第36話 大雨から畑を守れ
牙猪の討伐から二日後。
朝から、空は厚い雲に覆われていた。
いつもなら聞こえる鳥の声も少ない。
風は生温かく、湿った土の匂いを運んでくる。
「雨が降りそうですね」
サラが庭から空を見上げる。
「水やりをしなくていいなら楽だね」
リオナは畑の前へしゃがみ、育ち始めた芽を眺めていた。
葉野菜の芽は、最初に土から出た頃よりも大きくなっている。
【あとがき】
「説明が少し足りない」「セリフが短い」というご意見をいただきました。
そこで今作から、説明担当の小鳥のシロちゃんが登場します。
シロ「説明を分かりやすくするため、今日からシロがお手伝いするっピ! 登場人物が何を考えているのか、スキルがどういう仕組みなのか、作者がうっかり書き忘れたことまで、読者のみんなにしっかり説明していくっピ!」
作者「おお、さっそくセリフが長い」
シロ「セリフも長くするようにご指摘をいただいたから、ちゃんと実行しているっピ。これからは一言で済むような場面でも、気持ちや理由を丁寧に語って、読み応えのある会話にしていくっピ!」
作者「いや、そこまで長くしなくても……」
シロ「長くしろと言ったり、長すぎると言ったり、注文が多いっピ!」
そんなわけで、説明不足を補うため、今作からシロちゃんが登場します。
物語の邪魔にならない範囲で働いてもらう予定です。たぶん。
根菜の芽も数を増やし、花の区画には小さな双葉が並び始めていた。
種を植えてから、二週間ほど経っている。
毎朝、三人で土の状態を確認した。
水を撒く日。
撒かずに様子を見る日。
芽の周囲に生えた雑草を抜く日。
葉へ虫がついていないか調べる日。
図鑑のヒントを頼りにしながら、マーナにも教えてもらっている。
「リオナ、水を撒かなくても、雨が強すぎれば別の問題が起きるぞ」
「強すぎる雨?」
「芽が倒れたり、土が流れたりするかもしれない」
俺は図鑑を開く。
《栽培》――未登録
習得のヒント:作物の性質を知り、適切な環境で継続的に世話をする。
雨も、作物が育つためには必要だ。
だが、どの程度までなら問題ないのか、俺には分からない。
「マーナさんへ聞いてみましょう」
サラの提案で、隣の家へ向かう。
マーナは自分の庭で、畑の周囲へ細い溝を掘っていた。
「ちょうどよかった。あんたたちの畑も、早く準備したほうがいいよ」
「やはり、強い雨が降るのですか?」
「この風と雲なら、昼過ぎには来るね」
マーナが空を見上げる。
「一度に大量の雨が降れば、平らな畑には水が溜まる。芽の根が腐ったり、土ごと流されたりするよ」
「どうすればいい?」
「畝の間へ溝を作って、水の逃げ道を用意する。畑の一番低い場所から、庭の外へ流れるようにするんだ」
「すぐにやります」
「それから、まだ小さな芽には覆いがあったほうがいい。布を直接かけるんじゃないよ。棒で支えて、芽へ触れない高さに張るんだ」
必要な作業は多い。
雨が降り始めるまで、どのくらい時間があるか分からない。
「まず、水の逃げ道を作ろう」
俺たちは物置から鍬と木の棒を取り出した。
俺が鍬を持とうとすると、サラに止められる。
「脇腹の怪我は、まだ治っていませんよね?」
「もうほとんど痛まない」
「ほとんど、ということは、少しは痛むのですね」
「軽い打撲だ。鍬くらい使える」
「無理をしたら、夕方にもう一度確認しますからね」
「分かった」
「どこまで服を脱がされるのかな?」
リオナが横から尋ねる。
「治療に必要なところまでです」
「昨日は、かなり上まで服をめくられてたよね」
「脇腹を見るためです」
「そのままサラが触って――」
「リオナさん。雨が降る前に作業を始めますよ」
サラの笑顔に押され、リオナが口を閉じた。
マーナに畑の傾きを教えてもらう。
俺たちの庭は、家の側が少し高く、反対側へ向かって低くなっていた。
水を流すなら、低い側へ溝を伸ばせばいい。
「深く掘りすぎるんじゃないよ」
「深いほうが、水がたくさん流れるんじゃないのか?」
「畑の土まで一緒に流れる。それに、歩くたび足を取られるよ」
力任せに掘ればいいわけではない。
鍬を入れる深さを揃え、畝の間に浅い溝を作る。
サラは石や大きな土の塊を取り除く。
リオナには、庭の低い場所まで水路を伸ばしてもらった。
「こっちまで掘ればいい?」
「曲がっていませんか?」
「水は曲がってても流れるよ」
「途中が高くなっています。それでは水が止まります」
「サラ、見ただけで分かるの?」
「先ほどマーナさんに教えてもらいました」
「もうあたしより詳しくなってる……」
サラが細い棒を地面へ置き、水路の傾きを確認する。
「ここを少しだけ深くしてください」
「分かった」
リオナが鍬を入れる。
普段は弓を使う彼女も、鍬にはまだ慣れていない。
勢いよく土へ刃を入れすぎ、泥を自分の顔へ飛ばした。
「……」
「大丈夫か?」
「見ないで」
褐色の頬に、黒い泥がついている。
「取りますね」
サラが布でリオナの顔を拭く。
「目を閉じてください」
「子どもじゃないよ?」
「動くと目に入ります」
リオナは素直に目を閉じた。
サラに顔を拭かれ、獣耳まで綺麗にされる。
「はい。取れました」
「ありがとう」
「今度は、ゆっくり鍬を入れてくださいね」
「……はい」
完全に子どものような返事だった。
水路を作ったあとは、芽を守る覆いを用意する。
物置に残っていた木の棒を畑の四隅へ立てる。
上から古い布を張り、風で飛ばないよう縄で固定した。
「暗くしても大丈夫なのか?」
「雨が止んだら、すぐに外せばいいそうです」
サラが結び目を確認する。
「今は、雨が直接芽へ当たらないことを優先します」
「この布、破れてるよ」
リオナが中央の穴を指差す。
「縫う時間はあるか?」
「すぐに直します」
サラが裁縫道具を取りに家へ入る。
針と糸を使い、布の穴を手早く塞いだ。
《裁縫》を持っているため、慣れた動きだ。
俺とリオナで布を持ち、サラが補修する。
「もう少し右を上げてください」
「こっち?」
「上げすぎです」
「このくらい?」
「今度は下がっています」
「サラが縫う場所に合わせて動かしてるんだけど」
「動かさないでください」
「どっちなの?」
「三人とも、急いだほうがいいよ!」
隣からマーナの声が飛んできた。
空がさらに暗くなっている。
遠くから、低い雷の音が聞こえた。
「布はこれで大丈夫です。早く張りましょう」
補修した布を棒の上へ広げる。
四隅を縄で結び、さらに中央へ一本の支柱を立てた。
雨水が布の上へ溜まらず、左右へ流れるためだ。
「できた!」
リオナが声を上げる。
だが、風が強くなり、布が大きく膨らんだ。
右端の棒が傾く。
「このままでは飛ばされます!」
サラが棒を押さえる。
「縄を追加しよう!」
物置から太い縄を取り出し、布と支柱を家の柵へ固定した。
最後の結び目を作った瞬間。
額へ、冷たいものが落ちた。
「降ってきた」
最初は数滴。
すぐに雨粒の数が増える。
「家へ入ろう」
「水路を確認してからです!」
サラが畑を見る。
畝の間へ落ちた雨水が、作ったばかりの溝へ集まり始めていた。
水は低い場所へ向かって流れている。
だが、一か所だけ土が崩れ、流れが止まりかけていた。
「あそこです!」
サラが走る。
俺とリオナも追う。
サラが手で崩れた土を取り除く。
水が一気に流れ始めた。
「これなら大丈夫です!」
「今度こそ家へ戻るぞ!」
その頃には、本降りになっていた。
三人で玄関へ駆け込む。
わずかな時間しか外にいなかったのに、全身が濡れていた。
「すごい雨……」
リオナが窓から外を見る。
屋根や庭へ、激しい音を立てて雨が落ちている。
布の覆いは風に揺れているが、飛ばされてはいない。
水路からも、庭の外へ水が流れていた。
「二人とも、先に着替えましょう」
サラが言う。
薄い白色のブラウスは雨を吸い、肌へぴったりと張りついている。
下に着ている白い布だけでなく、豊かな胸の形まで、はっきり浮かんでいた。
リオナの服も同じだ。
濡れた布が褐色の肌へ貼りつき、大きな胸の膨らみと細い腰を強調している。
二人の姿へ目を奪われる。
「ルナト」
サラの声が低い。
「何だ?」
「どこを見ていますか?」
「二人とも濡れていると思って」
「顔を見れば分かりますよね?」
「そうだな」
「服が透けてる?」
リオナが自分の胸元を見る。
「本当だ」
両手で服を引っ張る。
だが、濡れた布はすぐに肌へ張りついた。
「ルナト、見てもいいよ?」
「リオナさん」
「少しくらいなら減らないでしょ?」
「減る問題ではありません」
サラが壁に掛けてあった布を取り、リオナの身体へ巻きつけた。
次に自分の胸元も別の布で隠す。
「ルナトは、後ろを向いていてください」
「二人とも部屋で着替えればいいだろ?」
「濡れた服で床を歩けば、掃除が増えます」
「では、どうする?」
「ここで脱ぎます」
「俺がいるぞ」
「ですから、後ろを向いてください」
言われたとおり、壁のほうを向く。
背後から、濡れた服を脱ぐ音が聞こえた。
「ルナト、振り返ったら駄目だよ」
「振り返らない」
「絶対?」
「ああ」
「少しならいいけど?」
「リオナさん、早く脱いでください」
「サラはもう全部脱いだの?」
「言いません!」
聞こえてくる会話だけで、背後の様子を想像してしまう。
「あなた」
サラに呼ばれる。
「もういいか?」
「まだです。ルナトも濡れた服を脱いでください」
「ここで?」
「そのままでは身体が冷えます」
「二人が後ろを向いてくれ」
「夫婦なのに?」
リオナが楽しそうに言う。
「リオナは夫婦じゃないだろ」
「じゃあ、あたしだけ目を閉じるね」
「向こうの部屋へ行ってくれ」
結局、二人が着替えて部屋から出たあと、俺も乾いた服へ着替えた。
サラが温かい飲み物を作る。
三人で窓のそばに座り、雨が降り続ける庭を見守った。
「覆い、飛ばないかな」
リオナが不安そうに呟く。
「縄はしっかり結びました」
「水路が詰まったら?」
「今は外へ出るほうが危険です。雨が弱くなってから確認しましょう」
畑を作る前なら、雨の夜に庭を心配することなどなかった。
今は、小さな芽が気になって仕方ない。
俺たちが植え、毎日世話をしてきたものだからだ。
夕方になっても、雨は降り続けた。
夜に近づく頃、ようやく雨音が弱くなる。
「見に行こう!」
リオナが立ち上がる。
「まだ完全には止んでいません」
「でも、畑が心配だよ」
「足元に気をつけて確認しましょう」
三人で外へ出た。
庭には水たまりができている。
それでも、畑の中へ大量の水は溜まっていなかった。
作った溝が、水を庭の外へ流している。
布の覆いも、一部が緩んだだけで残っていた。
「芽は?」
リオナが布の下を覗き込む。
葉野菜。
根菜。
二種類の花。
小さな芽は、どれも土の上に残っていた。
強い雨に倒されていない。
「無事です」
サラが安堵したように息を吐く。
「よかった……」
リオナがその場へしゃがみ込んだ。
「せっかく出た芽が、全部なくなるかと思った」
「三人で準備したから守れたんだ」
「マーナさんに教えてもらったおかげです」
まだ雨が降っているため、覆いは翌朝まで残すことにした。
家へ戻り、濡れた身体をもう一度拭く。
その夜は、雨で冷えた身体を温めるため、野菜と牙猪の肉を使った熱いスープを食べた。
◇
翌朝。
雨は上がっていた。
雲の隙間から朝日が差し込み、庭に残った水滴を輝かせている。
三人で布の覆いを外した。
芽は少し傾いていたが、折れてはいない。
サラが土の状態を確認し、水路へ溜まった葉を取り除く。
「今日は水やりをしなくて大丈夫です」
「いつまで覆いを外しておけばいい?」
リオナが尋ねる。
「雨が降らないなら、このままです。日光を当てる必要がありますから」
「風が強くなったら?」
「また支柱を立てましょう」
サラは一つずつ答える。
種を植えたばかりの頃は、俺たち全員が何も知らなかった。
今は土の湿り具合を確認し、雨や風に合わせて世話の方法を変えられる。
毎日観察し、マーナへ教わり、失敗しそうになれば直してきた。
そして昨日は、大雨から芽を守った。
淡い文字が浮かび上がる。
《栽培を習得しました》
《初級スキル図鑑へ登録します》
取得者:サラ
登録数:33/90
《生産系スキル:5/15》
「《栽培》が登録されました」
サラが驚いたように目を見開く。
「生活系ではないんだな」
「作物を生み出す技能ですから、生産系なのでしょう」
「これで生活系の報酬には近づかないの?」
リオナが少し残念そうに言う。
「図鑑全体では、一つ増えた」
「そうです。どの分類も、いつかは埋めるのですから」
サラが登録内容を開く。
《栽培》――登録済み
取得者:サラ
作物の状態と周囲の環境を観察し、成長に適した世話を継続する技能。
「種を植えただけでは、登録されませんでした」
「二週間以上世話を続けたからだな」
「昨日の雨も、条件の一つだったのでしょうか」
「たぶん、状況に合わせて守れたことが大きいんじゃない?」
リオナが小さな芽を見つめる。
「図鑑も、ちゃんと見てたんだね」
技能を得たからといって、作物が勝手に育つわけではない。
水を与えすぎれば根が傷む。
虫や病気を見逃せば、枯れることもある。
それでも、何を観察すればいいのか、以前より理解できるようになった。
「これからも三人で育てましょう」
サラが言う。
「ああ」
「もちろん!」
リオナの尻尾が大きく揺れる。
大雨のあとに残った小さな芽は、朝日の下で静かに葉を広げていた。




