第19話 仲間だから話したい
一日休んだおかげで、翌朝には身体の重さが消えていた。
朝食を終えた俺たちは、ミネルの部屋へ向かう。
俺の剣と盾は修理中なので、腰に武器はない。冒険者としては落ち着かないが、今日は町の外へ出る予定もなかった。
リオナも一緒だ。
「どうしてリオナさんまで来るのですか?」
「新しい仲間が何を習ってるのか、知っておきたいから。それに、エルフの魔法には興味あるしね」
「見学料を取られるかもしれませんよ」
「それはルナトに払ってもらうよ」
「どうして俺が払うんだ?」
「仲間だから?」
「便利な言葉ですね」
サラが小さく笑った。
ミネルの部屋の前に到着し、扉を叩く。
返事はない。
「まだ寝ているのでしょうか」
「その可能性が高いな」
「開けちゃえば?」
「鍵がかかってる」
「ルナトなら開けられるでしょ?」
「仲間の部屋へ入るために《鍵開け》を使わせるな」
仕方なくもう一度扉を叩く。
しばらく待っていると、内側から何かが床へ落ちる音がした。
「……起きているわ」
眠そうな声が聞こえる。
やがて扉がわずかに開き、ミネルが顔を覗かせた。
淡い金色の長髪は乱れ、頬には枕の跡が残っている。白い寝間着の肩もずり落ち、鎖骨から胸元にかけての白い肌が大きく露出していた。
「おはよう、ミネル」
「ええ……おはよう」
「服、ずれてるよ」
リオナが指摘すると、ミネルは自分の肩を見る。
「この程度なら問題ないわ」
「問題あります」
サラが寝間着を引き上げ、襟元を整えた。
「朝から女性の部屋を訪ねてくるほうが悪いのよ」
「昨日、朝に来いと言ったのはミネルだろ」
「昨日の私が?」
「今日のあなたと同じ人です」
サラに言い切られ、ミネルは不満そうに口を尖らせた。
部屋へ入ると、昨日より散らかっていた。
机には空になった皿とパンの袋が置かれ、床には脱いだ服が落ちている。
「この部屋だけ、魔物に襲われたみたいだね」
リオナが率直な感想を漏らす。
「高度な魔法の研究をしていたのよ」
「床に落ちてる下着も研究道具?」
リオナが足元から白い布を拾い上げた。
ミネルの顔が一瞬で赤くなる。
「それを返しなさい!」
「わっ、急に元気になった」
ミネルはリオナから下着を奪い取り、寝台の毛布の下へ押し込んだ。
「見学者がいるなんて聞いていないわ」
「今日から正式に仲間になったリオナだ」
「前から一緒にいた獣人でしょう?」
「前までは臨時だったんだ」
「そう。見学料は千Gよ」
「本当に取るんだ……」
リオナが俺を見る。
「俺は払わないぞ」
「仕方ないなあ」
文句を言いながらも、リオナは千Gを机へ置いた。
ミネルはそれを素早く回収すると、ようやく授業の準備を始めた。
「前回は、魔力を右手から外へ出す練習をしたわね。その後も続けた?」
「一昨日の夜に試した。昨日は休んだ」
「身体に異常は?」
「使いすぎて、昨日の朝は少し重かった」
「限界まで使うなと言ったでしょう」
「使い切れとも言っていたぞ」
「言葉どおり完全に空にする人がいるとは思わなかったのよ」
「空にはしていない。少し残した」
「それなら合格ね」
どちらなのだろう。
「魔力を循環させているとき、小さな光が見えたんだ」
「光?」
「蛍みたいな光だ。俺の左手の周りを回って、すぐに消えた」
ミネルは少し考え込んだ。
「放出した魔力が、一時的に光って見えたのかもしれないわ」
「よくあることなのか?」
「魔力が光として見えること自体は珍しくない。でも、初めての循環で目に見えるほど集められるとは思えないわね」
「では、違うものなのでしょうか」
サラが尋ねる。
「一度だけでは分からないわ。虫を見間違えた可能性もあるし、部屋に残っていた魔道具の光かもしれない。もう一度現れたら教えて」
ミネルにも正体は分からないらしい。
今日は魔力の放出を完成させる練習から始まった。
俺は右手を前へ出し、体内の魔力を集める。
胸から肩へ。
肩から肘、手首へ。
昨日は休んだが、魔力を動かす感覚は失われていない。
むしろ一昨日よりも、はっきり流れを感じ取れた。
「無理に押し出そうとしないで。息を吐くように流すのよ」
ミネルの指示に従い、ゆっくりと息を吐く。
手のひらに集めた熱を、そのまま前へ押し出す。
空気が、わずかに揺れた。
右手から魔力の一部が離れる。
だが、すぐに形を失って散ってしまった。
「今のは出ていたか?」
「ええ。でも、まだ力みすぎね」
ミネルが俺の正面に立つ。
「両手を出して」
俺たちは向かい合い、胸の高さまで両手を上げた。
二人の四つの手に囲まれた、バスケットボールほどの空間ができる。
目には見えない一つの球を、二人で一緒に掴んでいるような姿勢だ。
「私が流れを作るわ。あなたはそれに魔力を乗せて」
「分かった」
「右手から私の左手へ渡す。私の身体を通った魔力は、右手からあなたの左手へ返す。二人の身体を含めた一つの大きな輪を想像しなさい」
ミネルの左手が、俺の右手へ近づく。
指先が触れそうな距離だ。
淡い金色の髪が肩から流れ、彼女の緑色の瞳が俺を見つめている。
「余計なことを考えないで、魔力に集中して」
「考えてない」
「視線が下がってたわ」
ミネルの寝間着は着替えたようだが、薄いローブの胸元が少し開いていた。
「手の位置を見ていたんだ」
「ルナトは今日も同じ言い訳をしているね」
少し離れた場所で、リオナが笑う。
「同じ?」
「カレンの工房でも、槌の動きを見ていたそうです」
サラまで余計なことを言う。
「集中できないから静かにしてくれ」
「それはこっちの台詞よ」
ミネルが呆れたように息を吐いた。
「始めるわよ」
彼女の左手から細い魔力が伸び、俺の右手へ触れた。
温かい水に指先を入れたような感覚がある。
「私へ渡そうとしなくていい。流れの中へ、自分の魔力を落とすだけ」
ミネルが作った魔力の流れを意識する。
その中へ、右手に集めた魔力を少しずつ重ねた。
最初は弾かれた。
もう一度、今度は力を弱めて流す。
俺の手から離れた魔力が、ミネルの左手へ吸い込まれた。
「そのまま」
魔力はミネルの身体を巡り、彼女の右手から出てくる。
そして俺の左手へ入った。
自分の魔力に、ミネルの魔力が混ざっている。
温かいが、俺のものより軽く、風のように動きやすい。
受け取った魔力を身体へ戻し、再び右手へ送る。
右から出して、ミネルの左手へ。
ミネルの右手から、俺の左手へ。
二人の間に、一つの輪が作られていく。
「そう。それを崩さないで」
何度か繰り返すうちに、ミネルが作っていた流れと、俺が放出した魔力の境目が分からなくなった。
魔力が自然に右手から離れる。
《魔力放出を習得しました》
《初級スキル図鑑へ登録します》
登録数:21/90
文字が浮かんだことで、集中が途切れた。
二人の間を巡っていた魔力が一度に散る。
空気が弾け、ミネルのローブと髪が大きく持ち上がった。
「きゃっ!」
短い声とともに、ローブの裾が腰の高さまでめくれ上がる。
細く長い脚。
その付け根にある白い布まで、はっきり見えてしまった。
慌てて顔を逸らす。
「ご、ごめん」
「今、見たでしょう?」
「見てない」
「嘘よ! 絶対に見たわ!」
「白だったね」
リオナが楽しそうに言う。
「あなたまで見ないで!」
「向かい側にいたから、見えたんだよ」
ミネルが真っ赤になりながらローブの裾を押さえる。
尖った耳まで赤く染まっていた。
「今日の授業は終わり! 全員出ていきなさい!」
「まだ始めて、それほど経っていませんよ」
「終わりったら終わりよ!」
「授業料は?」
「返さないわ!」
俺たちはミネルの部屋から追い出された。
扉が勢いよく閉められる。
「白だったね」
廊下へ出ても、リオナはまだ笑っていた。
「それ以上言わないほうがいいと思います」
サラが扉を見る。
向こう側から、何かを投げつけるような音が聞こえた。
「ルナトは本当に見てないの?」
「事故だったんだ。忘れる」
「見たことは否定しないんだね」
「忘れると言ってるだろ」
「ルナト」
サラが俺の袖を引く。
「何だ?」
「……白だったのですか?」
「サラまで聞かないでくれ」
サラは少しだけ不満そうに唇を尖らせた。
その理由は分からない。
昼前になり、俺たちはカレンの工房へ向かった。
工房からは、今日も金属を打つ音が響いている。
扉を開けると、カレンは昨日と同じ白いタンクトップ姿で作業していた。
今日も汗ばんだ布が肌へ張りつき、槌を打ち下ろすたび、豊かな膨らみが大きく揺れている。
揺れる。揺れる。
「また見てる」
リオナが小声で言う。
「仕事を見ているだけだ」
「今日はまだ何も聞いてないよ?」
カレンが槌を置き、俺たちへ顔を向けた。
「できている」
作業台には、修理された剣と盾が置かれていた。
盾の傷は新しい木材と革で補強されている。剣の刃こぼれも消え、刃が鈍い光を放っていた。
「前より頑丈になっているな」
「傷んだ場所だけ直しても、同じところを壊す。周りも補強した」
盾を持ち上げる。
少し重くなったが、扱えないほどではない。
「ありがとう。助かった」
「金を払った客へ、必要な仕事をしただけだ」
カレンはそう言いながら、俺が盾を構える姿を観察していた。
「やはり、その剣はお前に合っていない」
「昨日も言っていたな」
「新しい剣を作ってもらうなら、いくら必要なんだ?」
リオナが尋ねる。
「素材による。安い鋼なら六万G。いい素材を使えば十万を超える」
「今すぐには厳しいな」
剣だけに全財産を使うわけにはいかない。
防具や薬、宿代も必要だ。
「素材を持ち込めば安くなる」
カレンが作業台の下から、古びた紙を取り出した。
広げられた紙には、町から北西にある山と、閉鎖された採掘場が描かれている。
「この廃採掘場で採れる赤鋼鉱なら、剣にも盾にも使える」
「採掘場……」
紙に描かれた坑道を見た瞬間、暗い鉱山の記憶が蘇った。
つるはしの音。
監視役の怒鳴り声。
逃げられない地下の暗闇。
無意識に拳へ力が入る。
隣にいたサラも、わずかに身体を強張らせていた。
リオナが俺たちの反応に気づく。
「そこに行けば、素材を採れるの?」
「採掘場が閉鎖されてから、十年以上経っている。鉱石は残っているはずだ」
「閉鎖された理由は?」
「魔物が棲みついた」
カレンは地図の坑道部分を指で叩いた。
「最近、町の鉱夫組合が再調査を計画している。護衛できる冒険者を探しているはずだ」
「カレンも行くのか?」
「赤鋼鉱を見分けられる人間が必要だ。私が同行する」
リオナが俺を見る。
素材を手に入れれば、新しい剣を安く作れる。
採掘の技能も役に立つだろう。
だが、再び坑道へ入ることを考えると、胸の奥が重くなる。
「今すぐ決めなくていい」
カレンが地図を畳む。
「無理に古傷を開く必要はない」
やはり、俺たちが鉱山で何かあったことに気づいているらしい。
「依頼は、いつ出るんだ?」
「明日の朝だ」
「分かった。今日中に答える」
工房を出たあと、俺たちは宿へ戻った。
部屋に入り、扉を閉める。
リオナは椅子へ腰掛けたが、何も尋ねなかった。
サラが俺の隣へ座る。
鉱山の話をするなら、今なのかもしれない。
リオナは仲間になった。
危険な相手に追われているなら話してほしいとも言っていた。
「リオナ」
「うん」
「俺とサラがいた鉱山について、聞いてほしいことがある」
金色の瞳が、静かに俺を見る。
「俺たちは家族に売られて、あの鉱山へ連れていかれた」
口にすると、過去が胸の奥から溢れ出した。
奴隷契約はなかったこと。
それでも監視され、外へ出られなかったこと。
働けなくなった者が殴られ、食事を減らされたこと。
俺たちが隠れて修行し、剣や地図を盗んで逃げ出したこと。
ただし、不思議な水晶と《スキル図鑑》については話さなかった。
まだ、そこまですべてを明かす勇気はない。
話している間、リオナは一度も口を挟まなかった。
「俺たちは、盗みもした」
最後にそう告げる。
「逃げるために必要だったとはいえ、剣や金を持ち出した。だから、鉱山の連中が追ってくる可能性はある」
「なるほどね」
「今からでも、仲間になる話を取り消していい」
リオナの獣耳が、ぴくりと動いた。
「どうして?」
「巻き込まれるかもしれないからだ」
「昨日も言ったでしょ。仲間を置いていかないって」
「でも――」
「ルナト」
リオナが立ち上がり、俺の前へ来る。
次の瞬間、両腕が俺の首へ回された。
柔らかな身体が胸元へ密着する。
豊かな膨らみが押しつけられ、獣人らしい高い体温が服越しに伝わってきた。
「よく逃げてきたね」
耳元で、優しい声が聞こえる。
「二人とも、頑張ったね」
その言葉を聞いた途端、胸の奥に張りつめていたものが少しだけ解けた。
サラが顔を伏せる。
栗色の髪の隙間から見えた目には、薄く涙が浮かんでいた。
リオナは俺から離れると、今度はサラを抱き締めた。
「これからは三人だから。逃げるときも、戦うときも一緒だよ」
「はい……ありがとうございます」
しばらくして、リオナが俺たちから離れる。
「それで、採掘場の依頼はどうする?」
地下へ入るのは怖い。
また閉じ込められるのではないかという恐怖もある。
だが、あの鉱山とは違う。
今度は自分の意思で入り、自分の意思で出る。
俺にはサラだけでなく、リオナもいる。
「受けようと思う」
「私も行きます」
サラも迷わず答えた。
「決まりだね」
リオナが笑う。
「カレンを守って、赤鋼鉱を持ち帰ろう」
翌朝から、俺たち三人とカレンの初めての仕事が始まる。




