第53話 二人目の妻になってほしい
翌朝。
目を覚ますと、サラは俺の腕を枕にして眠っていた。
白い肩が掛け布から覗き、その下には何も身につけていない。
昨夜のことを思い出す。
俺たちは何度も互いを求め、眠りについたのは夜がかなり深くなってからだった。
「ん……ルナト」
サラが目を開ける。
「おはよう」
「おはようございます」
身体を起こしたことで、掛け布が胸元まで滑り落ちた。
豊かな胸と淡い桃色が、朝の光に晒される。
サラは俺の視線に気づき、慌てて掛け布を引き上げた。
「昨夜、たくさん見たではありませんか」
「見たから、今朝は見なくていいということにはならないだろ」
「朝から、すけべです」
「サラが隠さなかったんだ」
「ルナトが起きるのが早いんです」
サラは頬を赤くし、掛け布の中で寝間着を探し始める。
途中で、小さく顔をしかめた。
「身体が痛いのか?」
「少しだけです」
「悪かった」
「謝らないでください。嫌だったわけではありませんから」
寝間着を見つけたサラは、布の中でもぞもぞと袖を通した。
「むしろ……嬉しかったです」
「なら、よかった」
「でも次は、もう少し優しくしてください」
「次もあるのか?」
「ないと思っているのですか?」
サラが掛け布から顔を出す。
蜂蜜色の瞳で、少し拗ねたように俺を見ていた。
「次はもっと優しくする」
「約束ですよ」
「ああ」
俺も寝間着を着て、寝台から降りた。
扉を開けようとしたところで、サラが俺の手を握る。
「ルナト」
「どうした?」
「今日、リオナと話してください」
「昨夜のことを?」
「違います」
サラが俺の指を握り直す。
「リオナを、これからどうしたいのかです」
俺はすぐに答えられなかった。
「昨日も言いましたが、ずっと曖昧なままにしておく方が傷つけます」
「分かってる」
「リオナのことは好きですか?」
「ああ」
「家族としてではなく、女性として」
「好きだ」
口に出すと、不思議なくらい素直に認められた。
リオナが笑うと嬉しい。
傷つけば心配になる。
ほかの男と楽しそうに話していれば、胸の奥が落ち着かない。
家族として大切なだけではない。
一人の女性として、俺はリオナに惹かれている。
「なら、逃げないでください」
「でも、サラは本当にそれでいいのか?」
「少し嫉妬はします」
「やっぱり嫌なんじゃないか?」
「嫉妬することと、嫌うことは違います」
サラは俺の胸へ額を預けた。
「リオナは、私にとっても大切な家族です。それに、ルナトを独り占めしたい気持ちだけで、リオナを泣かせたくありません」
「無理をしてないか?」
「しています」
サラは正直に答えた。
「好きな人をもう一人の女性と分け合うのです。まったく無理をしないなんて、嘘です」
「だったら――」
「ですが、ルナトも無理をしながら、私たちを守ってくれました」
サラが顔を上げる。
「家族になるために、誰か一人だけが我慢するのは嫌です。だから三人で話しましょう。嬉しいことも、嫌なことも」
「サラは強いな」
「強くありません。ルナトがリオナばかり構ったら、すぐに怒ります」
「気をつける」
「私との時間も作ってください」
「約束する」
「それなら大丈夫です」
サラは俺の頬へ口づけた。
「リオナを幸せにしてあげてください」
「サラもだ」
「はい。二人とも幸せにしてください」
「責任が重いな」
「夫ですから」
俺たちは着替えを済ませ、居間へ向かった。
◇
「おはよう」
食卓では、リオナが一人でパンを食べていた。
いつもなら朝から元気よく尻尾を振っている。
しかし今日は、耳も尻尾も下がっていた。
「おはようございます」
「おはよう」
俺たちが席につく。
リオナは俺の顔を見ようとしない。
「シロちゃんは?」
「庭。朝から虫を追いかけてる」
「何をしているんだ」
「運動だって」
会話が続かない。
サラは俺を見て、わずかに頷いた。
「リオナ」
「なに?」
「今日、二人で出かけないか?」
リオナの手が止まる。
「依頼?」
「違う。話がしたい」
「昨日のこと?」
「それも含めて」
「怒ってる?」
「怒ってない」
「裸で抱きついたから、サラに怒られた?」
「怒っていませんよ」
サラが答えた。
「事故だったのでしょう?」
「うん」
「なら、リオナは何も悪くありません」
「でも……」
「ルナトと、きちんと話してきてください」
リオナは俺とサラを交互に見る。
「分かった」
◇
朝食を終えた俺とリオナは、町の外へ出た。
向かったのは、以前二人で訪れた草原だ。
遠くには森が見え、近くを小さな川が流れている。
今日は弓も剣も持ってきている。
町の外を丸腰で歩くほど、俺たちは油断していない。
それでも依頼ではないため、足取りはゆっくりだった。
「サラは来ないの?」
「二人で話してこいと言われた」
「何を話すの?」
「それを考えてる」
「考えてなかったの?」
「言いたいことは決まってる。でも、どう言えばいいのか分からない」
リオナは小さく笑った。
「ルナト、こういう話は苦手だもんね」
「リオナは得意なのか?」
「苦手」
「同じじゃないか」
「だから困ってる」
川辺へ着く。
俺たちは並んで草の上へ座った。
水の流れる音だけが、しばらく続いた。
「昨日のこと」
リオナが先に口を開く。
「ごめんね」
「謝る必要はない。滑っただけだろ」
「それだけじゃない」
「何が?」
「すぐに離れられたのに、離れなかった」
リオナは膝を抱える。
赤褐色の尻尾が、自分の足へ巻きついていた。
「ルナトに抱かれているのが嬉しかった」
「俺も嫌じゃなかった」
「私、裸だったよ」
「知ってる」
「サラより細かった?」
「またそれを聞くのか?」
「気になる」
「二人を比べたくない」
「胸はサラの方が大きいよね」
「答えない」
「お尻は?」
「リオナ」
「私の方が大きい?」
リオナが少しだけ腰を浮かせ、自分の尻を確認しようとする。
短い革のズボンに、丸い形が浮かんでいた。
「そういう話をするために来たんじゃない」
「ルナトが難しい顔をしてるから」
「俺をからかっていたのか?」
「少しだけ」
リオナは笑った。
それでも尻尾は足へ巻きついたままだ。
「本当は怖い」
「何が?」
「ルナトが、私のことを家族としてしか見ていなかったらどうしようって」
「昨日、女として見てると答えただろ」
「裸だったから、そう答えただけかもしれない」
「違う」
「なら、どういう意味?」
金色の瞳が俺を見る。
もう逃げるわけにはいかない。
「リオナが好きだ」
はっきりと伝えた。
リオナの耳が立つ。
「家族として?」
「女としてだ」
「サラがいるのに?」
「サラにも話した」
「怒らなかった?」
「嫉妬はするって言われた」
「やっぱり」
「でも、三人で話せばいいとも言ってくれた」
リオナは顔を伏せる。
「サラは優しすぎる」
「無理もしてると思う」
「だったら私は――」
「だからといって、リオナだけが諦めるのも違う」
俺はリオナの手を握った。
「俺もサラも、何も我慢しないわけじゃない。リオナも我慢することはあると思う」
「うん」
「それでも、一緒に暮らしたい」
「今も一緒に暮らしてる」
「そういう意味じゃない」
ここまで言ったのに、最後の言葉が喉につかえた。
「ルナト?」
「少し待ってくれ」
「どうして?」
「緊張してる」
「魔物と戦うときより?」
「比べものにならない」
「変なの」
「大事なことだからだ」
一度、深く息を吸う。
俺はリオナの前へ膝をついた。
「リオナ」
「うん」
「俺と結婚してほしい」
リオナが動かなくなる。
耳も、尻尾も止まった。
「二人目の妻として、俺とサラと一緒に暮らしてほしい」
「本当に?」
「ああ」
「図鑑のためじゃない?」
「違う」
家族共鳴は、すでにリオナにも起きている。
結婚しなくても、図鑑を見られる。
スキルも共有できる。
「リオナと結婚しても、図鑑の登録数は増えない。それでも結婚したい」
「私が弓を使えるから?」
「それも違う」
「強い冒険者だから?」
「違う」
「獣人が珍しいから?」
「違う」
「お尻が大きいから?」
「それは……魅力の一つではある」
「やっぱり見てた」
「リオナが聞いたんだろ」
リオナが笑う。
しかし、金色の瞳から涙がこぼれた。
「どうした?」
「嬉しい」
リオナが俺の胸へ飛び込んでくる。
今度は服を着ている。
それでも勢いが強く、俺は草の上へ倒された。
「返事を聞いてない」
「する」
「何を?」
「結婚」
リオナは俺の胸へ顔を埋める。
「ルナトのお嫁さんになる」
「本当にいいのか?」
「私から好きになったのに、断るわけない」
「二番目でも?」
「二番目は嫌」
リオナが顔を上げる。
「サラと同じがいい」
「分かった」
「サラが一番で、私は二番じゃない」
「二人とも大切にする」
「でも、サラと私が喧嘩したら?」
「話を聞く」
「私が悪くても?」
「悪いなら、悪いと言う」
「サラが悪かったら?」
「サラにも言う」
「二人とも悪かったら?」
「二人とも叱る」
リオナが満足そうに頷く。
「それならいい」
「ただ、結婚する前にサラと三人で話そう」
「うん」
「町の手続きも調べないとな」
「この国では、何人かと結婚している冒険者もいるよ」
「知ってる。ただし全員の同意が必要だ」
「サラは同意してくれるかな?」
「俺だけで決めることじゃない。きちんと聞こう」
「もし駄目って言われたら?」
「どうすれば三人が納得できるか考える」
「結婚をやめるとは言わないんだ」
「リオナを待たせたくない」
リオナの尻尾が勢いよく動く。
その先が俺の脚へ何度も当たった。
「ルナト」
「うん?」
「目を閉じて」
「どうして?」
「いいから」
言われたとおりに目を閉じる。
柔らかなものが、唇へ触れた。
短い口づけ。
目を開けると、リオナが俺の上で顔を赤くしていた。
「いまのは?」
「婚約したから」
「まだサラの同意をもらってないぞ」
「じゃあ、予約」
「口づけに予約なんてあるのか?」
「私が作った」
リオナがもう一度、顔を近づけてくる。
今度は俺から唇を重ねた。
最初より少し長く。
それでも、昨夜サラと交わした口づけよりは、ずっと初々しいものだった。
「心臓、速い」
「昨日も言われた」
「私も速いよ」
リオナが俺の手を取り、自分の胸元へ当てる。
革の上着越しにも、鼓動が伝わった。
その上には、別の柔らかな感触もある。
「リオナ」
「鼓動を確認してもらっただけ」
「分かってやってるだろ」
「少しだけ」
悪戯っぽく笑い、リオナが立ち上がる。
「帰ろう」
「もういいのか?」
「早くサラに話したい」
「怒られないといいな」
「ルナトが守って」
「三人で話すと言っただろ」
「なら、三人で怒られよう」
「誰にだ?」
「シロちゃん」
あり得そうだった。
◇
家へ帰ると、サラは庭で洗濯物を干していた。
白い布が風に揺れている。
俺たちを見ると、サラは手を止めた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
「サラ」
リオナが駆け寄る。
その勢いのままサラの両手を握った。
「私、ルナトに結婚してほしいって言われた」
「ルナトから言ったんですか?」
「うん」
サラが俺を見る。
「よく逃げませんでしたね」
「俺を何だと思ってるんだ」
「こういう話からは逃げそうでした」
「否定できない」
リオナがサラの手を握ったまま、耳を伏せる。
「サラ」
「はい」
「私がルナトと結婚するの、嫌?」
サラはすぐには答えなかった。
リオナの手を握り返す。
「不安はあります」
「うん」
「嫉妬もすると思います」
「うん」
「ルナトを独り占めしたいと思う日もあるかもしれません」
「私も、あると思う」
「それでも、一緒に家族でいたいですか?」
「いたい」
リオナは迷わなかった。
「サラとも一緒にいたい。ルナトだけじゃなくて、サラも私の家族だから」
「私もです」
サラの目に、うっすら涙が浮かぶ。
「これからは、我慢せずに話しましょう。寂しいときも、嫌なときも」
「分かった」
「ルナトが片方だけを贔屓したら、一緒に怒りましょう」
「うん」
「俺の立場が弱くなってないか?」
「二人と結婚するのですから、当然です」
「私たち二人を幸せにしないと駄目」
「責任が重いな」
「嫌ですか?」
サラとリオナが、同時に俺を見る。
「嫌じゃない。二人とも幸せにする」
サラが微笑む。
「それなら、私は賛成します」
「本当?」
「はい。リオナ、これからもよろしくお願いします」
「サラ!」
リオナがサラへ抱きつく。
「苦しいです」
「ごめん。でも嬉しい」
「私も嬉しいです」
サラの豊かな胸と、リオナの胸が押し合い、柔らかく形を変えている。
俺が目を奪われていると、二人が同時にこちらを見た。
「ルナト」
「見てた?」
「見てない」
「嘘ですね」
「目が胸に向いてた」
「二人が抱き合ったから、見えただけだ」
「言い訳です」
「ルナトはすけべ」
責められているはずなのに、二人とも笑っていた。
「話はまとまったっピ?」
家の屋根から、シロちゃんが降りてくる。
「シロちゃん、どこにいたの?」
「全部見える場所にいたっピ」
「盗み聞きしていたのか?」
「家族の大事な話を見守っていたっピ」
シロちゃんは俺たちの間を飛び回る。
「リオナも結婚するのかっピ?」
「うん」
「おめでとうだっピ!」
「ありがとう」
「結婚したら、新しい寝台が必要だっピ」
リオナの耳が赤くなる。
「どうして?」
「今の寝台に三人は狭いっピ」
「シロちゃん!」
「重要な問題だっピ」
「まだ一緒に寝るとは決まっていません!」
サラまで顔を赤くする。
「なら、交代制かっピ?」
「その話はあとです!」
「夫婦の予定を曖昧にすると、喧嘩の原因になるっピ」
「妙なところだけ詳しいな」
「シロちゃんは家族を導く存在だっピ!」
そのとき、俺たちの前に《初級スキル図鑑》が現れた。
頁が勝手に開く。
俺たちは身構えた。
だが新しいスキルは登録されていない。
代わりに、家族登録の欄に淡い光が灯っていた。
《家族リオナとの結びつきが深まりました》
《婚姻の意思を確認しました》
《婚姻成立後、家族共鳴が強化されます》
「登録数は増えないっピ」
シロちゃんが説明する。
「でも、家族としての結びつきは強くなるっピ。家族の羅針盤や家族の食卓にも、少しだけ影響があるっピ」
「結婚すると報酬があるから、という話ではないんだな?」
「当然だっピ。婚姻は報酬を得るための仕組みではないっピ」
俺はサラとリオナを見る。
二人も頷いた。
図鑑のためではない。
スキルのためでもない。
リオナと家族になりたいから、結婚する。
「結婚式はどうしますか?」
サラが尋ねる。
「大勢を呼ぶのは苦手」
リオナが答えた。
「家族と、親しい人だけがいい」
「ミネルとカレンには来てもらいましょう」
「マーナにも」
「ギルドの人は?」
「手続きの立会人だけでいいかな」
少しずつ話が決まっていく。
「ルナト」
リオナが俺の腕へ抱きついた。
革越しに、柔らかな胸が押しつけられる。
「今夜、一緒に寝てもいい?」
「リオナ」
サラの声に、リオナの耳が伏せられた。
「駄目?」
「まだ結婚前です」
「キスはした」
「もうしたんですか?」
サラが俺を見る。
「草原で少しだけ」
「二回」
「回数まで言わなくていいだろ」
「ルナトからもしてくれた」
「詳しく報告しないでくれ」
「サラには隠したくないから」
サラが頬を膨らませる。
「私は昨夜、もっとたくさんしました」
「知ってる。聞こえてた」
「リオナ!」
「ごめん。でも、本当に壁が薄いから」
サラが両手で顔を覆う。
「やはり、結界魔法を練習します……」
「そこに使うのかっピ?」
「家族の平穏を守るためです!」
結婚式の日程より先に、寝室の防音を考えなければならないらしい。
俺はサラとリオナの間に立ち、二人の手を取った。
「今夜は三人で夕食を作ろう」
「四人だっピ!」
「シロちゃんもだったな」
「何を作る?」
「リオナの好きなものにしましょう」
「肉」
「やっぱりだっピ!」
リオナの尻尾が、サラの腰と俺の脚へ交互に触れる。
俺たちは家の中へ入った。
リオナとの結婚が、決まった。
式はまだ先だ。
新しい寝台も、寝室の使い方も決まっていない。
それでも今日から、俺たちは結婚へ向けて歩き始める。
家族三人と一匹。
今夜の食卓は、いつも以上ににぎやかになりそうだった。




