19. ヴィルヘルム・シュテファンのこと
日の暮れた海沿いの広場は、大鍋を囲む人々で賑わっていた。
かがり火に照らされた皆の顔は明るい。
お椀と飲み物を手に、上機嫌でどんちゃん騒ぎだ。
まさに、広場は夜祭の様相を呈していた。
「本当に、すみませんでした!」
私は、店舗関係者の皆さんに頭を下げる。
「いやいや、大事に至らなくて良かったよ」
「ありがとうね」
「たいしたもんだよ、嬢ちゃん!」
みな一様に、ねぎらいの言葉を掛けてくれる。
しかし私は反省していた。
魚をたくさん焼こうだなんて、食べ物に困ったことがないゆえの発想だったと思う。
結果的に上手く行ったから良かったものの、これで損失だけを出していたなら、申し訳が立たなかった。
散らばった大量の焼き魚はその後すみやかに回収され、広場では鍋祭りが開催されていた。
うん、海辺で味わう海鮮鍋、最高だ。
やはり衛生面は心配になったけれど、まあ洗いなおして煮ているし、温かくて美味しいし、何より自分がまいた種だし。もしお腹が痛くなっても仕方がない。
(まあ、こっちにはヨハンナさんという最終兵器もいるからね)
最悪、この場の全員が食あたりを起こしたとしても、ちょびっとずつ治癒魔法をかけてもらえばいいのだ。ヨハンナさんの握手会みたいにして。
「んん~っ⁉」
そんなことを考えていると、背後にお酒臭いモノがぶつかってきた。
「飲んれらすらぁ、おじょ~さんがたぁ⁉」
「でぇんでん、減ってないやないのぉ!」
完全に出来上がったおじさんたちだった。
赤いシャツを着た白髪交じりで長細いおじさんと、青いシャツを着たツルツルで小太りのおじさんだ。
「のまなきゃ、ソンれすよぉ~ん‼」
「あ、あはは」
『グリとグラ』だな、などと内心思いつつ、私は笑ってお茶を濁した。
この宴会費用だが、お魚の代の補償も含めて、シュテファン商会さんが持ってくれるとのこと。
そう、シュテファン商会。
最初にヨハンナさんが言ったような言わないような、この港町を興したという会社なのだが。
「言ってくれればよかったのに、初代社長の娘さんだって!」
傍らのヨハンナさんに訴えると、彼女は曖昧な相槌を打つ。
「まあ、とくに言う必要もありませんでしたし、言わせてもらえませんでしたからね。
『そういうの、いいから~』って……」
なんとヨハンナさん、シュテファン商会の創業者の、娘さんなのだという。で、今まさに絡んできたグリさんとグラさんは重役さんだそうだ。
『エンヤサッカ、サー‼』
キジトラ怪獣と私を捕縛したのは、シュテファン商会の船員さんたちだった。
「硬化」と「風」のスクリフトを編み込んだ、軽くて丈夫な自慢の網なのだそうだ。それはともかく。
意識を取り戻した私が見たものは、お魚を夢中で貪るキジトラちゃんと、おじさんたちにチヤホヤされるヨハンナさんだったのだ。
言うなればオジサーの姫。……いや、あんまり羨ましくはないかな。
「ビックリしましたよ、もー」
後頭部をさすりながら、私は当たり障りのないコメントを返した。
たしかに創業者のお嬢さんであれば、ちまたで顔と名前が知られていても不思議はなかった。
海鮮鍋をいただく私たちの足元では、キジトラちゃんが相変わらず魚を貪っていた。
この子、無限に食べるなあ。
長時間の抱っこは難しいので、キジトラちゃんには簡易的なリードつきハーネスを着けてある。
猫は体が柔らかいうえに上下の運動をするから、首輪だけでは何かと危険なのだ。
――おかあさん、あれ。
――あら、かわいいわね。
そんなキジトラちゃんは、広場の視線をまあまあ集めていた。嫌悪ではなく、ただ純粋な好奇の目だ。触れようと近づいてくる人さえいる。
おそらく、変わったペットくらいに思われているのだろう。浮かれた空気も手伝ってか、フェレンゲルシュターデンだったとは誰も思い至らないようだ。
(そもそも街の人は、私がこの子を退治したって思ってるんだからなあ。それで、魔法で死骸を片付けたんだって思ってる……)
「むぁーん」
私を見上げて、キジトラちゃんが鳴いた。
――いけない、いけない。
できるだけ明るく考えよう!
「うんうん、おいしかったねぇ」
私はキジトラちゃんの頭をなでる。
ツヤツヤした短毛の手触りが気持ちいい。おでこのMの字模様もかっこいい。
トラ柄の猫って、みんなおでこにMがあるんだよ。
猫に対する、この街の視線は厳しくない。
さらに虫やネズミを捕ると分かれば、港町としては大助かりだろう。
だからこの子のおうちも、きっと見つかる。
見つけるんだ。
「あかり!」
呼ばれて振り返ると、テオ君だ。錯覚かと思うほど大きな魚の頭を、頭上に高々と掲げながら駆け寄ってくる。
「かぶと焼きだって! 頑張ってくれたお嬢さんに、ってよ!」
「えっ⁉」
ど、どこを食べたらいいんだろう⁉
まじまじと見つめると、大きな目玉にギョロリと睨まれた、ような気がした。
ちなみに、二口ほど食べた所でなぜか体が痺れた。
こうして祭りの夜は更けていった。
「この港の利権を握ったのは、ヴィルヘルム・シュテファンという行商人です」
帰りの馬車の中で、ヨハンナさんが話してくれた。
「いえ、『商人』なんてものではありません。航海家だとか、単に略奪者と言っていいでしょう。
その生涯のほとんどを航海に費やし、強盗まがいの交易で財を成し、偶然この地に辿り着いた男。それが、わたくしの父です」
「……すごい言いようですね」
「そうですねえ」
ヨハンナさんはおかしそうに、声をひそめて笑う。隣でテオ君が、呑気に爆睡しているからだ。
略奪者だとか強盗だとか。この目の前の女の人と、先の人物のイメージがどうにも結びつかない。
「お父さん、船乗りさんなんですね」
「ええ。もうずいぶん前に、他界しましたが」
「――あ、すみません」
私は慌てて視線を伏せる。
構いませんよ、と穏やかな声が降ってくる。
「財も、知識も、文化も、思想も。
あらゆる未知なるものをこの国にもたらした、偉大なる馬の骨です。
彼がどこで生まれ、何を求め、どんな凶行を働いてきたのか、今や誰にも分かりません。
わたくしだって、よその国に何十人も兄弟姉妹がいるかもしれませんし?」
「そ、そうなんですか……」
私はうつむいたまま、膝の上のキジトラちゃんを撫でてやりすごす。
うーん、お父さんが規格外のヤクザ屋さんです、って言われた時のベストアンサーなんて、考えたことがなかったなあ……。
そう困惑していると、ぽつりと言葉が降ってきた。
「だけど、良い父親でしたよ」
私は手を止めて、窺うように視線を上げた。
ヨハンナさんは穏やかな表情で、青緑色の瞳を窓のほうへと向けている。
私も少しカーテンを開けてみる。
気持ちのいい夜風が吹き込んできたけれど、海はよく見えなかった。
ただ闇の中に、波の音だけが聞こえた。




