美咲とルークス侯爵邸の秘密
百合と別れ、洗練された芸術と美の邸宅・ルークス侯爵邸へとやってきた美咲は、当主ルークス侯爵と妻のセシリア夫人、そして息子のジュリアンに出迎えられていた。傍らには、無口だが気品漂う護衛のフェリクスと、完璧な立ち振る舞いの侍従クロードが控えている。
美咲の落ち着いた美しさに息を呑む一同だったが、過去のトラウマから極度の女性嫌いである息子のジュリアンは、どこか身構えるように硬い表情を崩さずにいた。
客室へと案内された美咲は、テーブルに並べられた異世界の化粧品や刷毛を興味深く見つめた。
「まあ……とても貴重な成分が使われているのですね。ですが、少しお肌に塗るには重たいかもしれません」
ヘアメイクのプロである美咲の鋭い視点と知識に、侍従のクロードや侯爵夫妻は一瞬で目を丸くする。
「美咲様……もしや、化粧に詳しいのですか?」
そう尋ねるセシリア夫人に、美咲は優しく微笑みかけた。
「ええ、元の世界でヘアメイクの仕事をしておりました。よろしければ奥様、少しだけお手伝いさせていただいてもよろしいですか?」
美咲は用意された道具の配合をその場で手際よく調整し、夫人の肌質に合わせた薄づきのベースメイクと、瞳を引き立てる絶妙なポイントメイクを施していった。さらに、手持ちのブラシで髪のツヤを最大限に引き出し、品のあるアップスタイルへと仕上げていく。
「——出来上がりましたよ」
鏡を見たセシリア夫人は、思わず息を呑んだ。
「まあ……! これが、私……!? まるで十歳も若返ったようですわ!」
重たかったメイクが嘘のように透明感があふれ、上品で華やかな美しさを纏った夫人の姿に、夫である侯爵はもちろん、侍従のクロードも「信じられない……別人です」と絶句した。
誰よりも衝撃を受けていたのは、息子のジュリアンだった。
(な……なんだこの技は。それに、母上の魅力をあんなに優しく引き出して……)
高慢で自分のことばかりなこの国の女性たちとはまるで違う、真摯で温かい美咲の眼差し。女性嫌いだったはずのジュリアンの胸が、ドクンと激しく高鳴った。
「私の世界にあったシャンプーやトリートメント、軽やかな化粧品があれば、もっと皆様を素敵にできるのですが……」
ぽつりと呟いた美咲に、ルークス侯爵が身を乗り出す。
「美咲殿! ぜひ我が家の工房と協力して、そのシャンプーや化粧品とやらをこの国で作っていただけないだろうか!」
この世界の美意識を大きく変えることになる素晴らしい出会いに、美咲は嬉しそうに頷くのだった。
その日の夜。シャンデリアが煌びやかに照らすダイニングルームで、美咲を歓迎する豪勢な夕食会が開かれていた。
セシリア夫人の見違えるような美しさは屋敷中でさっそく話題となっており、食卓は終始、美咲の持つ技術と新しい化粧品開発の話題で持ちきりだった。
和やかな歓談の合間、ルークス侯爵がワイングラスをそっと置き、目を細めて尋ねた。
「ところで、美咲殿。貴女はいずれこの国で夫を娶ることになるが……どのような男性が好みなのだろうか?」
その問いに、同席していた息子のジュリアン、そして壁際で控えていた護衛のフェリクスと侍従のクロードの肩がピクリと揺れる。
美咲は少しだけ考えるように伏せ目をすると、柔らかく、しかし芯のある声で答えた。
「私は、自分の仕事が大好きなんです。誰かを綺麗にして、喜んでもらうことが何よりの幸せで……。ですから、私がこうして働くことを認めて、応援してくれる方がいいですね」
「働くことを、応援……?」
ジュリアンが思わず呟くと、美咲は微笑んで頷いた。
「はい。そして、いつでも私の考えを尊重し、対等に話し合ってくれる方。お互いのやりたいことを支え合えるような関係が、私の理想です」
その言葉が響いた瞬間、ダイニングルームに静寂が落ちた。
この国の女性たちは、庇護されることを当然とし、男性に貢がせ、自身の欲望を押し付けるばかりの者が多い。仕事に誇りを持ち、男性を「対等なパートナー」として尊重しようとする美咲の価値観は、彼らにとって天地がひっくり返るほどの衝撃だった。
(働くことを認め、考えを尊重し合う……。そんなことを口にする女性が、この世にいるなんて)
女性の身勝手さに心底嫌気がさし、心を閉ざしていたジュリアンの胸の奥で、カチリと何かが音を立てて変わる。
彼だけではない。美咲の安全を第一に考えるクールな護衛フェリクスも、身だしなみと奉仕のプロである侍従クロードも、美咲の自立した気高い精神に深く心を奪われていた。
「……素晴らしいお考えだ。美咲殿のその夢、我がルークス家が全力で支えよう」
侯爵が感嘆の息を漏らす中、ジュリアンは静かに決意を固めた熱い瞳で、美咲の横顔をまっすぐに見つめ続けていた。




