第9話 獣人の狩人リオナ
「少なくとも六体。こっちへ近づいてる」
リオナの言葉に、野営地の空気が一変した。
「護衛は外周へ! 商人と荷運び役は、荷車の内側に入れ!」
護衛の一人が声を上げる。
剣や槍を持った冒険者たちが、荷車の外側へ移動した。
俺は丸盾を左腕へ通し、腰の剣を確認する。
「俺たちは四台目の荷車を守る」
「戦わなくていいって言われたよ」
サラが短剣の柄を握りながら言った。
「魔物が護衛を抜けてきた場合だけだ。無理に前へは出ない」
「うん」
サラと一緒に、四台目の荷車の陰へ入る。
御者や商人たちも、積み荷の間へ身を隠していた。
リオナは弓を手に、護衛たちより前へ出ている。
金色の瞳が、暗い森を見据える。
頭の上にある赤褐色の獣耳が、小さな音を探るように動いていた。
「フォレストハウンド!」
リオナが叫ぶ。
「六体じゃない! 後ろに大きいのが一体いる!」
森の中から、犬に似た魔物が次々と現れた。
鉱山から脱走した夜に遭遇したものと同じだ。
ただし、一番後ろにいる一頭だけは大きさが違う。
普通のフォレストハウンドより一回り以上大きく、片目に古い傷がある。
「あれが群れのリーダーか」
俺が呟く。
七頭のフォレストハウンドが、横に広がりながら野営地へ近づいてきた。
いきなり飛びかかってはこない。
護衛たちの配置を確かめ、弱い場所を探しているように見える。
「荷車から離れるなよ」
護衛の一人が俺たちへ言った。
「はい」
剣を抜く。
門で結ばれた革紐は、町を出る際に外してある。
いつでも戦える。
だが、手のひらに汗がにじんでいた。
見習い剣士として戦うのは、これが二度目だ。
前回は一頭を倒すだけで精いっぱいだった。
七頭の群れへ、自分から挑むつもりはない。
大型のフォレストハウンドが、低い声で吠えた。
それを合図に、群れが走り出す。
「来るぞ!」
護衛たちが武器を構えた。
リオナの弓から矢が放たれる。
先頭を走っていた一頭の肩へ突き刺さった。
魔物が体勢を崩し、地面へ転がる。
二本目の矢。
立ち上がろうとした同じ個体の首へ命中した。
動かなくなる。
速い。
狙いも正確だ。
俺が剣を一度振る間に、リオナは二本の矢を放っていた。
残りの魔物が護衛たちへ襲いかかる。
盾と牙がぶつかる音。
剣や槍が肉を斬る音。
怒鳴り声と魔物の唸り声が、野営地へ響いた。
俺は荷車の陰から戦況を確認する。
護衛たちは強い。
フォレストハウンドを一対一で押し返している。
ここにいれば安全だ。
そう思った直後、サラが振り返った。
「後ろ!」
四台目の荷車の下から、一頭のフォレストハウンドが飛び出してきた。
地面を低く走り、護衛たちの視界を避けて回り込んだらしい。
狙われたのは、荷車の陰に隠れていた商人だった。
俺は魔物と商人の間へ入る。
飛びかかってきた身体を、盾で受け止めた。
「くっ!」
衝撃で左腕が痛む。
完全には治っていない。
それでも盾を下げなかった。
フォレストハウンドの牙が、盾の縁へ食いつく。
「ルナト!」
サラが短剣を抜いた。
「近づくな!」
俺は盾を押し返し、魔物の身体を横へ落とす。
剣を振り下ろそうとするが、フォレストハウンドはすぐに立ち上がった。
こちらへ向き直る。
低く身体を沈め、もう一度飛びかかる姿勢を取った。
俺は盾を構える。
魔物が地面を蹴った。
その瞬間、横から矢が飛んできた。
フォレストハウンドの前脚へ突き刺さる。
飛びかかる軌道がずれた。
俺は一歩踏み込み、剣を横へ振る。
刃が魔物の首へ入った。
深い。
魔物は地面へ落ち、そのまま動かなくなった。
> 《戦闘連携を習得しました》
> 《初級スキル図鑑へ登録します》
>
> 登録数:14/90
矢が飛んできた方向を見る。
リオナが俺へ片目をつぶってみせた。
「よそ見しない!」
すぐに別の魔物へ矢を放つ。
言われたとおりだ。
戦いはまだ終わっていない。
俺は商人とサラを背中へかばい、周囲を確認した。
護衛が一頭を倒す。
別の一頭は槍を受け、森へ逃げようとしていた。
しかし、大型のリーダーが再び吠える。
負傷した魔物が足を止め、護衛へ向き直った。
あのリーダーがいる限り、群れは退かない。
「リオナ! 大きいのを狙えるか!」
護衛の一人が叫ぶ。
「木が邪魔!」
大型の個体は、ほかの魔物と木々を盾にしている。
矢を警戒しているらしい。
普通の獣より、明らかに頭がいい。
「前を空けて!」
リオナが弓へ矢をつがえた。
護衛たちが左右へ分かれる。
道が開いた。
大型のフォレストハウンドが、リオナへ向かって走り出す。
自分を狙う弓使いが最も危険だと判断したのだろう。
「リオナ!」
俺は荷車の陰から出た。
前へ行くなと言われていた。
だが、大型の魔物はリオナだけを見ている。
俺が横から近づいても反応しない。
リオナが矢を放った。
大型の個体が身体をひねる。
矢は首を外れ、肩へ刺さった。
致命傷ではない。
魔物は勢いを落とさず、リオナへ飛びかかる。
俺はその間へ盾を差し込んだ。
牙と爪が、丸盾へぶつかる。
今までで最も重い衝撃だった。
腕だけでは支えられない。
足を踏ん張り、腰を落とす。
《防御姿勢》を意識して、身体全体で受け止めた。
「ルナト、下がって!」
「今だ!」
魔物の牙は盾へ食い込んでいる。
すぐには離れられない。
リオナが弓を捨て、腰の短剣を抜いた。
俺の盾を踏み台にして跳び上がる。
革鎧に包まれた身体が、目の前を飛び越えた。
赤褐色の尻尾が大きく揺れる。
リオナは大型のフォレストハウンドの背中へ乗り、短剣を首へ突き立てた。
魔物が暴れる。
俺は盾を引き、魔物の頭を横へ逸らした。
リオナが短剣をさらに深く押し込む。
大型の身体が傾いた。
「離れて!」
俺とリオナは、同時に後ろへ跳ぶ。
大型のフォレストハウンドが地面へ倒れた。
脚を二度動かし、それきり動かなくなる。
リーダーを失った残りの魔物たちは、ようやく森へ逃げていった。
「追うな!」
護衛の声が響く。
「負傷者と荷物を確認しろ!」
戦いが終わった。
俺は息を吐き、剣を下ろした。
左腕がひどく痛む。
盾を見ると、表面へ牙の跡が深く残っていた。
「ルナト!」
サラが駆け寄ってくる。
「怪我は?」
「腕が痛むだけだ」
「前にも同じことを言った」
「本当に、それだけだ」
サラが俺の左腕を調べ始める。
その間に、リオナも近づいてきた。
「新人なのに、ずいぶん無茶するね」
「目の前で襲われそうになってたからな」
「護衛に任せればよかったのに」
「間に合わないと思った」
リオナは一瞬だけ黙り、それから笑った。
「まあ、助かった。ありがと」
「俺だけで倒したわけじゃない」
「一人で何でも倒そうとするより、ずっといいよ」
リオナが俺の盾を覗き込む。
「それ、明日になったら腕が上がらなくなるかも」
「骨は大丈夫そうです」
サラが答えた。
「でも、今日はもう盾を持たせません」
「サラ、依頼中だぞ」
「荷物は右手で持てるでしょう?」
「剣はどうする」
「護衛がいるよ」
反論できない。
リオナが楽しそうに俺たちを見る。
「サラって、しっかりしてるね」
「ルナトが無茶するからです」
「二人は恋人?」
「違います!」
サラがすぐに答えた。
思った以上に強い否定だった。
「そんなに全力で否定しなくてもいいだろ」
「だって、違うから」
「幼なじみ?」
「それも違います。同じ場所で働いていただけです」
鉱山で奴隷だったとは言わなかった。
リオナは少しだけ目を細めたが、追及しなかった。
「ふうん。同じ場所で働いていただけ、ね」
赤褐色の尻尾が、面白そうに左右へ動いている。
「何が言いたい?」
「別に。仲がいいんだなと思っただけ」
リオナが俺の肩を軽く叩いた。
「それより、解体するよ。手伝って」
「俺が?」
「《解体》を持ってないんでしょう? 教えるって言ったじゃない」
◇
倒したフォレストハウンドは五頭。
二頭は森へ逃げた。
護衛にも負傷者は出たが、幸い命を落とした者はいなかった。
俺とサラは、リオナの隣で解体を見学した。
「最初に血を抜く。死体をそのまま放っておくと、肉も毛皮も傷みやすくなるから」
リオナが大型の個体を横向きに寝かせる。
短剣を使い、迷いなく処理していく。
「毛皮を売るなら、腹側から刃を入れる。背中を傷つけると値段が下がるよ」
「どこまで切るんだ?」
「まずはここから、後ろ脚の付け根まで」
俺も、自分が倒した個体を使って挑戦する。
リオナから解体用の短剣を借りた。
刃を入れる場所を教えてもらう。
死体へ刃を当てた瞬間、戦っていたときとは別の抵抗を感じた。
皮は思ったより硬い。
力を入れすぎると、刃が肉まで深く入ってしまう。
「急がなくていい。皮と肉の間を探す感じ」
リオナが俺の後ろへ回り、右手を重ねた。
背中へ、柔らかな身体が触れる。
革鎧越しでも、豊かな胸の感触がわずかに伝わってきた。
「刃を寝かせて。そう、その角度」
「……近くないか?」
「手元を教えるなら、これくらい普通」
耳元で声がする。
獣人だからなのか、森の草木に似た匂いがした。
俺が動きを止めると、リオナが顔を覗き込む。
「どうしたの?」
「なんでもない」
「顔、赤くない?」
「火の近くだからだ」
「まだ火はつけ直してないけど」
リオナが意地悪そうに笑った。
少し離れた場所では、サラが無言でこちらを見ている。
なぜか、視線が痛い。
「もう分かった。一人でできる」
「そう?」
リオナが離れる。
俺は解体へ意識を戻した。
皮を破らないよう、少しずつ短剣を進める。
肉と皮の境目を探し、リオナに教えられた順番で剥がしていく。
時間はかかった。
仕上がりも、リオナのものとは比べられない。
それでも、一枚の毛皮として剥がし終えることができた。
> 《解体を習得しました》
> 《初級スキル図鑑へ登録します》
>
> 登録数:15/90
「習得した」
「《解体》?」
「ああ」
「初めてにしては筋がよかったもんね」
リオナは俺が剥いだ毛皮を確認した。
「穴が二つ。端も少し切れてる。でも、売れないほどじゃないよ」
「次はもっときれいにできる」
「その意気」
リオナが笑う。
俺は、図鑑へ登録された《解体》を確認した。
スキルを得ても、リオナと同じように素早く処理できるわけではない。
何度も経験し、技術を磨かなければならない。
それでも、次に何を直せばよいのかは、先ほどより分かる気がした。
◇
解体を終える頃には、すっかり暗くなっていた。
魔物の肉の一部が、その日の夕食になった。
塩と香草を振り、火で焼く。
フォレストハウンドの肉は少し硬かったが、焼きたては十分に食べられた。
「ルナト、腕を出して」
食後、サラが布と傷薬を持ってきた。
「薬は残りが少ないだろ」
「交易都市までもたせるために、今使うの」
左腕へ薄く薬を塗られ、布を巻かれる。
サラの指先が、俺の肌へ優しく触れる。
「痛い?」
「大丈夫だ」
「またそれ」
「本当に大丈夫だ」
サラは布を結び終えても、すぐには手を離さなかった。
「もう、急に前へ出ないで」
「リオナが襲われてた」
「護衛の人もいたよ」
「間に合わなかったかもしれない」
「それでも……」
サラが顔を伏せる。
「ルナトが倒れたら、私はどうすればいいの?」
その声を聞いて、ようやく気づいた。
サラが怒っているのではない。
怖かったのだ。
「悪かった」
「次からは、私にも言って」
「戦う前にか?」
「一人で勝手に決めないで。私も一緒に考えるから」
「ああ。約束する」
サラがようやく俺の腕から手を離した。
少し離れた場所で、リオナがこちらを見ている。
金色の瞳と目が合うと、にやりと笑われた。
やはり、何か誤解されている気がする。
その夜、俺とサラは小さな天幕へ入った。
二人用とはいっても、荷物を置けば余裕はほとんどない。
隣に横になるサラの体温を、肩越しに感じる。
「狭いね」
「俺が端へ寄る」
「もう端だよ」
「だったら仕方ない」
外套を二人へかける。
サラの栗色の髪から、宿で使った石鹸の香りがまだ少し残っていた。
鉱山の寝床でも近くで眠っていた。
だが、今は二人きりの天幕だ。
それを意識すると、妙に落ち着かない。
「ルナト」
「なんだ?」
「今日は、守ってくれてありがとう」
「俺だけじゃない。リオナの矢がなければ危なかった」
「それでも」
暗闇の中で、サラが俺の服の袖をつかんだ。
「おやすみ」
「ああ。おやすみ」
サラは袖をつかんだまま、目を閉じた。
俺はしばらく眠れなかった。
魔物と戦った興奮が残っているからか。
それとも、すぐ隣にあるサラの温もりを意識しているからか。
自分でも、よく分からなかった。




