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第51話 湯気の向こうのリオナ



 翌朝。


 俺が目を覚ますと、腕の中でサラが眠っていた。


 栗色の長い髪が俺の胸に広がっている。


 薄い寝間着越しに、柔らかな身体の感触が伝わってきた。


 昨夜は《家族の食卓》の効果もあって、ぐっすり眠ることができた。


 採石場で溜まっていた疲れも、ほとんど残っていない。


「ん……」


 サラが小さく声を漏らす。


 俺の胸へ頬を擦り寄せ、そのまま腕を回してきた。


 寝間着の襟がずれ、白い肌と豊かな胸の谷間が覗いている。


 起こさないように直そうと手を伸ばした。


 しかし、指先が布へ触れた瞬間、サラが目を開けた。


「ルナト……?」


「おはよう」


「おはようございます」


 まだ眠いのか、蜂蜜色の瞳がぼんやりしている。


「何をしていたんですか?」


「襟がずれていたから直そうとした」


 サラは自分の胸元を見る。


 それから俺の手を取り、ずれた布の内側へ導いた。


 指先に、温かく柔らかな膨らみが触れる。


「サラ?」


「夫婦なのですから、遠慮しなくてもいいですよ」


「朝から大胆だな」


「まだ少し眠いので……今なら、恥ずかしくありません」


 そう言いながら、頬はすでに赤くなっている。


 俺が柔らかな胸を撫でると、サラの唇から甘い吐息が漏れた。


「んっ……」


 唇を重ねる。


 サラの身体が、さらに近づいてきた。


 このまま続けてもよかった。


 だが――。


「サラ。ルナト。朝ご飯できてるよ」


 扉の向こうから、リオナの声がした。


 俺とサラの動きが同時に止まる。


「二人とも、まだ寝てる?」


「起きています!」


 サラが慌てて答えた。


 俺の胸を押し、寝台から離れる。


 すると大きく開いていた襟の奥から、淡い桃色が一瞬だけ覗いた。


 サラはすぐに胸元を両手で隠す。


「ルナト」


「見てない」


「嘘です」


「夫婦なんだから、いいんじゃなかったのか?」


「明るいところでは恥ずかしいんです!」


 サラが背中を向け、寝間着を整える。


「朝から仲がいいっピ!」


 今度はシロちゃんの声まで聞こえた。


「聞いていたのか?」


「シロちゃんの耳は高性能だっピ!」


「聞き耳を立てないでください!」


 サラの顔が、耳まで真っ赤になった。


 俺たちは急いで着替え、居間へ向かった。


 食卓には、パンと野菜のスープが並んでいた。


 リオナが朝食を作ってくれたらしい。


「サラみたいには作れなかったけど」


「十分おいしそうです」


「味は保証しない」


 リオナは照れたように笑う。


 白いシャツと短い革のズボンを身につけ、腰には布の前掛けを巻いていた。


 赤褐色の尻尾が、落ち着かない様子で動いている。


「どうした?」


「何が?」


「朝から尻尾がずっと動いている」


「気のせい」


「ルナトとサラが、なかなか起きてこなかったからだっピ」


「シロちゃん」


「何も言ってないっピ!」


 リオナの頬が、わずかに赤くなった。


 もしかすると、寝室で何をしていたか気づかれているのかもしれない。


 俺たちは朝食を済ませ、庭へ出た。


 今日はサラの《結界魔法》を練習することになっている。


 ミネルには明日、正式に教わる予定だ。


 その前に、いまのサラがどれくらい使えるのか確認しておきたい。


「いきます」


 サラが両手を前へ出す。


 右手首には、鉱山で手に入れた水晶の欠片を入れた小袋が結びつけられている。


 現在の職業は《見習い治癒師》。


 《結界魔法》に向いた職業ではないが、魔力を扱う助けにはなる。


 サラの掌から、淡い光が広がった。


 光は丸い膜となり、身体の前に浮かぶ。


 大きさは、俺の盾より少し小さい程度だ。


「できています」


「昨日より大きいな」


「ですが、維持できません」


 光の膜が揺らぎ、数秒で消える。


 サラは息を吐いた。


「もう一度やります」


「休まなくて大丈夫か?」


「はい。まだ魔力には余裕があります」


 サラが再び集中する。


 俺とリオナは、少し離れた場所から見守った。


「サラ、頑張ってるね」


「ああ」


「守りたいから、か」


 リオナが自分の弓を撫でる。


「私は誰かを守るより、敵を先に見つけて倒す方が得意」


「それも守ることだろ」


「そうかな?」


「リオナが危険を見つけてくれたから、助かったことは何度もある」


「そっか」


 尻尾が嬉しそうに揺れた。


「じゃあ、ルナトのことも守れてる?」


「もちろん」


「サラみたいに?」


「比べる必要はないだろ」


「でも、サラはルナトの奥さんだから」


 リオナの声が少しだけ小さくなる。


 俺が答える前に、サラの結界が再び消えた。


「リオナ。少し手伝ってもらえますか?」


「私?」


「結界が、どの程度の力に耐えられるか確かめたいんです」


「分かった。何をすればいい?」


「最初は、手で押してください」


 サラが三度目の結界を作る。


 リオナは光の膜へ掌を当て、ゆっくり力を込めた。


「少し硬い」


「もう少し強くお願いします」


「壊れても怒らない?」


「もちろんです」


 リオナが力を強める。


 結界の表面に波紋が広がった。


「サラ、苦しくない?」


「大丈夫です」


「じゃあ、もう少し」


 リオナが両手で押した。


 次の瞬間、結界が弾ける。


「わっ!」


 反動で、サラが後ろへ倒れた。


 俺は慌てて駆け寄り、その身体を受け止める。


「大丈夫か?」


「はい。驚いただけです」


 サラは俺の腕の中で答えた。


 リオナもすぐに駆け寄ってくる。


「ごめん。力を入れすぎた」


「私がお願いしたんです。リオナのせいではありません」


「でも……」


「それより、いい練習になりました」


 サラは俺の腕から離れ、リオナの手を握った。


「結界が壊れる直前の感覚が分かりました。ありがとうございます」


「もう一回やる?」


「少し休んでからお願いします」


「うん」


 結局、午前中だけで十回近く結界を作った。


 最後には、リオナが片手で押す程度なら十秒以上耐えられるようになった。


 まだ実戦では使えない。


 それでも、確実に成長している。


「今日はここまでにしましょう」


 サラの額には汗が浮かんでいた。


「魔力も、ほとんど残っていません」


「右手から出して、左手で受ける練習は?」


「寝る前に少しだけ行います。空になるまで使ってしまうと、循環させる魔力がありませんから」


 俺たちは道具を片づけた。


 昼からは畑の手入れと、家の掃除をする。


 魔物を倒す依頼もない。


 危険な採石場へ向かうこともない。


 こういう日が、俺たちにとってのスローライフなのだろう。


 夕方になると、全員が汗と土で汚れていた。


「今日は私が先に入るね」


 リオナが着替えを持ち、浴室へ向かう。


「どうぞ」


「ルナト、覗いたら駄目だからね」


「覗かない」


「前もそう言って、私の下着を見た」


「あれはスカートがめくれただけだ」


「見たことは否定しないんだ」


「見えてしまったからな」


 リオナが尻尾を膨らませる。


「正直者」


「怒ってるのか?」


「別に」


 浴室の扉が閉まる。


 しばらくすると、水の音が聞こえてきた。


 俺は居間で剣の手入れを始める。


 サラは台所で夕食の支度をしていた。


「ルナト。物置から干してある布を持ってきてもらえますか?」


「分かった」


「青い布です。浴室の近くにあります」


 俺は立ち上がり、廊下の奥へ向かった。


 浴室の隣には、小さな物置がある。


 扉を開けると、棚の上に何枚もの布が畳まれていた。


「青い布……」


 目的の物を探していると、浴室から大きな音がした。


「いたっ!」


「リオナ?」


 何かが倒れる音が続く。


 俺は物置を飛び出し、浴室の扉を叩いた。


「大丈夫か?」


「平気! 来ないで!」


「転んだのか?」


「少し滑っただけ!」


「怪我は?」


「ないから!」


 声は元気だ。


 安心して戻ろうとしたとき、浴室の扉がわずかに開いた。


 中からリオナの腕だけが伸びてくる。


「ルナト」


「どうした?」


「身体を拭く布、取るの忘れた」


「持ってくる」


「そこにあるのでいい」


 偶然、俺が探していた青い布の隣に、大きな白い布があった。


 それを取り、扉の隙間へ差し出す。


「ほら」


「ありがとう」


 リオナの手が布を掴む。


 その直後、濡れた床で再び足を滑らせたらしい。


「きゃっ!」


 扉が勢いよく開いた。


 湯気が廊下へ流れ出す。


 濡れたリオナが、俺の胸へ飛び込んできた。


 服は何も身につけていない。


 水滴のついた褐色の肌。


 引き締まった腰。


 俺の脚へ押しつけられた、弾力のある丸い尻。


 大きな胸まで、俺の身体に密着していた。


「リオナ……」


「見ないで」


「見てない」


「それも嘘」


「転ばないように支えてるだけだ」


「分かってる。でも、恥ずかしい」


 リオナの耳が伏せられている。


 腕の中で、身体がわずかに震えていた。


「立てるか?」


「まだ、少し待って」


 リオナは俺から離れようとしなかった。


 柔らかな胸の感触も、濡れた肌の温かさも、はっきり伝わってくる。


 俺の心臓が大きく鳴った。


「ルナトの心臓、速い」


「この状況で平静でいられると思うか?」


「私の身体を見たから?」


「見ないようにしてる」


「嫌だから?」


「逆だ」


 言ってから、失敗したと思った。


 リオナが顔を上げる。


 金色の瞳が、まっすぐに俺を見ていた。


「逆って?」


「それは……」


「私の身体、嫌いじゃない?」


「嫌いじゃない」


「女として見てる?」


 答えを誤魔化すことはできなかった。


「見てる」


 リオナの頬が赤くなる。


 湯気のせいだけではない。


「そっか」


 彼女は小さく笑った。


 それからようやく俺の胸を押し、身体を離す。


 濡れた身体が湯気の向こうに現れた。


 俺はすぐに顔を背け、白い布を差し出す。


「身体を隠してくれ」


「いまさら?」


「いまさらでもだ」


「ルナト、顔が真っ赤」


「リオナもだろ」


「私はお風呂に入ってたから」


「そういうことにしておく」


 リオナが布で身体を包む。


「もういいよ」


 振り返ると、胸から太腿まで白い布に隠されていた。


 ただ、濡れた布が身体へ張りつき、曲線を隠しきれていない。


「怪我は本当にないのか?」


「お尻を少し打った」


「サラに治してもらえ」


「裸で抱きついたって説明するの?」


「転んだと言えばいい」


「ルナトが見たことは秘密?」


「リオナが決めていい」


 そのとき、廊下の向こうから足音が近づいてきた。


「ルナト? 大きな音がしましたけど――」


 サラが姿を現す。


 白い布だけを巻いたリオナ。


 その前に立つ俺。


 開いたままの浴室。


 サラは状況を確認し、何度か瞬きをした。


「何をしているんですか?」


「リオナが転んだ」


「ルナトが助けてくれた」


 リオナが答える。


「裸で」


「そこまで言わなくていいだろ」


「事実だから」


 サラは小さく息を吐いた。


「まず、浴室から出ましょう。身体が冷えてしまいます」


 リオナを部屋へ連れていき、打った尻を《治癒魔法》で診ることになった。


 当然、俺は廊下で待たされた。


 少しして、サラが部屋から出てくる。


「軽い打ち身です。すぐに治ります」


「よかった」


「それで、見たんですか?」


「見えてしまった」


「触りましたか?」


「転ばないように支えた」


「どこを?」


「……腰と背中だ」


 尻や胸が押しつけられたことまでは、説明しなくてもいいだろう。


 サラは俺の顔をじっと見る。


「リオナを、女性として見ていますか?」


「本人にも聞かれた」


「なんと答えたんですか?」


「見ていると答えた」


「そうですか」


 サラは驚かなかった。


 怒りもしない。


 ただ、少しだけ寂しそうな、それでも安心したような顔をした。


「サラは嫌か?」


「何がですか?」


「俺がリオナを女として見ることが」


 サラはすぐに答えなかった。


「まったく嫌ではないと言えば、嘘になります」


「そうだよな」


「でも、リオナがルナトを好きなことも知っています。ルナトがリオナを大切に思っていることも」


「サラと同じではない」


「同じである必要はありません」


 サラが俺の手を握る。


「私への気持ちが嘘になるわけではないのでしょう?」


「それだけは絶対にない」


「なら、きちんと考えてあげてください」


「リオナとのことを?」


「はい。曖昧なまま、ずっと待たせる方が残酷です」


 俺は閉じた扉を見る。


 その向こうには、リオナがいる。


「急いで答えを出して、間違えたくない」


「分かっています」


「でも、逃げないようにする」


「それで十分です」


 サラは俺の手を自分の胸元へ引き寄せた。


 柔らかな膨らみへ、手の甲が触れる。


「ただし」


「ただし?」


「今夜は私の夫ですからね」


 サラの蜂蜜色の瞳が、いつもより熱を帯びている。


「朝の続き、忘れていませんよね?」


「忘れてない」


「それなら、早めにお風呂へ入ってきてください」


 サラは頬を赤くしながら、寝室へ向かっていく。


「石鹸で、きちんと身体を洗ってくださいね」


「分かった」


 閉じかけた扉から、シロちゃんが顔を出した。


「今夜は耳を塞いで寝るっピ」


「聞かなくていい」


「この家の壁は薄いっピ!」


 扉が閉まる。


 俺は一人、廊下に残された。


 湯気の向こうで見たリオナの身体。


 寝室で待つサラの熱を帯びた視線。


 どうやら今夜は、簡単には眠らせてもらえそうになかった。


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