い詰められた少女にあざみは手を伸ばした。
「残念」
目の前の少女は消え、あざみの手は空を切る。聞こえてきた声は背後からだった。振り返ると勿論少女が立っている、まるで瞬間移動ではないか。
その時、あざみのスマホからアラーム音が鳴った。
「時間切れー!」
「……瞬間移動はズルくない?」
「駄目とは言われてないしぃ? ××が駄目って言ってたら考えたけどぉ……」
「アンタ、何者なわけ」
「んー……まぁ、惜しかったし残念賞で教えてあげる」
彼女はそう言って首を傾げる。胸まで伸びている赤みがかった髪が揺れた。フードが浅くなり、前髪の隙間に何かがキラリと光る。
「私は『時空間』の魔女」
「魔女……?」
あざみの知る魔女といえば物語に出てくるもので、大抵悪者だ。毒リンゴを食べさせたり、糸車に呪いをかけたり。フードを被り怪しい見た目であることは確かにそんな魔女と一緒だが、目の前の少女がそういったことをするようには見えなかった。
「知らないの?」
「知らないのって……知るわけないでしょ」
「××も魔女なのに」
「何それ、どういうこと……私も、魔女……?」
思い当たる節が無いわけではない。昔から使える不思議な『力』もあざみが魔女だというならば納得がいく。何をしたって悪い噂を立てられるのも魔女だからだろうか。
あざみはしゃがみ込んで頭を抱えた。そんな彼女を少女――『時空間』の魔女は心配そうに見つめる。
「まあ、納得かもなぁ……」
「××のその素直すぎるところ、ちょっと心配なんだよなぁ」
「別に素直じゃないけど⁉ そんな単純な人間じゃないし、口だって悪いし……萩といいアンタといい人のことチョロいみたいに言ってから……素直ならとっくに友だち百人できてるし」
「××! そういうところ! 素直じゃないの口だけなんだから!」
気をつけてよね、と良いながら『時空間』の魔女は腕を組む。心外なことを言われあざみも腕を組んで彼女を睨みつけた。すると彼女はクスクスと笑い出すではないか。馬鹿にされている気がしてあざみ顔は更に険しいものになる。
「いひひ、今日は楽しかったなぁ!」
「私は疲れたんだけど……走るの嫌いだし」
「××ってば体力無いんだから……まぁ良いや、今日はありがとう! また今度遊ぼうね!」
「また今度ってもう遊ばな……また言い逃げして消えられた……っ!」
あざみの返事も待たずに空気に溶けて消えていった『時空間』の魔女。大きな溜め息をついてあざみは立ち上がった。魔女とは一体何なのか、あざみには分からない。『時空間』の魔女とあざみ以外に魔女はいるのか。交差点の異世界で出会った白い布を被った女性も魔女ではないだろうか。その他にも思い当たる人物が一人いる。
少し悩んでからあざみはその人物に会う為歩き出した。もうとっくに下校時間になっているので、会えるかどうかは分からない。会えなければ仕方ないのでまた明日でも良いが、もし会えるならば今日の疑問は今日解決したいのがあざみの性格だ。『時空間』の魔女と別れた南館三階の端からそのまま一階まで階段を下りていく。目的地にはまだ電気がついており、彼女は扉を開けた。
「失礼します」
「珍しいな、こんな時間に」
「ちょっと気になることがあって……ひまは?」
いつものようにノートパソコンを見ていた深見が顔を上げ、あざみと目が合う。彼女は前回来た時のように入口近くのソファに腰掛けた。前回のトラウマからか、保健室の扉は開けたままだ。深見はそんな彼女に紅茶を用意しながら答える。
「今日も休み」
「……風邪でもひいた?」
「いや、仕事で疲れちまったみたいで朝布団から出てこなかったから」
「へぇ……うん?」
礼を言いながら受け取ったマグカップに口をつけながら、あざみは何かが引っかかった気がして首を傾げた。舌が火傷するほど熱い紅茶は熱すぎて匂いこそあれど味がしない。それにしても今の深見の言葉はどこかがおかしかった。
仕事で、疲れて、朝、布団から、出て、こなかった。現代文の授業のように文節単位で区切って彼の言葉を反芻する。
「朝、布団から、出て、こなかった……?」
「あぁ、疲れてたみたいで」
「待て、待て待て待て」
その言い方はまるでこの男がひまと同じ家に住んでるような。確かに初めて見た時から二人はベタベタと引っ付いてはいた。なるほど、確かに倫理観の無い機関らしい。
「ひまと一緒に住んでるのか……?」
「そうだけど」
「ロリコン……!」
「いや、アイツはマジで生活能力がねぇから誰か一緒に住まねぇと……」
「せめて女性職員だっているでしょーが!」
「ひまが俺が良いって駄々こねたんだからしょうがねぇだろ⁉ 何で俺ばっかり文句言われねぇとなんだよ!」
「コイツぅ~~! 変態ロリコン野郎~~! すけこましだぁ~~!」
「良いから本題に入れよ! 何かあったからここに来たんじゃねぇの⁉」
自分の椅子に腰掛け、深見はあざみの質問を促す。確かにあざみがここに来たのはこんな不毛な言い合いの為ではない。当の本人はいないが、まぁ深見でも答えられる質問だろう。
あざみはマグカップを机に置いて息を吸った。下手なことを言えば自分の『力』の話をする羽目になりかねない、そこは気をつけて質問をしなければ。
「そうだな……えぇっと……ひまは、魔女なのか?」
「アンタがその単語を使うってことは何かあったな。この間の奴にでも会ったのか?」
「こっちが質問してるんだけど……というかよく分かったな」
「アイツは『時空間』の魔女だろ。うちの機関では有名な奴だ」
なるほど、やはりそういう情報は把握しているのかとあざみは感心する。それならばこの男は魔女についての質問に答えられるはずだ。
「魔女って、何」
一番聞きたい質問をあざみは口にする。深見は少し悩んでからノートパソコンに視線を移した
先日見ていた魔女のデータを開いている。魔女とは何か、と問われると非常に難しい質問だ。扉に一番近い存在だと言われているが、そもそも扉とは何なのか深見にも分かっていない。機関では確かにひまも魔女だと言われている。
「……分かんねぇんだ」
「役立たず」
「けどひまは確かに魔女だって言われてる。アンタもそうなのか?」
「いぃや⁉ そんなわけないけど、何をいきなりそんな、やめてくれる?」
突然いつも以上の早口になり深見から視線を逸らすあざみ。分かりやすすぎるその態度に流石の深見も彼女のことが心配になる。椎名 紫苑が彼女のことをずっと囲ってきたということは調査で知っていた。彼女を目の前にするまでは子どもではないのだからやりすぎだろうと深見も思っていたが、全くもって妥当な判断だったと今では思う。彼とて積極的に彼女を機関に連れていく気は無いので、彼女が『力』を持っていることを彼かひまがその目で確認するまでは黙っておくつもりだ。しかしながら、他の機関の人間にこの態度を取ればあっさり連れていかれるだろう。
「……俺は、アンタの『力』をこの目で見るまでは連れて行く気はねぇんだ」
「何を今更。初対面の時にあれだけ怖がらせておいて」
「今更でもねぇよ。こんな機関入らずに済むならそれに越したことはねぇだろ……けどこっちもあんまりやる気がねぇと何されるか分かったもんじゃねぇしさ」
「やっぱ監視とかされてんの?」
「いや、基本的にはねぇはずだけど……まぁ他の機関の人間に見られることだっていくらでもあるしな」
「ふぅん……」
今わざわざそれをあざみに伝えたのは彼なりの優しさなのだろう、とあざみは紅茶を啜りながら彼に視線を戻した。長話をしていたせいで紅茶がぬるくなっている。結局魔女が一体何なのか分からないままだ。それにしても他の機関の人間に見られることがある、ということはこの学校に他にも機関の職員がいるのだろうか。次から次へと目まぐるしく事件が起きていく日々に少し疲れてしまった。一人殻に籠っていた時よりはずっと良いが、それでも忙しない日常に増えていくばかりの疑問に胸が苦しい。マグカップの中、紅茶に映る自分の顔はひどく疲れているようだった。
「……なんか、疲れちゃった」
自分が零した言葉にあざみは慌てて口に手を当てた。こんな弱音を吐くなんて自分らしくない。萩にこんな弱音を吐いたことはないし、ずっと側にいた紫苑にだってなかったのだ。どうか深見に聞こえてませんように、と彼女が顔を上げると彼は既に目の前に立っていた。しゃがみ込んで視線を合わせた彼は、マグカップを持つ彼女の手に触れた。
「あざみ」
「名前呼ぶな馬鹿」
耳が熱くなり鼓動が速まる。深見の能力だと分かっていても動悸は止められないのだ。彼がフッと目を細めてあざみを見た。
「アンタは頑張ってるよ」
「お、お前が何を知ってるっていうんだ……つい最近知り合ったばかりなのに」
「そりゃアンタにとってはそうだろうけどさ。俺はずっと前からアンタのこと知ってるぞ……一人で頑張ろうとしてたのも、宮城野と仲良くなってから慣れないながらも外と関わろうとしてるのも、この間みたいな事件に巻き込まれて何とかしようとしてるのも」
「ぐ……」
そんな顔で微笑みながら優しいことを言われると、流石のあざみも言葉に詰まった。誰だ〝まあ年上の男なんて女子高生からすればそこそこの顔でも憧れるだろうしな〟なんて考えていたのは。相手はあざみに危害を加えにきた敵で、絆されて良い相手ではなくて。しかし機関の情報をくれたり、積極的に連れていく気は無いと言ったり、実際そこまで悪い人ではないのではと思ってしまうのは深見の能力のせいなのか。目の前の相手を信頼したい気持ちと疑う気持ちが頭の中でぶつかり合って処理ができない。ただでさえ、今は考えることが多すぎていっぱいいっぱいなのだ。
脳の許容量を超えた思いは目から零れ落ちた。
「み、見るなっ!」
慌ててマグカップを置いて目元を隠そうとしたあざみの右手を深見の左手が制止する。それから彼は空いた右手で彼女の溢れる涙を拭った。
「なぁ、アンタが言ったんだぞ、一人で抱え込むなって」
「うぅ……」
顔を真っ赤にして深見を睨みつけるその目は涙を流しているからか透き通るように光っている。なおも溢れる涙を抑える方法をあざみは知らない。人前で泣いたのはいつぶりだろうか。頬を包む手の温かさに彼女は目を閉じる。ふと今日見た紫苑と萩の姿が蘇った。ハッキリとは覚えていないが、仲が良さそうに手を繋いでいたように見える。二人が仲良くなれば、あざみは要らなくなってしまうのではないか。そうすればまた一人ぼっちだ。『時空間』の魔女が言ったとおり、あざみはそのことを恐れていた。友人がいる幸せを知ってしまった今、暗くて何の音も無く冷えきったあの場所に戻ることは酷く恐ろしいことだったのだ。
彼女は再び目を開き、おずおずと深見の白衣の下襟を指先で引っ張る。
「……さみしい」
そう呟いた瞬間、彼女は自分ではない匂いに包まれた。香水だろうか、少し甘くて、でもどこか苦くて、それでいて落ち着く匂いだった。背中をポンポンと優しく叩かれているのが分かる。そのリズムに強張っていた身体が少しずつ和らいでいった。
「……俺、この間アンタに頭撫でてもらったの嬉しかったんだ。今までそんなことしてもらったこともねぇから」
耳元で聞こえる声にあざみは頷く。深見はそんな彼女を抱き締めたまま彼女の頭を撫でた。あざみは彼の広い背中に手を回す。人の温もりがこんなにも安心できるものだなんて、知らなかった。
「だから、いつでもこうするから、一人で抱え込むのはやめようぜ、な」
「うん……」
小さく返事をしてあざみは彼の背中に回していた腕に力を込めた。そんな彼らのことを扉の外から見ている人物がいるなど、その時の二人は気づきもしなかった。




