工房での注文とカフェでの約束
ギルバートに連れられて訪れたのは、頑丈な金属加工を得意とする鍛冶屋の工房だった。重厚な鉄の香りと熱気がほのかに漂う店内に足を踏み入れると、奥から職人が出てきて頭を下げた。
「ギルバート様、本日はどのようなご用でしょうか?」
「ああ、今日は百合様が身体を鍛えるための道具を作ってほしいということで訪れたんだ」
ギルバートに促され、百合は一歩前に出て丁寧に挨拶をした。
「初めまして、百合・橘と申します。身体を鍛えるための器具を作っていただきたくてお邪魔しました。さっそくですが、こちらのイラストを見ていただけますか?」
百合は、凛が心を込めて描いてくれた数枚のイラストを職人に手渡した。職人は偏光鏡を直しつつ、じっくりと紙面を見つめる。
「なるほど……重さがそれぞれ違っていて、手で持ちやすい形状ですね。……む、しかしこちらの『伸び縮みする紐のようなもの』は、当店の金属加工では作ることができませんね。これに関しては、知り合いの工房にお願いすることになりそうです」
「わぁ、本当ですか!? 相談に乗っていただけて助かります!」
職人の前向きな言葉に百合はパッと表情を明るくした。
「女性陣が使うものは1キロから5キロくらいが良いのですが……男性が鍛えるとなると、もっと重さが必要になりますよね。男性用としては、とりあえず50キロくらいの重さまで対応できるようにしたいんです。その場合、サイズを大きくしていくか、それとも重りを付け替えて増やせるタイプが良いでしょうか?」
「それなら、重りを付け替えられる構造にした方が使い勝手が良いでしょうな」
職人と相談しながら、使いやすさを重視した可変式ダンベルの仕様を決定していく。さらに、トレーニングには絶対に欠かせない『トレーニングベンチ』の制作も依頼した。
「全体で完成まで1ヶ月ほどかかりますな」
「分かりました。完成したら、ギルバートさんに離宮へ運んでいただく予定です。それと……もう一つお願いがあるのですが、トレーニング室の壁に設置できるような、大きめの鏡を作って取り付けていただくことはできますか? 自分のフォームを確認しながら鍛えるのはとても大切なことなんです」
「大きめの鏡ですね、承知いたしました。そちらも手配しておきましょう」
無事に全ての注文を終え、百合たちは満足感とともに工房を後にした。
「百合様、せっかくですからどこかで少しお茶でも飲みませんか?」
「ええ、ぜひ!」
ギルバートの提案で、彼がおすすめする街で人気のカフェへと連れて行ってもらうことになった。
案内されたカフェは、趣のある大変立派な建物だった。しかし、百合の想像していた「かわいらしいカフェ」とは少し異なり、重厚で格式高い雰囲気が漂っている。
(この世界のカフェって、どこもこういう重厚でお金がかかっている感じなのかしら。貴族の方々が好むお店が多いのね……。私なら、貴族も平民も気軽に立ち寄れるような、かわいくて落ち着くカフェを作りたいな)
将来の夢に思いを馳せながら、運ばれてきた紅茶とケーキに手を伸ばす。しかし、一口食べた百合は思わず手が止まってしまった。
(うーん……やっぱり、この国のケーキは私には甘すぎるかも……)
甘さの主張が強いスイーツに苦戦しつつも、百合は向かいに座るギルバートに笑顔を向けた。
「ギルバートさん、今日は素敵な工房やお店に連れてきてくださって本当にありがとうございました! おかげで、みんなでトレーニングを始められそうです」
「いえ、私も『筋トレ』というものに大変興味がありましたから、お役に立てて光栄です」
ギルバートは嬉しそうに目元を緩めると、少し真面目な表情になって言葉を続けた。
「それから、百合様たちが使う器具は完成次第離宮へ運びますが……私が使う重い方の道具は、ヴァルハイト侯爵家に置きたいと思っているのです」
「はい、もちろん構いませんよ」
「ありがとうございます。実は……私が頻繁に離宮へ通って百合様から直接指導を受けるとなると、周囲からの目が少々気になりまして。大変申し訳ないのですが、何度か百合様にヴァルハイト侯爵家へお越しいただき、指導を行ってもらうことは可能でしょうか? うちの侯爵家は百合様の後見人になっておりますので、百合様が訪問される分には何も問題はありませんから」
申し訳なさそうに頼み込むギルバートに、百合はうなずいた。
「ああ、そういうことですね! わかりました、私が伺いますね」
「ありがとうございます、百合様!」
安堵したように胸をなでおろしたギルバートだったが、ふと何かを思い出したように視線を少し泳がせた。そして、意を決したように百合をじっと見つめる。
「……それと、百合様。先ほど1ヶ月後の夜会でダンスをするとおっしゃっていましたが……パートナーはもうお決まりでしょうか?」
「いえ、まだそこまでは決まっていませんけれど……」
「でしたら……私をパートナーに選んでいただけないでしょうか?」
ギルバートの真剣な眼差しと真っ直ぐな言葉に、百合はドキリと胸を跳ねさせた。
「当日はおそらく、何人かの方と踊ることになるとは思いますが……最初のダンスは、ぜひ私と踊ってほしいのです」
少し頬を染めながらも情熱を込めて伝えてくるギルバートに、百合は優しく微笑んで応えた。
「ええ、喜んで。よろしくお願いしますね、ギルバートさん!」
「あ、それとギルバートさん……これからは『百合様』ではなくて、『百合』って呼んでください」
「えっ……! ゆ、百合……様……じゃなくて、百合……?」
不意をつかれたギルバートは、顔を一気に真っ赤に染めて狼狽した。それでも、百合のまっすぐな瞳に背中を押されるように、意を決して小さな声で囁いた。
「……百合」
名前を呼ばれた百合は満足そうに微笑み、ギルバートも照れくさそうに目元を和ませて微睡むような笑みを返した。二人の間に、甘く温かな空気がゆったりと流れていくのだった。




