7. あぶないクリームパン
(「ヌ゛ァ゛ン」?)
頭上を見上げたのとほぼ同時に、レオンハルトは右半身に強い衝撃を感じる。そのまま身体がぐわりと浮き上がる。
――何かに殴り飛ばされたのだ。
そう気づいた時には、すでに地面に叩きつけられていた。
「ふ……っ!」
息が抜けるような声が漏れる。
地面に打ち付けられた箇所が、熱を持ったかのように激しく痛む。
血が出たかもしれない。
レオンハルトは後悔する。
硬化紋付きのコートを身につけてくるべきだった。
かろうじて上半身を起こして振り返ると、すぐ後ろに巨大な動物が座っている。
(……あ、くりーむぱん)
危機的状況にもかかわらず、彼は納得した。
巨大なクリームパン様の物体は、この動物の前足だったのだ。
「スン……」
地面を這う少年の首元に、動物の大きな鼻が押し付られる。それはひんやりとして少し湿っていた。
「たった数十分なら、まだ近くにいると思います」
私はそう予想した。
ひとまず私たちは教会堂を出て、サビ猫ちゃんが逃げ出した邸宅――ヨハンナさんに貸与された領主邸の離れだという――までの経路を、道すがら探していくことにする。
なお、エマさんたちにもぼやかしつつ事情を説明したので、5人体制での捜索だ。
「きゃあ!」
エマさんが、唐突に叫ぶ。
虫でも見つけたのだろうか? それくらいの認識で振り返ると、エマさんの視線は足元ではなく上方に向けられている。
「――え?」
私もまた、間の抜けた声を発してしまった。
教会堂の裏手に、こんもりとした丘が出現していた。
いや、丘じゃない。大きな猫だ。
黒と白のハチワレ柄の巨大な猫が、花木の茂みにのしかかるようにして、まったりと寝そべっているのだ。
「ふぇっ、ふぇーんげるしゅたー⁉」
さすがエマさん噛み方があざとい、――だとか言っている場合ではない。
「皆さんお静かに!
刺激しないよう、速やかに離れましょう」
ヨハンナさんが、声をひそめて指示を出す。
まさにその時だ。
ハチワレ怪獣が、ぱちっと目を開ける。
「スン……」
スッと起き上がったかと思うと、ハチワレ怪獣は目線を下げて何かを見つめる。耳とおヒゲもそちらに向けて、ずいぶんと興味深げだ。
「ヌ゛ァ゛ン」
しびびっ、と何かにじゃれつく動作。
ばきばきばき、と音を立てて茂みが折れる。
「――襲われてる!」
テオ君が短く叫び、駆け出す。
「ちょっ、テオ⁉」
ヨハンナさんがその後を追う。
「だっ、ダメよ! アナタたち★」
さらにその後をエマさんが追い、またその後をマッスルさんが無言で追いかける。
ちょっと! みんな行っちゃったんですけど――
「――も、もぉおおおー‼」
結局、私たち全員で大きな猫へと突撃した。
レオンハルトは、ひたすら地面を転がされていた。
あたかも子供が虫をつつくような無邪気さでもって、巨大な動物は彼をどつきまわしているのだ。
彼は体を丸めて頭を庇い続けていたが、その姿勢に意味があるのかは疑わしかった。体中の至るところに動物の爪がひっかかり、彼の衣服には血が滲みつつあった。
領主の息子、レオンハルト・フォン・クライセンには、いくつかの厄介な特質がある。
「血が極端に止まらないこと」がそのひとつだ。
「坊ちゃん!」
ふいに、レオンハルトの体が浮き上がる。
呼びかけと同時に襟首を引っ掴まれ、そのまま疾風の速さで連行される。
「ヨハンナ、坊ちゃんだ! 血が出てる‼」
「レオン坊ちゃん⁉」
その先には、侍医のヨハンナが待ち受けている。
なぜ彼女がこんな所にいるのだろう、分からないが助かった。
――いや、助かったとは言い難い。
自分たちを追いかけて、巨大な動物は即座に距離を詰めてくる。
やられる!
そう思った瞬間、神父が一同の前に飛び出した。
「ヌゥア‼」
雄々しい掛け声とともに、マッスルさんは両腕を天に向かって振り上げる。
その頭上に、殺人ねこチョップが振り下ろされる。
私は思わず目を反らす。
ガツン! と硬質な音が響いた。
「フシャッ‼」
ハチワレ怪獣が飛び退く気配がした。
おそるおそる両目を開けると、マッスルさんの両腕には、直径2メートルはあろうかという岩の盾が掲げられていた。
(――「魔法」だ!)
私は目を見張る。
何もないところから、淡く発光する盾が、瞬時に取り出されたのだ。
それをあたかも空気のように振り回して、マッスルさんは殺人ねこパンチを一身に受けとめ始めた。
「止血します」
一方、ヨハンナさんは男の子の胸元に両手を添える。
テオ君が運んできた男の子は、ひどく出血していた。仕立ての良さそうな白いブラウスに、赤い血が痛々しく滲んでいる。
ヨハンナさんは軽く息を吸い込むと、静かな口調で囁きかける。
「〈私はシャロンの薔薇、谷間の百合〉」
――ミシミシミシミシ!
その瞬間、私は不思議な音を聞く。
なにか、繊維質のものが軋むような音だ。
同時に、ヨハンナさんの肌に血管のようなモノがびっしりと浮かび上がる。
(なに、これ?)
私は目を疑う。血管でなければ、それは脈動する根っこだ。
その無数の根は生き物のように蠢きながら、ヨハンナさんの指先から男の子の胸へと肌を浸していく。
「〈起たち上がれ、わが愛おしきもの、わが美しきもの〉」
言葉を紡ぎ続ける声は、不釣り合いに穏やかだ。
血のような汗のような、海の香りにも似た生々しい匂いを感じる。
これが、「治癒魔法」だと言うのだろうか?
(こわすぎる……!)
すみません、私の認識が甘すぎました。
治癒魔法って、もっとポワーッとしたゆるい感じのやつだと思ってました。
「……教会堂には結界が張ってあります。
ゆっくり撤退します。できますか?」
「あと五分、いえ、三分」
エマさんの問いかけに、ヨハンナさんがかすれる声で応える。
その間にも、マッスルさんは囮となって、ハチワレ怪獣の攻撃を防ぎ続けている。
私たちの前に立つテオ君も、神経を研ぎ澄まし、身構えているのが分かる。
どう見ても、絶体絶命の窮地だった。
(――でも)
私はひそかに、拳を握りしめる。
(でも、もしかして私ならば――)
私には、賭けがあった。
もしかすると、この状況を打開できるかもしれない賭けが。
私は昨夜の光景を思い出す。
私の肌に触れるなり、縮んでいった大きな猫。
(この子に触れば、小さくできるかもしれない!)
私は思い切り地面を蹴った。
テオ君が声を上げるが、構わない。
全速力ならほんの数秒だ。
「てえ――――い‼」
最後は勢いよく、ハチワレ怪獣に飛びつく!
――もっふぁああ‼
(――え?)
ふっかふかの毛皮が、私の全身を包み込んだ。
感動的なことではあったが、私の頭は真っ白になった。
(ち、縮まない、の⁉)
私はハチワレ怪獣の後ろ足に、――依然として「怪獣」の柔らかな毛に、全身でガッツリとしがみついていたのだ。
「ナ゛ンッ」
ハチワレ怪獣が、後ろ足をしびびびと振るう。
「あだっ!」
私は無様に振り落とされる。
その私に向かって、ベシッと前足が振り下ろされる。
「ぐえっ」
――肉球っていいよね。
そんな感想を最後に、走馬灯を見る間もなく意識が飛んだ。
◇ 今回で主要キャラがだいたい出揃いました
・あかり :ねこ好きウッカリJK
・テオ :身体能力はんぱないキッズ
・ヨハンナ:治癒魔法を使うお姉さん
・エマ :技師(兼シスター系地下アイドル)
・マッスル:神父。いい人
・レオン :純真無垢ふしぎ系ショタ




