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第18話 三人になった日



 翌朝、目を覚ますと、身体の奥に重い疲れが残っていた。


 灰牙狼と戦った疲労だけではない。


 昨夜、眠る直前まで魔力を循環させたせいだろう。手足は動くものの、身体の中心に力が入りにくい。


「おはようございます、ルナト」


「ああ。おはよう、サラ」


 隣の寝台では、サラがすでに起きていた。


 栗色の長い髪を片側へ寄せ、寝間着の襟元を整えている。寝起きのせいか、蜂蜜色の瞳はまだ少し潤んでいた。


「顔色がよくありませんね」


「魔力を使いすぎたみたいだ」


「だから、そろそろやめたほうがいいと言ったのに」


「気になって、もう一回だけ試したくなったんだ」


「ルナトの『もう一回だけ』は信用しないことにします」


 サラが頬を膨らませる。


「悪かった。次からは気をつける」


「本当ですか?」


「たぶん」


「そこは本当だと言ってください」


 呆れたように言いながら、サラが俺の額へ手を当てた。


 ひんやりとした手のひらが心地いい。


「熱はなさそうですね。食事をしても戻らなければ、今日は休みましょう」


「今日は装備を直しに行かないと」


 昨日の戦いで、盾には灰牙狼の牙が食い込んだ跡が残っている。


 革鎧も爪で裂かれ、剣にも小さな刃こぼれができていた。


 このまま次の依頼へ持っていくのは危険だ。


「それなら、修理だけにしましょう。依頼を受けるのは禁止です」


「分かった」


「本当に?」


「今日は受けない」


「では信じます」


 サラがようやく手を離す。


 そのとき、部屋の扉が勢いよく叩かれた。


「二人とも、起きてる?」


 リオナの声だ。


「起きてる。少し待ってくれ」


「入ってもいい?」


「サラが着替えているから駄目だ」


「私はもう着替え終わっていますよ」


 サラは薄緑色の上着に着替えていた。身体に合う焦げ茶色のズボンも身につけ、いつでも外へ出られそうな格好だ。


「入っていいそうだ」


 扉を開けると、リオナが朝食の入った籠を抱えて立っていた。


 赤褐色の短い髪から伸びた獣耳が、元気よく立っている。革鎧は身につけておらず、胸元の開いた白い服に短いズボンという軽装だった。


「正式に仲間になった記念に、朝ご飯を持ってきたよ」


「食堂で食べればよかったんじゃないか?」


「三人で相談したいこともあるからね」


 リオナは俺の横を通り、部屋へ入った。


 しかし、二つ並んだ寝台を見たところで足を止める。


「……二人って、ずっと同じ部屋で寝てたの?」


「ああ」


「毎晩?」


「そうだけど」


 リオナの尻尾が、ゆっくりと持ち上がった。


「へえ……」


「何だ?」


「別に。まだ何も聞いてないよ?」


「その顔は何かを聞きたがっている顔です」


 サラが冷静に指摘する。


「夜は静かに眠れてるのかなって思っただけ」


「眠れています」


「本当に?」


「リオナさんが期待しているようなことは、何もありません」


 サラの頬が少し赤くなる。


 それを見たリオナが楽しそうに笑った。


「期待なんてしてないって。サラは朝から可愛いね」


「からかわないでください」


「じゃあ、今夜からあたしもここで寝ようかな」


「寝台が二つしかないぞ」


「ルナトの寝台に二人で寝ればいいでしょ?」


「狭い」


「サラとは一つの寝台で眠ったことがあるのに?」


「あれは鉱山から逃げてきた直後で、金がなかったからだ」


 言ってから、部屋の空気が止まったことに気づいた。


 サラが目を見開いている。


 リオナも先ほどまでの笑みを消し、俺を見つめていた。


「鉱山から、逃げてきた?」


 自分から口を滑らせてしまった。


 今さら誤魔化しても、余計に怪しまれるだけだ。


「詳しいことは、もう少し待ってくれ」


 俺がそう告げると、リオナは数秒だけ俺を見つめた。


 やがて獣耳を小さく動かし、普段の笑顔へ戻る。


「分かった。話せるようになったら聞くよ」


「それでいいのか?」


「門の水晶は白かったんでしょ? だったら二人が罪人じゃないことは分かってるからね」


 無理に聞き出そうとはしない。


 そのことが、ありがたかった。


「それより部屋の話。あたしは別の宿に泊まってるから、朝に集合するだけでも時間がかかるでしょ?」


「同じ宿に移るのか?」


「部屋が空いていればね。三人部屋があるなら、そっちでもいいけど」


 サラと顔を見合わせる。


 リオナは仲間になったばかりだ。


 冒険者として一緒に行動することは決めたが、すぐに寝食のすべてを共にする必要はない。


「まずは、この宿の別の部屋を借りたらどうでしょう」


 サラが提案する。


「そのほうがいいかもね。二人だけで話したいこともあるだろうし」


 三人でパンと腸詰め肉を食べたあと、俺たちは一階へ下りた。


 幸い、隣の部屋が空いていた。


 リオナは前の宿から荷物を運び、今日から俺たちの隣で暮らすことになった。


「これで朝寝坊しても起こしてもらえるね」


「自分で起きてください」


「サラがどんどん厳しくなる……」


「ミネルさんの世話だけでも大変なので」


「もうあのエルフの世話係になってるんだ?」


「なった覚えはありません」


 荷物を置いたあとは、装備の修理へ向かう。


 リオナによれば、腕のいい鍛冶職人がいる店が、職人街の外れにあるらしい。


「ただ、ちょっと無愛想なんだよね」


「腕がいいなら問題ない」


「ルナトとは気が合うかも」


「俺は無愛想か?」


「自覚なかったの?」


 リオナだけでなく、サラまで小さく頷いた。


 少し納得できない。


 職人街へ入ると、あちこちから金属を打つ音が聞こえてきた。


 武器屋や防具屋だけでなく、荷車の部品や農具を作る工房も並んでいる。


 リオナが案内したのは、通りの一番奥にある小さな鍛冶工房だった。


 看板には、金床と槌の絵が描かれている。


「カレン、いる?」


 リオナが開いた扉から顔を入れる。


 奥から返ってきたのは、金属を打つ音だけだった。


「いるみたいだね」


 工房へ入った途端、火床の熱が肌を撫でた。


 壁には剣や斧、盾が並び、中央の作業台には修理途中の武具が置かれている。


 そして火床の前に、一人の女性が立っていた。


 二十代前半くらいだろうか。


 長い灰色の髪を高い位置で束ね、汗に濡れた後れ毛が整った横顔へ張りついている。炎を映した青灰色の瞳は、磨かれた刃のように澄んでいた。


 背は女性としてはかなり高い。


 鍛冶仕事で鍛えられた腕は無駄なく引き締まり、細い腰から伸びる脚も長い。力強さと、女性らしいしなやかさを兼ね備えた身体だった。


 だが、真っ先に俺の目を奪ったのは別の部分だ。


 汗ばんだ白いタンクトップが、彼女の肌へぴったりと張りついていた。


 布地を内側から押し上げる、巨峰を思わせる二つの豊かな膨らみ。


 女性が槌を振り上げる。


 持ち上がる。


 金床の上の鉄へ、槌が打ち下ろされる。


 揺れる。


 再び槌を振り上げ、鉄を叩く。


 揺れる。揺れる。


 金属音が鳴るたび、少し遅れて豊かな双丘が弾んでいた。


 見てはいけない。


 そう思うほど、目が吸い寄せられてしまう。


 汗を吸った白い布地はわずかに透け、下にある褐色がかった健康的な肌を淡く浮かび上がらせていた。


 女性が槌を止めた。


「……どこを見ている?」


 青灰色の瞳が、まっすぐ俺へ向けられている。


「槌の動きを見ていた」


「そうか」


 短い返事だった。


 信じてもらえたかどうかは分からない。


「槌はもう止まってるけどね」


 リオナが横から言う。


「……途中からは、鉄を見ていた」


「へえ?」


「本当だ」


「私は何も尋ねていませんよ、ルナト」


 反対側では、サラが静かな笑顔を浮かべていた。


 なぜだか、少し怖い。


 女性は俺たちのやり取りを気にする様子もなく、熱した鉄を水へ入れた。


 白い蒸気が立ち上る。


「客か?」


 低く落ち着いた声だった。


「久しぶり、カレン」


「リオナか。また弓を壊したのか?」


「今日はあたしじゃないよ。新しい仲間の装備を見てほしいんだ」


 カレンと呼ばれた女性は、俺の盾へ視線を移した。


「置け」


 言われたとおり、作業台へ盾を置く。


 カレンは牙の跡を指でなぞり、表と裏を確かめた。


「灰牙狼か」


「見ただけで分かるのか?」


「この町の近くで、こんな跡を残す獣は限られる」


 次に革鎧を脱ぐよう言われた。


 留め具を外して作業台へ置くと、カレンの眉がわずかに寄る。


「これは修理したほうが高くつく」


「買い替えたほうがいいのか?」


「素材が悪い。裂けた部分を塞いでも、次はその横が破れる」


 鉱山から逃げたあと、限られた金で買った革鎧だ。


 安さを優先したため、質がよくないことは分かっていた。


「剣も見せろ」


 鞘ごと渡すと、カレンは刃を光へかざした。


「手入れはしているな」


「毎晩、汚れを落としている」


「刃こぼれは直せる。ただ、この剣も長くは使えない」


 カレンは剣を作業台へ置き、俺の手を見た。


「剣を握れ」


「剣はそこにあるぞ」


「形だけでいい」


 言われたとおり、何も持たずに柄を握る動作をする。


 カレンは俺の指や手首を観察し、今度は両肩へ目を向けた。


「鉱山にいたのか?」


 心臓が跳ねた。


 サラの表情も強張る。


「どうして、そう思う?」


「掌のたこだ。剣士のものに混じって、槌やつるはしを長く握った跡がある」


 カレンはそれ以上追及せず、壁に並ぶ剣を一本手に取った。


「お前は腕力がある。今の剣は軽すぎるが、大剣を振る体格でもない。片手で扱える、少し重めの剣が合うだろう」


 渡された剣を握る。


 今までの剣より刃が広く、確かに重い。


 だが、盾と同時に扱えないほどではなかった。


「振ってみろ」


 周囲を確認し、ゆっくりと剣を振る。


 重さに引かれて刃先が下がりかけたが、握りを調整すると安定した。


「悪くない」


 カレンが短く言った。


「その剣はいくらだ?」


「三万八千G」


「高いな……」


「命よりは安い」


「それはそうだけど」


 昨日の報酬を合わせれば買えない額ではない。


 ただし、剣だけでなく革鎧も必要だ。すべて揃えれば、今まで貯めた金の多くを使うことになる。


「今日は修理だけ頼めるか?」


「構わない。剣が二千G、盾が三千G。明日の昼には終わる」


「頼む」


 カレンは頷き、作業台の端に装備をまとめた。


 サラの短剣とリオナの弓も点検してもらったが、大きな問題はなかった。


 店を出ようとしたとき、カレンが俺を呼び止める。


「新しい剣を買う気になったら、もう一度来い」


「さっきの剣を勧めるのか?」


「あれは既製品だ。お前が本当に必要としているものを知りたければ、戦い方を見せてもらう」


「戦い方?」


「武器は、持ち主の身体と癖に合わせるものだ」


 無愛想だが、売れれば何でもいいという職人ではないらしい。


「分かった。また来る」


 工房を出る。


 外の涼しい風が、火照った頬を冷ましてくれた。


 その隣で、リオナが得意そうに胸を張る。


「腕はいいって言ったでしょ?」


「ああ。少し驚いたけどな」


「腕に? それとも胸に?」


「腕だ」


「返事が早いね」


「ルナトは、ずいぶん熱心に槌の動きを見ていましたね」


 サラが俺を見上げている。


「鍛冶を見るのは初めてだったからな」


「そういうことにしておきます」


「でも、カレンは綺麗だったでしょ?」


 リオナに尋ねられ、工房の中に立つカレンの姿を思い出す。


 炎に照らされた灰色の髪。


 鍛えられた長身。


 汗に濡れた白いタンクトップと、その下で揺れていた――。


「凛々しくて、格好いい人だと思った」


「胸も大きかったですしね」


「サラ?」


「何も言っていません」


「言っただろ」


 サラは涼しい顔で歩き続けている。


 リオナは腹を抱えて笑っていた。


「それにしても、あの人もルナトが鉱山にいたことへ気づいたね」


 リオナの声が少しだけ真剣になる。


「黙っていてくれると思うか?」


「カレンは他人の過去を言い触らすような人じゃないよ。口数も少ないしね」


「リオナが二人分しゃべるから、ちょうどいいですね」


「サラ、今日はあたしにも厳しくない?」


 少しだけ重くなった空気が和らぐ。


 リオナは数歩先へ進んだあと、こちらを振り返った。


「ルナトたちが何から逃げたのか、今は聞かない。でも、危険な相手に追われているなら話してほしい」


「怖くないのか?」


「怖いよ」


 リオナは迷わず答えた。


「だから、早めに知って準備しておきたい。三人なら逃げるときも、一人より楽でしょ?」


「一緒に逃げるつもりなのか?」


「仲間を置いていかないって決めたばかりだからね」


 リオナは笑い、赤褐色の尻尾で俺の腰を軽く叩いた。


 胸の奥が、少しだけ軽くなる。


 すべてを話すには、まだ勇気が足りない。


 それでも、リオナになら話せる日が来るかもしれない。


「宿へ戻ったら、もう一つ相談があります」


 サラが言った。


「何の相談?」


「ルナトが昨夜、魔力を使いすぎました。今日は修行を休ませたいのですが、見張っていてもらえませんか?」


「子供じゃないんだから、見張りはいらない」


「任せて。寝るまで両側から挟んでおこう」


「両側?」


「逃げられないように、あたしとサラで一緒の寝台に押さえつけるの」


 リオナが悪戯っぽく笑う。


「それでは私まで眠れません」


「サラ、そこは否定するところが違う」


 三人で宿へ戻ったあと、俺は本当に依頼を受けずに一日を休んだ。


 夜になってからも、魔力循環はしなかった。


 サラとリオナが交代で様子を見に来たから、できなかったとも言える。


 昨夜見た蛍のような光も、今日は現れない。


 あれが魔力だったのか、ただの見間違いだったのか。


 確かめるのは、身体が回復してからでいい。


 焦らなくても、明日という日は来る。


 鉱山にいた頃には、持てなかった考えだった。


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