【閑話1】木馬の騎士
一晩明けて、異世界生活は2日目に突入。
私はテオ君に、領主邸を案内してもらっていた。
「こっからあそこまで、ずーっと客室!」
「ここが三つめの応接室!」
「ここが会議室!」
「ここで優雅に茶をしばく!」
「ここは、……んー、ただの物置きかな!」
テオ君は嬉々としてお屋敷の中を走り回る。
廊下の端から端へ、階段を昇ったり降りたり、いろんな扉を開けたり閉めたりだ。
そのたびにメイドさんに笑われたり使用人さんにどやされたりして、私は気も足も休まる暇がない。
「は、はああ~」
私はラウンジのソファーに、勢いよく体を預けた。
ぽよん、と素敵な反発がある。
「なんだよ、まだ回りきってねーぞ」
「んー、ちょっと休んでいい?」
昨夜、エマさんと話をした場所だ。
夜は遺跡みたいに静かだと思ったけど、昼間はこんなに陽当たりのいい空間になるのかあ。
「ここでお昼寝できたら最高だなあ……」
「なに猫みたいなこと言ってんだよ」
あっ、もう猫の気持ちが分かるとは、テオ君なかなかやるじゃん。
「テオ君、喜びたまえ! キミには素質があるよ、猫下僕の素質がね!」
「ほんとに何言ってんだよ。行こうぜ、まだ地下牢とか見てないだろ」
「地下牢⁉」
私はバッと身を起こす。
「地下牢あるの?」
「いや、探せばワンチャン?」
「なんだよぉ~!」
ないんかーい。私は再び、背もたれに身を預ける。
テオ君の案内は、正直なところあまり要領を得ないものだった。
廊下を駆け抜けては、思い出したかのように引き返して扉を開けてみせ、また駆けていく。まさにザ・キッズという感じで、そこそこオトナの私は付いて行くのが大変なのだ。
とはいえ、わざわざ時間を割いて案内してくれるのだから、あまり恩知らずなことは言えない。
私たちはぼちぼち立ち上がり、お屋敷の探索を再開する。
レオン君のお部屋、領主さまの執務室、そして図書室と巡ったところでモリッツさんに出会い、厨房への伝言を頼まれて地下室に降りたけれども、結局牢屋への隠し扉は見つからなかった。残念。
「このお屋敷、ほんとに広いねえ。学校みたい」
「え! 学校ってこんなに大きいのか?」
「えっ、これくらいじゃない?」
私は自分の高校の間取りを思い出してみる。
「教室もたくさんあるし、図書室も体育館も食堂もあるよ。先生たちも入れたら、600人くらい居るんじゃないかな」
「600⁉」
やば! と声を上げるテオ君。
「そんなん、もう要塞じゃん!」
いや、むしろその10分の1にも満たない人数で、この規模のお屋敷に住んでるほうがやばいと思うけどなあ。
「――あれ?」
私の頭に、ふと疑問が浮かぶ。
「テオ君、学校ないの? 今日はお休みの日?」
「俺は行ってないよ」
あっさりした答が返ってきた。
「そうなんだ」
私の国には義務教育っていうのがあってね、と説明すると、「ふーん、めんどくせえな」と薄めのリアクション。
「学校かー。行ったことはないけど、まあ読み書きくらいなら不都合はないかな。孤児院で教わったから」
「! ――ごめん」
「ん、いや全然」
テオ君はケロッとした顔で否定する。
けれど、ふと神妙な面持ちになって、
「もし俺さえ望めば、ヨハンナは教育を与えてくれるだろう。騎士や他所の貴族仕えを志すなら、どっかの家名でさえブン取ってくるだろうけど」
「……そっか」
なんとなく真剣な声色に、私も表情をあらためて応える。
「いいお姉さんだね」
「え?」
「……え?」
しかし、私たちは奇妙な間で顔を見合わせることになった。
直後、テオ君が盛大に笑いだす。
「えっ⁉ ねえ、ヨハンナさんと姉弟じゃないの?」
「や、さっき孤児院て言ったじゃん! ってか、全然似てねーじゃん!」
「だ、だってー! なんかそういうふうに見えたんだもん!」
なんだよぉ。思ったままのことを言ったのに、めちゃくちゃ笑われてしまった!
「じゃあ何なの? 子分? 舎弟?」
私は口を尖らせる。とっさに「従者」という単語が出なかったのはご愛敬だ。
「ん? ん――」
笑いの余韻を残したまま、テオ君は少し考えて、すっぱりと言った。
「友達!」
それは、わりと斜め上の解答ではあった。
「えっと、友達って、ともだち?」
「そ」
「そっかあ……」
なんだか不思議な感じがしたけど、たしかにダメなわけじゃない。その単語の内側に、つい学校の友人だけを想定してしまうのは、きっと私の視野が狭いからだろう。
齢が離れていたって、住んでいる場所が違ったって、あるいは種族が違ったって友達は友達だ。
だから、友達は自由だ。
義務も使命も忠誠もなく、意思で共にあるだけだ。
「――で、こっから先は使用人の部屋だ」
だからここで解散な、と言うような口調でテオ君は説明する。
「ヨハンナは離れをもらってるけどな。最初、おまえもそこで寝てただろ?」
「うん。――あ、ちょっと待って」
私はテオ君を呼び止める。
「ヨハンナさんに、何かお昼ごはん持っていくでしょ? 私も行く。寝込んでるのは私のせいだし」
「そうか? 気にしなくていいのに」
「ううん、行くよ。もっかいキッチンに戻って、何か頼んでこよう」
今度は私がテオ君を促して、厨房へと廊下を引き返した。
◇ ◇ ◇
――あっっっぶねぇ。
なんだか話が気まずい方向になり、それとなく解散をほのめかしたものの、あかりはもうしばらく離れそうにない。
――「騎士だ」と。
「じゃあ何なの?」と少女に問われた瞬間、そう口を衝きそうになったのだ。
言えるわけがない。
というか、そんな失言をかまそうものならこの場で死ぬしかない。
『わたくしはあなたの、もっともちゅうじつな、ゆうじんでありましょう』
木枯らしの吹く日、孤児院の裏庭で出会った彼女の言葉は、4歳の少年には難しすぎた。
ただ、なんてきれいな人だろうと思った。
差し出された白い掌に触れると、まるで氷のようにひやりとした。
この人が凍えるのは、かなしい。
なんだかそう思われて、その手をぎゅっと握った。
それが、まだ16だったヨハンナとの出会いだ。
一字一句覚えた言葉は、いつしか意味を持った。
だから14歳のテオドールは、ヨハンナの「最も忠実な友人」でありたい。
けれどそれ以上に、――彼女を守るものになりたい、と心ひそかに願うのだ。
「――っ、だ! あああ――――っっ‼」
「どしたの⁉ 急に」
思わず羞恥に叫んだ少年の心情をまだ誰も知らないのだが、それはまた、別のお話だ。




