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第五話
「どがんした」
「方言言われると分かんないです、先生」
「どうしたんや」
「……それも方言なんですけど。まあ良いや、分かるから」
あざみは担任の浅黄 錦に呼び出され個人懇談をしていた。高校二年生にもなって進路は決まっていない。そのうえこの間の数学のテストで初めて欠点を取った。これまで成績を上位に留めていたあざみの突然の低成績に浅黄も少し驚いたようだ。
ただ、これだけは言わせてほしい、そもそも数学は苦手なのだ。その証拠にそれ以外の科目は別に普段どおりの成績を取った。
「何かあったんか?」
「まー……ね」
しかしながら今回テスト勉強に身が入らなかった理由に心当たりもある。萩や紫苑と巻き込まれた異世界のこと、深見やひまという機関のこと、それから保健室で出会った謎の少女のこと。次から次に起こる問題のせいで勉強に全く集中できなかったのだ。
浮かない顔のあざみに浅黄は悲しそうな顔をする。
「何か困ったことあったらオイに言ってええねんで?」
この「オイ」というのが「俺」という意味なのはあざみも知っていた。浅黄は各地を転々としていた為に方言が混ざってしまったらしい。そのことは小さい頃から知っている。
「はいはい。ありがと、錦さん」
「学校では?」
「ありがとうございます、浅黄先生」
「まぁ、確かにお前らは小さか頃から面倒みてるからしゃーないねんけどな……」
社会科教諭 浅黄 錦 三十五歳。妻と娘をこよなく愛する爽やかな男だ。人好きのする笑みをいつも浮かべている。あざみと紫苑のクラス、二年一組の担任だった。
しかしあざみと紫苑にとってはそれ以上に恩のある人物である。幼い頃から彼と彼の妻には面倒を見てもらっていた。
「……ごめんね錦さん、進路も考えとくよ」
「おう。目標はあったほうがええから決めとき」
「お時間ありがとうございました。奥さんと娘さんによろしく」
部活の時間も迫っているのであざみは何とか話をまとめて生徒指導室から出て行った。放課後の廊下は部活動前の人々で騒がしい。
無線イヤホンと音楽プレーヤーの電源を入れてイヤホンを耳に挿した。これで人の声を聞かなくて済む。人の心が読めるからか分からないが、あざみは昔から人の多い場所が苦手だった。こうして外界を遮断してしまわなければ耐えられない。
部活まであとどれくらい時間があるのだろう、と彼女はスマホをつけて時間を確認する。時間など意味が無いのに。
「……?」
あざみはふと、立ち止った。今何かがおかしかった気がする。しかし何がおかしかったのかが全く分からない。
じわりと嫌な予感が首筋を撫でた。音楽を聞いて外界を遮断している時にこんな風に嫌な予感がするのは初めてのことだった。
「ね、遊ぼうよ」
突然聞こえてきた声にあざみは驚いて顔を上げる。何故、イヤホンをすり抜けてその声が聞こえてきたのか。目の前に立っているのはこの間保健室に現れた謎の少女だった。フードの隙間から見える口元は笑っている。
「この間の……」
「ね、××、今度遊んでくれるって言ったよね?」
「約束はしてない」
「かくれんぼしようよ。君が私を捕まえられたら勝ちね、期限は今日の十八時まで」
「私、部活が」
「私のこと、気にならないの?」
少女は人差し指を顎に当て、小首を傾げた。気にならないと言えば嘘になる。時計は十六時過ぎを指し示していた。あと二時間弱、走り回る体力は無いがかくれんぼならば走らなくても良いのだろう。
「……私が勝てば何かくれるわけ?」
「この世界の秘密、教えてあげる」
「……この世界の、秘密? 何それ、この世界はこの世界でしょ」
「知りたくないわけ?……ま、知りたくてたまらないって顔に出てるよ××ってば、分かりやすいんだから!」
この前も今日も、やはりあざみのことを示しているであろう単語を聞き取ることができない。一体彼女はあざみのことを何と呼んでいるのか。
彼女はニンマリと笑って走り出した。
「決まり。じゃあ十八時までだからね!」
「あ、ちょっと!」
彼女はそう言って生徒たちで賑わっている放課後の廊下の中に消えていった。何だか上手いように乗せられてしまった気がする。今日は本当なら十七時まで部活があって、それから萩と一緒にいつものドーナツ屋でお茶をしようと約束していたのに。
あざみは溜め息をついてから部活のグループチャットに休む旨を送り、萩には一緒にお茶ができなくなったと謝罪のメッセージを送った。それからふと別のチャット画面を開く。無意識に動いた指は〝アンタは大丈夫?〟と打ち込んでいた。あの少女を見た時、明らかに異質だと思い恐怖を感じたのだ。こんなメッセージを送ったっていたずらに不安にさせるだけだ、と文字を消す為あざみは右上に指を伸ばした。
「うわぁぁっ! やば! やばいかも! 手で送信押しちゃった!」
指がデリートに当たる前に手の腹で送信ボタンを押してしまった。廊下を歩いていた生徒たちがあざみに注目する。あぁ、これでまた明日になれば何かしらの悪い噂が増えているに違いない。あざみは苦笑してから液晶を見る。彼女が誤送信したメッセージにはもう既読のマークがついていた。相変わらずの確認の速さである。メッセージの受取人に見つかればまたお説教コースだ。とりあえずこの場から離れよう、と彼女は走り出したのだった。




