第10話 旅の終わりと、新しい仲間
翌朝。
身体の左側に、柔らかな重みを感じて目を覚ました。
まだ外は薄暗い。
天幕の中には、朝の冷たい空気が入り込んでいる。
俺の隣では、サラが眠っていた。
ただ隣にいるだけではない。
寒かったのか、身体を寄せるようにして俺の胸へ頬をつけている。
片手は服の胸元をつかみ、細い脚も俺の脚へ重なっていた。
外套は、ほとんどサラの身体に巻きついている。
「……サラ」
小さく呼ぶ。
返事はない。
規則正しい寝息だけが聞こえる。
昨日、魔物に襲われた恐怖が残っていたのかもしれない。
そう思えば、無理に離すこともできなかった。
それに、嫌ではない。
胸元へ触れるサラの体温は温かく、栗色の髪からは石鹸の香りがした。
鉱山にいた頃も、近くの寝台で眠っていた。
だが、こんなふうに身体を寄せ合ったことはない。
十九歳の女性なのだと意識してしまうと、急に落ち着かなくなった。
「ん……」
サラが小さく声を漏らす。
蜂蜜色の瞳が、ゆっくりと開いた。
最初は、まだ眠そうに俺を見つめていた。
やがて自分の体勢に気づき、目が大きくなる。
「ご、ごめん!」
サラが慌てて離れようとする。
だが、外套が脚へ絡んでいた。
「わっ!」
身体が傾き、今度は俺の上へ倒れ込む。
柔らかな胸が、俺の身体へ押しつけられた。
顔が近い。
互いの息が触れそうな距離だった。
「サラ」
「動かないで」
「俺は動いてない」
「今、外套を外すから」
顔を赤くしたサラが、絡まった外套をほどく。
ようやく離れると、天幕の隅へ座った。
「寒かっただけだから」
「ああ」
「ルナトに抱きつきたかったわけじゃないよ」
「分かってる」
「本当に?」
「だから、分かってる」
答えながら、少しだけ残念に思ったことは黙っておいた。
天幕の外から、笑いをこらえるような声が聞こえた。
「朝から仲いいね」
リオナだ。
「聞いてたのか?」
「獣人は耳がいいから」
「忘れてくれ」
「無理。面白かったもん」
サラがさらに顔を赤くし、両手で覆った。
◇
朝食を終えると、商隊はすぐに出発した。
倒したフォレストハウンドの毛皮や牙も、荷車へ積まれている。
護衛たちが倒した分は、交易都市へ到着してから売却するらしい。
俺が解体した毛皮も、その中に含まれていた。
「売れたら、一部はルナトの取り分になるよ」
商隊の周囲を歩きながら、リオナが言った。
「依頼の報酬とは別に?」
「自分で倒して、自分で解体した魔物だからね。商隊の荷車で運んでもらう分、少し手数料は取られるけど」
「毛皮はいくらくらいになる?」
「状態がよければ数千G。ルナトのは穴があるから、それより安いかな」
「次はきれいに剥ぐ」
「次がある前提なんだ」
「《解体》を覚えたから、使わないともったいない」
「その考え方、嫌いじゃないよ」
リオナの赤褐色の尻尾が、機嫌よさそうに揺れた。
彼女は商隊の前方を調べる役目だ。
ずっと俺たちの近くにいるわけではない。
先へ進んでは戻り、森や街道の様子を護衛へ報告する。
その合間に、俺とサラへ野外での知識を教えてくれた。
「これ、何の跡か分かる?」
リオナが街道脇の地面を指さす。
柔らかい土に、小さなくぼみが残っていた。
「動物の足跡か?」
「それは見れば分かるでしょう。何の動物か聞いてるの」
しゃがみ込み、形を確認する。
二つに割れた蹄の跡。
それほど大きくない。
「鹿?」
「半分正解。普通の鹿じゃなくて、角ウサギ」
「ウサギに見えない足跡だな」
「角ウサギは後ろ脚が大きいから、走るとこういう跡になるの」
リオナが少し離れた場所を示す。
同じ形の足跡が、森へ向かって続いていた。
「足跡だけを見るんじゃない。折れた草や、枝に残った毛も探す」
葉の先に、短い灰色の毛が引っかかっている。
言われなければ気づかなかった。
「新しい跡と古い跡は、どう見分けるんだ?」
「足跡の縁を見る。崩れていなければ新しい。雨が降ったあとなら、土の色も変わるよ」
リオナに教えられながら、足跡をたどる。
角ウサギそのものを探すわけではない。
商隊から離れすぎない範囲で、どちらへ移動したのかを確認した。
何度か繰り返すうちに、地面の小さな変化へ気づけるようになってきた。
> 《追跡を習得しました》
> 《初級スキル図鑑へ登録します》
>
> 登録数:16/90
「《追跡》を覚えた」
俺が言うと、リオナが首を傾げた。
「分かるの?」
「習得したとき、なんとなく」
《スキル図鑑》については、まだ話さない。
水晶の欠片も、見せるつもりはなかった。
リオナは親切にしてくれている。
それでも、知り合って二日目だ。
世界に数個しかない水晶のことを明かすには早すぎる。
「ルナトは、覚えるのが早いね」
「教え方がいいんだろ」
「おっ、分かってるじゃん」
リオナが嬉しそうに笑う。
「それなら、今度は魔物の見分け方も教えてあげる」
「お願いします」
少し後ろを歩いていたサラが、会話へ入ってきた。
「サラも興味ある?」
「斥候なら、魔物の種類を見分けられたほうがいいと思うので」
「そのとおり。危険な魔物を見つけても、何も知らなかったら逃げる方向を間違えるからね」
リオナは、道中で見つけた爪痕や糞、抜け毛を使い、どの魔物が残したものなのか教えてくれた。
フォレストハウンド。
角ウサギ。
森ゴブリン。
牙猪。
同じ森に暮らす魔物でも、縄張りや行動する時間が違うらしい。
俺とサラは、聞いたことを忘れないよう何度も確認した。
◇
三日目の昼。
三台目の荷車から、突然大きな音がした。
車輪が傾き、荷車が止まる。
「全員止まれ!」
商隊全体が停止した。
車輪を支える金具が緩み、軸がずれている。
このまま動かせば、車輪が外れる可能性があった。
「荷物を下ろせ! 重さを減らすんだ!」
俺たち荷運び役は、すぐに木箱や布袋を下ろした。
車輪の修理が始まる。
俺も近くで手伝った。
「そっちを持ち上げろ!」
「はい!」
荷車の端へ肩を入れ、力を込める。
鉱山で培った《腕力強化》が役に立った。
ほかの二人と一緒に荷車を持ち上げ、その間に車輪を外す。
緩んだ金具を締め直し、木製の軸へ油を塗る。
欠けた部分には、薄い木片を差し込んで補強した。
俺は修理を担当する者の手元を見ていた。
どの道具を使うのか。
どこを締めれば、車輪の揺れがなくなるのか。
指示された道具を渡し、補強材を押さえる。
「もう下ろしていいぞ」
ゆっくり荷車を下ろす。
車輪はまっすぐ地面へついた。
少し動かしても、先ほどのような異音はしない。
> 《修理を習得しました》
> 《初級スキル図鑑へ登録します》
>
> 登録数:17/90
また一つ、図鑑が埋まった。
まだ俺一人で荷車を直せるとは思わない。
だが、壊れた場所の見つけ方や、道具の使い方は少し理解できた。
「ルナト、本当に何でも覚えるね」
サラが感心したように言う。
「一度手伝っただけだ」
「それでも《修理》を覚えたんでしょう?」
「ああ」
横で話を聞いていたリオナの獣耳が、こちらへ向いた。
「やっぱり、習得したスキルが分かるんだ」
俺は返事に迷った。
「嫌なら言わなくていいよ」
リオナはそれ以上尋ねず、先頭へ戻っていった。
明るく距離が近いが、相手が隠したがっていることへ無理に踏み込まない。
その気遣いが、ありがたかった。
◇
旅の残り二日間は、大きな問題もなく進んだ。
夜は野営。
朝になれば天幕を畳み、荷車へ積む。
昼は街道を歩き、必要に応じて荷車を押す。
サラは毎日、短剣の練習を続けた。
リオナからも、斥候が短剣を使う際の構え方を教わっている。
俺も剣と盾の動きを確認した。
左腕の痛みが引くまでは、盾で強い攻撃を受ける練習はしなかった。
焦らなくていい。
これから先も、剣を振る時間はいくらでもある。
五日目の午後。
街道の先に、大きな外壁が見えた。
最初に滞在した町とは比べものにならない。
壁は高く、端が見えないほど左右へ続いている。
門の前には、いくつもの商隊や旅人が列を作っていた。
「あれが交易都市?」
サラが目を輝かせる。
「ああ。たぶん」
「大きい……」
俺も同じ感想だった。
これほど多くの人が暮らす場所を見たことがない。
門を通る荷車。
出入りする冒険者。
人間だけでなく、獣人やエルフらしい姿も見える。
ここなら、仕事も多い。
まだ知らないスキルを持つ者もいるはずだ。
商隊は門で入町手続きを済ませ、そのまま都市の商業区へ入った。
俺たちは倉庫まで荷車についていき、積み荷を下ろす。
最後の木箱を運び終えると、商隊の責任者から報酬を渡された。
「一人一万G。二人とも、よく働いてくれた」
「ありがとうございます」
俺とサラは、それぞれ報酬を受け取った。
さらに、フォレストハウンドの素材代として二千四百Gが追加された。
傷のある毛皮だったため高くはないが、初めて魔物を倒して得た金だ。
「依頼完了の証明書だ。ギルドへ提出すれば、実績として記録される」
商隊の仕事は、これで終わり。
俺たちは自由になった。
だが、交易都市のどこに宿があるのかも知らない。
「まずは冒険者ギルドを探そう」
俺が言うと、背後から尻尾で軽く背中を叩かれた。
「安い宿なら知ってるよ」
振り返ると、リオナが立っている。
商隊の仕事を終え、弓を背負い直していた。
「リオナも、この町に住んでいるのか?」
「住んでるというか、仕事があるときに戻ってくる感じ。決まった家はないよ」
「一人で活動しているんですか?」
サラが尋ねる。
「基本はね。狩りなら一人のほうが気楽だから」
リオナはそう答えたあと、俺とサラを見比べた。
「でも、今回の旅は思ったより楽しかった」
赤褐色の尻尾が、ゆっくり左右へ揺れる。
「二人は、これからどうするの?」
「この町で仕事を探す。できれば、しばらく滞在したい」
「パーティーは?」
「まだ二人だけだ」
「見習い剣士と斥候だけか。魔物を狩るには、少し不安だね」
「分かってる」
「それならさ」
リオナが一歩、俺たちへ近づいた。
「しばらく一緒に仕事してみない?」
「俺たちと?」
「うん。ルナトは前で剣と盾を使える。サラは気配を探れる。私が弓と狩りを担当すれば、悪くない組み合わせでしょ?」
願ってもない提案だ。
リオナは俺たちより、冒険者としての経験がある。
魔物や森の知識も豊富だ。
だが、俺たちは水晶の欠片という秘密を抱えている。
すぐにすべてを明かす必要はないとしても、長く行動すれば隠し続けるのは難しくなる。
「今すぐ正式なパーティーを組まなくてもいいよ」
迷っている俺に、リオナが続ける。
「まずは一回、一緒に依頼を受けてみよう。それで合わなかったら、そこで終わり」
「サラはどう思う?」
俺は一人で決めず、サラへ尋ねた。
「私は賛成」
サラが答える。
「リオナさんが一緒なら、私も斥候のことをもっと教えてもらえるから」
「さんはいらないよ。リオナでいい」
「それなら……リオナ」
「うん」
リオナが嬉しそうに笑った。
「ルナトは?」
「俺も賛成だ。ただし、最初は一回だけだ」
「決まり」
リオナが右手を差し出す。
俺がその手を握ると、力強く握り返された。
サラも、二人の手へ自分の手を重ねる。
鉱山を出たときは、俺とサラの二人だけだった。
交易都市へたどり着き、初めて一緒に仕事をする仲間ができた。
まだ家族ではない。
お互いに知らないことも多い。
それでも、ここから始めればいい。
「じゃあ、まず宿へ行こう」
リオナが俺の手を離し、先頭を歩き始めた。
「三人で同じ部屋にする?」
「別だ」
「即答?」
「当たり前だろ」
「私は気にしないけど」
リオナが振り返り、楽しそうに笑う。
その隣で、サラがなぜか俺の袖をつかんだ。
「同じ部屋にはしないからね」
「分かってる」
「本当に?」
「どうして俺が疑われるんだ」
二人の女性に挟まれながら、交易都市の通りを歩く。
これからどんな生活が始まるのか、まだ分からない。
ただ、一人では埋められない図鑑の空白が、少しずつ新しい出会いへつながり始めていた。
【あとがき】
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