第54話 二人目の花嫁
リオナとの結婚が決まった翌日。
俺たちは朝から、冒険者ギルドへ向かった。
結婚の手続きを確認するためだ。
「緊張してきた」
リオナが俺の左腕へしがみつく。
「昨日、結婚するって決めたばかりだろ」
「決めるのと、手続きするのは違う」
「逃げるなら今ですよ」
隣を歩くサラが言った。
「逃げない」
リオナは俺の腕をさらに強く抱いた。
「絶対に結婚する」
「それなら大丈夫です」
「サラは緊張しなかった?」
「しました。手が震えて、名前を二度も書き間違えました」
「そうだったのか?」
「ルナトは隣にいたのに、気づかなかったのですか?」
「俺も緊張してたからな」
「ルナトも?」
「ああ」
サラと結婚したときも、俺は平静を装っていただけだ。
結婚の誓約書へ名前を書く手は、わずかに震えていた。
「なら、今日も震える?」
「たぶん」
「一緒だね」
リオナの尻尾が、嬉しそうに揺れる。
「手続きだけなら、今日中に終わるっピ!」
シロちゃんはサラの肩に座っていた。
頭には、以前作ってもらった水色のリボンをつけている。
「でも、結婚式はどうするっピ?」
「大きな式はしない」
リオナが答える。
「親しい人たちと、ご飯を食べられればいい」
「衣装はどうしますか?」
「今の服じゃ駄目?」
「駄目ではありませんが、一度しかない日ですから」
「結婚は一度じゃないかもしれないっピ」
「シロちゃん」
サラの声が低くなる。
「一般的な話だっピ!」
「いま言うことではありません」
「分かったっピ……」
シロちゃんが耳を伏せる。
「服なら、カレンに相談してみる?」
リオナが言った。
「鍛冶屋ですよ?」
「カレンは町の店に詳しい。私より知ってると思う」
「それはいいかもしれません」
「結婚の手続きを済ませたら行ってみよう」
冒険者ギルドへ入る。
朝の依頼を探す冒険者たちで、掲示板の前は混雑していた。
俺たちは受付へ向かい、結婚について尋ねた。
「複数婚の手続きですね」
職員は慣れた様子で書類を取り出した。
この国では、複数の相手との婚姻が認められている。
冒険者は魔物との戦いで命を落とす者も多い。
種族によって男女の数や寿命も違う。
そのため、家族の形を一つに定める法律にはなっていないらしい。
ただし、すでに配偶者がいる場合は、その配偶者全員の同意が必要になる。
「夫になる方はルナトさん。現在の妻がサラさん。そして新しく妻となる方がリオナさんですね」
「はい」
「うん」
「間違いありません」
職員が俺たちの冒険者カードを確認する。
「三名とも成人で、本人の意思による婚姻ですね?」
「はい」
「報酬、借金、職業上の契約などを条件にした婚姻ではありませんか?」
「違います」
「リオナさん。脅迫や命令を受けていませんか?」
「受けてない」
「サラさん。新しい婚姻へ同意しますか?」
サラがリオナを見た。
リオナの尻尾が緊張で固まっている。
「同意します」
サラは、はっきりと答えた。
「リオナは、私にとっても大切な家族です」
「サラ……」
「ありがとうございます。それでは、こちらへ署名をお願いします」
三枚の書類が並べられた。
俺が最初に名前を書く。
やはり手が少し震えた。
「本当に震えてる」
「見なくていい」
「見る。嬉しいから」
リオナが俺の横から書類を覗き込む。
俺の腕に、柔らかな胸が押しつけられた。
「近い」
「名前を見てるだけ」
「胸が当たってる」
「昨日は裸で当たったんだから、今日は服を着てるだけいいでしょ」
「そういう問題か?」
「受付で何を話しているんですか」
サラが呆れた顔をする。
俺が署名を終えると、次はサラだ。
サラは迷わず名前を書いた。
最後にリオナが筆を握る。
「……手が震える」
「急がなくていいですよ」
サラが、リオナの背中へ手を添える。
「ゆっくり書けば大丈夫です」
「うん」
リオナは何度も息を整え、自分の名前を書いた。
文字は少し曲がっていた。
それでも、最後まで書ききる。
「できた」
職員が三枚の書類を確認し、婚姻証明の印を押した。
「手続きは以上です。婚姻が成立しました」
その言葉と同時に、俺たちの前へ《初級スキル図鑑》が現れた。
頁が風もないのにめくれていく。
《ルナト、サラ、リオナの婚姻を確認しました》
《家族共鳴が強化されます》
《家族の羅針盤の精度が上昇しました》
《家族の食卓の効果範囲が安定しました》
《家族間の魔力共鳴が始まりました》
最後の一行だけ、すぐには理解できなかった。
「魔力共鳴?」
「婚姻した三人の魔力が、少しだけ互いを感じやすくなったっピ」
シロちゃんが説明する。
「サラとルナトは、すでに魔力循環で何度も共鳴しているっピ。そこへリオナも加わりやすくなったっピ」
「私、魔法は使えないよ」
「魔力を持っていないわけではないっピ」
「練習すれば、二人と一緒にできる?」
「すぐには無理だっピ。でも、可能性はあるっピ」
リオナの金色の瞳が輝く。
「やってみたい」
「まずは魔力を感じるところからだな」
「ルナトが教えて」
「ミネルにも頼んだ方がいい」
「ルナトにも教えてほしい」
「分かった」
「夫婦の共同作業だっピ!」
職員が首を傾げている。
「その白い子は、ずいぶんよく話しますね」
「珍しい従魔なんです」
サラが笑顔で答えた。
「家族の秘密に詳しい従魔だっピ!」
「シロちゃん」
「何も言ってないっピ!」
俺たちは婚姻証明書を受け取り、ギルドを出た。
外へ出た瞬間、リオナが立ち止まる。
「終わったんだ」
「ああ」
「私、本当にルナトのお嫁さん?」
「書類の上ではな」
「書類だけ?」
「気持ちもだ」
「なら、呼んで」
「何を?」
「妻って」
リオナは期待するように俺を見る。
「俺の妻になってくれて、ありがとう」
リオナの頬が一気に赤くなった。
「やっぱり恥ずかしい」
「リオナが言わせたんだろ」
「聞きたかった。でも、恥ずかしかった」
「面倒だな」
「面倒な妻です」
そう言って、俺の腕に抱きつく。
「これからよろしく、旦那様」
「その呼び方はやめてくれ」
「どうして?」
「落ち着かない」
「私は気に入った」
「サラは、いつもどおりルナトと呼びます」
「じゃあ、私だけ旦那様」
「やめてくれ」
「旦那様」
「リオナ」
「顔が赤いよ、旦那様」
楽しそうだから、しばらく止めないだろう。
◇
俺たちは、そのままカレンの鍛冶場へ向かった。
中から、金槌の音が聞こえる。
扉を開けると、白いタンクトップ姿のカレンが鉄を打っていた。
金槌を振り下ろすたび、汗ばんだ布に包まれた巨大な胸が上下へ揺れる。
「カレン」
リオナが呼ぶ。
「おう。今日は仕事か?」
「結婚した」
金槌が止まった。
カレンが俺、サラ、リオナを順番に見る。
「誰と誰が?」
「私とルナト」
「サラは?」
「同意しました」
サラが答える。
「そうか」
カレンは金槌を置き、口元を緩めた。
「おめでとう」
「ありがとう」
「ずいぶん急だったな」
「昨日、頼まれた」
「昨日頼まれて、今日結婚したのか?」
「待つ理由がなかったから」
「冒険者らしいと言えば、らしいな」
カレンは水を飲み、首へかけていた布で汗を拭いた。
白いタンクトップの胸元が引っ張られ、深い谷間が露わになる。
俺の視線に気づいたサラが、脇腹を軽くつねった。
「痛い」
「カレンの顔を見て話してください」
「見ていた」
「嘘です」
カレンが豪快に笑う。
「新婚早々、喧嘩するなよ。それで、わざわざ報告に来ただけじゃないんだろ?」
「小さな結婚の食事会をしたい」
リオナが答える。
「カレンにも来てほしい」
「それは構わない」
「あと、衣装を売っている店を知らない?」
「花嫁衣装か。知り合いの店がある」
「高い?」
「豪華なものは高い。ただ、一日だけ借りるなら、それほどでもない」
「借りられるの?」
「ああ。冒険者は荷物を増やしたくないから、式だけ借りる者が多い」
カレンは少し考え、作業台の引き出しを開けた。
中から銀色の細い棒を取り出す。
「指輪は用意したのか?」
「まだです」
「なら、俺が作ってやる」
「いいの?」
「結婚祝いだ。高価な宝石はつけられないが、銀の指輪なら三人分作れる」
「三人分?」
「二人だけでつけたら、サラが仲間外れになるだろ」
リオナがサラを見る。
「三人で同じ指輪にしたい」
「私もです」
「ルナトは?」
「もちろん」
「決まりだな」
カレンが俺たちの指の太さを測る。
「夕方までには作っておく。衣装を見ている間に終わるだろう」
「早いな」
「誰に言ってる」
カレンが再び金槌を握る。
「この町で一番きれいな指輪にしてやるよ」
◇
カレンに教えられた衣装店には、何着もの花嫁衣装が並んでいた。
サラとリオナは、店の奥で着替えている。
俺は入口近くの椅子で待たされた。
「女の着替えは長いっピ」
シロちゃんが俺の膝の上で丸くなる。
「選ぶものが多いんだろ」
「ルナトも着替えるっピ」
「俺はこの服でいい」
「花婿だけ普段着は駄目だっピ」
「もう手続きは終わった」
「食事会が式の代わりだっピ。きちんとするっピ」
俺が言い返そうとしたとき、店の奥から声がした。
「ルナト。こちらへ来てください」
「入っていいのか?」
「はい」
仕切りの向こうへ入る。
サラは淡い水色のドレスを着ていた。
以前の結婚では、きちんとした衣装を用意できなかった。
今回はリオナだけではなく、サラも花嫁として着ることにしたらしい。
胸元は白い布で飾られ、豊かな膨らみを上品に包んでいる。
「どうですか?」
「きれいだ」
「今回は、すぐに言えましたね」
「練習したからな」
「誰で練習したのですか?」
「サラだよ」
「それなら許します」
「リオナは?」
「まだ着替えています」
そのとき、仕切りの向こうから悲鳴が聞こえた。
「きゃっ!」
布が大きく揺れる。
「リオナ?」
「待って! 入らないで!」
何かが床へ落ちた。
仕切りの下から、白い布が滑ってくる。
どうやら衣装の一部らしい。
「サラ、助けて」
「どうしました?」
「尻尾が引っかかった」
「いま行きます」
サラが仕切りを開ける。
その瞬間、内部が俺からも見えた。
リオナは上半身に白い衣装を着ていた。
しかし腰から下は、白い下着だけだった。
丸い尻の上で、尻尾が衣装の紐に絡まっている。
「ルナト!」
「すまない」
俺はすぐに背を向けた。
「見た?」
「少しだけ」
「昨日は裸を見たくせに」
「だから見てもいいとはならないだろ」
「下着は白でしたね」
サラが冷静に言う。
「サラまで見ないで!」
「尻尾を外すには見なければなりません」
背後で二人が衣装と格闘している。
「尻尾用の穴が小さいですね」
「入らない?」
「少し広げてもらいましょう」
「破れない?」
「店の方へ頼みます」
しばらくして、ようやく着替えが終わった。
「もう振り返っていいよ」
俺が振り返る。
リオナは白い花嫁衣装を身につけていた。
肩と腕が露出し、胸元には細かな刺繍が施されている。
腰から下はふわりと広がり、後ろには尻尾を出すための穴が作られていた。
短い赤褐色の髪には、白い花飾り。
金色の瞳が、不安そうに俺を見ている。
「変じゃない?」
「似合ってる」
「本当に?」
「きれいだ」
リオナの耳が赤くなる。
「サラと、どっちが?」
「比べない」
「また逃げた」
「二人ともきれいだ」
俺はサラとリオナを交互に見る。
「二人が俺の妻だなんて、まだ信じられない」
「後悔していますか?」
サラが尋ねる。
「逆だ。俺にはもったいないと思ってる」
「なら、大切にしてください」
「ああ」
「私も」
リオナが俺の右腕を取る。
「二人とも大切にする」
その日の夕方。
俺たちは家の庭で、小さな食事会を開いた。
招いたのは、ミネル、カレン、そして隣家のマーナだけだ。
食卓にはサラが用意した料理が並び、カレンが酒を持ってきてくれた。
ミネルは祝いの品として、魔法について書かれた古い入門書を持ってきた。
マーナからは、庭で育てた花を束ねた飾りをもらう。
カレンが作った三つの銀の指輪は、同じ形だった。
細い輪の表面に、三本の線が寄り添うように彫られている。
「三人が同じ道を歩くという意味だ」
カレンが説明した。
俺は最初に、サラの指へ新しい指輪をはめる。
「これからもよろしく」
「はい。ずっと一緒です」
次に、リオナの前へ立った。
「リオナ」
「うん」
「危険な仕事も多い。辛いこともあると思う」
「分かってる」
「それでも、俺たちと一緒に歩いてほしい」
「ずっと一緒にいる」
リオナの左手を取り、指輪をはめる。
「リオナ。俺の妻になってくれて、ありがとう」
「ルナト。私を家族にしてくれて、ありがとう」
リオナが背伸びをする。
俺たちは親しい家族の前で、初めて夫婦として口づけた。
周囲から拍手が起きる。
「長いっピ!」
シロちゃんの声に、リオナが慌てて離れた。
「そんなに長くない!」
「シロちゃんが三回羽ばたく時間だったっピ!」
「それが長いのか分からない」
「幸せならいいじゃない」
ミネルが杯を掲げる。
「今夜は飲みましょう」
「ミネルは食べたいだけだろ」
「それもある」
カレンが笑い、マーナもリオナへ花飾りを渡した。
料理を食べ始めると、《家族の食卓》の温かな力が広がっていく。
家族登録されていない者の疲れまで回復させることはできない。
それでも同じ食卓を囲む笑顔は、スキルとは関係なく皆を穏やかにした。
◇
食事会が終わり、客たちが帰ったあと。
俺たちは三人で居間に残った。
リオナは花嫁衣装から普段着へ戻っている。
それでも左手には、銀の指輪が輝いていた。
「魔力共鳴、試してみる?」
リオナが尋ねる。
「今日は疲れていませんか?」
「少しだけなら」
「無理に循環させるのは危険だ」
「感じるだけでいい」
俺たちは床へ座った。
俺とサラが向かい合い、両手で見えない球を掴むように構える。
リオナは、その横から手を添えた。
「目を閉じて」
俺が言う。
「身体の中にある温かいものを探すんだ」
「分からない」
「急がなくていい」
俺とサラが魔力循環を始める。
右手から魔力を送り、左手で受ける。
一つの輪となった魔力が、二人の間を巡る。
蛍のような光が現れた。
「来たっピ!」
シロちゃんが少し離れた場所から見守る。
小さな光は、俺とサラの間で一度揺れた。
それから、ゆっくりとリオナへ近づいていく。
「光が……」
「動かないでください」
サラが囁く。
光はリオナの指先へ触れた。
その瞬間、リオナの身体から、ごく細い魔力が流れ出す。
「温かい」
「それがリオナの魔力だ」
「これが?」
「ああ」
細い魔力は、まだ循環には加わらない。
すぐに途切れ、身体へ戻っていった。
それでもリオナは、確かに自分の魔力を感じた。
「できた」
「最初の一歩です」
「私も、二人と一緒にできるようになる?」
「練習すれば」
「頑張る」
蛍のような光が、もう一度リオナの指先へ触れる。
祝福するように二度瞬き、俺たち三人の中央へ戻った。
「この光も、リオナを家族として迎えたみたいだっピ」
「そうなのかな?」
「きっとそうです」
サラが微笑む。
リオナはサラの手と、俺の手を握った。
「今日から、本当に三人だね」
「ああ」
「よろしくお願いします、リオナ」
「こちらこそ、サラ」
三人の左手には、同じ銀の指輪がある。
初級スキル図鑑の登録数は増えていない。
けれど、俺たちの家族は確かに一人増えた。
「それで、今夜はどうするっピ?」
シロちゃんの一言で、穏やかな空気が止まった。
「どうするって?」
「寝室だっピ」
リオナの耳が真っ赤になる。
「け、結婚したからって、すぐに何かするとは限らない」
「昨夜、サラとはしていたっピ」
「シロちゃん!」
サラまで赤くなる。
「事実確認だっピ」
「壁が薄かっただけです!」
「新しい寝台はまだないっピ」
「今日は私の部屋で寝る」
リオナが早口で答えた。
「一人で?」
「……ルナトと」
小さな声だった。
俺を見る金色の瞳には、期待と不安が混じっている。
「リオナ」
「結婚したから、じゃないよ」
リオナは俺の手を握った。
「私がルナトに、そばにいてほしいから」
俺はサラを見る。
「行ってあげてください」
「本当にいいのか?」
「はい」
サラは少し寂しそうに、それでも優しく微笑んだ。
「ただし、今夜はリオナを大切にしてください」
「ああ」
「それから明日の夜は、私です」
「分かった」
「交代制に決まったっピ!」
「まだ決まっていません!」
サラの声が家中に響く。
リオナが笑い、俺もつられて笑った。
花嫁となったリオナと過ごす、初めての夜。
その時間は、すぐそこまで近づいていた。




