心ない言葉と守りたい笑顔
「こんな貧相でちっぽけな娘を侍らせて……シルフィード家の眼識も落ちたものですわね?」
厚化粧の令嬢は扇子で口元を覆いながら、凛を頭からつま先まで嘲笑うような視線で見下ろした。
元陸上部で日焼けした小麦色の肌、動きやすいショートカット、そしてこの国の女性に比べれば圧倒的に小柄な体躯。
「あら、よく見たら肌は浅黒く汚らしいし、髪も男のように短いではありませんか。女だか男だかも分からないような子供を連れ歩くなんて、お二人とも正気ですの?」
周囲に従えている夫や取り巻きの男たちも、令嬢の機嫌をとるようにクスクスと不快な笑い声をあげる。
「……発言を慎みなさい、マリアンヌ様」
レオニダスの声から、静かだが恐ろしいほどの怒気が漏れ出た。かつて女性嫌いだった彼らが、命に代えても守ると誓った愛しい乙女への侮辱。ガブリエルも冷たい瞳で剣の柄に手をかけ、マリアンヌと呼ばれた令嬢を射抜くように睨みつける。
「俺たちの百合……いえ、凛様は神聖なる神託の乙女であり、俺たちの愛するお方だ。無礼な口を利くならば、シルフィード家として相応の対応をさせていただく」
「っ……! な、何ですのその態度は! 私は……!」
騎士二人の圧迫感に気圧された令嬢が顔をひきつらせる中、当の凛はただ下を向いて拳を握りしめていた。
陸上部で太陽の下をがむしゃらに走ってきた自分の健康的な肌も、大好きなショートカットも、この国では「女らしくない」「男みたいで汚い」と全否定されてしまった。
(私……やっぱり、この国じゃ変なのかな……)
胸元に輝く、二人からもらったばかりの可愛い鳥のブローチがやけに重く感じる。せっかく綺麗にドレスを着付けてもらったのに、胸の奥がギュッと締め付けられるように痛かった。
「……レオニダスさん、ガブリエルさん」
絞り出すような凛の声に、二人はハッとして振り向いた。
「凛様……! 大丈夫ですか? あのような不作法な者の言うことなど、気になさる必要は——」
「ううん……ごめんなさい。私、なんだか急にお腹がいっぱいになっちゃった……。カフェ、行かなくてもいいかな……? お屋敷に……帰りたいです……」
ぽろぽろと零れ落ちそうになる涙を必死に堪えながら、凛は掠れた声で呟いた。
明るく前向きだった彼女がショックで俯く姿に、レオニダスとガブリエルは胸を強く引き裂かれるような衝撃を受ける。
「……承知いたしました。すぐに帰りましょう」
レオニダスは凛を庇うように抱き寄せると、マリアンヌたちを一瞥もせずに背を向けた。ガブリエルも凛の小さく震える手をぎゅっと握りしめ、二人は大急ぎで馬車へと連れ戻すのだった。
逃げるように乗り込んだ馬車の中は、痛々しいほどの静寂に包まれていた。
「凛様……申し訳ありません。俺たちが不甲斐ないばかりに、あなたにあんな不快な思いをさせてしまって……」
レオニダスが今にも絞り出すような声で謝罪し、ガブリエルも傷ついた凛の顔を覗き込むようにして必死に言葉を紡ぐ。
「あの女の言うことなど、一切耳を貸す必要はありません。凛様の小麦色の美しい肌も、その軽やかなお髪も、俺たちにとっては世界で一番愛おしいのですから……!」
何とか凛の心を守ろうと必死に言葉を重ねる二人だったが、深く傷ついた凛の心には届かない。
「……大丈夫です……。ふたりとも、ありがと……」
消え入るような小声でそう呟くのが精一杯で、凛はひたすら膝の上で拳を強く握りしめたまま、うつむいて視線を上げることはなかった。
シルフィード侯爵邸に到着するやいなや、凛は引き留める二人の声を背に受けながら、逃げるように自分の部屋へと駆け込んで鍵をかけてしまった。
あまりにも早い帰宅と、青ざめた表情で部屋に閉じこもった凛の様子に驚いたのは、シルフィード侯爵夫人(レオニダスとガブリエルの母)だった。
「まあ……どうしたのです? 街へ出かけたはずでしょう? なぜそんな顔をしているのですか」
問い詰める母に対し、レオニダスとガブリエルは悔しさに唇を噛み締めながら、街でマリアンヌに言われた酷い暴言の数々を打ち明けた。
話を聞き終えた奥様は、静かに溜め息をつくと、悲しげに首を振った。
「……あの子のショックは計り知れませんね。自分を否定されたのですから……。二人とも、今は追わず、しばらくそっとしておいてあげなさい。心の整理が必要でしょう」
「しかし、母上……!」
食い下がる息子たちを制し、奥様は優しく、しかし厳かな声で言った。
「焦って踏み込むのは逆効果です。男のあなたたちでは立ち入れない領域もあります。……後で私が行ってきますから」
数時間が過ぎ、外の陽が少し傾き始めた頃。
静まり返った凛の部屋のドアが、トントンと優しくノックされた。
「……凛さん? ベアトリスです。少しお話ししてもいいかしら?」
返事を迷っていると、鍵のかかっていないドア(心配した奥様が万が一のために開けられるよう言含めていた)が静かに開き、落ち着いた佇まいの奥様が入ってきた。
ベッドの上で膝を抱えて丸くなっていた凛は、気まずそうに顔を伏せる。
「……奥様、すみません。せっかくお洋服も整えてもらったのに、私……」
「謝る必要なんてありませんよ」
奥様はベッドの脇にそっと腰掛け、温かい手で凛の小さく震える背中を撫でた。
「あの二人に聞きました。ひどいことを言われたそうですね。……ですが凛さん、忘れないでください。この国の型にはまった美しさだけが全てではないのです。太陽の下で元気に走り込んできたあなたの健やかなお肌も、美しいショートカットも、私には輝くような生命力に満ちていて、とても魅力的に見えますよ」
飾らない、けれど力強く優しい言葉。奥様の手のひらから伝わってくる温もりに、固まっていた凛の心がじんわりと解けていく。
「あなたはそのままで、十分に可愛らしくて素晴らしい女の子です。誰になんと言われようと、堂々と胸を張りなさい」
その言葉を聞いた瞬間、凛の目から大きな涙がぼろぼろと溢れ出した。
(……温かい。なんだか……日本のお母さんみたい……)
異世界に来て張り詰めていた緊張と、傷ついた心が包み込まれていくのを感じながら、凛は涙で濡れた顔を上げて、小さく、けれど嬉しそうに頷くのだった。




