第42話 サラの治癒魔法
家族共鳴が成立した翌朝。
俺たちは食卓の上へ、水晶の欠片を置いていた。
《初級スキル図鑑》とは違い、職業を変更するには、この欠片へ直接触れなければならない。
最初にサラが握る。
淡い光が指の隙間から漏れ、目の前へ職業の一覧が現れた。
現在の職業:《料理人》
変更可能な職業
《斥候》
《短剣使い》
《料理人》
《見習い治癒師》
「増えています」
サラが驚いた声を上げた。
「《治癒魔法》を覚えたからだな」
「おそらくそうだっピ!」
シロちゃんが水晶の上へ座る。
「職業は、本人が身につけたスキルや経験、適性などから表示されるっピ! ただし、条件を満たせば必ず表示されるとは限らないっピ!」
「そこは図鑑にも分からないのか?」
「職業を決めているのは水晶の力だっピ。シロちゃんは《スキル図鑑》の案内役だから、専門外だっピ!」
サラは《見習い治癒師》へ指先を近づけた。
「この職業へ変更してもいいでしょうか?」
「サラがなりたいならいいと思う」
「料理人を捨てるわけではないからな」
リオナも頷いた。
「料理をするときは、また《料理人》へ戻ればいい」
「はい」
サラは《見習い治癒師》を選んだ。
《職業を変更します》
《料理人》
↓
《見習い治癒師》
光がサラの身体を包む。
服装や姿が変わるわけではない。
それでも、サラの周囲を流れる魔力が、昨日より穏やかになったように感じられた。
「どうだ?」
「治癒魔法へ魔力を変える感覚が、少し分かりやすくなりました」
サラは自分の手を見つめる。
「でも、これだけで上手に治せるわけではありません」
「そのとおりだっピ!」
シロちゃんが飛び上がった。
「《見習い治癒師》は、治癒魔法の練習を助けてくれる職業だっピ! 怪我の状態を見ただけで分かるようになったり、重傷を簡単に治したりできるわけではないっピ!」
「練習が必要ですね」
「まずミネルに相談しよう」
治癒魔法を適当に使うわけにはいかない。
魔力が足りなければ傷を治せない。
逆に、必要以上の魔力を流せば、相手へ負担をかける可能性もある。
俺たちは朝食を終えると、ミネルのところへ向かった。
ミネルは部屋の机へ突っ伏していた。
床には本と紙が散らばり、窓も閉め切られている。
「死んでないよな?」
「失礼なことを言うな……」
ミネルがゆっくりと顔を上げた。
淡い金色の長い髪は乱れ、頬には紙の跡がついている。
「少し調べものをしていただけだ」
「どのくらい寝ていないんだ?」
「昨夜からだ」
「朝食は?」
「食べていない」
サラが小さく息を吐いた。
「まず窓を開けましょう」
「魔法を教わりに来たんじゃないのか?」
「この状態では、教わる前にミネルが倒れてしまいます」
サラは床へ落ちている本を拾い始めた。
俺とリオナも手伝う。
シロちゃんは机の上へ降り、ミネルの顔を覗き込んだ。
「顔色が悪いっピ!」
「昨日生まれたばかりの生き物に心配されたくない」
「シロちゃんは今日で二日目だっピ!」
「大差ないだろう」
窓を開けると、冷たい風が部屋へ入ってきた。
俺は散らばっていた本を重ねる。
リオナは水を汲み、ミネルへ渡した。
サラは持ってきたパンと保存食を皿へ並べる。
「少し食べてください」
「授業の前に食事が出るとは、ルナトたちも分かってきたな」
「今度から、食事を抜く前提で来ないでください」
「善処する」
ミネルは保存食を挟んだパンへかじりついた。
食べている間に、俺は《治癒魔法》を得た経緯を説明した。
リオナとの家族共鳴。
探索系統のコンプリート。
そして、選択報酬でサラが《治癒魔法》を習得したこと。
「家族と認めた相手のスキルまで登録できるようになったのか」
ミネルがリオナを見る。
「昨日までは図鑑が見えなかったよな?」
「ああ。今は自分で出せるぞ」
リオナが《初級スキル図鑑》を表示した。
ミネルには図鑑そのものが見えていない。
それでも、リオナの視線と指の動きから、本当に何かがあることは分かるらしい。
「興味深いな。私も家族になれば見られるのか?」
「それは駄目だっピ!」
シロちゃんが即答した。
「なぜだ?」
「図鑑を見るためだけに家族になろうとしたからだっピ! 利益だけを目的にした家族共鳴は成立しないっピ!」
「少しくらいいいじゃないか」
「駄目だっピ!」
ミネルは残念そうにパンをかじった。
「それで、治癒魔法を教えてほしいんだな」
「ああ。ミネルは使えるのか?」
「専門ではないが、基本なら分かる」
ミネルは食べ終わると、サラを正面へ座らせた。
「まず、治癒魔法で何でも治せるとは思うな」
ミネルは自分の腕を指した。
「切り傷、擦り傷、軽い火傷なら効果が出やすい。だが、折れた骨や傷ついた内臓を治すには、高度な知識と技術が必要だ」
「毒や病気は治せますか?」
「治癒魔法だけでは難しい」
ミネルは首を振った。
「毒には解毒、病気には薬や浄化魔法が必要になる。治癒魔法で体力の回復を助けることはできるが、原因まで消えるとは限らない」
「分かりました」
「それから、出血が続いているなら先に止血しろ。傷口が汚れていれば、洗ってから治療するんだ」
「魔法をすぐに使わないんですか?」
「汚れた傷を、そのまま塞ぐのは危険だ」
ミネルが答える。
「傷の中に汚れが残れば、あとから腫れることがある。治癒魔法を使える者ほど、応急手当の知識が必要なんだ」
サラは真剣に聞いていた。
《応急手当》を持っているため、説明も理解しやすいようだ。
「練習はどうすればいいでしょう?」
「わざと怪我を作るのは禁止だ」
「はい」
「治療院か冒険者ギルドへ行け」
ミネルは水を飲んだ。
「治療を受けに来た者の中から、軽傷者を担当させてもらうんだ。経験のある治癒師に見てもらいながらなら、失敗も防げる」
「お願いすれば、教えてもらえますか?」
「治癒魔法を使える者は不足している。無給で手伝うなら断られないだろう」
「無給なのか?」
リオナが眉を寄せる。
「最初から金をもらえると思うな。患者を任せられると認められてからだ」
それは当然だった。
サラも納得したように頷く。
「まずは勉強させてもらいます」
「その前に、魔力の出し方を確認するぞ」
ミネルが自分の手を差し出した。
「私の手へ治癒魔法を使ってみろ。怪我はないから、強い魔力は必要ない」
「分かりました」
サラがミネルの手を両手で包む。
淡い緑色の光が、サラの手のひらからあふれた。
最初は光が強すぎた。
ミネルの手を通り過ぎ、周囲へ魔力が散ってしまう。
「多すぎる。傷がない相手へ、それだけ流す必要はない」
「すみません」
「謝らなくていい。今は失敗するための練習だ」
サラは一度、魔法を止めた。
呼吸を整え、もう一度手を重ねる。
今度の光は弱い。
サラの手のひらを包む程度だった。
「そのくらいだ」
ミネルは目を閉じる。
「温かさは感じる。魔力の流れも乱れていない」
「治せていますか?」
「怪我がないから治ってはいない。ただ、疲れが少し軽くなった」
「徹夜にも効くんですか?」
「一時的にな。睡眠の代わりにはならない」
ミネルはサラから手を離した。
「だから、今から寝る」
「授業は終わりですか?」
「基本は教えた。あとは治療院で学べ」
ミネルはそのまま寝台へ向かった。
「食べてすぐ寝るのか?」
「エルフは身体が丈夫なんだ」
「便利な言葉だな」
俺たちは部屋を出た。
シロちゃんだけが、眠ろうとするミネルの顔へ布をかけていた。
「暗くしてあげるっピ!」
「シロちゃん。それは雑巾だ」
ミネルの声が聞こえた。
その日の午後。
俺たちは冒険者ギルドの中にある、小さな治療室を訪ねた。
依頼中に怪我をした冒険者が、応急処置を受ける場所だ。
サラが事情を説明すると、治療室にいた女性の治癒師は、簡単な試験を行った。
魔力を一定の量で保てるか。
傷のない腕へ、弱い治癒魔法を流せるか。
布を使い、正しく止血できるか。
サラは緊張しながらも、すべての確認を終えた。
「今日から軽傷者だけを手伝ってもいいそうです」
治療室から戻ってきたサラが、嬉しそうに笑った。
「俺たちも残るか?」
「大丈夫です」
「本当に?」
「はい。経験のある方が見てくださいますから」
サラは俺の手を握った。
「ルナトとリオナは、依頼へ行ってください」
「でも……」
「《家族の羅針盤》があります」
サラは自分の胸へ手を当てた。
「離れていても、二人がいる方角は分かります。何かあれば、すぐにギルドへ戻ってきてください」
「私たちのほうが心配されているな」
リオナが笑う。
「今日は町の外壁近くで、害獣を追い払う依頼にしよう。危険も少ない」
「分かった」
俺はサラの手を握り返した。
「無理はするなよ」
「ルナトもです」
シロちゃんはサラの肩へ座った。
「シロちゃんは、サラを手伝うっピ!」
「邪魔をするなよ」
「説明担当に任せるっピ!」
それが一番心配だった。
俺とリオナは、町の東にある農地へ向かった。
依頼は、畑へ入り込む角兎を追い払う仕事だ。
討伐する必要はない。
柵の穴を見つけ、どこから侵入しているのかを調べる。
リオナが《追跡》と《罠発見》を使い、俺が壊れた柵を《修理》する。
簡単な仕事だった。
それでも、作業中は胸の奥にある感覚を何度も確かめた。
サラは町の中心にいる。
距離は離れているが、方角ははっきり分かる。
「気になるのか?」
リオナが尋ねる。
「ああ。初めての治療だからな」
「私も気になる」
リオナも町の方角を見た。
「家族の羅針盤があっても、何をしているかまでは分からないんだな」
「そこまで分かったら落ち着かないだろ」
「確かに。風呂へ入っていることまで知られたら困る」
「俺には分からないぞ」
「少し残念そうだな」
「そんなことはない」
リオナは笑いながら、壊れた柵へ新しい木を当てた。
夕方。
依頼を終えて冒険者ギルドへ戻ると、サラはまだ治療室にいた。
扉を開けると、椅子に座った若い冒険者の腕へ包帯を巻いている。
傷口はすでに洗われ、出血も止まっていた。
「少し温かくなります」
サラが両手を傷へ近づける。
淡い緑色の光が、包帯の隙間から漏れた。
サラは一度に治そうとしなかった。
相手の顔色を確かめながら、少しずつ魔力を流していく。
「痛みはどうですか?」
冒険者が腕を動かす。
先ほどまで強張っていた表情が、少し和らいだ。
サラは治癒師へ確認してもらい、治療を終えた。
「お疲れさま」
俺が声をかけると、サラが振り返った。
「おかえりなさい」
「うまくできたみたいだな」
「今日は三人を治療しました」
サラは手のひらを見つめた。
「一人目は魔力を使いすぎました。二人目は、傷を洗うのに時間がかかりました」
「今の人は?」
「きちんと治せたと思います」
治療室の治癒師も頷いている。
「でも、まだ勉強が必要です」
「明日も来るのか?」
「はい。午前中だけ手伝わせてもらいます」
サラの声には、今までになかった自信があった。
それから一週間。
サラは毎朝、治療室へ通った。
小さな切り傷。
転んで擦りむいた膝。
荷物を運んで痛めた腰。
軽い怪我だけを、治癒師の確認を受けながら治療した。
治癒魔法だけを使うのではない。
傷口を洗い、必要なら止血する。
治療が終わったあとも、痛みや腫れが残っていないか確認する。
熱がある者には水を飲ませ、横になれる場所を用意した。
シロちゃんも、最初の二日間は治療室を飛び回っていた。
だが、包帯へ絡まり、棚から落ちた薬草の山に埋もれたことで、三日目から受付の机へ座らされている。
「シロちゃんも治療を手伝いたいっピ!」
「患者さんを増やしてはいけません」
サラに注意され、シロちゃんは白い耳を伏せた。
七日目の午後。
サラは、熱を出して横になっている冒険者のそばにいた。
治癒魔法だけでは、病気を治せない。
だから水を飲ませ、汗を拭き、毛布を交換する。
食べられそうなものを確認し、治癒師へ状態を報告する。
しばらくすると、冒険者の呼吸が落ち着いた。
《看病を習得しました》
《初級スキル図鑑へ登録します》
取得者:サラ
登録数:57/90
初級スキル図鑑 生活系統:12/15
「サラ、《看病》を覚えたっピ!」
シロちゃんが受付の机から飛んできた。
サラは眠っている冒険者を起こさないよう、指を口元へ当てた。
「声を小さくしてください」
「分かったっピ……」
シロちゃんも小声になる。
「《看病》は、そばにいるだけでは習得できないっピ。相手の状態を確認して、必要な水や食事、休める環境を用意するっピ。それを何度も正しく行えたから、スキルとして認められたんだっピ」
「説明は、外へ出てからお願いします」
「また仕事をする場所を間違えたっピ……」
その夜。
サラは俺と向かい合い、魔力循環の練習をしていた。
まだ《魔力放出》を習得していないため、サラは俺の魔力を感じ取るだけだ。
大きな球を二人で包むように、四つの手を向かい合わせる。
俺の右手から出た魔力を、サラが左手で受け止めようとする。
今は、ほとんどの魔力が指の隙間から逃げてしまう。
「少しだけ、温かさが分かりました」
「無理に受け取らなくていい」
「はい。焦らず続けます」
俺たちの手の間へ、蛍のような光が現れた。
以前より、ほんの少しだけ大きくなっている。
光はサラの手のひらへ近づいた。
治癒魔法の淡い緑色と、蛍のような光が重なる。
すると光は嬉しそうに明滅し、俺とサラの周囲を一周した。
「今日も来たっピ!」
シロちゃんが光を追いかける。
「シロちゃんと似ているけど、まだ話せないっピ!」
「追いかけると逃げますよ」
「仲良くなりたいだけだっピ!」
淡い光はシロちゃんから逃げ、サラの胸元へ降りた。
「またそこだっピ!」
シロちゃんが後を追おうとする。
サラは両腕で胸を守った。
「シロちゃんは入ってはいけません!」
「光だけずるいっピ!」
「この子は入っていません!」
賑やかな声を聞きながら、俺は笑った。
登録数は五十七。
生活系統のコンプリートまでは、あと三つ。
家族で暮らしながら、サラにできることがまた一つ増えた。




