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第13話 初めての魔法



 翌朝。


 俺とサラ、リオナの三人は、町の南門でミネルを待っていた。


「遅いね」


 リオナの赤褐色の獣耳が、退屈そうに横へ倒れている。


「待ち合わせの時間までは、まだ少しあるよ」


 サラが答えた。


「でも、教える側が先に来るものじゃない?」


「昨日まで食事も満足に取っていなかったんだ。寝坊しても仕方ないだろ」


「ルナト、ミネルに優しいね」


「そういう意味じゃない」


「胸を見たから?」


「それは関係ない」


 声が少し大きくなった。


 近くにいた門番が、こちらを見る。


「リオナ、その話はやめろ」


「淡い桃色だった?」


「知らない」


「見たのに?」


「見えただけで、観察したわけじゃない」


「二人とも」


 サラの声が低くなった。


「朝から何の話をしてるの?」


「ルナトがミネルの胸を――」


「リオナ」


 背後から、冷たい声が聞こえた。


 リオナの獣耳が、ぴんと立つ。


 振り返ると、ミネルが立っていた。


 長い淡金色の髪はきれいに整えられ、背中へ流れている。


 昨日破れていた青と白の魔術師服も、胸元が丁寧に縫い合わされていた。


 細身で背が高く、姿勢もいい。


 黙って立っていれば、近寄りがたいほど知的なエルフの美女だ。


「いつから聞いてたの?」


 リオナが尋ねる。


「淡い桃色という部分からです」


「ほとんど最初だね」


「リオナ。昨日の牙猪に、もう一度追いかけられたいですか?」


 ミネルの周囲に、小さな風が渦巻く。


 淡金色の髪が、風に持ち上がった。


「朝から魔力を無駄遣いしないほうがいいよ」


「原因を作ったのは、あなたです」


「俺まで巻き込むなよ」


「ルナトも否定の仕方に問題があります」


「見ていないと言っても信じなかっただろ」


「もう忘れてください!」


 長く尖った耳まで赤くなっていた。


 どうやら、まだかなり気にしているらしい。


 サラが一歩前へ出て、畳んだ上着を差し出した。


「昨日はありがとうございました。洗っておきました」


「こちらこそ、助かりました」


 ミネルが上着を受け取る。


「今度、破れにくい魔術師服を買うことにします」


「そのほうがいいと思います」


「私もそう思う」


 リオナが口を挟む。


 ミネルが無言で杖を向けた。


「分かった。もう言わない」


 本当に分かったのかは怪しい。


     ◇


 ミネルに案内され、町の南側にある練習場へ向かった。


 周囲を低い石壁で囲まれた、広い空き地だ。


 地面には、魔法を受け止めるための石柱や、大きな岩が置かれている。


「町中で攻撃魔法を使用することは禁止されています」


 ミネルが説明する。


「練習する場合は、こちらを使用します。ただし、大規模な魔法や、周囲へ影響を与える魔法は禁止です」


「使用料は?」


「一人五百Gです」


「金がかかるのか」


「施設を維持するためです。壊した場合は、別途修理費を請求されます」


 俺とサラは受付で使用料を支払い、空いている場所へ移動した。


 リオナは魔法を習うつもりがないらしく、石壁の上へ腰を下ろす。


 赤褐色の尻尾が、壁の向こうでゆっくり揺れていた。


「最初に確認します」


 ミネルが俺とサラの前へ立った。


「二人とも、自分の魔力を感じたことはありますか?」


「ない」


「私もありません」


 サラも首を横へ振る。


「それでは、今日は魔力を感じることだけを目標にします」


「感じるだけ?」


「魔法を簡単に考えていませんか?」


 ミネルの碧色の瞳が、少しだけ険しくなる。


「自分の魔力すら分からない者が、それを動かしたり、身体の外へ放出したりできるはずがありません」


「一日で火魔法くらい使えると思ってた」


「無理です」


「水魔法なら?」


「同じです」


「風は?」


「何度聞かれても無理です」


 石壁の上から、リオナの笑い声が聞こえる。


「ルナト、期待しすぎ」


「初めてなんだから仕方ないだろ」


「魔法は、剣の修行と同じです」


 ミネルが続ける。


「一度剣を振っただけで、熟練の剣士にはなれないでしょう?」


「ああ」


「魔法も同じです。今日中に結果が出なくても、焦らないでください」


 俺は《スキル図鑑》を開いた。


 《魔力感知》――未登録

 習得のヒント:体内や周囲に存在する魔力へ意識を向け、その流れを感じ取る。


 ヒントはある。


 だが、「意識を向ける」と言われても、何を探せばよいのか分からない。


「魔力は、すべての生き物が持っています」


 ミネルが説明する。


「量や性質には個人差があります。人間よりエルフのほうが魔力を感じやすい傾向はありますが、人間でも訓練すれば使用できます」


「職業や血筋も関係するのか?」


「もちろんです。魔術師の家系では、幼い頃から魔力へ触れる機会があります。親から子へ受け継がれる魔力の性質もあります」


「普通の家に生まれた人間でも、魔術師になれる?」


「努力次第です。ただし、適性の差はあります」


 誰もが同じ速さで、同じ魔法を覚えられるわけではない。


 それは剣や鍛冶と変わらないのだろう。


「まず、目を閉じてください」


 ミネルの指示に従う。


「呼吸を整え、身体の中心へ意識を向けます。心臓の音ではありません。血の流れとも違います。温かく、ゆっくりと動くものを探してください」


 目を閉じる。


 自分の呼吸が聞こえる。


 心臓の音。


 風が肌へ触れる感覚。


 それ以外には何も分からない。


「分からない」


「始めてすぐに分かるものではありません」


「ミネルは、どれくらいかかった?」


「私は三歳の頃には感じていました」


「参考にならないな」


「エルフとしては普通です」


 隣では、サラも目を閉じている。


 表情は真剣だ。


 俺はもう一度、身体の中心へ意識を向けた。


 温かく、ゆっくり動くもの。


 心臓の周辺。


 腹の奥。


 何度も意識する場所を変える。


 やはり、分からない。


「ルナト、力みすぎです」


 ミネルの声が近くなった。


「肩の力を抜いてください」


「抜いてるつもりだ」


「まったく抜けていません」


 ミネルの両手が、俺の肩へ触れた。


 後ろから身体を寄せ、肩を軽く押す。


 背中へ、彼女の胸元がわずかに当たった。


 控えめな膨らみだが、柔らかな感触は伝わる。


「今は魔力へ集中してください」


「分かってる」


「本当ですか?」


「ミネルが近すぎる」


「姿勢を直しているだけです」


 耳元で声がする。


 淡い金髪が、俺の頬へ触れた。


 昨日のことまで思い出しそうになり、余計に集中できない。


「顔が赤いですよ」


「目を閉じてるのに、どうして分かる」


「エルフは気配に敏感ですから」


「便利な言葉だな」


 石壁の上から、リオナの笑い声が聞こえた。


 サラは目を閉じたままだが、少し眉を寄せている。


「一度離れてくれ」


「仕方ありませんね」


 ミネルが肩から手を離す。


 背中の温もりも消えた。


「身体へ力を入れる必要はありません。眠る直前のように、全身を緩めるのです」


 俺は息を吐き、もう一度集中した。


 余計なことを考えるな。


 身体の中心。


 温かく、ゆっくり動くもの。


 呼吸に合わせ、腹の奥へ意識を沈める。


 すぐには何も起きない。


 少しでも意識が逸れると、心臓の音や周囲の風が気になった。


 何度もやり直す。


 時間だけが過ぎていった。


     ◇


 昼前になっても、魔力を感じることはできなかった。


「少し休憩しましょう」


 ミネルの言葉で、俺は目を開けた。


 ずっと座っていただけなのに、頭が重い。


「魔法の練習って、疲れるんだな」


「慣れない集中を続けたからです」


「ミネルは疲れないのか?」


「私は長年続けていますから」


 サラも疲れた様子で、額へ手を当てている。


 リオナが石壁から飛び降り、水筒を渡してくれた。


「二人とも、ずっと座ってただけなのに疲れた顔してる」


「リオナもやってみれば分かる」


「私は弓の練習で忙しいから」


「さっきまで寝転がってただろ」


「周囲の警戒をしてたの」


「尻尾で遊んでたように見えたぞ」


「遊んでないよ」


 リオナは自分の尻尾を抱え、毛並みを整えていた。


 本人が警戒だったと言うなら、そういうことにしておく。


「午後も同じ練習ですか?」


 サラが尋ねる。


「はい。ただし、少し方法を変えます」


 ミネルが俺たちの前へ座った。


「私の魔力を感じてもらいます。最初から自分の魔力を探すより、強い魔力を外から感じるほうが簡単な場合があります」


 ミネルが右手を差し出す。


「手を」


 俺が手を重ねる。


 白く細い指が、俺の手のひらへ触れた。


 ミネルは目を閉じた。


「今から、手のひらへ魔力を集めます。何か変化がないか、よく感じてください」


 触れ合った場所が、少しずつ温かくなる。


 体温とは違う。


 皮膚の表面ではなく、もっと内側へ染み込んでくるような感覚。


「温かい」


「それが私の魔力です。目で見るのではなく、感覚を覚えてください」


 ミネルの魔力は静かだった。


 それでも、底が分からないほど大きい。


 深い湖へ手を触れているような感覚がする。


「もう一度、自分の内側を探してください。今感じているものと、似た性質を持つものがあるはずです」


 俺は目を閉じた。


 ミネルの魔力を感じたまま、自分の身体へ意識を戻す。


 同じもの。


 似た温かさ。


 腹の奥へ意識を沈める。


 しばらくすると、暗闇の中に、ごく小さな光が見えた気がした。


 本当に見えているわけではない。


 身体の内側に、温かい水がたまっているような感覚。


 それが呼吸に合わせ、わずかに揺れている。


「……これか?」


 思わず声が漏れた。


「何か感じましたか?」


「腹の奥が、少し温かい」


「その感覚を見失わないでください」


 意識を向け続ける。


 温かさは、腹の奥だけではなかった。


 細い流れとなり、胸や腕へ広がっている。


 普段なら気づかないほど弱い。


 それでも、確かに存在していた。


 《魔力感知を習得しました》

 《初級スキル図鑑へ登録します》


 登録数:18/90


「習得した」


「《魔力感知》ですか?」


「ああ」


 目を開ける。


 世界の見え方が、少しだけ変わっていた。


 ミネルの周囲に、淡い光のようなものを感じる。


 目で見えているわけではない。


 だが、彼女が自分よりはるかに多くの魔力を持っていることが分かる。


「思ったより早かったですね」


「図鑑にヒントが――」


 言いかけて、止まる。


「図鑑?」


 ミネルが聞き返す。


「いや。昔、似たような話を聞いたことがある」


「そうですか」


 ミネルは少し疑うような目をしたが、それ以上は尋ねなかった。


 俺はミネルと重ねていた手を離す。


 次はサラの番だ。


「サラも、手を」


 ミネルが差し出した手へ、サラが自分の手を重ねる。


 サラは俺より慎重だった。


 何度も呼吸を整え、ミネルの魔力を感じようとする。


 昼を過ぎても、まだ習得には至らなかった。


「ごめんなさい」


 サラが悔しそうに言う。


「どうして謝るのですか?」


「ルナトはできたのに、私はまだだから」


「魔力の感じ方には個人差があります。今日中にできなかったとしても、才能がないという意味ではありません」


「でも……」


「焦れば、余計な力が入ります」


 ミネルはサラの手を握ったまま、静かに続けた。


「ルナトと競う必要はありません。自分の感覚を探してください」


 サラがもう一度、目を閉じる。


 俺とリオナは邪魔をしないよう、少し離れた。


 それから一時間ほどたった頃。


 サラが小さく息をのんだ。


「胸の奥に……光がある」


「そのまま意識を向け続けてください」


 サラの胸元から、わずかな魔力の揺れを感じる。


 まだ弱い。


 それでも、俺にも分かった。


 サラが自分の魔力を見つけたのだ。


 しばらくして、サラが目を開けた。


「習得できた」


 嬉しそうな笑顔だった。


「よかったな」


「うん」


 サラは自分の胸元へ手を当てる。


「ルナトは腹の奥だったんでしょう? 私は胸の中心に、小さな光があるみたい」


「同じ魔力でも、感じ方が違うんだな」


「本人が最も理解しやすい形で感じます」


 ミネルが説明する。


「今日の練習は、ここまでにしましょう」


「次は魔力を動かす練習か?」


「はい。ですが、明日すぐ習得できるとは考えないでください」


「分かってる」


「本当に?」


「今日一日で、十分分かった」


 朝は、すぐに火魔法くらい使えると思っていた。


 だが、魔力を感じるだけで一日かかった。


 ここから動かし、身体の外へ放出し、さらに属性を与える必要がある。


 魔法を使えるようになるまで、どれほどかかるのか分からない。


 それでも、諦めるつもりはなかった。


     ◇


 練習場を出たあと、四人で安い食堂へ入った。


 肉と野菜を煮込んだ料理と、人数分のパンを注文する。


 料理が運ばれてくると、ミネルは上品に食べ始めた。


 だが、皿が空になるのは、俺たちより早かった。


「足りるか?」


「十分です」


 ミネルの視線が、俺の皿に残った肉へ向いている。


「食べる?」


「いりません」


「じゃあ、私がもらう」


 リオナが俺の皿へ手を伸ばす。


 その前に、ミネルのフォークが肉を突き刺した。


 全員の動きが止まる。


 ミネルは、自分が何をしたのか気づいたらしい。


 ゆっくり肉を自分の皿へ移した。


「……食料を無駄にするべきではありません」


「ルナトは食べるつもりだったと思うけど」


「俺はもう十分だ」


 そういうことにしておく。


「続きを学びたければ、明日も同じ時間に練習場へ来てください」


 食事を終えたミネルが言った。


「料金は?」


「一回三千Gです」


「毎日三千Gか」


「私も生活がありますので」


 そのとき、ミネルの腹が小さく鳴った。


 食べ終えたばかりなのに。


 リオナが、にやりと笑う。


「食事をつけるなら?」


「……二千Gでも構いません」


「食事代のほうが高くならないか?」


「私はそれほど食べません」


 全員が、空になったミネルの皿を見る。


「なんですか?」


「いや」


 本人がそう言うなら、今は何も言わない。


「分かった。明日も頼む」


「では、明日は《魔力操作》の練習を始めます」


 こうして俺とサラは、空腹のエルフから魔法を習うことになった。


 まだミネルは、依頼を共にする仲間ではない。


 食事と授業料を引き換えに、魔法を教えてくれる先生だ。


 今は、それくらいの距離がちょうどよかった。


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