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第28話 初めての夫婦デート



 翌朝。


 朝食を終えたあと、俺は自分の部屋で出かける準備をしていた。


 といっても、普段より丁寧に髪を整え、汚れのない服へ着替えただけだ。


 腰へ剣を下げるべきか迷う。


 冒険者として外を歩くなら、武器を持っているほうが落ち着く。


 しかし、今日は依頼ではない。


「剣は置いていきなよ」


 開いた扉から、リオナが顔を覗かせる。


「町の中だから、なくても大丈夫でしょ?」


「何か起きたら困る」


「デートで何と戦うつもりなの?」


「分からないけど」


「分からない相手と戦う準備をしなくていいから」


 リオナが部屋へ入り、俺の腰から剣帯を外した。


「今日は冒険者じゃなくて、サラの旦那さんとして出かけるの」


「何をすればいい?」


「サラの話を聞く。美味しいものを食べる。可愛いって褒める」


「それだけか?」


「それが難しいんだよ」


 リオナは俺の服装を上から下まで確認した。


「服は……まあ、これでいいか」


「変じゃないか?」


「変じゃないけど、真面目すぎるかな。でも、ルナトらしくていいと思う」


 廊下の向こうから、扉が開く音がした。


「サラの準備も終わったみたい」


 リオナに背中を押され、居間へ向かう。


 そこに立っていたサラを見て、足が止まった。


 いつもの薄緑色の上着と焦げ茶色のズボンではない。


 白いブラウスに、足首まである淡い青色のスカートを身につけていた。


 ブラウスは胸元に小さな紐飾りがあり、細い腰を柔らかく包んでいる。淡い青色のスカートは歩くたびに裾が揺れ、普段よりも女性らしい身体の線を引き立てていた。


 長い栗色の髪も、今日は後ろで束ねていない。


 左右の髪だけを後頭部で留め、残りは背中へ流している。


「どう、かな?」


 サラが不安そうに尋ねる。


「似合ってる」


「本当ですか?」


「ああ。綺麗だ」


 思ったままを答える。


 サラの頬が一瞬で赤くなった。


「サラ、よかったね」


「はい……」


 リオナが得意そうに胸を張る。


「あたしが髪を整えたんだよ」


「服はどうしたんだ?」


「昨日のうちにサラと買ってきたの。結婚祝い」


「リオナさんからは、指輪を買うときにもお金を出していただきました。服代は自分で払うと言ったのですが……」


「いいんだって。家族のお祝いなんだから」


「ありがとう、リオナ」


「ルナトがお礼を言うことじゃないよ」


 そう言いながらも、リオナの尻尾は嬉しそうに揺れていた。


「それじゃ、二人とも行ってらっしゃい」


「リオナは本当に来ないのか?」


「今日は二人のデートでしょ? あたしはマーナさんに畑のことを教えてもらうから」


「一人で大丈夫ですか?」


 サラが心配そうにする。


「大丈夫。草を抜いて、石を拾うだけだから」


「虫を追いかけないでくださいね」


「追いかけないよ」


「本当ですか?」


「たぶん」


「不安です……」


「サラ」


 俺は彼女へ手を差し出した。


「今日は俺と出かけるんだろ?」


「……はい」


 サラが俺の手を握る。


「では、行ってきます」


「楽しんできてね!」


 リオナに見送られ、二人で家を出た。


 町の中心部までは歩いて三十分ほどかかる。


 普段なら目的地へ急ぐところだが、今日はサラの歩調に合わせ、ゆっくり進んだ。


 手は繋いだままだ。


「少し、恥ずかしいですね」


「手を繋ぐのが?」


「はい。町の人たちに見られていますから」


「離すか?」


「それは嫌です」


 サラの指が、俺の手を強く握る。


「恥ずかしいですけど、このままがいいです」


「ああ」


 道沿いには、小さな畑や花壇を持つ家が並んでいる。


 庭仕事をしている人が、俺たちへ挨拶をしてくれた。


 昨日までは知らない町だと思っていた。


 だが、ここへ帰る家ができたことで、同じ景色が少し違って見える。


「まず、どこへ行きたい?」


 俺が尋ねると、サラは困ったように首を傾げた。


「生活用品を買いに市場へ行きましょう。椅子と食器が足りませんから」


「それは家の買い物だろ?」


「必要なものです」


「今日は必要なものを買うためだけに来たんじゃない」


「では、どこへ?」


「サラが行きたい場所だ」


「私が?」


「ああ」


 サラは歩きながら考え込む。


「……分かりません」


「行きたい場所がないのか?」


「そうではなくて、自分が楽しむために出かけたことがないので、何をすればいいのか分からないのです」


 鉱山から逃げたあとも、サラは必要なものばかり選んでいた。


 服を買ったときも、動きやすさや値段を優先している。


 食事を選ぶときも、自分が食べたいものではなく、俺たちの体調や所持金を考えていた。


「では、今日は探そう」


「何をですか?」


「サラの好きなものだ」


 蜂蜜色の瞳が、俺を見上げる。


「食べたいものや欲しいものを見つけたら、教えてくれ」


「でも、あまりお金を使うと――」


「全部買うとは言ってない。まず、知りたいんだ」


「私の好きなものを?」


「ああ」


 夫婦になったのに、俺はサラの好きな食べ物さえ詳しく知らない。


 嫌いなものについても同じだ。


 これから長く一緒に暮らすなら、少しずつ知っていきたい。


「分かりました。探してみます」


 サラは真剣な顔で頷いた。


 町の中心部へ着き、市場を歩く。


 朝の市場には多くの店が並んでいた。


 焼きたてのパン。


 色鮮やかな果物。


 香辛料や布、装飾品。


 冒険者向けの武具以外にも、今まで気づかなかった物がいくつもある。


「いい匂いがします」


 サラが足を止めた。


 視線の先には、鉄板で薄い生地を焼いている露店がある。


 焼いた生地へ果物と蜂蜜を包み、紙に載せて売っていた。


「食べたいか?」


「いえ。見ていただけです」


「食べたくないのか?」


「少し気になりますが、朝食を食べたばかりですし……」


「一つ買って、二人で食べよう」


 店へ向かおうとすると、サラが俺の袖を掴んだ。


「待ってください」


「どうした?」


「蜂蜜ではなく、あちらがいいです」


 サラが指差したのは、赤い木の実を煮詰めたものだった。


 初めて、自分から欲しいものを選んでくれた。


「分かった」


 木の実を包んだものを一つ買う。


 値段は五百G。


 紙に包まれた生地をサラへ渡した。


「ルナトから食べてください」


「サラが選んだんだろ?」


「二人で食べると言いました」


 端を一口かじる。


 温かい生地の中から、甘酸っぱい木の実の味が広がった。


「うまい」


「では、私も」


 サラが反対側から小さくかじる。


 蜂蜜色の瞳が、少し大きく開かれた。


「美味しいです」


「こういう味が好きなのか?」


「甘いだけのものより、少し酸っぱいほうが好きみたいです」


「一つ分かったな」


「はい」


 サラは嬉しそうに、もう一口食べた。


 二人で交互に食べ進める。


 最後に小さな一切れだけ残った。


「ルナトが食べてください」


「サラが食べればいい」


「では、半分にしましょう」


 小さすぎて、手で分けるのは難しい。


 迷っていると、サラが俺の持つ生地へ口を近づけた。


 俺も反対側からかじる。


 最後の一切れの中央で、唇が触れた。


「……」


「……」


 サラが慌てて顔を離す。


 周囲の人に見られたわけではないのに、頬が真っ赤になっていた。


「今のは、口づけに入るのでしょうか」


「たぶん」


「町の中でしてしまいました」


「夫婦だからいいんじゃないか?」


「夫婦でも恥ずかしいものは恥ずかしいです」


 そう言いながらも、サラは幸せそうに笑っていた。


 次に、装飾品を並べた露店の前を通る。


 サラの視線が、一つの髪飾りへ向いた。


 小さな白い花をかたどった飾りだ。


 中心には、青色のガラス玉がはめ込まれている。


「これが気になるのか?」


「綺麗だと思っただけです」


「つけてみるか?」


「買わなくてもいいのですよ?」


「似合うか見たい」


 店の女性へ頼み、髪飾りを手に取らせてもらう。


 サラの耳の上へ、白い花をつける。


 栗色の髪に、白と青がよく映えた。


「どうですか?」


「似合ってる」


「本当に?」


「ああ。可愛い」


 サラが髪飾りへ触れる。


「綺麗ではなく、可愛いのですか?」


「どっちもだ」


「そういう言い方は、ずるいです」


「嫌だったか?」


「もっと言ってほしくなります」


 小さな声だった。


「サラは綺麗だ。それに、可愛い」


「もう十分です……」


 顔を赤くし、俯いてしまう。


 髪飾りは二千Gだった。


 俺が代金を払おうとすると、サラに手を止められる。


「服も指輪も買ってもらいました。これ以上は――」


「俺からの結婚祝いは、指輪だけだ」


「それで十分です」


「今日、初めてサラが気に入ったものを見つけた。贈らせてくれ」


 サラはしばらく髪飾りを見つめていた。


「では、大切にします」


「ああ」


「ありがとうございます、あなた」


 夫として呼ばれることには、まだ慣れない。


 それでも、嫌ではなかった。


 髪飾りをつけたまま、市場を歩く。


 家具屋では、足りなかった椅子を一脚だけ買った。


 持ち帰るのは大変なので、明日の朝に家へ届けてもらう。


 食器も三人分だけではなく、来客用を合わせて六人分揃えた。


「結局、家の買い物もしてしまいましたね」


「必要なものだからな」


「デートになっていますか?」


「俺もよく分からない」


「でも、楽しいです」


「なら、デートでいいんじゃないか?」


「そうですね」


 昼食には、通りに面した小さな食堂へ入った。


 俺は肉料理。


 サラは、魚と野菜を煮込んだ料理を選んだ。


「魚が好きなのか?」


「食べる機会が少なかったので、気になりました」


 一口食べ、ゆっくり味わう。


「どうだ?」


「美味しいです。香草の香りがします」


「一口もらっていいか?」


「はい」


 サラが匙ですくい、俺の口元へ差し出す。


 そのまま食べる。


「確かにうまい」


「今度、家でも作ってみたいです」


「俺が魚を捕まえればいいのか?」


「釣りを覚えるのも楽しそうですね」


「図鑑にもありそうだ」


 反射的に図鑑のことを考えてしまった。


 サラが小さく笑う。


「今日は図鑑を埋めるための外出ではありませんよ」


「そうだった」


「でも、二人で釣りへ行くのは楽しそうです」


「リオナも誘おう」


「はい。三人で行きましょう」


 昼食後は、町の南側を流れる川へ向かった。


 川岸には芝生が広がり、木陰には休憩用の長椅子が置かれている。


 二人で座り、流れる水を眺めた。


 市場の喧騒が遠くなり、聞こえるのは水と鳥の声だけだ。


「疲れたか?」


「少しだけ。でも、心地いい疲れです」


 サラが俺の肩へ頭を預ける。


「今日は、何もしなくてもいいのですね」


「何もしなくても?」


「料理も、掃除も、怪我の手当てもしていません。ルナトに何も返せていません」


「一緒に歩いてくれた」


「それだけです」


「俺は楽しかった。それでは足りないか?」


 サラは答えず、俺の肩へさらに身体を寄せる。


「ルナトは、本当に私が何もしなくてもいいのですか?」


「ああ」


「役に立たなくても?」


「昨日も言っただろ。サラがここにいてくれればいい」


「……はい」


 長い栗色の髪を撫でる。


 白い花の髪飾りが、木漏れ日を反射していた。


「俺はサラの好きなものを、ほとんど知らなかった」


「私も、自分で知りませんでした」


「今日、少し分かった」


「甘酸っぱい木の実と、魚料理。それから、この髪飾りです」


「ほかには?」


 サラがしばらく考える。


「花が好きです」


「花?」


「市場の花屋を通ったとき、綺麗だと思いました。でも、食べられないものを買うのはもったいないと思って……言えませんでした」


「庭に植えるか?」


「いいのですか?」


「俺たちの庭だ。野菜だけを育てる必要はない」


 サラの表情が明るくなる。


「白い花がいいです。小さな花がたくさん咲くものを、窓の近くに植えたいです」


「帰りに種を探そう」


「はい」


 サラが自分の欲しいものを、はっきり口にした。


 ただそれだけのことが嬉しかった。


「ルナト」


「何だ?」


「今日は、妻としてではなく、一人の女として私を見てくれていますか?」


「ああ」


「料理や掃除をする人ではなく?」


「俺の好きなサラとして見てる」


 サラが顔を上げる。


 蜂蜜色の瞳が、すぐ近くにあった。


「では、口づけをしてください」


「ここで?」


「人はいません」


 周囲を確認する。


 少し離れた場所に人影はあるが、こちらを見てはいない。


 サラの頬へ触れ、唇を重ねる。


 触れるだけで離れるつもりだった。


 だが、サラの腕が俺の首へ回る。


 唇が重なったまま、柔らかな身体が胸元へ密着した。


 昨日の夜を思い出す。


 白いブラウス越しに、豊かな胸の感触が伝わってくる。


 しばらくして唇を離すと、サラは恥ずかしそうに視線を伏せた。


「人がいないとはいえ、外でしてしまいました」


「サラから頼んだんだろ?」


「そうですけど……思っていたより長かったです」


「嫌だったか?」


「もう少し長くてもよかったです」


 小さく呟く。


「では、もう一度するか?」


「今は駄目です。帰れなくなります」


「どういう意味だ?」


「分からなくていいです」


 サラは立ち上がり、俺の手を引いた。


 帰る前に、花屋へ寄った。


 白い小花を咲かせる植物の種と、赤や黄色の花が混ざった種を一袋ずつ買う。


「白だけでよかったんじゃないか?」


「リオナさんにも選んでもらいたいと思って」


「これはリオナの分か」


「はい。三人の庭ですから」


 自分のために花を選びながら、リオナのことも忘れない。


 それがサラなのだろう。


 夕方、新しい家へ帰る。


「おかえり!」


 庭からリオナが駆けてきた。


 服も顔も土だらけだ。


「何があったんだ?」


「畑を耕してたんだよ」


「一人で?」


「マーナさんに教えてもらった。まだ半分だけどね」


 庭を見ると、昨日まで硬かった土が掘り返され、石も端へ集められていた。


「頑張りましたね」


 サラがリオナの頭についた土を払う。


「デートはどうだった?」


「楽しかったです」


「髪飾り、買ってもらったの?」


「はい。ルナトが選んでくれました」


「似合ってるよ」


「ありがとうございます。それと、庭へ植える花の種を買いました」


「花?」


「こちらは、リオナさんに選んでもらおうと思って」


 赤や黄色の花が混ざった袋を見せる。


 リオナが目を丸くした。


「あたしの分も?」


「三人の庭ですから」


 リオナは種の袋を受け取り、大切そうに両手で包んだ。


「ありがとう、サラ」


「どこへ植えるか、一緒に決めましょう」


「うん!」


 赤褐色の尻尾が大きく揺れる。


「それで、口づけはした?」


「リオナさん」


「したんだ?」


「夕食の準備をします!」


 サラが逃げるように家へ入っていく。


「顔が真っ赤だったね」


「からかうな」


「ルナトは楽しかった?」


「ああ」


「よかった」


 リオナが庭へ戻ろうとする。


「リオナ」


「なに?」


「今日はありがとう」


「どうしてあたしにお礼を言うの?」


「二人で出かけるよう勧めてくれた。それに、庭も進めてくれた」


「家族だからね」


 リオナは明るく笑った。


「今度は三人で出かけよう」


「ああ」


 その夜。


 三人で夕食を囲みながら、今日あったことを話した。


 サラは食べた料理や市場の店について、普段よりも多く話している。


 俺は初めて、サラが心から楽しそうに話す姿を見た気がした。


 図鑑の登録数は増えていない。


 畑も完成していない。


 それでも、今日という一日は無駄ではなかった。


 図鑑には載らないサラの好きなものを、いくつも知ることができたからだ。


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