第20話 自分の意思で入る鉱山
翌朝、俺たちは冒険者ギルドの前に集まった。
俺とサラ、リオナ。
そして、鍛冶職人のカレン。
カレンは工房にいたときとは違い、厚手の革鎧を身につけていた。白いタンクトップの上から胸当てを装着し、腰には採掘用の道具を詰めた革袋を下げている。
背中に背負っているのは、大きな戦槌だ。
武器というより、工房で使っていた槌をそのまま大きくしたように見える。
「それで戦うのか?」
「ああ」
「魔物も金床と同じように叩くの?」
リオナが戦槌を見上げる。
「金床に失礼だ。魔物より価値がある」
「比べるところはそこなんだ……」
依頼を出した鉱夫組合からは、カレンのほかに二人の鉱夫が参加する。
一人は髭を生やした四十代の男で、名前はドノン。
もう一人は二十代半ばの細身の男、エットだ。
二人とも採掘道具だけでなく、腰に短剣を下げている。
「廃採掘場の入り口まで、歩いて半日ほどだ」
ドノンが地図を広げる。
「今日中に内部を確認し、可能なら赤鋼鉱を採取する。危険なら無理をせず撤退する予定だ」
「棲みついた魔物について、何か分かっているのか?」
俺が尋ねると、ドノンは首を横に振った。
「採掘場が閉鎖されたのは十年以上前だ。当時は岩喰い鼠が増え、坑道の一部が崩れたと聞いている」
「岩喰い鼠だけなら、閉鎖するほどではないね」
リオナが言う。
岩喰い鼠は、名前のとおり岩や鉱石をかじる魔物だ。
一匹ずつなら強くないが、大量に集まると坑道そのものを崩すことがあるらしい。
「今も同じ魔物がいるとは限らない。だからこその調査だ」
ドノンは全員の顔を見回した。
「採掘場の中では、俺の指示に従ってもらう。戦闘になったら、冒険者の判断を優先する。それでいいか?」
「ああ」
俺たちはギルドで手続きを済ませ、北西の門から町を出た。
依頼の報酬は、調査だけなら二万G。
赤鋼鉱を発見して持ち帰れば、追加で一万Gが支払われる。
さらに、自分たちで採取した赤鋼鉱の一部を、報酬として受け取れることになっていた。
町を離れ、森に沿って北西へ進む。
最初は平坦だった道も、山へ近づくにつれて傾斜がきつくなった。
「ルナト、体調は平気?」
前を歩いていたリオナが振り返る。
「ああ。昨日は魔力を使いすぎていないからな」
「夜に部屋を覗いたら、ちゃんと寝てたもんね」
「また覗いたのですか?」
サラの声が低くなる。
「扉を少し開けただけだよ」
「寝ている人の部屋を勝手に開けてはいけません」
「でも、鍵はかかってなかったよ?」
「今日からかけます」
「仲間なのに冷たいなあ」
そう言いながら歩いていたリオナが、道の途中で突然足を止めた。
「馬車が来るよ」
しばらくすると、後方から車輪の音が聞こえてきた。
荷物を積んだ小さな馬車だ。
俺たちは道の端へ寄る。
「相変わらず、耳がいいな」
「獣人だからね。ルナトも昨日より周りの音に気づくのが早くなったんじゃない?」
「意識すれば、少しは分かるようになった」
「《聞き耳》は便利ですが、頼りすぎないようにしてくださいね」
サラが釘を刺す。
「分かってる」
同じ技能を持っていても、長く森で暮らしてきたリオナと同じように使えるわけではない。
俺にはまだ、聞こえたものが何の音なのか判断できないことも多かった。
昼前に小川のそばで休憩を取る。
サラがパンに干し肉と刻んだ野菜を挟み、全員へ配った。
「これ、サラが作ったの?」
リオナが一口食べ、獣耳を立てる。
「はい。朝、宿の厨房を少し借りました」
「美味しい。毎日食べたい」
「材料費を払ってくれれば作りますよ」
「結婚してくれない?」
「しません」
「返事が早い……」
カレンは二人のやり取りを眺めながら、黙々と食べている。
「味はどうですか?」
サラが尋ねる。
「うまい」
「よかったです」
「工房へ届けてくれるなら金を払う」
「ミネルさんだけでなく、カレンさんまで……」
「ミネルと一緒にするな。私は代金を払う」
「そこが違うんだね」
リオナが笑う。
カレンは無愛想だが、サラの料理を気に入ったらしい。食べ終えると、残っていた一つへ何度も視線を向けていた。
「カレンさん、もう一つ食べますか?」
「いいのか?」
「はい。多めに作ってきましたから」
「助かる」
カレンが二つ目を受け取る。
表情はほとんど変わらないが、食べる速度が先ほどより少し速い。
「カレンも胃袋から仲間にされそうだね」
「何の話だ?」
「こっちの話」
休憩を終え、再び山道を進む。
やがて木々の向こうに、切り立った岩肌が見えてきた。
岩壁の下に、黒い穴が口を開けている。
廃採掘場の入り口だ。
その姿を目にした瞬間、足が止まった。
坑道の前には朽ちかけた木材が転がり、壊れた荷車が放置されている。
湿った岩と古い木の匂い。
奥から吹いてくる冷たい風。
違う場所だと分かっている。
それでも、記憶の中にある鉱山と重なった。
「おい! 手を止めるな!」
監視役の怒鳴り声が蘇る。
背中を打たれた痛みまで、はっきり思い出せた。
「ルナト」
サラの手が、俺の手へ触れた。
指先が震えている。
サラも同じなのだ。
「大丈夫か?」
「……はい」
そう答えながらも、顔色は青い。
今度は俺からサラの手を握った。
「無理なら、ここで待っていてもいい」
「ルナトを一人では行かせません」
「一人じゃないよ」
リオナが反対側から、俺の腕へ抱きついた。
柔らかな胸の感触が、革鎧越しに腕へ押しつけられる。
「三人一緒でしょ?」
「リオナ……」
「あたしが先頭を歩く。後ろからサラとルナトが来て。怖くなったら、すぐに外へ戻るよ」
リオナは明るく言ったが、無理に笑っているわけではなかった。
本気で俺たちを支えようとしてくれている。
「調査は中止にしても構わない」
カレンも静かに言う。
「依頼を受けたからといって、命まで差し出す必要はない」
「いや、行く」
俺は坑道を見つめる。
あの鉱山では、入るかどうかを選べなかった。
働くことも、眠ることも、食べることさえ自分では決められなかった。
だが、今は違う。
「今回は自分で決めて、ここへ来た。危険なら、自分で外へ出る」
サラが俺の手を握り返す。
「私も行きます」
「分かった」
カレンはそれ以上止めなかった。
ドノンとエットが入り口を調べ、古い支柱が崩れていないことを確認する。
それぞれが腰のランタンへ火をつけた。
先頭はリオナ。
その後ろに俺とサラが続き、カレン、ドノン、エットの順で坑道へ入る。
一歩。
暗い坑道へ踏み込む。
足元の小石が鳴っただけで、身体が強張った。
だが、誰も俺を怒鳴らない。
背中を打たれることもない。
振り返れば、出口から差し込む日の光が見える。
俺は自由だ。
何度も心の中で繰り返しながら、奥へ進んだ。
「分かれ道だよ」
リオナが立ち止まる。
坑道は左右へ分かれていた。
ドノンが壁へ残された印を確認する。
「右は採掘場の奥へ続く本道だ。左は資材置き場だったはずだ」
「何かいる」
リオナの獣耳が左へ向く。
俺も意識を集中させる。
暗闇の奥から、硬いものをかじる音が聞こえた。
カリ、カリ、と一定の間隔で続いている。
「岩喰い鼠か?」
「たぶん。それも一匹じゃないね」
リオナが弓を構える。
俺も背負っていた剣を抜き、盾を左腕へ固定した。
「資材置き場を確認する必要はあるのか?」
「本道を進むだけなら、後回しにしてもいい」
ドノンが答える。
「でも、帰り道を塞がれるのは困るよ」
リオナの意見に、全員が頷いた。
左の坑道へ入る。
少し進むと、広い空間へ出た。
壊れた木箱や腐った縄が散らばっている。
その奥で、犬ほどの大きさがある鼠が三匹、岩壁をかじっていた。
灰色の硬い毛。
鉱石を砕くために発達した、黄色い前歯。
岩喰い鼠だ。
「三匹なら問題ないね」
リオナが矢を放つ。
一本目の矢が、岩喰い鼠の首へ刺さった。
残りの二匹が、甲高い鳴き声を上げる。
一匹がリオナへ向かい、もう一匹は壁際へ逃げようとした。
「逃がすな」
カレンが前へ出る。
背負っていた戦槌を両手で振り下ろした。
鈍い音が響く。
戦槌を受けた岩喰い鼠は、地面へ叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
「すごい力だな……」
「鍛冶師は力仕事だ」
残る一匹が俺へ飛びかかる。
盾で弾き、地面へ落ちたところへ剣を突き下ろす。
刃が硬い毛を貫き、胸へ入った。
戦闘はすぐに終わった。
「刃の入り方は悪くない」
カレンが俺の剣を見る。
「だが、狭い場所では振り回すな。突きを中心にしたほうがいい」
「分かった」
「それと、盾を構える位置が少し高い。足元を狙われるぞ」
魔物を倒した直後なのに、すでに俺の戦い方を確認している。
本当に新しい武器を作るため、癖を見てくれているらしい。
岩喰い鼠を調べたが、討伐部位以外に価値のある素材はなかった。
俺たちは本道へ戻り、さらに奥へ進む。
壁には、かつて採掘された跡が残っていた。
つるはしで岩を削った跡。
鉱石を運ぶための細い溝。
俺がいた鉱山と同じものだ。
「この辺りは掘り尽くされているな」
壁を見ながら言うと、ドノンが驚いたように振り返った。
「分かるのか?」
「岩の色が均一すぎる。鉱脈が残っているなら、もっと色や硬さに違いが出る」
「そのとおりだ。若いのに、よく見ている」
鉱山で働かされていた時間が役に立った。
嬉しいとは思えない。
それでも、過去に覚えたことが、今の俺を助けている。
「赤鋼鉱は、どんな色なんだ?」
リオナがカレンへ尋ねる。
「赤黒い。火へ入れる前は普通の鉄鉱石と似ているが、光を当てると赤い筋が見える」
「匂いでは分からない?」
「犬ではないから知らん」
「あたしは犬じゃないよ。狼に近い獣人」
「そうか」
「興味なさそうだね……」
坑道を進むにつれ、空気が湿ってきた。
天井から水滴が落ち、足元には浅い水たまりができている。
やがて前方が崩れ、大量の岩が道を塞いでいる場所へ着いた。
「ここが、昔の崩落場所だ」
ドノンが地図と周囲を見比べる。
「赤鋼鉱の鉱脈は、この先にあるはずだ」
「通れそうか?」
「完全には塞がっていない。上に隙間がある」
崩れた岩の上部には、人が一人通れるほどの穴が残っていた。
「まず、あたしが向こうを見てくるよ」
リオナが崩れた岩へ足をかける。
身軽な動きで登っていき、上の隙間へ手を伸ばした。
短い上着の裾が持ち上がり、腰が露わになる。
さらに片脚を高く上げた瞬間、短いズボンの隙間から白い布がちらりと覗いた。
反射的に目を逸らす。
「ルナト、下から支えてくれる?」
「自分で登れそうだろ」
「念のためだよ。落ちたら危ないし」
リオナが尻尾を楽しそうに揺らす。
今の視線に気づかれたのだろうか。
「私が支えます」
サラが一歩前へ出る。
「サラだと、あたしが落ちたら一緒に潰れちゃうよ」
「ルナトに下から見られるよりは安全です」
「見てない」
「まだ何も言っていませんよ?」
昨日から、このやり取りが増えている気がする。
仕方なく、俺はリオナの足を支えた。
「変なところを触らないでね」
「足首しか触ってない」
「もう少し上でもいいよ?」
「早く登れ」
リオナは小さく笑い、岩の向こうへ身体を滑り込ませた。
しばらく物音が聞こえなくなる。
「どうだ?」
俺が呼びかけても、返事がない。
「リオナ?」
サラの表情が曇る。
次の瞬間。
「来ないで!」
岩の向こうから、リオナの鋭い声が響いた。
続いて、何か重いものが動く音がする。
地面がわずかに揺れ、天井から細かな砂が落ちてきた。
「リオナ、何がいる!」
「岩喰い鼠じゃない!」
弓の弦が鳴る。
直後、岩を砕くような激しい音が響いた。
「大きい! ものすごく大きいのがいる!」
俺は崩れた岩へ飛びついた。
「待て」
カレンが俺の肩を掴む。
「揺れで崩れる。全員で登れば、生き埋めになるぞ」
「でも、リオナが向こうにいる!」
「分かっている」
カレンは戦槌を下ろし、崩落した岩壁を見回した。
「別の道を作る。ルナト、お前の採掘経験を貸せ」
再び大きな音が響く。
崩れた岩の隙間から、リオナの矢が折れた状態で飛び出してきた。
その奥から、獣とも虫ともつかない低い鳴き声が聞こえる。
俺は岩壁へ手を当てた。
どこを崩せば、人が通れる隙間を作れるのか。
どこを壊せば、坑道全体が崩れてしまうのか。
鉱山で働いていた頃の経験から、おおよその見当はつく。
だが、一度でも間違えれば、向こう側にいるリオナまで生き埋めになる。
今の俺の職業は《見習い剣士》だ。
習得した《採掘》が失われたわけではない。長年の経験も残っている。
それでも、剣士でいる今より、採掘に適した職業へ変更したほうが安全な場所を見極めやすくなるはずだ。
「少し待ってくれ」
「何をする?」
カレンに尋ねられ、俺は岩の亀裂を調べるふりをしてしゃがんだ。
身体で手元を隠し、腰袋の中へ右手を入れる。
指先に、硬く冷たいものが触れた。
あの鉱山で手に入れた、水晶の欠片。
リオナにもカレンにも、この欠片のことはまだ話していない。
俺は誰にも見えないよう、腰袋の中で水晶を握った。
《転職可能職業》
《見習い剣士》
《鉱夫》
《鉱夫》
採掘現場で経験を積んだ者が就く職業。
鉱石の発見や採掘、坑道内での作業に適性を得る。
やはり、俺は《鉱夫》へ転職できる。
表示された職業名を見た瞬間、指が止まった。
鉱夫。
それは俺を閉じ込めていた過去そのものだった。
朝から夜までつるはしを振るい、倒れれば殴られる。
自由を奪われ、生きるためだけに岩を掘り続ける毎日。
もう二度と戻りたくないと思っていた。
「ルナト!」
岩の向こうから、リオナの声が聞こえる。
迷っている時間はない。
鉱夫という職業に罪はない。
俺たちを苦しめたのは、鉱山でも、採掘でもない。
俺たちの自由を奪い、道具のように扱った人間たちだ。
今度は、自分の意思で選ぶ。
「《鉱夫》へ転職する」
《職業を《鉱夫》へ変更しました》
身体の奥で、何かが切り替わった。
力が増えたわけではない。
知らない知識が突然与えられたわけでもない。
それでも、目の前の岩壁から得られる情報が、先ほどより鮮明になった。
岩の色。
亀裂が伸びている方向。
それぞれの石へかかっている重さ。
天井を支えている岩と、取り除いても問題のない岩。
これまで経験として蓄えてきたものが、今の状況と次々に結びついていく。
俺は立ち上がり、岩壁へ耳を当てた。
「カレン。こっちを照らしてくれ」
カレンがランタンを近づける。
「ここではない。こっちは天井を支えている。動かせば全体が崩れる」
最初に目をつけた亀裂から、少し離れた場所へ移る。
拳ほどの石を取り除くと、その奥に縦へ伸びる割れ目が現れた。
「この岩だ」
「砕けばいいのか?」
「いや。中心を砕くと、上の岩が落ちる」
俺は岩の下側を指差した。
「ここを一度だけ叩いてくれ。力は半分でいい。下を崩せば、岩が坑道の手前へ倒れる」
「分かった」
カレンが戦槌を両手で握る。
「サラ、ドノンたちと一緒に下がってくれ」
「ルナトは?」
「俺は盾で破片を防ぐ」
「でも、今のルナトは――」
サラが途中で言葉を止めた。
俺が転職したことに気づいたらしい。
水晶の欠片について知っているサラには、隠しきれない。
「大丈夫だ。技能は消えていない」
今の職業は《鉱夫》だが、《盾術》や《防御姿勢》を忘れたわけではない。
剣士としての成長を助ける適性が、一時的に失われているだけだ。
サラは心配そうに俺を見つめていたが、やがて頷いて後ろへ下がった。
「いつでもいい」
俺は盾を構える。
「やってくれ!」
カレンが戦槌を振り上げた。
胸当ての下で、白いタンクトップに包まれた豊かな膨らみが大きく持ち上がる。
今は見ている場合ではない。
戦槌が、俺の指示した場所へ正確に打ち込まれた。
鈍い音が坑道へ響く。
岩に亀裂が走った。
「離れろ!」
俺とカレンが同時に後ろへ跳ぶ。
大きな岩が手前へ傾き、地面へ落ちた。
激しい音とともに、砂埃が舞い上がる。
小さな石がいくつも飛んできた。
盾で防ぎながら、岩壁の状態を確認する。
天井は崩れていない。
岩が抜けた場所には、大人一人が屈んで通れるほどの穴が開いていた。
「成功だ」
カレンが短く言う。
その声には、わずかな驚きが混じっていた。
「お前、本当にただの見習い剣士か?」
「鉱山に長くいたからな」
「先ほどまでと、岩を見る目が変わった」
鋭い。
転職したことまでは分からなくても、俺の様子が変化したことには気づいたらしい。
「話はあとだ」
俺は穴へ身体を入れる。
向こう側から、再び地面を揺らす衝撃が伝わってきた。
「リオナ!」
穴を抜けた先は、大きな空洞だった。
地面には赤黒い鉱石がいくつも露出している。
目的の赤鋼鉱だろう。
だが、今は鉱石を見ている余裕はない。
奥の岩壁を背にして、リオナが弓を構えていた。
革鎧の肩は裂け、褐色の肌には赤い傷が走っている。
彼女の前には、馬ほどの大きさがある巨大な鼠がいた。
通常の岩喰い鼠とは比べものにならない。
背中は黒い鉱石のような甲殻に覆われ、口から伸びた二本の前歯は、短剣ほどの長さがあった。
「ルナト、来ちゃったの?」
「仲間を置いていくわけにはいかない」
巨大な岩喰い鼠がこちらを向く。
俺は剣を抜こうとして、今の職業が《鉱夫》であることを思い出した。
戦う前に《見習い剣士》へ戻したい。
だが、水晶の欠片は腰袋の中だ。
リオナの目の前で握れば、存在を見られる可能性がある。
巨大な岩喰い鼠が地面を蹴った。
迷っている時間はなかった。
俺は盾を前へ出し、《鉱夫》のまま巨体の突進を受け止める。
「ぐっ……!」
身体が後ろへ押される。
足元の土が削れ、腕へ激しい痛みが走った。
「ルナト!」
リオナの矢が飛び、巨大鼠の顔へ刺さる。
しかし、硬い毛に弾かれ、深くは入らない。
俺は突進を受け流し、身体を横へ逃がした。
巨大鼠が勢い余って岩壁へ衝突する。
空洞全体が揺れ、天井から小石が降ってきた。
「こいつをここで暴れさせたら、坑道が崩れる!」
「どうするの?」
「俺が引きつける。リオナは出口へ!」
「また一人で無茶するつもり?」
「違う。外でカレンたちが待っている。全員をこっちへ呼んでくれ」
リオナが穴へ向かう。
その間、俺は巨大鼠との距離を取った。
腰袋へ手を入れる隙が欲しい。
巨大鼠が前歯を鳴らし、再び俺へ狙いを定める。
一度目よりも低く身体を沈めている。
次は盾ごと噛み砕くつもりだ。
リオナが穴を抜けた。
今だ。
俺は左手で盾を構えながら、右手を腰袋へ入れた。
水晶の欠片を握る。
《転職可能職業》
《見習い剣士》
《鉱夫》
「《見習い剣士》へ転職する」
《職業を《見習い剣士》へ変更しました》
身体の感覚が切り替わる。
岩から得られる情報が薄れ、代わりに剣と盾が身体へ馴染んだ。
重心を落とす。
巨大鼠の前脚。
頭の向き。
踏み込む直前に動いた肩。
先ほどよりも、攻撃の瞬間がはっきり見える。
穴からカレンが姿を現した。
その後ろにはサラもいる。
「ルナト!」
「大丈夫だ!」
巨大な岩喰い鼠が走り出す。
俺は盾を構えた。
今度は、ただ受け止めるつもりはない。
「カレン! こいつの甲殻を砕けるか!」
「止められるならな」
「止める!」
俺が突進を受け流す。
カレンが戦槌を振り上げる。
リオナが次の矢をつがえ、サラも短剣を抜いた。
鉱山へ入る前は、過去の記憶に足が震えた。
だが、今は違う。
俺は自分の意思で職業を選び、自分の意思で剣を握っている。
そして、一緒に戦う仲間がいる。
巨大鼠が目前へ迫る。
「来い!」
俺は盾を傾け、その牙を迎え撃った。




