第39話 初めての露店
薬草採取の依頼から戻った翌朝。
食卓の上には、数枚の銅貨と銀貨が並べられていた。
昨日の依頼で受け取った報酬は、一万二千G。
そこから薬草を入れる袋の代金や、途中で食べた昼食の材料費を差し引き、残った金額を三人で分ける。
半分は家族共通の財布へ入れ、残りをそれぞれの取り分にする。
これが、サラと話し合って決めた現在の決まりだった。
「共通の財布は、これで七万八千Gになりました」
サラが帳面へ数字を書き込む。
以前よりは増えている。
しかし、家賃や食費、装備の手入れ、万が一の治療費を考えると、安心できる金額ではない。
特に俺たちは三人で暮らしている。
そこへ昨日から、食欲旺盛な小さな一匹まで加わった。
「シロちゃんは一匹ではないっピ! 頼りになる案内役だっピ!」
食卓の上でパンを食べていたシロちゃんが抗議する。
「誰もお前のことだとは言ってないぞ」
「ルナトの視線がシロちゃんを見ていたっピ!」
「実際、シロちゃんはどのくらい食べるんだ?」
リオナがパンの欠片を差し出すと、シロちゃんは短い両腕で受け取った。
「お腹がいっぱいになれば食べるのをやめるっピ!」
「それがどのくらいか聞いている」
「おいしいものなら、たくさん入るっピ!」
「役に立たない回答だな」
リオナは呆れながらも、もう一つパンをちぎって渡している。
なんだかんだ言いながら、シロちゃんを一番甘やかしているのはリオナかもしれない。
「食費については、もう少し様子を見ましょう」
サラが帳面を閉じた。
「ただ、このまま冒険者の依頼だけに頼るのは少し不安です。雨が何日も続けば森へ入れませんし、怪我をしたら仕事を休まなければなりません」
「畑の野菜が育てば、食費は少し減るだろ」
「はい。でも、収穫まではまだ時間がかかります」
サラは少し迷ったあと、台所の棚へ向かった。
そこから取り出したのは、猪肉を乾燥させて作った保存食だった。
以前、カレンから頼まれて作ったものと同じだ。
細長く切った肉へ塩と香草をすり込み、数日かけて乾燥させている。そのままでも食べられるし、細かく切ってスープへ入れることもできる。
「保存食を売ってみようと思います」
「カレンに渡したものは評判がよかったな」
「鍛冶場の皆さんから、また作ってほしいと言われました。それに、冒険者ギルドでも保存食を買ってから依頼へ向かう人をよく見かけます。私たちでも、少しくらいなら売れるかもしれません」
「店を借りるのか?」
「常設の店は無理ですが、広場の露店なら一日二千Gで場所を借りられます。昨日、ギルドの帰りに確認してきました」
サラはすでに調べていたらしい。
「さすが《家計管理》の取得者だっピ! 収入を増やす方法まで考えているっピ!」
シロちゃんが感心する。
「でも、商売をしたことはあるのか?」
リオナに尋ねられ、サラの表情が曇った。
「ありません。家にいた頃は、市場へ買い物に行くことはありました。でも、自分が品物を売る側になったことは一度もないです」
「なら、三人でやればいい」
俺が言うと、サラは驚いたように顔を上げた。
「ルナトも手伝ってくれるんですか?」
「もちろんだ。俺たちの生活のためにやるんだろ?」
「私は客を呼び込めるぞ」
リオナが豊かな胸を張った。
「美人の獣人が売っていれば、男の冒険者は足を止めるはずだ」
「自分で美人と言うのか」
「事実だからな」
確かに、否定はできない。
リオナは健康的で目立つ容姿をしている。赤褐色の髪と獣耳、引き締まった身体に豊かな胸。市場へ立てば、多くの男が振り返るだろう。
「ルナト、今、リオナの身体を上から下まで確認しましたよね?」
サラが静かに尋ねる。
「露店で客を呼べるか考えていただけだ」
「その視線は必要だったんですか?」
「必要だったと思う」
「正直だな、ルナトは」
リオナは楽しそうに笑った。
「シロちゃんも客を呼べるっピ! 白くて可愛いシロちゃんが呼び込みをすれば、保存食は全部売れるっピ!」
「お前が《スキル図鑑》について話さないなら連れていってもいい」
「町の人には、珍しい使い魔として振る舞うっピ。誰にどこまで説明していいか、シロちゃんも少しずつ学んでいるっピ!」
「それなら頼む」
こうして、俺たちは初めて露店を出すことになった。
すぐに売れる量を用意できるわけではない。
それから三日間、俺たちは冒険者の依頼を午前中だけ受け、午後から保存食作りを手伝った。
肉を同じ太さに切る。
塩と香草をすり込む。
干すための紐を張り、肉が重ならないように並べる。
俺とリオナが肉を切り、サラが味を整える。
シロちゃんも手伝おうとしたが、塩を運ぶ途中で器の中へ落ち、全身真っ白になった。
「目に入ったっピ! 痛いっピ!」
「じっとしていてください。今、洗いますから」
サラは慌ててシロちゃんを持ち上げ、水を張った桶へ入れた。
「水は冷たいっピ!」
「塩がついたままでは駄目です」
「シロちゃんも塩漬けにされるっピ!」
「お前はもう何もするな」
それ以降、シロちゃんの仕事は味見だけになった。
それも食べすぎるため、最終的には台所への立ち入りを禁止された。
露店を出す日の朝。
サラは普段より早く起き、完成した保存食を一つずつ紙で包んでいた。
一袋五百G。
そのまま食べれば一食分。スープへ入れれば、二人分ほどになる。
最初に用意したのは四十袋だった。
すべて売れれば二万G。
場所代や材料費を引くと、大きな利益にはならない。それでも、一日で半分ほど売れれば十分だとサラは考えていた。
「少し緊張します」
サラは白いシャツに、薄茶色の長いスカートを合わせていた。
髪は邪魔にならないよう後ろでまとめ、俺とのデートで買った白い花の髪飾りをつけている。
「似合ってるぞ」
「服ですか?」
「全部だ。髪飾りも似合ってる」
「ありがとうございます」
サラの表情が柔らかくなる。
その隣では、リオナが白いシャツの上からエプロンを着けようとしていた。
だが、胸のところで布が持ち上がり、紐がうまく結べていない。
「サラ。このエプロン、小さくないか?」
「私のものですから、胸元が少し合わないのかもしれません」
「少しか?」
豊かな膨らみに押し上げられ、布が今にも外れそうになっている。
サラがリオナの背後へ回り、紐を結び直した。
「これで大丈夫です。ただ、あまり胸を張ると外れてしまうかもしれません」
「客を呼ぶためには、このくらいのほうがいいんじゃないか?」
「保存食を売るんですよね?」
「分かっている。冗談だ」
「リオナは、どこまで本気か分かりにくいです」
サラは口では困ったように言いながらも、リオナのエプロンを丁寧に整えていた。
広場には、朝から多くの露店が並んでいた。
野菜、果物、古着、木工品、安い装飾品。
焼いた肉や甘い菓子を売る店からは、食欲を刺激する匂いが漂っている。
俺たちは借りた場所へ小さな机を置き、その上に保存食を並べた。
サラが値段を書いた木札を立てる。
干し猪肉の保存食 一袋五百G
野外活動や旅のお供に。
そのまま食べても、スープへ入れてもおいしく食べられます。
字は少し不揃いだが、丁寧に書かれている。
「いい文章だと思う」
「昨夜、何度も書き直したんです。意味は伝わりますか?」
「ああ。俺が書くよりずっと読みやすい」
「それなら安心しました」
最初の客が来るまで、時間はかからなかった。
通りかかった中年の男性がシロちゃんを見つけ、足を止めた。
「その白いのは何だ?」
「シロちゃんは、この店の看板使い魔だっピ! 保存食を一袋買えば、可愛いシロちゃんを近くで見られるっピ!」
「買わなくても見えてるじゃないか」
「細かいことを気にしてはいけないっピ!」
男性は笑いながら、保存食を一袋手に取った。
「猪肉か。少し味見はできるか?」
「はい。こちらをどうぞ」
サラが小さく切った試食品を差し出す。
男性は口へ入れ、ゆっくり噛んだ。
「少し柔らかいな。保存食はもっと硬いものだと思っていた」
「完全に乾燥させたものより日持ちは短いですが、歯が弱い方でも食べやすいようにしています。今日から十日ほどで食べていただければ、味も落ちないと思います」
「なるほど。旅へ持っていくには短いが、近くの森へ行くなら十分だな」
「スープへ入れる場合は、塩を少なめにしてください。肉から味が出ますので、野菜と水だけでも食べやすくなると思います」
サラの説明を聞き、男性は二袋購入した。
初めて売れた千Gを受け取ったサラは、両手で硬貨を確かめてから、小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
男性が立ち去ると、サラは安堵したように息を吐いた。
「売れました……」
「まだ二袋だぞ」
「分かっています。でも、私が作ったものへ、お金を払ってもらえたんです。少し不思議な気持ちです」
「次の客が来たぞ」
リオナに言われ、サラは慌てて顔を上げた。
昼前になると、客が増え始めた。
冒険者らしい若い男が、リオナを見て足を止める。
「保存食を売ってるのか?」
「ああ。一袋五百Gだ。味見だけでもしていくといい」
リオナが身を乗り出すと、エプロンに包まれた豊かな胸も机の上へ近づいた。
男の視線が分かりやすく下がる。
「二袋もらおう」
「まだ味見していないぞ」
「おいしそうだから大丈夫だ」
「どちらを見て言っている?」
リオナが笑顔で尋ねると、男は顔を赤くして保存食を受け取り、逃げるように去っていった。
「本当に客を呼んだな」
「だから言っただろ?」
「次からは、きちんと保存食の味を見てもらってください」
サラが少し不満そうに言った。
「売れれば同じじゃないか?」
「同じではありません。食べて気に入ってもらえれば、また買いに来てくれるかもしれません。一度だけ売るのではなく、次も選んでもらえるようにしたいんです」
サラの言葉に、リオナは目を瞬いた。
「なるほど。そこまで考えていなかった。悪かった」
「分かってくれれば大丈夫です」
それからリオナも、客へ味や保存期間を説明するようになった。
すべてが順調だったわけではない。
「四袋買うから、千五百Gにしてくれ」
旅人風の男が値引きを求めてきた。
サラは困ったように俺を見る。
「どうする?」
俺も商売の経験はない。
しかし、一袋分を値引きすれば利益がほとんどなくなる。
「四袋なら、千九百Gではどうだ?」
俺が答えると、男は首を振った。
「千六百Gだ。まとめて買うんだから、そのくらい負けてもいいだろ」
「一袋五百Gだっピ! 四袋なら二千Gだっピ!」
シロちゃんが机の上から口を挟む。
「小さいのは黙ってろ」
「小さくても計算はできるっピ!」
男が不機嫌そうに眉を寄せたため、サラが前へ出た。
「申し訳ありませんが、千六百Gではお売りできません。この保存食には肉だけでなく、塩や香草も使っています。作るのにも数日かかりました。四袋で千九百Gまででしたら、お値引きできます」
「別の店なら、もっと安く買えるぞ」
「でしたら、そちらで購入されたほうがよいと思います。私たちも、無理に買っていただこうとは考えていません」
声は穏やかだったが、サラは引かなかった。
男はしばらく睨むように値札を見たあと、千九百Gを机へ置いた。
「分かった。それでいい」
「ありがとうございます。塩気が強いので、スープへ使う際は味を確かめてから、ほかの調味料を加えてください」
サラは最後まで丁寧に説明し、四袋を渡した。
男が去ったあと、サラの肩から力が抜ける。
「緊張しました」
「よく断れたな」
「本当は、怒らせるのが怖かったです。でも、安く売りすぎたら、材料を買えなくなってしまいますから」
「サラ、商売に向いているんじゃないか?」
リオナが笑う。
「まだ分かりません。でも、作ったものを喜んでもらえるのは嬉しいです」
午後になると、鍛冶場からカレンがやって来た。
今日も白いタンクトップ姿で、腰には厚い革の前掛けをつけている。
「本当に店を出したんだね」
「カレン。いらっしゃいませ」
サラが自然に頭を下げる。
「鍛冶場の皆さんから、また食べたいと頼まれてね。残っているなら十袋ほしい」
「十袋もですか?」
「前に持っていったら、一日でなくなったんだ。酒にも合うらしい」
カレンが十袋を購入したことで、机の上に残った商品はわずかになった。
「カレンは胸も大きいけれど、買い方も大きいっピ!」
「シロちゃん。それは褒めているのかい?」
「両方褒めているっピ!」
「なら、今回は許してあげよう」
カレンは笑い、シロちゃんの頭を指先で撫でた。
日が傾く前に、四十袋すべてが売れた。
売上は、まとめ買いの値引きを含めて一万九千九百G。
場所代と材料費を差し引くと、利益は約八千Gだった。
冒険者の依頼一回分より少ない。
それでも、魔物と戦わずに得た収入だ。
「完売だっピ!」
シロちゃんが空になった机の上で飛び跳ねる。
サラは売上を数え、購入した人数と売れた数を帳面へ記録していた。
最初の頃は客へ話しかけられるたびに緊張していた。
それが今では、味の特徴や保存期間を自分の言葉で説明し、相手の質問にも落ち着いて答えられるようになっている。
《接客を習得しました》
《初級スキル図鑑へ登録します》
取得者:サラ
登録数:36/90
初級スキル図鑑 一般系統:1/5
「サラ、《接客》を習得したぞ」
「本当ですか?」
「ああ。一般系統で初めての登録だ」
サラは帳面を胸元へ抱き、嬉しそうに笑った。
「ここで説明するっピ!」
シロちゃんがサラの肩へ飛び乗る。
「《接客》は、一度品物を渡しただけでは習得できないっピ。相手が何を求めているのかを聞き、必要な説明を行い、質問や値段の相談にも対応して、最後まで気持ちよく取引を終える必要があるっピ!」
「今日は失敗もしました」
「失敗しても、その理由を考えて次の客へ活かせれば、習得へ近づくっピ。最初から一度も失敗しないことより、最後には安定して対応できることが大切だっピ!」
サラはシロちゃんの説明を聞き、帳面に新しい文字を書き加えた。
男性客にも必ず味見を勧める。
まとめ買いの値引きは、四袋で百Gまで。
保存期間と食べ方を必ず説明する。
「次に出すときは、今日よりうまくできると思います」
「またやるのか?」
「はい。毎日は難しいですが、一週間に一度くらいなら続けられるかもしれません。保存食だけでなく、畑の野菜が育ったら、それも少し売ってみたいです」
「いいな。冒険者の仕事がない日にも稼げる」
「私はまた客を呼べばいいんだな」
リオナが胸を張る。
「次は胸ではなく、保存食の味で呼んでください」
「努力する」
「シロちゃんも頑張ったっピ!」
「シロちゃんは、試食品を食べていただけではありませんか?」
サラに指摘され、シロちゃんの耳が垂れた。
「可愛さで客を呼んだっピ……」
「それは認めるよ」
俺が頭を撫でると、シロちゃんはすぐに機嫌を直した。
家へ帰る途中、サラは売上の入った小袋を大切そうに抱えていた。
「冒険者の依頼で報酬をもらうのとは、少し違いますね」
「自分で作ったものを売ったからか?」
「はい。それに、自分たちの暮らしが少しずつ形になっている気がします。畑を作って、保存食を作って、それを売って……まだ小さいですけど、私たちにもできることが増えました」
「俺は肉を切っただけだけどな」
「一人では四十袋も作れませんでした。ルナトとリオナが手伝ってくれたからです」
「私も家族共通の財布へ入れてもらえるのか?」
リオナが尋ねる。
「もちろんです。三人と一匹で稼いだお金ですから」
「シロちゃんも数に入ったっピ!」
「味見で減らした分は、食費から引くかもしれません」
「それは困るっピ!」
夕日に照らされた道を、四人で並んで歩く。
剣を振るうだけが、暮らしを守る方法ではない。
畑を育てることも、食べ物を作ることも、それを誰かへ売ることも、すべて俺たちの生活につながっている。
図鑑の数字は三十六。
一般系統は、ようやく一つ目。
急ぐ必要はない。
俺たちはこうして暮らしながら、一つずつ図鑑を埋めていけばいいのだから。




