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第12話 空腹のエルフ



「今の音は、忘れてください」


 長い淡金色の髪を揺らしながら、エルフの女性は言った。


 凛とした美貌を保っている。


 だが、頬だけはわずかに赤い。


 森の中へ響いた腹の音を、なかったことにしたいらしい。


「かなり大きかったけど」


 リオナが素直に感想を口にした。


「聞こえなかったはずです」


「私、獣人だから耳がいいんだよね」


「今だけは、その優れた聴覚を閉じてください」


「そんな機能はないよ」


 エルフの女性が気まずそうに顔を逸らした。


 長く尖った耳まで赤くなっている。


 改めて見ると、整った顔立ちをしていた。


 碧色の瞳。


 白く滑らかな肌。


 背は高く、俺より少し低い程度だ。


 青と白の魔術師服に包まれた身体は細身で、腰から脚にかけてすらりとしている。


 魔術師服の胸元は、先ほどの魔法で破れたのか、一部が裂けていた。


 本人は、まだ気づいていないらしい。


 動いた拍子に裂け目が広がる。


 白い胸元が覗き、その先にある淡い桃色まで一瞬だけ見えた。


 俺は慌てて顔を逸らした。


「服」


「服がどうしました?」


「胸元が破れてる」


 女性が自分の服を見下ろす。


 碧色の瞳が大きく開いた。


「――っ!」


 両腕で胸元を隠し、俺へ背中を向ける。


「見ましたか?」


「見てない」


「今、明らかに目を逸らしました」


「見えたから逸らしただけだ」


「やはり見たのではありませんか!」


「わざとじゃない」


 エルフの女性は、片手で胸元を押さえたまま、もう片方の手で杖を持ち上げた。


 先端へ小さな炎が灯る。


「忘れてください」


「魔法で記憶まで消せるのか?」


「消せません。ですが、あなたを気絶させることはできます」


「余計に忘れられなくなるだろ」


「二人とも、何をしてるの?」


 サラが俺とエルフの女性の間へ入った。


 自分が着ている淡い緑色の上着を脱ぎ、女性へ差し出す。


「これを羽織ってください」


「ですが、あなたの服が……」


「下にも着ているから大丈夫です」


 サラは上着の下に、白い長袖服を着ていた。


 エルフの女性は迷ったあと、素直に受け取る。


 肩へ羽織り、前をしっかり閉じた。


「ありがとうございます」


「サラです。こちらはルナトとリオナ」


「私はミネルと申します」


 ミネルは姿勢を正し、上品に頭を下げた。


 先ほどまで胸元を隠して慌てていた人物とは思えない。


「それで、ミネルは一人で牙猪を追いかけてたの?」


 リオナが尋ねる。


「正確には、私が追いかけていたのではありません。向こうが先に私の食事を奪ったのです」


「牙猪に食事を?」


「森の中で休憩していたところ、荷物ごと持っていかれました」


「牙猪は荷物を持てないだろ」


 俺が言うと、ミネルが少しだけ眉を寄せる。


「食料袋へ牙を引っかけ、そのまま走り去ったのです」


「それを追いかけて、魔法を撃ったの?」


「私の全財産の大半を使って購入した食料でしたから」


「それで魔力を使い切ったと」


 リオナの指摘に、ミネルは答えなかった。


 代わりに、また腹が鳴った。


 先ほどより小さい。


 それでも、全員に聞こえた。


 ミネルがゆっくり目を閉じる。


「……忘れてください」


「それ、何回言うつもり?」


「あなた方が忘れるまでです」


 リオナが笑う。


 ミネルは知的で近寄りがたい印象を受けるが、思っていたより分かりやすい人物らしい。


「食べるか?」


 俺は鞄から、宿で用意してもらった昼食を取り出した。


 パンと干し肉、それに小さな果物が入っている。


 まだ手をつけていない。


「いりません」


 ミネルが即答する。


 だが、視線はパンへ向いたままだ。


「本当に?」


「見知らぬ方から、理由もなく食料を受け取るわけにはいきません」


「理由ならある。倒れられると困る」


「私は倒れません」


 そう言った直後、ミネルの身体がわずかに揺れた。


 杖を地面へつき、どうにか立っている。


「座ったほうがいい」


「問題ありません」


「問題があるときの言い方だよ、それ」


 リオナがミネルの背中を押し、木陰へ座らせた。


 俺はパンと干し肉を半分に分ける。


 ミネルへ差し出すと、まだ受け取ろうとしない。


「それなら、あとで魔法について少し教えてくれ。それで交換だ」


「魔法を?」


「ああ。俺は魔法を使ったことがない」


 《スキル図鑑》には、魔法系のスキルが十五種類ある。


 だが、《魔力感知》すら習得していない。


 図鑑のヒントだけでは、何から始めればよいのか分からなかった。


「食事一回で、私から魔法を学ぶつもりですか?」


「足りないか?」


「まったく足りません」


「だったら、今は半分だけ教えてくれ」


「魔法を半分だけ教えるとは、どういう意味ですか」


「半分の食事だからな」


 ミネルは俺の顔を見つめた。


 やがて、小さく息を吐く。


「分かりました。初歩的な内容だけです」


 ようやくパンを受け取る。


 最初は小さく一口だけ食べた。


 次の一口は少し大きい。


 干し肉も口へ運ぶ。


 気づけば、渡した分をすべて食べ終えていた。


「もう半分も食べるか?」


「結構です」


 ミネルの視線が、残っている果物へ向く。


「これは俺には甘すぎる」


「まだ食べていないのに、なぜ分かるのですか?」


「見た目で分かる」


「そうですか。食べられないのであれば、無駄にするべきではありませんね」


「そうだな」


 果物を渡すと、ミネルは今度はすぐに受け取った。


 上品に食べようとしているが、かなり空腹だったのだろう。


 食べ終わるまで、それほど時間はかからなかった。


     ◇


「それで、牙猪はどこへ行ったの?」


 リオナが尋ねる。


「草原の向こうです。背中へ火魔法を当てましたが、仕留めきれませんでした」


「追いかけるつもり?」


「もちろんです」


「魔力が残ってないでしょう」


「少し休めば回復します」


「牙猪は待ってくれないよ」


 リオナが地面へ残った足跡を確認する。


「傷を負ってる。血の跡もあるから追えるけど、怒ってると思う」


「私たちは角ウサギの討伐中だ」


 必要数まで、あと一体。


 牙猪を追うのは依頼の範囲外になる。


「先に角ウサギを探そう」


 俺が言うと、ミネルが立ち上がった。


「それなら、私も協力します」


「魔力がないんじゃないのか?」


「角ウサギ程度なら、杖でも倒せます」


「その細い腕で?」


「魔術師だからといって、杖で戦えないとは限りません」


 ミネルが杖を構える。


 姿勢は悪くない。


 だが、空腹で倒れかけていた人を戦わせるのは不安だった。


「無理はしなくていい。食事の代わりは、魔法を教えてもらう約束だ」


「借りを残したままにするのが嫌なのです」


「それなら、周囲を見ていてくれ。魔法が使えない状態で、無理に前へ出ないでほしい」


 ミネルは納得していないようだった。


 それでも、最後には頷く。


「分かりました」


 四人で角ウサギを探す。


 リオナとサラが周囲の気配を探り、俺は足跡を追う。


 ミネルは杖を手に、後ろからついてきた。


 しばらく歩くと、サラが草むらを示した。


「一体いる」


 角ウサギが薬草をかじっていた。


 まだ、こちらには気づいていない。


「私が回り込む」


 リオナが弓へ矢をつがえる。


「ルナトは、逃げたときに備えて前へ。サラは右側を見ていて」


「分かった」


 三人がそれぞれの位置へ移動する。


 リオナが矢を放つ。


 矢は角ウサギの身体へ当たったが、急所を外れた。


 角ウサギが跳ね上がり、俺のいる方向へ走ってくる。


 盾を構える。


 だが、角ウサギは直前で進路を変えた。


 俺の横を抜け、森へ逃げようとする。


 その前へ、ミネルが出た。


「危ない!」


 俺が叫ぶ。


 ミネルは杖を両手で握り、横へ振った。


 杖の先端が、角ウサギの頭へ直撃する。


 鈍い音が響いた。


 角ウサギは地面へ転がり、そのまま動かなくなった。


「……杖でも倒せるんだな」


「言ったはずです」


 ミネルは得意そうに答えた。


 しかし、杖を振った勢いで身体がふらついている。


 俺は倒れそうになった肩を支えた。


 サラから借りた上着越しに、細い身体の感触が伝わる。


「大丈夫か?」


「少し眩暈がしただけです」


「まだ休んでいたほうがいい」


「空腹ではありません」


「誰も空腹とは言ってない」


 ミネルは気まずそうに目を逸らした。


 これで角ウサギは五体。


 依頼達成だ。


 倒した角ウサギを解体し、角、毛皮、肉を分ける。


 リオナがサラへ短剣の入れ方を教え、俺は別の個体を処理した。


 ミネルは近くの木へ背中を預け、俺たちの作業を見ていた。


「魔術師は解体しないのか?」


「専門外です」


「覚えれば便利だぞ」


「そのために冒険者は、役割の異なる仲間とパーティーを組むのです」


「ミネルは一人みたいだけど」


「……それは、今の話とは関係ありません」


 また顔を逸らした。


 どうやら、一人で行動していることには事情があるらしい。


     ◇


 解体を終え、町へ戻ろうとしたときだった。


 リオナの獣耳が、草原の奥へ向いた。


「来る」


「なにが?」


 サラが短剣を抜く。


 地面がかすかに揺れ始めた。


 草を踏み荒らす音が近づく。


 現れたのは、背中を焼かれた牙猪だった。


 先ほど森から逃げていった個体だ。


 俺たちの匂いを追ってきたのか、それともミネルを覚えていたのか。


 血走った目が、まっすぐミネルへ向いている。


「私の食料を奪っただけでは足りず、戻ってきましたか」


 ミネルが杖を構える。


「魔力は?」


「少し回復しました」


「どれくらいだ?」


「小さな魔法を一度使える程度です」


 牙猪が地面を蹴った。


 大きな身体が、ミネルへ向かって突進する。


「ルナト!」


「分かってる!」


 俺はミネルの前へ出て、盾を構えた。


 真正面から受ければ、フォレストハウンド以上の衝撃になる。


「盾で止めようとしないで!」


 リオナが叫んだ。


「横へ逸らす!」


 俺は盾を斜めに構えた。


 牙猪の頭がぶつかる直前、身体を半歩横へずらす。


 盾で牙の向きを変える。


 衝撃で身体が吹き飛ばされそうになる。


 だが、真正面から受けなかったことで、牙猪の進路がわずかにずれた。


 俺の横を通り過ぎる。


「サラ、離れて!」


 リオナが矢を放つ。


 一本目は牙猪の背中へ刺さった。


 二本目は後ろ脚。


 牙猪が足を止め、リオナへ向き直る。


 その隙に、俺は体勢を立て直した。


「ルナト、もう一度だけ動きを止めてください!」


 ミネルの杖へ、青白い光が集まっている。


「一度だけでいいんだな!」


「はい!」


 牙猪が再び走り出す。


 今度の狙いはリオナだ。


 俺は横から近づき、盾を牙の根元へ叩きつけた。


 牙猪の頭が揺れる。


 完全には止まらない。


 俺も一緒に引きずられる。


「今だ!」


 ミネルが杖を向けた。


「《風よ、貫け》!」


 圧縮された風が一直線に放たれる。


 牙猪の目の横へ当たり、頭を激しく揺らした。


 リオナが三本目の矢を放つ。


 矢が、風魔法で傷ついた場所へ深く突き刺さった。


 牙猪の動きが止まる。


 俺は剣を両手で握り、首へ振り下ろした。


 一度では倒れない。


 もう一度。


 刃が深く入り、大きな身体が地面へ崩れた。


 牙猪は低い声を漏らし、やがて動かなくなった。


「倒した……」


 俺は息を整えながら剣を引き抜いた。


 リオナが牙猪へ近づき、完全に息絶えていることを確認する。


「四人で倒したね」


「私は最後に少し魔法を使っただけです」


 ミネルが答える。


「その少しがなければ、倒せなかった」


 俺が言うと、ミネルはわずかに目を伏せた。


「そうですか」


「ああ。助かった」


「……それなら、食事の借りは返しました」


 声は淡々としている。


 だが、長く尖った耳が少し赤くなっていた。


     ◇


 牙猪は大きく、四人だけで町まで運ぶのは難しかった。


 リオナが牙や内臓の一部を処理し、血を抜く。


 その後、牙猪の脚を縄でまとめ、近くの農家から荷車を借りた。


 町へ戻る頃には、日が傾き始めていた。


 冒険者ギルドで角ウサギ五体分の素材を提出する。


 依頼報酬八千G。


 角と毛皮の買い取りが五千G。


 さらに牙猪の素材は、解体手数料を引いても二万Gになった。


 四人で分けても、十分な金額だ。


「ミネルの分」


 俺は五千Gを差し出した。


「必要ありません。私は依頼を受けていません」


「牙猪を倒しただろ」


「食事の借りを返しただけです」


「食事半分に、そこまでの価値はない」


「ですが――」


 また腹の音が鳴った。


 今度は受付の女性にまで聞こえたらしい。


 ミネルが無言で俯く。


 リオナが肩を震わせている。


「受け取っておけ」


 俺はミネルの手へ五千Gを握らせた。


「それで、今日はちゃんと食べろ」


「……分かりました」


 ミネルは諦めたように硬貨を受け取った。


「それと、約束を忘れていませんか?」


「魔法を教える約束か?」


「はい。初歩的な内容だけですが」


「いつ教えてくれる?」


 ミネルは少し考えた。


「明日の朝はいかがでしょう」


「場所は?」


「町の外に、魔法の練習に使える場所があります」


「分かった」


「私も行っていい?」


 サラが尋ねる。


「もちろんです」


「私も見に行く」


 リオナも手を上げた。


「あなたは魔法を使わないでしょう」


「面白そうだから」


「見世物ではありません」


 ミネルは困った顔をした。


 だが、断りはしなかった。


 こうして、エルフの魔術師ミネルから魔法を教わることになった。


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