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第32話 三人で過ごす休日


 角兎の依頼から五日後。


 俺たちは依頼を入れない休日を迎えた。


「それで、今日はどこへ行くんだ?」


 朝食を終えたあと、リオナへ尋ねる。


 次の休日に行きたい場所を考えておくと言っていたが、まだ何も聞かされていない。


「決めたよ」


 リオナが得意そうに胸を張る。


「町の西側に、大きな広場があるんだ。今日は露店や旅芸人が集まるらしいから、そこへ行きたい」


「分かりました。では、お弁当を作りましょう」


 サラが立ち上がりかける。


「今日は作らなくていいよ」


「ですが、外で食べるとお金がかかります」


「家族のお金じゃなくて、あたしの個人のお金から出すから」


 リオナが革袋を持ち上げる。


 硬貨の音が鳴った。


「串焼きだけでは駄目ですよ」


「今日は串焼き以外も食べるよ」


「本当に?」


「サラは、あたしを何だと思ってるの?」


「串焼きを三本買えば家族の食費になると思っている人です」


「あれは提案しただけだよ」


「却下しました」


 家計を管理するようになってから、リオナとサラの間では食費についての会話が増えていた。


「それと、今日は三人で行こう」


 リオナが言う。


「二人で出かけるんじゃなかったのか?」


「考えたんだけど、最初は三人がいい」


 赤褐色の獣耳が、少しだけ横へ倒れる。


「ルナトと二人で出かけてみたい気持ちもあるよ。でも、今はサラを置いていくと、あたしが落ち着かないから」


「私は構いませんよ」


 サラが穏やかに答える。


「分かってる。でも、今日は三人で楽しみたいんだ」


「では、三人で行きましょう」


「うん!」


 リオナの尻尾が勢いよく揺れる。


 畑の様子を確認してから、出かける準備をした。


 葉野菜の芽は、五日前より少し大きくなっている。


 根菜を植えた区画からも、小さな芽が出始めていた。


 サラが選んだ白い花と、リオナが選んだ赤や黄色の花は、まだ土の中だ。


「帰ってきたら、また水をあげようね」


 リオナが芽へ話しかける。


「朝に水を撒いたばかりです。夕方も土が湿っていたら必要ありません」


「畑に行くと、サラが厳しい……」


「芽を守るためです」


 家の戸締まりを確認し、三人で町の中心部へ向かった。


 今日は俺が中央を歩き、右側にサラ、左側にリオナがいる。


「手を繋がないの?」


 リオナが尋ねる。


「三人で?」


「サラとのデートでは繋いでたんでしょ?」


「なぜ知っているんだ?」


「帰ってきたサラに聞いたから」


 サラを見る。


 白い花の髪飾りをつけた彼女が、気まずそうに目を逸らした。


「聞かれたので、答えただけです」


「口づけしたことまで教えたのか?」


「それはリオナさんが、私の顔を見て気づいたのです」


「分かりやすかったよ」


 リオナが笑う。


「それで、今日はどうする?」


「手を繋ぐくらいならいいんじゃないか?」


 右手をサラへ差し出す。


 左手はリオナへ。


 サラは慣れたように俺の手を握った。


 リオナは差し出された左手を、しばらく見つめている。


「どうした?」


「なんだか、本当にデートみたいだと思って」


「デートじゃなかったのか?」


「そうなんだけど……」


 リオナが俺の手を握る。


 獣人らしく体温が高く、サラの手より少し温かい。


「嫌なら離していいぞ」


「嫌じゃない」


 握る力が少し強くなる。


「今日は、このまま行く」


 三人で手を繋ぎ、町まで歩いた。


 通りの人から見れば、俺たちはどういう関係に見えるのだろう。


 夫婦と、その冒険者仲間か。


 それとも、少し変わった家族なのか。


 西側の広場へ到着すると、すでに多くの人で賑わっていた。


 食べ物や装飾品を売る露店。


 道具を使った曲芸。


 楽器を演奏する旅人。


 子どもたちが追いかけている、色鮮やかな布の玩具。


「すごい人だね」


 リオナの獣耳が、あちこちの音へ向く。


「耳は大丈夫か?」


「少しうるさいけど、楽しい音だから平気」


 まず、リオナが希望していた串焼きの露店へ向かった。


「三本ください」


「一人で三本食べるのですか?」


「違うよ。三人で一本ずつ」


 リオナが自分の金を払い、俺とサラへ一本ずつ渡す。


「今日はあたしが誘ったから、ごちそうする」


「ありがとう」


「ありがとうございます」


 焼きたての肉へ、甘辛いタレが塗られている。


 一口食べると、香ばしい肉の味が口いっぱいに広がった。


「うまいな」


「でしょ?」


 リオナは自分が作ったわけでもないのに、得意そうに胸を張る。


「これなら必要経費にしてもいいと思わない?」


「今日はリオナさんの個人費です」


「サラはぶれないね……」


 串焼きを食べながら、広場を歩く。


 輪投げの露店を見つけ、リオナが足を止めた。


「これ、やってみたい」


 台の上には、木製の小さな動物や、色のついたガラス玉が並んでいる。


 離れた場所から輪を投げ、商品へ入ればもらえるらしい。


「弓使いなら得意そうだな」


「輪と矢は違うよ。でも、任せて」


 リオナが代金を払い、三つの輪を受け取る。


 一投目。


 狙ったガラス玉の横へ落ちた。


「……今のは風のせい」


「風は吹いていませんよ」


 二投目。


 輪は動物の耳へ当たり、跳ねて落ちた。


「台が少し傾いてる」


「水平に見えます」


「サラ、今日は厳しくない?」


 三投目は、商品から大きく外れた。


 リオナの獣耳が、完全に伏せられる。


「弓なら当たるのに……」


「俺もやってみる」


 輪を三つ受け取る。


 一投目と二投目は外れた。


 三投目だけが、台の端にある小さな木製の狼へ入る。


「取れた」


「それ、あたしにくれるの?」


「欲しいのか?」


「狼だよ?」


 リオナが期待するように、金色の瞳を輝かせている。


「なら、リオナに」


「ありがとう!」


 受け取った木製の狼を両手で持ち、大切そうに眺めた。


「家の部屋に飾る」


「そんなに気に入ったのか?」


「ルナトが取ってくれたからね」


 そう言われると、少し照れくさい。


「サラにも何か取りましょうか?」


 リオナが尋ねる。


「私は見ているだけで楽しいです」


「それでは不公平だろ」


「先日のデートで髪飾りをいただきましたから」


 サラが白い花の髪飾りへ触れる。


「今日はリオナさんが楽しむ日です」


「サラも楽しんでよ」


「楽しんでいますよ。二人が輪を投げている姿が、面白かったです」


「面白いって、笑ってたの?」


「少しだけ」


「気づかなかった……」


 次は三人で旅芸人の曲芸を見る。


 高く投げられた五本の棒が、落ちることなく両手の間を行き来する。


 リオナは子どものように目を輝かせ、技が成功するたび拍手していた。


 サラも普段よりよく笑っている。


 何かをするわけでもなく、三人で同じものを見て笑う。


 それだけで十分に楽しかった。


 昼前になり、広場を出て市場へ向かう。


 食堂で昼食を取る予定だった。


 大通りへ入ったとき、前方から馬の激しい鳴き声が聞こえた。


「危ない!」


 誰かが叫ぶ。


 荷物を積んだ馬車が、通りをこちらへ向かって走ってきていた。


 馬は目を見開き、口から泡を飛ばしている。


 御者が手綱を引いているが、速度は落ちない。


「道を空けろ!」


 通りにいた人々が、左右へ逃げる。


 俺たちも建物のそばへ移動した。


 そのとき。


「お母さん……!」


 通りの中央で、小さな子どもが転んだ。


 逃げる人に押されたらしく、立ち上がれずにいる。


 馬車は、すぐ近くまで迫っていた。


「リオナ!」


 俺が名前を呼んだときには、彼女はすでに走り出していた。


 子どもを抱き上げる。


 そのまま道の端へ向かうが、間に合わない。


 リオナは子どもだけを両腕で投げるように押し出した。


 道の外にいた女性が、子どもを受け止める。


 だが、リオナ自身は通りの中央に残った。


 振り返った彼女の前に、馬の巨体が迫る。


「リオナ!」


 考えるより先に、身体が動いた。


 走りながら左腕を伸ばし、リオナの腰を抱く。


 全身の力を使って、横へ飛んだ。


「えっ――」


 リオナの短い声。


 二人で石畳の上を転がる。


 直後、馬の蹄と車輪が、すぐそばを通過した。


 激しい音と風。


 馬車の荷台から落ちた木箱が、石畳へ砕け散る。


 俺はリオナを抱いたまま、建物の壁際まで転がった。


 背中へ強い衝撃が走る。


「ぐっ……」


 どうにか止まる。


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。


「ルナト!」


 サラの声が近づく。


「大丈夫ですか!」


「ああ……たぶん」


 身体を起こそうとしたが、胸元に重みがある。


 リオナが俺の上へ覆いかぶさっていた。


 金色の瞳が、驚いたように俺を見つめている。


 豊かな胸が、俺の胸板へ柔らかく押しつけられていた。


 普段なら冗談を言いそうな状況だ。


 だが、リオナは動かない。


「リオナ、怪我は?」


「……あたしは平気」


「本当に?」


「うん。ルナトが下になったから」


 リオナの両手が、俺の服を掴む。


「どうして?」


「何が?」


「どうして、あたしを助けたの?」


「轢かれそうだったからだ」


「ルナトまで怪我をするかもしれなかったんだよ?」


「考える暇なんてなかった。身体が勝手に動いた」


「そんなこと……」


 赤褐色の獣耳が、次第に赤くなっていく。


「そういうことを平気で言うの、ずるいよ」


「ずるい?」


「何でもない」


 リオナが起き上がろうとする。


 だが、脚へ力が入らなかったのか、もう一度俺の胸へ倒れ込んだ。


「ご、ごめん」


「本当に怪我はないのか?」


「驚いて、少し力が抜けただけ」


 俺は上半身を起こし、リオナの身体を支えた。


 サラが目の前へ膝をつく。


「二人とも、動かないでください」


 まずリオナの腕や脚を確認する。


 大きな傷はない。


 次に、俺の背中を見る。


「服が破れています」


「地面を転がったからな」


「背中に擦り傷があります。右肩も打っていますね」


「動かせるから大丈夫だ」


「動かせても、怪我は怪我です」


 サラが持っていた布と薬を取り出す。


「服を脱いでください」


「ここで?」


「傷が見えません」


「でも、通りだぞ」


「怪我を確認するほうが先です」


 仕方なく上着を脱ぐ。


 サラが水で濡らした布を、背中へ当てた。


「痛っ」


「我慢してください」


「治療が少し乱暴じゃないか?」


「無茶をした人には、これくらいです」


「サラ、怒ってるの?」


 リオナが心配そうに尋ねる。


「怒っています」


「ルナトが、あたしを助けたから?」


「違います」


 サラは傷へ薬を塗りながら答える。


「リオナさんを助けてくれたことには、感謝しています」


 蜂蜜色の瞳が俺を見る。


「ですが、ルナトも私たちの大切な人です。自分が怪我をしても構わないような助け方は、してほしくありません」


「ほかに方法がなかった」


「それでも、心配します」


「悪かった」


「謝るだけではなく、次からは自分も無事でいる方法を考えてください」


「ああ」


 治療を終え、服を着直す。


 その間に、暴走した馬車は通りの先で止められていた。


 町の衛兵と数人の冒険者が馬を押さえている。


 馬車の留め具が壊れ、荷台が大きく傾いていた。


 先ほどの子どもと母親らしい女性が、俺たちのところへ来る。


「ありがとうございました。本当に、ありがとうございました……!」


 女性は子どもを抱き締めたまま、何度も頭を下げた。


「お姉ちゃん、ありがとう」


 子どもがリオナを見る。


「怪我はない?」


「うん」


「よかった」


 リオナが安心したように笑う。


「次からは、お母さんの手を離しちゃ駄目だよ」


 母親は涙を流しながら、もう一度礼を言った。


 御者も馬車を衛兵へ任せ、こちらへ駆け寄ってきた。


「申し訳ありません! 突然、馬のそばで大きな音がして……」


 治療費を支払うと言われたが、俺の傷は軽い。


 サラが使った薬と、破れた服の代金だけを受け取ることにした。


 騒ぎが落ち着いたあと、俺たちは通りの端にある長椅子へ座った。


「デート、台無しになっちゃったね」


 リオナが木製の狼を握りながら言う。


「どうして?」


「ルナトが怪我したから」


「大した怪我じゃない」


「でも……」


 獣耳が伏せられている。


 俺はリオナの頭へ手を置いた。


「子どもを助けたのは、立派だった」


「身体が勝手に動いただけだよ」


「俺と同じだな」


「……うん」


「それなら、仕方ない」


 リオナが少しだけ笑う。


「ルナト」


「何だ?」


「ありがとう」


「ああ」


「あたしを助けてくれて、すごく嬉しかった」


 リオナの尻尾が、俺の腰へゆっくり巻きついた。


「今日は、もう少しこのままでもいい?」


「尻尾を?」


「それもだけど」


 リオナが俺の左手を握る。


 先ほどまでより、少しだけ緊張しているのが伝わってきた。


「手も」


「ああ」


 サラが俺の右隣へ座る。


「私も手を繋いでいいですか?」


「もちろん」


 右手でサラの手を握る。


 三人で並び、しばらく通りを眺めていた。


「サラ」


 リオナが俺越しに声をかける。


「何ですか?」


「あたし、少しだけ分かったかもしれない」


「何がですか?」


「まだ言えない」


 リオナが俺の手を握り直す。


「もう少し、自分で考えてから話す」


「分かりました」


 サラは無理に聞こうとしなかった。


「でも、一人だけで悩みすぎないでくださいね」


「うん」


 昼食は予定どおり、三人で食堂へ入った。


 先ほどの出来事があったため、しばらくは会話も少なかった。


 それでも、リオナが俺の皿から肉を一切れ取ったことで、いつもの空気が戻ってきた。


「それは俺のだぞ」


「助けてもらったお礼に、毒見してあげたんだよ」


「毒なんて入ってない」


「食べるまで分からないでしょ?」


「では、リオナさんの皿も私が毒見します」


 サラがリオナの焼き魚を一切れ取る。


「サラまで!」


「家族ですから」


「その言葉、便利に使ってない?」


 三人で笑う。


 帰り道も、手を繋いで歩いた。


 家へ着くと、畑の土はまだ湿っている。


 今日は水を撒かなくても大丈夫そうだ。


 リオナは部屋へ戻る前に、輪投げでもらった木製の狼を棚へ飾った。


「ここなら、毎日見られる」


「そんなに大切なのか?」


「大切だよ」


 リオナが木製の狼を指先で撫でる。


「初めての三人デートで、ルナトにもらったものだから」


 そして、俺へ顔を向けた。


 金色の瞳が、いつもより柔らかく見える。


「今日のこと、忘れないからね」


 俺も忘れないと思う。


 リオナが子どもを助けるために飛び出したこと。


 彼女を失うかもしれないと思った瞬間、身体が勝手に動いたこと。


 そして、助けたあとも長い間、胸の鼓動が治まらなかったこと。


 それが家族を心配する気持ちだけなのか。


 まだ、俺にも分からない。


 ただ一つだけ、はっきりしている。


 リオナに傷ついてほしくなかった。


 これからも、彼女にはこの家で笑っていてほしい。


 今は、それだけで十分だった。


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