第31話 新しい剣の初仕事
種を植えてから三日が経った。
毎朝、起きると三人で畑を確認している。
だが、土の上には何も出ていない。
「今日も出てない……」
リオナが地面へしゃがみ込み、じっと土を見つめる。
「本当に種を植えたの?」
「リオナさんも一緒に植えたでしょう」
「土の中で消えたのかも」
「消えません」
「少し掘って確認したら――」
「駄目です」
サラが即答した。
「マーナさんから、掘り返してはいけないと言われましたよね?」
「表面を少しだけ」
「駄目です」
「見るだけだから」
「絶対に駄目です」
サラがリオナの両肩を掴み、畑から引き離す。
赤褐色の尻尾が、未練がましく土の上を揺れていた。
「芽が出るまで待つのも、栽培の一部なんだろうな」
俺は図鑑を開く。
《栽培》――未登録
習得のヒント:作物の性質を知り、適切な環境で継続的に世話をする。
種を植えて三日。
毎朝、土の状態を確認し、乾いていれば水を撒いている。
それでも《栽培》は登録されない。
まだ作物の姿さえ見ていないのだから、当然だろう。
「今日の水やりは必要でしょうか」
サラが土へ指を入れ、湿り具合を確かめる。
「表面は乾いていますが、中には水分が残っています」
「昨日の夕方にも撒いたからな」
「では、朝はやめておきましょう」
「水は多いほうが早く育つんじゃないの?」
リオナが尋ねる。
「与えすぎると、種や根が腐るそうです」
「少なくても駄目で、多くても駄目なの?」
「はい」
「畑って難しいね……」
森を歩けば足跡を見分け、魔物の気配にも誰より早く気づくリオナが、土の前では困り果てている。
「だから、毎日状態を見る必要があるんだろう」
「芽が出たら教えてね。あたしが見ていない間に出るのは嫌だから」
「芽が出る瞬間を見続けるつもりですか?」
「できれば」
「今日は依頼を受けるんだぞ」
家賃や食費のため、働かないわけにはいかない。
共通の家計を作ったことで、今月どの程度稼ぐ必要があるのかも分かるようになった。
「畑も気になるけど、新しい剣も試したいでしょ?」
リオナが俺の腰を見る。
カレンが作った赤鋼の剣。
受け取ってから毎朝、ゆっくりと素振りを続けている。
重さには慣れてきた。
だが、実戦で使ったことはまだない。
「ああ。危険度の低い依頼にしよう」
「ルナト」
サラが俺を見る。
「新しい剣を使いたいからといって、強い魔物を探してはいけませんよ」
「分かってる」
「本当に?」
「今日は依頼に必要な相手としか戦わない」
「では、信じます」
「サラはすっかりルナトの扱いに慣れたね」
「何度も無茶を見ていますから」
俺はそこまで無茶をしているつもりはない。
ただ、そのことを口にすれば二人とも反論しそうなので、黙っておいた。
三人で冒険者ギルドへ向かう。
掲示板には、町の中で行う仕事から、数日かけて森の奥へ入る討伐まで、さまざまな依頼が貼られていた。
「これなんてどう?」
リオナが一枚の依頼書を外す。
森の入り口付近に増えた角兎の間引き。
必要な討伐数は五匹。
一匹につき千五百Gが支払われ、死体を傷めず持ち帰れば肉や毛皮も買い取ってもらえる。
「角兎なら、危険は少ないな」
「油断すれば脚を刺されるよ」
「分かってる」
「それに、全部ルナトが倒したら駄目だからね」
「どうしてだ?」
「新しい剣で張り切りすぎそうだから」
「サラと同じことを言うんだな」
「家族だからね」
リオナは得意そうに胸を張った。
受付で手続きを済ませ、町の北門から森へ向かう。
今日は晴れている。
森へ続く道にも、商人や冒険者の姿があった。
「角兎の痕跡、覚えてる?」
森の入り口へ着くと、リオナが俺とサラへ尋ねた。
「丸い糞と、低い位置に残った歯形だろ?」
「それから、後ろ脚の足跡が大きいです」
サラが答える。
「二人とも正解」
リオナが金色の瞳を細める。
「じゃあ、今日はあたしが全部見つけないからね。二人も探して」
「試験か?」
「一緒に仕事をするなら、あたしだけが痕跡を見つけるより、全員で探せたほうが安全でしょ?」
「分かりました」
俺とサラも周囲を観察しながら進む。
しばらくすると、サラが低木の前で足を止めた。
「ここ、葉がかじられています」
膝ほどの高さにある葉の先が、いくつも欠けている。
リオナがしゃがみ込み、地面を調べた。
「新しい跡だね。今朝ここを通ってる」
「方向は分かるか?」
「それを探すのも二人の仕事」
俺は土の上に残った跡へ目を凝らす。
小さな前脚。
その後ろに、細長い後ろ脚の跡。
落ち葉の一部が、森の奥へ向かって押し分けられていた。
「こっちだ」
「正解」
リオナを先頭に、痕跡を追う。
数分進んだところで、俺にも草の擦れる音が聞こえた。
「右にいる」
声を抑えて伝える。
リオナの獣耳が右へ向く。
「二匹だね」
木の陰から覗くと、二匹の角兎が草を食べていた。
普通の兎よりも一回り大きく、額から短く尖った角が伸びている。
「どうする?」
「一匹はあたしが射る。もう一匹は逃げるはずだから、ルナトがお願い」
「サラは?」
「後ろへ回って、逃げる方向を狭めてもらう」
サラが音を立てずに移動する。
鉱山から逃げ出した頃に比べ、足運びがずっと自然になっていた。
サラが配置についたのを確認し、リオナが弓を引く。
矢が放たれた。
一匹目の角兎の首へ刺さる。
もう一匹が跳ね上がり、反対方向へ走り出した。
だが、そこにはサラがいる。
サラは短剣を構え、角兎を威嚇した。
進路を失った角兎が、俺のほうへ向きを変える。
腰の剣を抜く。
赤黒い刃が、木漏れ日を反射した。
角兎が地面を蹴る。
額の角を前へ向け、俺の脚を狙ってきた。
盾を少し下げる。
角が盾の表面へ当たる寸前、横へ傾けて受け流した。
角兎の身体が、俺の横を通り過ぎる。
振り向きざまに剣を振った。
今までの剣と同じ力で振らない。
重さに任せ、刃の軌道だけを整える。
赤鋼の刃が、角兎の首へ入った。
一撃だった。
角兎は数歩進み、その場へ倒れた。
「すごい切れ味ですね」
サラが駆け寄ってくる。
「ああ。前の剣とは全然違う」
刃へ目を向ける。
血はついているが、欠けた様子はない。
「でも、今の振り方は少し危なかったよ」
リオナが言う。
「危なかった?」
「剣が身体の後ろまで流れてた。もう一匹いたら、戻す前に襲われてたかも」
カレンにも、剣の重さで身体を流されるなと言われている。
「分かった。次は止める位置を意識する」
「武器がよくなっても、急に強くなったわけじゃないからね」
「ああ」
新しい剣は、俺の戦いを助けてくれる。
だが、剣そのものが俺を強くするわけではない。
使いこなすには、これから何度も振る必要がある。
二匹を解体し、持ってきた袋へ入れる。
残りは三匹だ。
次の痕跡を探しながら森を進む。
今度はリオナが足を止めず、俺とサラだけで探した。
「ルナト、あそこ」
サラが地面を指差す。
小さな糞がいくつか落ちている。
「まだ乾いていないな」
「近くにいるかもしれません」
周囲へ意識を向ける。
左側から、葉をかじる小さな音。
俺が視線で伝えると、サラも頷いた。
茂みの向こうには、三匹の角兎がいた。
「ちょうど残り三匹だね」
リオナが囁く。
「一匹ずつ担当する?」
「サラも倒すのか?」
「私も冒険者です」
サラが短剣の柄を握る。
彼女は回復や家事だけを担当するわけではない。
逃亡するために《斥候》となり、短剣の訓練も続けている。
「危なくなったら、すぐに下がってくれ」
「はい」
リオナの矢を合図に、三人で動く。
一匹は矢を受けて倒れた。
俺へ向かってきた一匹を、盾で進路から弾く。
すぐに剣を振らず、身体の向きを整えてから刃を下ろした。
今度は振り抜きすぎない。
刃が角兎の肩から胸へ入り、地面へ倒す。
サラのほうを見る。
最後の一匹が、短剣の届く距離へ飛び込んでいた。
サラは横へ避ける。
だが、スカートのように上着の裾が大きくめくれ、焦げ茶色のズボンに包まれた腰が露わになった。
戦闘中に見る場所ではない。
すぐに角兎へ視線を戻す。
サラは逃げる角兎を追わず、その動きを待った。
角兎が向きを変え、再び突進する。
今度はぎりぎりまで引きつけ、身体を半歩だけずらす。
角が脇を通過した瞬間、短剣を首筋へ突き入れた。
角兎が地面へ転がる。
「やりました……」
サラが息を弾ませる。
「大丈夫か?」
「はい。怪我はありません」
「よかった」
「それより、先ほどどこを見ていました?」
「角兎だ」
「本当に?」
「戦闘中だぞ」
「だからこそ、確認しています」
サラが自分の服を確認する。
「裾がめくれただけだ。ズボンだから何も見えてない」
「……見ていたのですね」
「見えてしまっただけだ」
「昨夜も見ているのに、まだ気になる?」
リオナが横から尋ねる。
「リオナさんは黙っていてください」
サラが赤くなった顔を背けた。
戦闘が終わっても、少しだけ夫婦らしい会話が増えた気がする。
五匹分の解体を済ませ、町へ戻る。
ギルドへ角と素材を提出した。
依頼報酬は七千五百G。
肉と毛皮の買い取りが四千G。
合計一万一千五百Gになった。
「半分が家族のお金ですね」
サラがすぐに計算する。
「五千七百五十G?」
リオナが言う。
「銅貨の都合がありますから、今回は五千八百Gを共通へ入れ、残りを三人で分けましょう」
「家計管理があると便利だな」
「スキルが計算してくれるわけではありませんよ」
サラは硬貨を確認しながら答える。
「記録や分配の方法を理解しているだけです。計算を間違えることはあります」
「じゃあ、三人で確認しよう」
リオナも硬貨を数え始める。
技能を得ても、何もかも自動で成功するわけではない。
剣術を持っていても、訓練しなければ剣は使いこなせない。
家計管理も同じなのだろう。
夕方、家へ戻った。
「芽!」
庭へ向かったリオナが、突然大きな声を上げた。
「芽が出てる!」
俺とサラも畑へ駆け寄る。
葉野菜を植えた区画。
土の表面から、薄緑色の小さなものが顔を出していた。
一つだけではない。
よく見ると、少し離れた場所にも小さな芽がある。
「本当に出ています」
サラが畑の前へしゃがむ。
「昨日までは何もなかったのに」
「掘らなくてよかった!」
「掘ろうとしていた人が言うことではありません」
「我慢したから見られたんだよ」
リオナは芽へ顔を近づける。
「小さいね」
「触るなよ」
「触らないって」
俺も隣へしゃがむ。
芽は細く、少し強い風が吹けば折れてしまいそうだ。
それでも、確かに土の中から外へ出ている。
「これが、俺たちが植えたものか」
「はい」
サラが嬉しそうに微笑む。
「これから毎日、少しずつ大きくなるのですね」
「食べられるまで、どのくらい?」
「まだ時間がかかります」
「明日は?」
「無理です」
「一週間後は?」
「それも難しいと思います」
リオナの獣耳が伏せられる。
「待つことも、栽培の仕事なんだろ?」
「分かってるけど、早く食べたい」
「食べるためだけに育てるのですか?」
「育てるのも楽しいよ。でも、最後に食べられたらもっと嬉しいでしょ?」
「それはそうですね」
三人で芽を囲み、しばらく眺めていた。
図鑑を開く。
《栽培》は、まだ未登録のままだ。
芽が出ただけでは、習得条件を満たさない。
ここから無事に育てる必要がある。
「焦らず続けよう」
「はい」
「毎朝、あたしが一番に確認する!」
「その前に顔を洗ってくださいね」
「畑を見てからでもいいでしょ?」
「駄目です」
サラとリオナの声が、夕方の庭へ響く。
今日は依頼で金を稼ぎ、新しい剣の使い方を少し学び、畑から最初の芽が出た。
図鑑の登録数は増えていない。
それでも、次の登録へ向けた経験は確かに積み重なっている。
「次の休日は、三人でどこかへ行こう」
俺が言うと、リオナがこちらを見る。
「三人で?」
「ああ。サラとのデートに付き合ってもらったからな」
「今度は、あたしと二人でもいいよ?」
リオナが悪戯っぽく笑う。
だが、金色の瞳は俺の反応を確かめるように揺れていた。
「リオナさんが望むなら、私は構いません」
サラが穏やかに言う。
「サラ、本当にいいの?」
「はい。ただし、今すぐ関係を決めるための外出ではありません」
「分かってるよ」
「二人で話し、楽しむために行ってきてください」
俺はリオナを見る。
「どこへ行きたい?」
「まだ秘密」
赤褐色の尻尾が、嬉しそうに揺れる。
「次の休日までに考えておく」
土から出たばかりの小さな芽。
まだ名前のつかない、俺とリオナの気持ち。
どちらも、急いで答えを出す必要はない。
時間をかけて、大切に育てればいい。




