第22話 三人で暮らせる家
翌朝。
鳥の声で目を覚ますと、焚き火はほとんど消えていた。
灰の中に残った炭が、わずかに赤い光を放っている。
身体を起こした途端、左腕に鈍い痛みが走った。
「痛っ……」
「動かさないでください」
すぐ隣からサラの声が聞こえた。
彼女はすでに起きていたらしく、朝露に濡れた栗色の髪を後ろで束ねている。
「布を交換しますね」
「これくらいなら大丈夫だ」
「昨日も同じことを言っていました」
サラは俺の返事を聞かず、左腕に巻かれていた布を外した。
昨日より腫れは引いている。
ただ、盾を構えられるようになるには、もう少しかかりそうだ。
サラが新しい布へ薬を塗り、俺の腕へ巻き直す。
細い指が、俺の肌を優しく撫でていく。
「きつくありませんか?」
「ああ。ちょうどいい」
「今日は戦わないでくださいね」
「帰る途中で魔物が出たら、そうも言っていられない」
「そのときは、私とリオナさんが戦います」
「サラまで無茶をするつもりか?」
「ルナトにだけは言われたくありません」
真顔で返され、何も言えなくなった。
「朝から仲がいいね」
毛布を頭からかぶったリオナが、眠そうな顔でこちらを見ている。
赤褐色の髪は寝癖で跳ね、片方の獣耳だけが毛布の外へ出ていた。
「起きていたのですか?」
「二人がいちゃいちゃする声で起きた」
「治療をしていただけです」
「朝から触り合ってたんでしょ?」
「間違ってはいませんが、言い方に問題があります」
サラが困ったように眉を寄せる。
「リオナも肩の傷を見せろ」
「ルナトに?」
「サラにだ」
「なんだ。残念」
毛布をどけて立ち上がったリオナは、大きく伸びをした。
短い寝間着の裾が持ち上がり、褐色の腹部が覗く。
そのまま腕を上げ続けたため、胸元まで引っ張られ、下着に包まれた豊かな膨らみの下側が少しだけ見えた。
「リオナさん、服」
「ん?」
「ルナトが見ています」
サラに言われ、リオナがこちらを向く。
「おはよう、ルナト。朝からいいもの見られた?」
「見てない」
「今、慌てて目を逸らしましたよね」
「サラはどっちの味方なんだ?」
「事実を確認しただけです」
リオナは気にする様子もなく服の裾を直し、俺の隣へ座った。
「肩、見てくれる?」
「ああ」
「ルナトではありません」
サラが俺たちの間へ入る。
リオナは笑いながら革紐を緩め、肩を出した。
傷は浅く、化膿もしていない。
サラが薬を塗り、新しい布を巻く。
「これなら、数日で治りそうです」
「ありがとう。サラがお嫁さんなら、怪我をしても安心だね」
「なぜ私がリオナさんのお嫁さんになるのですか?」
「じゃあ、ルナトのお嫁さん?」
サラの手が止まった。
「……朝食を作ります」
それだけ言い、逃げるように焚き火へ向かう。
後ろから見ても、耳が赤くなっているのが分かった。
「サラ、照れてる」
「からかうな」
「ルナトも少し顔が赤いよ?」
「焚き火のせいだ」
「まだほとんど消えてるけどね」
リオナの尻尾が、楽しそうに左右へ揺れていた。
朝食を終え、野営道具を片づける。
俺たちは赤鋼鉱と巨大岩喰い鼠の素材を分担して背負い、町へ向かった。
帰り道では魔物に遭遇しなかった。
昼過ぎに門へ到着し、そのまま冒険者ギルドへ向かう。
巨大鼠の前歯と甲殻を受付の台へ置くと、周囲の冒険者たちが集まってきた。
「でかいな……」
「本当に岩喰い鼠の素材か?」
「何年生きたら、こんな大きさになるんだ?」
受付嬢も、巨大な前歯を見て目を丸くしている。
「少々お待ちください。鉱夫組合の方と一緒に、査定を行います」
俺たちは待合所の席へ移動した。
しばらくすると、奥からギルドの職員と鉱夫組合の代表者が現れる。
ドノンが採掘場の内部と、赤鋼鉱の鉱脈について報告した。
「赤鋼鉱が本当に残っていたのか!」
代表者の男が、持ち帰った鉱石を光へかざす。
「それも、かなり質がいい。採掘場を再開できれば、町の職人たちも助かるぞ」
「ただし、坑道の安全確認が必要だ」
ドノンが釘を刺す。
「崩落箇所はルナトが見つけた場所を通れるようにしたが、巨大な岩喰い鼠が暴れた影響で、天井に新しい亀裂ができている」
「ルナトが?」
代表者が俺を見る。
「この若さで、坑道の状態が分かるのか?」
「鉱山で働いた経験がある」
「そうか。なら、今度の本格調査にも参加してくれないか?」
「少し考えさせてほしい」
今度は準備を整えて入るとしても、すぐに答えられることではない。
代表者は無理に迫らず、依頼書を出すときはギルドへ知らせると言った。
今回の基本報酬は二万G。
赤鋼鉱を発見した追加報酬が一万G。
巨大岩喰い鼠の討伐と素材代を合わせ、さらに三万六千Gが支払われた。
合計六万六千G。
鉱夫二人を含めた六人で分け、一人当たり一万一千Gだ。
赤鋼鉱と巨大鼠の甲殻の一部は、カレンが剣の素材として受け取る。
「これが加工代だ」
俺は自分の取り分に所持金を足し、二万五千Gをカレンへ渡した。
彼女は硬貨を数え、革袋へしまう。
「確かに受け取った」
「どのくらいで完成する?」
「七日だ」
「一週間もかかるのか?」
「急いで作れば三日でも形にはなる」
カレンは赤鋼鉱を一つ持ち上げた。
「だが、鉱石から不純物を取り除き、巨大鼠の甲殻と合わせるには時間が必要だ。お前が長く使えるものを作る」
「分かった。頼む」
「完成まで、その剣を使っていろ。無理をさせなければ、一週間は持つ」
今の剣は修理したばかりだ。
新しい剣ができるまで、危険度の高い依頼を避ければ問題ないだろう。
「明日、工房へ来い」
「剣は一週間後じゃないのか?」
「柄の太さと長さを決める。盾を構えた姿も確認したい」
「左腕を怪我していますよ」
サラが口を挟む。
「明日は測るだけだ。剣を振らせるつもりはない」
「それなら構いません」
いつの間にか、俺ではなくサラの許可が必要になっている。
カレンもそれを不思議に思わず、素直に頷いていた。
ギルドを出たあと、俺たちは市場へ向かった。
保存食や薬を使ったため、補充する必要がある。
サラが店を回り、値段を比べていく。
「こっちの干し肉は安いですが、少し塩が多いですね」
「長持ちはするんじゃないか?」
「そのまま食べると喉が渇きます。煮込み料理に使うなら大丈夫ですけど」
「じゃあ、買おうよ」
リオナが横から干し肉を籠へ入れる。
「買うのは構いませんが、誰が料理するのですか?」
「サラ」
「材料費だけでなく、料理代もいただきますよ」
「家族なのに?」
「いつ家族になったのですか?」
「昨日の夜?」
「何も起きていません」
リオナが笑いながら、干し肉を追加する。
結局、パン、干し肉、豆、野菜、薬草を買った。
三人分をまとめて買うと、一人で暮らしていた頃より量が多い。
サラが両手で籠を抱え、困ったように中身を見る。
「これ、どこへ置きましょう」
「俺たちの部屋でいいんじゃないか?」
「もう置く場所がありません」
俺とサラの部屋には、二人分の服や道具がある。
さらに冒険用の荷物と食料を置けば、歩く場所さえ狭くなる。
「じゃあ、あたしの部屋にも分けようよ」
リオナが提案する。
「必要なときに、どちらの部屋へ置いたか分からなくなりそうです」
「サラが覚えてくれるでしょ?」
「どうして私だけが管理する前提なのですか?」
三人で宿へ戻り、買ってきた物を部屋へ運ぶ。
サラの言ったとおり、置き場所がない。
寝台の下には野営道具が入っている。
壁際には武器や衣類。
机の上には水筒や薬、ミネルの授業で使うために買った小さな器まで置かれていた。
「狭いな」
俺が呟く。
「今さら気づいたの?」
リオナが呆れたように言う。
「今までは二人だったから、どうにかなっていた」
「これからは三人で依頼を受けるんだよ。食料も装備も増えるし、もっと狭くなるね」
リオナの部屋も、広さは俺たちの部屋とほとんど変わらない。
宿の厨房を借りるには、そのたびに料金も必要だ。
部屋で火を使うことは禁止されているため、簡単な料理さえ作れない。
「せめて、台所のある場所へ移れればいいのですが」
サラが籠の中の野菜を見る。
「宿を変えるか?」
「台所つきの宿は高いですよ。三人分の部屋代を合わせれば、かなりの額になります」
俺たちは今後必要になる金を、机の上で計算した。
宿代。
食費。
装備の修理代。
薬や消耗品。
ミネルへ支払う授業料。
冒険者として稼げるようにはなったが、出ていく金も増えている。
「家を借りたほうが安いかもしれないね」
リオナが言った。
「家?」
「町の中心は高いけど、外壁に近いところなら安い借家があるよ。台所も倉庫もついてるはず」
「三人で暮らせる家を借りるのか?」
「嫌?」
「そういうわけじゃない」
自分たちの家。
鉱山に連れていかれる前にも、家はあった。
だが、あそこに俺の居場所はなかった。
食事を減らすために売られたのだから、家族だとも思われていなかったのだろう。
鉱山の寝床も、宿の部屋も、一時的に身体を休める場所にすぎない。
自分の意思で選び、大切な人と一緒に暮らす場所。
そんな家を、俺は持ったことがない。
「私は、いいと思います」
サラが静かに言った。
「台所があれば料理もできますし、荷物も置けます。小さくても庭があれば、薬草や野菜を育てることもできるかもしれません」
「畑か」
「はい。いつまでも依頼だけで暮らす必要はありませんから」
野菜を育て、料理を作り、夜になれば安心して眠る。
冒険とは違う、穏やかな暮らし。
俺たちが鉱山から逃げ出したのは、そういう生活を手に入れるためだったはずだ。
「問題は家賃だね」
リオナが机へ頬杖をつく。
「今の所持金で足りるのか?」
「借りるときには、保証金も必要になるよ。安い家でも、最初に五万Gくらいは用意したほうがいいかも」
俺は残っている金を確認した。
カレンへ加工代を支払ったため、余裕があるとは言えない。
サラとリオナの所持金を合わせれば借りられるかもしれないが、その後の生活費まで使い切るわけにはいかない。
「あと何回か依頼を受ければ足りるな」
「危ない依頼は禁止です」
サラがすぐに言う。
「まだ腕も治っていませんからね」
「採取や町の中の仕事ならいいだろ?」
「それなら考えます」
「家の情報だけでも、先に集めようよ」
リオナが立ち上がる。
「ギルドの近くに、借家を紹介してる店がある。明日、三人で見に行こう」
「カレンの工房へ行ったあとだな」
「楽しみですね」
サラが嬉しそうに微笑んだ。
その表情を見ていると、家を借りることが現実になったような気がした。
「どんな家がいい?」
リオナが尋ねる。
「台所が欲しいです。あとは、三人で食事ができる部屋ですね」
「お風呂も欲しいな。三人で入れるくらい広いやつ」
「一緒に入るつもりか?」
「家族なら普通でしょ?」
「普通ではありません」
サラが即座に否定する。
「ルナトは、どんな家がいい?」
「安全に眠れるなら、それでいい」
「それだけ?」
「今まで自分の家を選んだことがない。何が必要なのか分からないんだ」
正直に答えると、リオナが少しだけ寂しそうな顔をした。
サラも何も言わず、俺の隣へ腰掛ける。
「では、三人で考えましょう」
サラの肩が、俺の腕へ触れた。
「これから暮らすための家なのですから、急いで全部決めなくてもいいと思います」
「そうだな」
「庭があったら、何を植えようか」
リオナが明るい声で話を戻す。
「果物がいいな。甘いやつ」
「果樹は、実がなるまで時間がかかりますよ」
「じゃあ肉」
「庭から肉は生えません」
「魔物なら生まれるかもしれないよ?」
「絶対に嫌です」
三人で話しているうちに、窓の外が夕焼けに染まっていった。
まだ、どんな家を借りるのかは決まっていない。
金も十分ではない。
それでも、自分たちの家を持つという目標ができた。
明日は、初めての家探しだ。




