第27話 三人で作る庭
朝食を終えた俺たちは、動きやすい服へ着替えて裏庭へ出た。
昨日は家の中を掃除するだけで精一杯だったため、庭にはほとんど手をつけていない。
腰の高さまで伸びた雑草。
地面を這う蔓。
端には何に使っていたのか分からない木材や、割れた植木鉢まで積まれている。
「……思ったより広いですね」
サラが庭を見回す。
「これ、今日中に終わる?」
リオナの獣耳が不安そうに伏せられた。
「言い出したのはリオナだろ」
「近くで見るまでは、もっと簡単だと思ってたんだよ」
「三人で少しずつ片づけましょう」
サラは腕まくりをし、長い栗色の髪を後ろで一つに束ねた。
「最初に雑草を抜いて、使える物と捨てる物を分けます。それから畑にする場所を決めましょう」
「サラ、やる気だね」
「自分たちの庭ですから」
サラの蜂蜜色の瞳が輝いている。
鉱山でも宿でも、自分の意思で変えられる場所はなかった。
この庭は違う。
何を植え、どのように使うのか、俺たちで決められる。
「道具はあるのか?」
「物置を確認してみましょう」
庭の端にある物置へ向かう。
木製の扉は固く、引いても動かなかった。
「鍵がかかってる?」
リオナが取っ手を引く。
「いや。下が引っかかってるみたいだ」
扉を少し持ち上げながら引くと、木の擦れる音とともに開いた。
中には鍬が一本、鎌が二本、それに木製の熊手や大小の籠が残されていた。
どれも埃を被っているが、手入れをすれば使えそうだ。
「道具つきの家だったんだね」
「前に住んでいた人が置いていったのでしょうか」
「勝手に使っていいのか?」
「マーナさんに確認したほうがいいですね」
俺たちは隣家へ向かった。
庭では、家主のマーナが野菜へ水をやっているところだった。
「おはようございます」
サラが声をかける。
「おや。三人とも早いね」
「物置に鍬や鎌があったのですが、使っても構いませんか?」
「あれは家の備品だよ。好きに使いな」
「ありがとうございます」
「庭を畑にするのかい?」
「はい。でも、三人とも野菜を育てた経験がありません」
「何も知らずに種を植えても、ろくに育たないよ」
マーナは水やりの手を止め、俺たちの庭を覗き込んだ。
「まずは雑草を抜くことだね。根を残したら、すぐにまた生えてくる。石も取り除いて、土を柔らかくしないといけないよ」
「どこを畑にするのがいいでしょうか」
「日当たりを見るなら、南側だね。ただし、全部畑にするんじゃないよ。洗濯物を干す場所と、人が歩く道を残しておきな」
サラが真剣な表情で話を聞いている。
俺も図鑑を開き、農作業に関係しそうな未登録スキルを探した。
《耕作》――未登録
習得のヒント:土の状態を理解し、作物を育てるための土地を整える。
分類:生産系
《栽培》――未登録
習得のヒント:作物の性質を知り、適切な環境で継続的に世話をする。
分類:生産系
《水汲み》――未登録
習得のヒント:生活に必要な水を、安全かつ安定して運ぶ。
分類:生活系
今日だけで《耕作》や《栽培》を覚えるのは難しいだろう。
特に《栽培》は、作物を継続して育てなければならない。
種を植えただけで習得できるものではなさそうだ。
「どうしたのですか?」
サラが俺の顔を覗き込む。
「図鑑を見ていた。畑作りに関係するスキルが二つある」
「私にも見せてもらえますか?」
「サラも自分で開けるはずだ」
「まだ慣れていなくて……」
「図鑑を見たいと思ってみてくれ」
サラが目を閉じる。
しばらくすると、彼女の前にも淡い光が浮かんだ。
「見えました」
「未登録の生産系を開いて、《耕作》を探してみてくれ」
「はい」
サラの視線が、何もない空間をゆっくり動く。
「ありました。《耕作》と《栽培》……それに《水汲み》もあります」
「二人だけ何を見てるの?」
リオナが俺とサラの間へ割って入る。
彼女の金色の瞳が、俺たちの見ている場所へ向く。
「やっぱり、あたしには見えないなあ」
「ごめんなさい」
「サラが謝ることじゃないよ」
リオナは笑ったが、獣耳が少しだけ伏せられている。
「見えた内容は全部教えて。あたしも一緒に考えるから」
「ああ。まずは土を整える《耕作》だ」
「雑草を全部抜いて、鍬で耕せば覚えられる?」
「一日だけでは難しいと思う。土の状態も理解する必要があるらしい」
「じゃあ、マーナさんに教えてもらおうよ」
リオナが隣家へ顔を向ける。
事情を知らないマーナは、俺たちが何を話しているのか不思議そうにしていた。
「お願いがあります」
サラが一歩前へ出る。
「畑の作り方を、私たちに教えていただけませんか?」
「構わないよ。ただし、私は甘くないからね」
「はい。お願いします」
「それと、教わるなら仕事を手伝ってもらうよ。私も一人で庭を管理するのは大変なんだ」
「もちろんです」
金を払うだけでなく、互いに手を貸す。
町で暮らしていくには、近所との関係も大切なのだろう。
マーナは自分の庭から、鍬と手袋を持ってきた。
「まず、残す場所を決めようか」
庭の南側へ、木の棒と紐で四角い区画を作る。
「最初から広くしすぎないことだよ。世話のできる範囲だけ作りな」
「これだけでいいの?」
リオナが囲まれた場所を見る。
庭全体の四分の一ほどだ。
「三人とも初心者なんだろう? 欲張って植えても、世話が追いつかないよ」
「スキルを覚えるなら、広いほうがいいと思ったんだけど」
「畑は技能を覚えるために作るんじゃない。食べ物を育てるために作るんだよ」
マーナの言葉に、俺とサラは顔を見合わせた。
「そのとおりだな」
図鑑を埋めることばかり考え、目的を逆にしてはいけない。
暮らしをよくするために技能を覚えるのだ。
「まずは、この区画の雑草を根から抜きな。鎌で上だけ刈っても駄目だよ」
俺は鎌を持ち、伸びた草を根元から刈ろうとする。
「待ちな」
すぐにマーナから止められた。
「それでは根が残ると言ったばかりだろう」
「手で抜くのか?」
「土が乾いているから、先に水を撒く。少し待てば、根ごと抜きやすくなるよ」
知らないことばかりだ。
俺たちは家の裏にある共同井戸へ向かった。
井戸は数軒の住民で使うもので、水を汲んだら周囲をきれいにするのが決まりらしい。
「最初はあたしがやるよ」
リオナが縄のついた桶を井戸へ下ろす。
水を汲み、軽々と引き上げた。
「リオナさん、力がありますね」
「獣人だからね」
リオナが得意そうに胸を張る。
桶の水を大きな容器へ移し、両手で持ち上げようとした。
「うっ……思ったより重い」
「俺が持つ」
「左腕は大丈夫なの?」
「無理はしない。右手を中心に使う」
「では、私も持ちます」
俺とサラが、容器の両側を持つ。
三人で交代しながら家まで運び、庭へ水を撒いた。
一度では足りない。
井戸と庭を何度も往復する。
鉱山でも、水を運ばされたことはある。
だが、あの頃はこぼせば怒鳴られ、休めば殴られた。
今は自分たちの庭へ水を運んでいる。
同じ作業でも、まったく違って感じられた。
四往復目。
水を庭へ運び終えたとき、淡い文字が浮かぶ。
《水汲みを習得しました》
《初級スキル図鑑へ登録します》
取得者:ルナト
登録数:29/90
《生活系スキル:6/15》
《生活系分類別達成報酬の開封まで、あと九種類です》
「増えた」
俺が言うと、サラも表示を確認する。
「《水汲み》ですね」
「ああ。生活系が六種類になった」
「おめでとう!」
リオナにも結果を伝える。
「あと九種類かあ。まだ遠いね」
「一日で全部集めるものではありませんよ」
サラが窘める。
「分かってるけど、報酬が気になるんだよ」
「俺も気になる」
「ルナトまで……」
サラは呆れながらも、どこか楽しそうだった。
水を撒いてしばらく待つと、土が柔らかくなった。
三人で雑草を抜き始める。
俺は根元を持って、真上へ引く。
途中で根が切れた。
「力任せに引くんじゃないよ」
マーナがしゃがみ込み、草の周囲を指で掘る。
「根がどちらへ伸びているか見て、土ごと持ち上げるんだ」
「なるほど」
教えられたとおりにすると、今度は長い根まで抜けた。
サラは丁寧に一本ずつ抜いている。
リオナは最初こそ真面目に作業していたが、途中から土の中の虫を見つけて追いかけ始めた。
「リオナさん」
「ちゃんと抜いてるよ」
「先ほどから、同じ場所にいますよね?」
「大きな虫がいたんだよ」
「虫を探す仕事ではありません」
サラに見つかり、リオナは渋々作業へ戻る。
昼前には、畑にする区画の半分ほどから雑草を取り除けた。
「腰が痛い……」
リオナが地面へ座り込む。
「森を一日歩くより疲れた」
「普段使わない姿勢ですからね」
サラも額に汗を浮かべている。
薄緑色の上着が汗で湿り、肌へ張りついていた。
「二人とも、休憩にしよう」
俺たちは家へ入り、水を飲んだ。
サラが昨日の残りのパンと肉を使い、簡単な昼食を作る。
「庭仕事をしたあとの食事は美味しいね」
リオナがパンへかじりつく。
「午前中は虫を追っていた時間のほうが長かったでしょう?」
「ちゃんと草も抜いたよ」
「どのくらいですか?」
「十本くらい」
「私たちは、その何倍も抜きました」
「午後から本気出すから!」
昼食後、俺は図鑑を開いた。
「《耕作》は、まだ登録されていないな」
「雑草を抜いただけですから」
「鍬を使うところまで進んでいないもんね」
「急ぐ必要はない」
庭へ目を向ける。
「今日覚えられなくても、明日また続ければいい」
図鑑へ新しい技能を登録したい気持ちはある。
報酬の中身も気になる。
それでも、焦って雑な仕事をするより、自分たちの畑をきちんと作りたかった。
「午後は、抜いた草を片づけましょう」
サラが言う。
「土へ混ぜれば肥料にできるものもあるそうです。マーナさんに聞いてみます」
「それも技能になるのか?」
「図鑑を調べてみましょう」
生産系の未登録欄を確認する。
《堆肥作り》――未登録
習得のヒント:植物や生ごみの性質を理解し、時間をかけて土の栄養へ変える。
分類:生産系
「時間をかけて、だって」
リオナが説明を聞いて肩を落とす。
「今日中には無理だね」
「畑も堆肥も、育つまで待たなければなりません」
サラが窓の外を見る。
「でも、その時間も楽しみです」
「ああ」
種を植えても、すぐに芽は出ない。
技能も、少し作業しただけでは身につかない。
毎日世話をし、失敗しながら覚えていく。
それでいいのだと思う。
午後からは、抜いた草を種類ごとに分けた。
種のついた雑草や、病気のように変色した草は処分する。
使えそうなものは、庭の隅へ積み重ねた。
マーナの指導を受けながら、地面へ穴を掘り、堆肥を作る場所も用意する。
日が傾く頃には、畑にする区画の雑草をほとんど取り除けた。
「終わった!」
リオナが両腕を上げる。
全身に土がつき、赤褐色の髪にも小さな葉が絡んでいた。
「まだ石を取り除いて、土を耕す作業が残っていますよ」
「今日は終わりでいいでしょ?」
「マーナさんも、初日はここまででいいと言っていました」
「やった!」
リオナが喜んで尻尾を振る。
勢いよく動いた尻尾が、水の残った桶へ当たった。
「あっ」
桶が倒れ、水がサラの脚へかかる。
「きゃっ!」
薄緑色のズボンと上着の裾が、一瞬で濡れた。
「ご、ごめん、サラ!」
「大丈夫です。これくらいなら――」
サラが自分の姿を確認する。
水を吸った薄緑色の布が肌へぴったりと張りつき、太腿の形を露わにしていた。
上着も腰の辺りまで濡れ、その下に身につけている白い下着がうっすら透けている。
俺の視線に気づき、サラが両手で身体を隠した。
「ルナト、見ないでください」
「悪い」
「昨夜は全部見たのに?」
リオナが余計なことを言う。
「今は外です!」
サラの顔が真っ赤になる。
俺は上着を脱ぎ、サラの腰へ巻いた。
「これなら見えない」
「ありがとうございます」
「新婚だねえ」
「原因を作ったのはリオナだろ」
「だから謝ってるって」
リオナがサラの肩へ抱きつく。
「お詫びに、お風呂を沸かすよ」
「今度は火を消さないでくださいね」
「任せて!」
「不安です」
三人で道具を洗い、物置へ戻す。
家へ入る前に庭を振り返った。
朝は雑草に覆われていた場所に、四角い土の区画が現れている。
まだ畑とは呼べない。
それでも、自分たちの手で少しだけ変えられた。
「明日は、土を耕しましょう」
サラが言う。
「ああ」
「でも、その前に必要な物を買いに行かない?」
リオナが家の中を指差す。
「食器も足りないし、椅子も一つ足りない。カレンたちが来るたび、誰かが木箱に座ってるよ」
「確かに、生活用品を揃える必要がありますね」
「三人で市場へ行くか?」
「明日は、あたしが畑をやっておくよ」
リオナが笑う。
「ルナトとサラは、二人で出かけてきなよ」
「どうして二人だけなんだ?」
「結婚したばかりなのに、まだデートもしたことないんでしょ?」
デート。
言われてみれば、サラと二人で出かけたことは何度もある。
だが、どれも逃亡の準備や仕事、生活に必要な買い物だった。
ただ一緒に楽しむために出かけたことはない。
「サラは、行きたいか?」
「……はい」
少し恥ずかしそうにしながら、サラが頷く。
「ルナトと二人で、町を歩いてみたいです」
「じゃあ、明日はデートだね」
リオナの尻尾が楽しそうに揺れる。
「必要な物を買うだけじゃ駄目だよ。美味しいものを食べて、サラの欲しいものも買ってあげること」
「俺に選べるかな」
「選ぶんじゃなくて、サラに聞けばいいんだよ」
「私は、特に欲しいものはありません」
「それが一番困る答えなんだって」
リオナが呆れたように笑った。
家を持ち、畑を作り始め、図鑑には新しい技能が一つ加わった。
明日は、逃げるためでも働くためでもない。
サラと楽しむためだけに、二人で出かける。




