第50話 家族の食卓
生活分類をすべて埋めた俺たちは、夕食の材料を買うために市場へ向かった。
「今日は三万Gも入ったんだから、少しくらい贅沢してもいいよね?」
リオナが肉屋の前で尻尾を揺らしている。
店先には、香草をまぶした大きな鳥肉が並んでいた。
「全部使うつもりか?」
「使わないよ。でも、あれ食べたい」
「シロちゃんも賛成だっピ!」
リオナの頭の上で、シロちゃんが翼を広げる。
「二人とも、野菜も食べてくださいね」
サラは鳥肉の値段を確認してから、店主と話し始めた。
肉の鮮度、重さ、必要な量。
付け合わせに合う野菜や、今日のうちに食べきれなかった場合の保存方法まで尋ねている。
俺が適当に肉を買っていた頃とは、まるで違う。
これが《買い物》を習得している人間と、そうでない人間の差なのだろう。
スキルを持っているだけで、何でも完璧にできるわけではない。
それでもサラが毎日の買い物で身につけた経験は、俺よりはるかに豊富だった。
「この鳥肉を一羽分ください」
「あいよ。そっちの兄ちゃんは幸せ者だな」
「そう思います」
「ルナト。そこは値段を聞いてから答えるところです」
「サラのことを言ったんじゃないか?」
「え?」
サラが瞬きをする。
肉屋の店主が豪快に笑った。
「仲がいいのは結構だ。香草を少しおまけしてやるよ」
「ありがとうございます」
サラは恥ずかしそうに俯いた。
その横で、リオナが俺の脇腹を肘で軽くつつく。
「サラだけ?」
「何がだ?」
「別に」
リオナは頬を膨らませ、隣の店へ歩いていく。
赤褐色の尻尾が、少しだけ元気をなくしていた。
「リオナ」
「なに?」
「一緒にいてくれて助かってる。今日の服も似合っているぞ」
「……急に言わなくてもいいのに」
リオナの尻尾が、すぐに持ち上がる。
「でも、ありがとう」
「ルナトは分かりやすいっピ」
「シロちゃんは黙っていてくれ」
鳥肉のほかに、芋、玉ねぎ、豆、色鮮やかな葉野菜を買った。
食後のために、小さな焼き菓子も四つ購入する。
シロちゃんが一個を自分の分だと言い張ったからだ。
家に戻ると、サラは水色のワンピースから普段着へ着替えた。
白い布の上着に、足首まである茶色のスカート。上着の胸元は紐で留める形なのだが、豊かな膨らみのせいで少し窮屈そうだった。
「手伝います」
サラが鳥肉を台へ置く。
「私も」
リオナが袖をまくった。
「シロちゃんも手伝うっピ!」
「つまみ食いは禁止ですよ」
「まだ何もしていないっピ!」
「するつもりでしたよね?」
「家族の食卓に、味見は必要だっピ」
シロちゃんの視線は、すでに鳥肉から離れなくなっている。
俺は庭から薪を運び、火を起こした。
サラが肉に香草と塩を擦り込み、リオナが野菜を洗う。
俺は芋の皮を剥くことになった。
「ルナト。そこ、厚すぎます」
「これくらいなら大丈夫だろ」
「食べられるところまで削っています」
「剣ならもっと薄くできる」
「危ないので、やめてください」
「私がやろうか?」
リオナが手を伸ばす。
「リオナは玉ねぎをお願いします」
「分かった」
それぞれに役割が割り振られる。
料理を担当するサラに、異論を挟む者はいなかった。
鳥肉を鍋で焼き始めると、香草と脂の匂いが家中に広がった。
「いい匂いだっピ……」
シロちゃんが鍋の周囲を飛んでいる。
「近づくと危ないですよ」
「分かっているっピ」
「尻尾が燃えますよ」
「シロちゃんに尻尾はないっピ!」
「なら、耳が焦げる」
リオナが玉ねぎを切りながら笑う。
その目には涙が浮かんでいた。
「リオナ。大丈夫か?」
「玉ねぎのせい」
「俺が代わろう」
「平気。これくらいできる」
目を擦ろうとしたリオナの手を、サラが止めた。
「その手で目に触れてはいけません」
「でも、痛い」
「こちらを向いてください」
サラは濡らした布を取り、リオナの目元を優しく拭いた。
「どうですか?」
「少し楽」
「もう一度、手を洗ってきてください」
「はーい」
リオナが流し場へ向かう。
その後ろ姿を見ながら、俺は思った。
出会った頃のリオナなら、痛くても平気なふりをしたはずだ。
獣人の狩人として、一人で生きてきた。
誰かに弱いところを見せることにも慣れていなかった。
それが今は、素直に痛いと言える。
サラも当然のように世話をする。
俺たちは少しずつ、本当の家族になっているのかもしれない。
料理が完成する頃には、空が赤く染まっていた。
中央の皿には、香草と一緒に焼いた鳥肉。
その周囲には芋や玉ねぎが並んでいる。
豆と細かく刻んだ野菜のスープに、焼きたてのパン。
普段の夕食よりも、ずっと豪華だ。
「食べる前に、決めてしまいませんか?」
席についたサラが言った。
机の上には料理と一緒に、《初級スキル図鑑》が開かれている。
生活分類の達成によって得た、初級スキル登録権。
好きな初級スキルを一つ、登録済みにできる。
「そうだな」
俺たちに足りないスキルは、二十三個。
戦闘分類が五個。
魔法分類が八個。
生産分類が五個。
身体・耐性分類が三個。
一般分類が二個。
「普通に覚えにくいものを選ぶべきだっピ」
シロちゃんが図鑑の上を歩く。
「簡単に覚えられるスキルへ使ったら、もったいないっピ」
「《鍛冶》はどう?」
リオナが言った。
「カレンに習えば、時間はかかっても覚えられると思います」
サラが答える。
「それに、私たちが《鍛冶》を得ても、すぐにカレンのような物が作れるわけではありません」
「じゃあ、魔法?」
「魔法は覚えるだけでも時間がかかるっピ」
魔法分類には、まだ八つの空欄がある。
水、風、土、光、闇、浄化、結界。
それに《魔力譲渡》だ。
「《光魔法》があれば、夜でも困らない?」
「灯りなら、ルナトの火魔法で作れるっピ」
「《水魔法》は畑に便利そうです」
「でも、井戸がある」
どれも便利だ。
その一方で、急いで必要というほどでもない。
俺たちはしばらく図鑑を眺めた。
「《結界魔法》は?」
サラが小さく呟く。
「家を守れそうです。戦うときも、皆さんを守れるかもしれません」
サラは《治癒魔法》を持っている。
傷ついた者を治す力だ。
そこに傷つく前に守る力が加われば、救える命は増える。
「サラが使うのか?」
「はい。覚えられるなら、ですが」
「登録権なら、習得者も指定できるっピ」
シロちゃんが胸を張る。
「ただし、登録された直後から自由自在に使えるわけではないっピ。魔法の感覚と基本的な使い方を得るだけだっピ」
「練習が必要なのは、ほかのスキルと同じか」
「そうだっピ」
俺はリオナを見る。
「どう思う?」
「いいと思う。サラらしい」
「では、《結界魔法》でいいですか?」
「サラが欲しいと思うなら」
「欲しいです。皆さんを守りたいです」
迷う理由はなかった。
「決まりだな」
サラが図鑑へ手を置く。
俺とリオナも、その上に手を重ねた。
「《結界魔法》を、サラへ」
図鑑の頁が白く光る。
《初級スキル登録権を使用します》
《対象者:サラ》
《結界魔法を登録しました》
《登録数:68/90》
光が図鑑から溢れ、サラの胸元へ吸い込まれた。
「サラ?」
「大丈夫です」
サラは胸に手を当てる。
「なんとなく、分かります。魔力を外へ出すのではなく、形を保ったまま広げるような……」
サラが右手を上げた。
掌の前に、淡い光の膜が生まれる。
だが、その光は手のひらほどの大きさになったところで消えた。
「難しいです」
「最初からできたら、ミネルに怒られる」
「そうですね。明日から練習します」
「今日はご飯だっピ!」
シロちゃんが我慢できず、食卓の上で跳ねた。
「冷める前に食べましょう」
サラの言葉で、俺たちは手を合わせた。
「いただきます」
「いただきます!」
「いただくっピ!」
鳥肉は柔らかく、噛むたびに肉汁と香草の風味が広がった。
芋にも肉の旨味が染み込んでいる。
「おいしい」
リオナが目を輝かせる。
「サラ、これ毎日作って」
「毎日は無理です」
「狩りで鳥を捕まえてくる」
「材料だけの問題ではありませんよ」
「シロちゃんも捕まえるっピ!」
「シロちゃんに捕まえられるのか?」
「家族のためなら、シロちゃんは強くなるっピ」
「その前に、口の周りを拭け」
シロちゃんの白い毛には、肉の脂がついていた。
俺が布で拭こうとすると、シロちゃんは嫌がって飛び回る。
「まだ食べているっピ!」
「そのまま家を飛び回るな」
「食後にするっピ!」
「いま拭きます」
サラに捕まえられたシロちゃんが、口元を丁寧に拭かれる。
リオナはそれを見て笑いながら、鳥肉をもう一切れ自分の皿へ取った。
いつもと大きく変わらない食卓だった。
それなのに、今日は不思議と身体が温かい。
料理を食べるたび、採石場で溜まっていた疲れがゆっくり抜けていく。
魔力も、普段の食事より早く戻っている気がした。
「これが《家族の食卓》か」
「私も感じます」
サラが頷く。
「身体だけではありません。安心するというか……」
「ここに帰ってきてよかったって思う」
リオナの尻尾が、椅子の後ろでゆっくり揺れる。
《家族の食卓》は、傷を一瞬で治すような力ではない。
空腹を無視できるわけでも、眠らずに働けるわけでもない。
家族で料理を食べたとき、少しだけ疲れが取れやすくなる。
それだけだ。
けれど、俺はこの報酬が気に入った。
剣を強くする力よりも、今の俺たちに合っている。
「ルナト」
サラが俺の皿へ鳥肉を置いた。
「もう一つ、どうぞ」
「サラは食べたのか?」
「私は十分です」
「嘘だな。さっきから、みんなの皿ばかり見ている」
俺はその肉を半分に切り、片方をサラの皿へ戻した。
「一緒に食べよう」
「はい」
サラが嬉しそうに微笑む。
「私の分は?」
リオナが皿を差し出した。
「さっき自分で取っていただろ」
「家族に取ってもらった肉は、味が違う」
「そんな効果は書いてなかったぞ」
「でも違う」
「仕方ないな」
鳥肉を一切れ、リオナの皿へ置く。
金色の目を細めて、リオナが笑った。
「ありがとう」
「シロちゃんにも欲しいっピ!」
「シロちゃんは食べすぎです」
「家族の愛が足りないっピ!」
「お腹が丸くなっていますよ」
「元から丸いっピ!」
にぎやかな夕食は、料理がなくなるまで続いた。
食後の焼き菓子まで食べ終え、リオナとシロちゃんが眠そうにしている。
片づけを終えると、リオナは自分の部屋へ戻った。
シロちゃんも、用意した小さな籠の中で丸くなっている。
俺とサラは寝室に入った。
「今日は、ありがとうございました」
サラが寝台へ腰を下ろす。
「何が?」
「《結界魔法》です。私が欲しいと言ったスキルを選んでくれて」
「俺だけで決めたわけじゃない」
「それでも、嬉しかったです」
サラは髪を留めていた紐を外した。
長い栗色の髪が肩へ流れ落ちる。
上着の胸元の紐も少し緩み、白い肌と深い谷間が覗いた。
「これからは、治すだけではなく、ルナトたちを守れるようになりたいです」
「無理はするなよ」
「はい」
「結界がなくても、俺がサラを守る」
「それなら、私はルナトを守ります」
サラが身体を寄せてくる。
柔らかな胸が、俺の腕へ押し当てられた。
「夫婦なのに、どちらか一人だけが守るのは変ですから」
「そうだな」
俺はサラの肩を抱き、唇を重ねた。
短い口づけのあと、サラは俺の胸に頬を寄せる。
「ルナト」
「うん?」
「今日の服、似合っていると言ってくれて、嬉しかったです」
「本当に似合っていた」
「今度は、二人だけで出かけるときにも着ます」
「楽しみにしてる」
「そのときは、もう少し早く褒めてください」
「努力する」
「忘れたら、結界で閉じ込めます」
「使い方が違わないか?」
サラが小さく笑う。
家族と一緒に暮らし、食卓を囲み、同じ家で眠る。
かつての俺には望むことすらできなかった毎日だ。
初級スキル図鑑は、六十八個まで埋まった。
残りは二十二個。
けれど、急ぐ必要はない。
明日も、この家へ帰ってこられるように。
一つずつ、できることを増やしていけばいい。




