表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/70

第21話 巨大岩喰い鼠



 巨大な岩喰い鼠が、地面を蹴った。


 馬ほどもある巨体が、一直線に俺へ迫ってくる。


 口から伸びた二本の前歯は、短剣のように鋭い。まともに受ければ、盾ごと腕を砕かれる。


 俺は盾を正面ではなく、わずかに斜めへ構えた。


 灰牙狼との戦いで覚えた受け流し。


 ただし、相手の重さは灰牙狼の比ではない。


「来い!」


 巨大鼠の前歯が盾へ触れる。


 衝撃が腕へ届く寸前、俺は腰を落とし、盾を右へ傾けた。


 前歯が盾の表面を滑る。


 巨体の進行方向が、わずかに逸れた。


「カレン!」


「任せろ」


 横で待ち構えていたカレンが、戦槌を振り上げる。


 革の胸当てに収まりきらない豊かな膨らみが、その動きに合わせて大きく持ち上がった。


 戦槌が、巨大鼠の背中へ打ち下ろされる。


 硬い音が空洞に響いた。


 黒い甲殻へ亀裂が走る。


 だが、砕けない。


「硬いな」


 カレンが短く漏らす。


 巨大鼠が身体を回転させた。


 太い尻尾が、カレンの横腹を狙う。


「危ない!」


 俺はカレンの前へ盾を出した。


 尻尾が盾へ叩きつけられる。


 腕が痺れ、俺とカレンは揃って後ろへ押された。


「助かった」


「次が来るぞ!」


 巨大鼠が前歯を鳴らす。


 甲殻を一撃で砕けなかったことに腹を立てたのか、先ほどよりも激しく地面を引っかいていた。


「ルナト、頭を下げて!」


 リオナの声。


 俺が身を沈めると、頭上を矢が通り過ぎた。


 矢は巨大鼠の左目へ向かったが、顔を覆う硬い毛に弾かれる。


「顔も駄目か!」


 リオナが次の矢をつがえる。


「目か口の中を狙え!」


「動きを止めてくれたらね!」


 巨大鼠がこちらへ突進する。


 今度の狙いはカレンだった。


 彼女は戦槌を横へ構え、逃げようとしない。


「正面から受けるな!」


「次は砕く」


「意地を張るところじゃない!」


 俺はカレンの腕を掴み、横へ引いた。


 巨大鼠が目の前を通り過ぎる。


 直後、カレンの戦槌が横から振り抜かれた。


 槌頭が、先ほど亀裂を入れた場所へ正確に命中する。


 甲殻の一部が砕け、赤黒い肉が露出した。


 巨大鼠が甲高い悲鳴を上げる。


「今だ!」


 俺は剣を両手で持ち、砕けた甲殻の隙間へ突き立てた。


 刃は肉へ入ったが、浅い。


 巨大鼠が暴れ、俺の身体ごと剣を振り払う。


「ルナト!」


 地面へ投げ出される。


 剣が手から離れ、岩の上を滑った。


 起き上がるより早く、巨大鼠が迫ってくる。


 俺は盾を構えようとした。


 だが、先ほど尻尾を受けた衝撃で、左腕がうまく上がらない。


 巨大鼠の口が開く。


 鋭い前歯が、ランタンの光を反射した。


「させません!」


 サラが俺の前へ飛び出した。


 短剣を構えているが、あの巨体を止められるはずがない。


「サラ、避けろ!」


「ルナトを置いて避けられません!」


 巨大鼠がサラへ顔を向ける。


 その瞬間、横から飛んできた矢が、開いた口の中へ突き刺さった。


 リオナだ。


 巨大鼠は頭を振り、突進の勢いを緩める。


「サラ! 右へ!」


 俺はサラの腰を抱き、横へ転がった。


 巨大鼠の前脚が、先ほどまで俺たちのいた地面を踏み砕く。


 サラの身体を抱いたまま、岩の上を転がった。


「いたっ……」


「怪我は?」


「大丈夫です。それより、近いです……」


 気づけば、サラを下にして覆いかぶさっていた。


 薄緑色の服に包まれた胸が、俺の身体へ柔らかく押しつけられている。


 蜂蜜色の瞳が、すぐ近くから俺を見上げていた。


「悪い」


「いえ……助けてくれたので」


「二人とも、続きはあと!」


 リオナの声で我に返る。


 慌ててサラから離れ、立ち上がった。


 巨大鼠は口に刺さった矢を前脚で抜こうとしている。


 俺は落とした剣を拾った。


「カレン、同じ場所をもう一度砕けるか?」


「できる。だが、動きを止めろ」


「俺とリオナで引きつける。サラはカレンのそばにいてくれ」


「分かりました」


 リオナが俺の隣へ来る。


 革鎧の肩から血が流れているが、弓を引く手は震えていない。


「作戦は?」


「俺が正面に立つ。リオナは右から目を狙ってくれ」


「さっきから狙ってるけど、硬い毛に弾かれるよ」


「当てなくていい。右から矢が来れば、あいつは左を向く」


 巨大鼠の左側には、甲殻を砕かれた傷がある。


「なるほど。傷をカレンに向けるんだね」


「ああ」


「無茶して正面から受けないでよ?」


「今度は避ける」


 俺は盾を構え、巨大鼠の正面へ出た。


 剣の腹で盾を叩く。


 硬い音が空洞へ響いた。


「こっちだ!」


 巨大鼠が矢を口から抜き、こちらを見る。


 血の混じった涎が、前歯から垂れていた。


 地面を引っかき、突進の姿勢を取る。


「リオナ!」


「任せて!」


 右側から矢が放たれる。


 巨大鼠は矢を避けるため、顔を左へ向けた。


 そのまま俺へ走り出す。


 身体の左側にある傷が、カレンのいる方向へ向いた。


「今だ、カレン!」


 俺は巨大鼠の進路から飛び退く。


 だが、獣は前脚を踏ん張り、途中で進む方向を変えた。


 俺ではなく、戦槌を構えるカレンへ向かっていく。


「カレン!」


「問題ない」


 彼女は逃げなかった。


 白いタンクトップから伸びる両腕へ力を込め、戦槌を振り上げる。


 巨大鼠の前歯が届く寸前。


 カレンは身体を沈め、前脚の横をすり抜けた。


 頭上を巨体が通り過ぎる。


 揺れる灰色の髪。


 持ち上がった白いタンクトップの裾から、鍛えられた腹部が覗く。


 戦槌が横から振り抜かれた。


「砕けろ」


 槌頭が、甲殻の亀裂へ深く食い込む。


 黒い甲殻が砕け散った。


 巨大鼠が激しく身体を揺らす。


「ルナト!」


 カレンが戦槌を引き抜きながら叫ぶ。


 俺は巨大鼠の背後から駆け寄った。


 露出した傷口へ、剣を両手で突き立てる。


 今度は、深く入った。


 刃を通して、心臓の鼓動のようなものが伝わってくる。


「まだだ!」


 リオナが矢を放つ。


 矢が俺の剣の横から傷口へ入り、さらに奥へ突き刺さった。


 巨大鼠が最後の力で身体を跳ねさせる。


 剣を握ったまま、俺の身体も持ち上げられた。


「ルナト、放して!」


 サラの声。


 剣から手を離し、地面へ転がる。


 巨大鼠は数歩進んだところで脚をもつれさせ、岩壁へ頭から衝突した。


 空洞が揺れる。


 砂や小石が天井から落ちてきたが、大きく崩れる様子はない。


 巨大鼠はその場へ倒れた。


 四本の脚が何度か痙攣し、やがて動かなくなる。


「……倒したのか?」


 しばらく待っても、巨大鼠は起き上がらなかった。


「たぶんね」


 リオナが慎重に近づき、弓で頭を小さく叩く。


 反応はない。


「倒したよ!」


 赤褐色の尻尾が大きく揺れる。


 俺は息を吐き、その場へ腰を下ろした。


 左腕が痛む。


 骨は折れていないようだが、盾を構えるのはしばらく難しそうだ。


「ルナト、見せてください」


 サラが駆け寄ってくる。


 俺の隣へ膝をつき、革鎧の留め具を外し始めた。


「ここで脱がすのか?」


「腕を確認するだけです」


「服を脱がせるの、手慣れてきたね」


 リオナが笑う。


「変な言い方をしないでください。それより、リオナさんも怪我をしているでしょう」


「かすり傷だよ」


「あとで必ず見せてください」


「サラに服を脱がされるなら、悪くないかも」


「傷だけです」


 サラが俺の左腕を触り、慎重に動かす。


「骨は大丈夫そうです。ただ、強く打っています。町へ戻るまで盾は控えてください」


「分かった」


「本当に分かっていますか?」


「今回は本当だ」


 サラは布を水で濡らし、俺の腕へ巻いてくれた。


「カレンさんも怪我はありませんか?」


「ない」


「さっき巨大鼠の下へ潜り込みましたよね」


「あれくらいなら問題ない」


「カレンまで無茶をする人だ……」


 リオナが呆れたように呟く。


「お前たちに言われたくない」


 全員の無事を確認したあと、ドノンとエットも穴を抜けてきた。


 巨大鼠を見るなり、二人とも言葉を失う。


「こいつは……岩喰い鼠の主か」


 ドノンが甲殻へ触れる。


「長い年月、この場所の鉱石を食べ続けて成長したのだろう。赤鋼鉱まで身体に取り込んでいる」


「素材として使えるのか?」


 俺が尋ねると、カレンが砕けていない甲殻を槌で叩いた。


「使える。防具の補強材になる」


「解体して持ち帰るの?」


 リオナが巨大な死体を見回す。


「全部は無理だね」


「甲殻と前歯、それから魔石があれば十分だ」


 カレンとリオナが、巨大鼠の解体を始める。


 俺も手伝おうとしたが、サラに左腕を掴まれた。


「ルナトは休んでいてください」


「右手は動く」


「休んでください」


「はい」


 逆らえそうにない。


 俺は壁際へ座り、作業を見守った。


 その間に、サラがリオナの傷を確認する。


「革鎧を脱いでください」


「ここで?」


「肩の傷が見えませんから」


「ルナト、見ちゃ駄目だよ?」


「見ない」


「まだ脱いでないのに、返事が早いね」


 リオナは革鎧を外し、その下に着ていた服の肩をずらした。


 健康的な褐色の肌が露わになる。


 肩から胸元へ続く柔らかな曲線まで見え、俺は反対側を向いた。


「本当に見ないんだ?」


「見ろと言ったり見るなと言ったり、どっちなんだ」


「少しくらいは見てほしい乙女心かな」


「治療を始めますよ」


「痛っ! サラ、薬を塗る手が強い!」


「動くからです」


 二人の声を聞きながら、俺は腰袋へ右手を入れた。


 まだ職業は《見習い剣士》のままだ。


 これから赤鋼鉱を探し、採掘する。


 再び《鉱夫》へ変わったほうがいいだろう。


 水晶の欠片を握る。


「《鉱夫》へ転職する」


《職業を《鉱夫》へ変更しました》


 鉱山を見る感覚が、再び鮮明になる。


 リオナの治療と巨大鼠の解体が終わる頃には、俺の左腕の痛みも少し落ち着いていた。


「目的の鉱脈は、これか?」


 壁の一部を指差す。


 黒っぽい岩の中に、細い赤色の筋が伸びている。


 カレンがランタンを近づけ、目を細めた。


「そうだ。赤鋼鉱だ」


「どのくらい採れそうだ?」


「剣を数本作るには十分な量がある」


 ドノンとエットが喜びの声を上げる。


「これなら、廃採掘場を再開できるかもしれない!」


「まだ決めるのは早い。ほかの坑道や支柱も調べる必要がある」


 俺は周囲の岩壁を見る。


 赤鋼鉱の鉱脈は、空洞の奥へ向かって続いていた。


「今日は持ち帰れる分だけにしたほうがいい。巨大鼠が暴れたせいで、天井が緩んでいる」


「分かるのか?」


 カレンが俺を見る。


「ああ。あそこに新しい亀裂ができている。ここで長く作業するのは危険だ」


 カレンは俺の指差した天井を確認し、頷いた。


「お前の判断に従おう」


 見習い剣士として岩壁を見ていたときとは違い、迷いなく危険な場所が分かる。


 やはり、職業による適性の差は大きい。


 ドノンからつるはしを借り、赤鋼鉱を掘り出す。


 採掘の技能はすでに持っている。


 さらに今は《鉱夫》へ転職しているため、岩のどこを叩けば効率よく割れるのか、以前よりもはっきり理解できた。


 左腕をかばい、右腕だけでつるはしを振る。


 無理に大きな塊を狙わず、亀裂に沿って少しずつ岩を外していく。


「片腕で、よくそれだけ掘れるな」


 エットが驚いたように言う。


「力だけで叩いても駄目だ。岩の割れやすい場所を探したほうがいい」


「鉱夫みたいなことを言うな」


「長く働いていたからな」


 自分の口からそう答えても、以前ほど苦しくなかった。


 鉱山で過ごした過去は消えない。


 だが、そこで身につけたものをどう使うかは、今の俺が決められる。


 必要な量の赤鋼鉱を採取し、袋へ詰める。


 巨大鼠の素材も合わせると、一人で持つには重すぎたため、全員で分けて背負った。


 帰る前に腰袋の中で欠片を握り、《見習い剣士》へ戻る。


 坑道を出たときには、空が夕焼けに染まっていた。


 帰り道を考えると、町へ着く前に夜になる。


「今日はここで野営しよう」


 ドノンの提案で、廃採掘場から離れた小川のそばに泊まることになった。


 俺とリオナが周囲の安全を確認し、サラとエットが火を起こす。


 カレンは採取した赤鋼鉱を一つずつ調べていた。


「そんなに違いがあるのか?」


「赤い筋が多いほど質がいい。お前の剣には、これを使う」


 カレンが拳ほどの鉱石を持ち上げた。


「作ってくれるのか?」


「素材を持ち帰れたら、という約束だ」


「でも、まだ代金が足りない」


「今回の赤鋼鉱と巨大鼠の甲殻を分けてもらえるなら、加工代だけでいい」


「いくらだ?」


「二万五千G」


 最初に聞いた金額より、かなり安い。


 今回の報酬を受け取れば払える額だ。


「頼みたい」


「分かった」


 カレンは鉱石を袋へ戻す。


「ただし、お前の戦い方をもう少し見る。剣の重さと長さを決めるためだ」


「今日だけでは足りないのか?」


「盾との組み合わせも確認したい。武器は作り直しが利かない」


 無愛想だが、仕事にはどこまでも真面目らしい。


 夕食を終え、見張りの順番を決める。


 最初はドノンとエット。


 次がカレンとリオナ。


 最後が俺とサラになった。


「ルナトは左腕を怪我しているのですから、休んでいてもいいのですよ」


「魔物が出ても、音を聞くくらいはできる」


「無理はしないでくださいね」


「ああ」


 眠る前、俺は一人で焚き火から少し離れた。


 体内には、まだ魔力が残っている。


 両手を胸の前へ上げ、見えない球を抱えるように構えた。


 右手から魔力を放つ。


 両手の間にある空間を通し、左手で受け止める。


 前回よりも、散っていく魔力が少ない。


 《魔力放出》を習得した効果だろう。


 右から出して、左で受け取る。


 身体の中へ戻し、再び右手から放つ。


 ゆっくりと魔力を巡らせる。


 身体が重くなりすぎる前に、終わりにしようとした。


 そのとき。


 両手の間で、小さな光が瞬いた。


「……まただ」


 一度目に見たものと同じ、蛍のような淡い光。


 だが、ほんの少しだけ大きくなっている。


 以前は針の先ほどだった。


 今夜の光は、米粒ほどの大きさがある。


 淡い光は右手から放たれた魔力へ近づき、その周りを楽しそうに回った。


「魔力に寄ってきているのか?」


 問いかけても、光は答えない。


 左手へ近づき、一度だけ指先へ触れる。


 温かい。


 そう感じた直後、光は夜の闇へ溶けるように消えた。


「今のは……」


 見間違いではない。


 今度は、はっきり見えた。


 声をかけようと振り返る。


 だが、サラたちはすでに毛布へ入り、静かな寝息を立てていた。


 俺は両手を見つめる。


 魔力の光だったのか。


 それとも、別の何かなのか。


 まだ答えは分からない。


 次に現れたら、ミネルへ詳しく聞いてみよう。


 今夜はそれ以上循環を続けず、俺も毛布へ入った。


 少し離れた草むらで、淡い光がもう一度だけ瞬いたことには気づかなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ