9. レオンハルトという少年
なんだか不思議な印象の男の子だった。
彼は大きなボウルを、さも大切そうに両手で抱えていた。しかしそのあどけない仕草と不釣り合いに、妙に優雅な足取りでこちらへと向かってくる。
「にあぁ!」
ハチワレちゃんが、イスから飛び降りる。
私も立ち上がり、数歩男の子へと歩み寄って、
(――あ、天使だ)
そう思った。
華奢な体格によく似合った、白いブラウス。
陶器のように滑らかな、一点の隈もない白い肌。
まるで絹糸のような、プラチナブロンドの髪。
天使か妖精かと見紛うような、可憐な美少年だった。
私の前まで来ると、彼はスッとしゃがみ込んだ。
こちらをまっすぐに見上げる両目が、好奇心にキラキラと輝いている。
金の目と、ブルーの目だ。
男の子の目は、左右で色が異なっているのだった。
――すごい。
恥ずかしながら、私は完全に魅入ってしまっていた。目の前に突き付けられた非現実的な美に圧倒されて、身動きを忘れてしまったのだ。
さすが異世界、遺伝子も本気出してるね、などと感動していると、
「げんき?」
その神々しい面から、やや舌足らずな、そして非常にゆるっとした言葉が発せられた。
(あ、……えっと)
思考に時間を要したものの、その言葉は紛れもなく私への気遣いだろう。
私はしゃがんで視線を合わせると、つとめて明るく応える。
「うん、元気だよ。ありがとう」
男の子の表情が、ぱっと輝く。
(かわっっいい!)
思わず、くらっとしてしまう。
一方、彼は何かを伝えようと口を開いたが、言いあぐねているのか、色違いの目をただ懸命にパチパチさせている。
「なぁーんー」
その手元、――ボウルを抱えたままの手元に、ハチワレちゃんがのしかかる。
「あ」
ボウルが傾き、中の液体がこぼれた。
――ぺしょぺしょ、ぺしょぺしょ。
サビちゃんとハチワレちゃんは、嬉々として床を舐め始めた。ボウルの中身は、どうやら牛乳らしかった。
「んんー」
服が汚れたのにもお構いなしで、男の子は猫たちの背中をチョイチョイとつつく。
撫でてみたくてたまらない。でも怖い。
そういう仕草だ。
私は思わずふきだした。
「大丈夫だよ、触っても」
男の子が、きょとんとした顔をする。
私は腕を伸ばし、そっとサビちゃんの背中を撫でてみせる。
「こうやって、優しくね」
男の子も、おそるおそる腕を伸ばす。
――ぽふっ!
お手本よりはずいぶん勢いよく、男の子の手がハチワレちゃんの背中に触れた。
「むぁ?」
ハチワレちゃんがちらりと振り返る。
が、すぐに関心を牛乳に戻した。
「わああ……!」
男の子の顔いっぱいに、喜びが広がっていく。
「くりーむぱんと、こんがりくりーむぱん!」
嬉しくてたまらないという調子で、男の子は口ずさむ。
私はまたしても笑ってしまう。
「『クリームパン』なの?」
「ん」
「そうだね、クリームパンみたいだよね。
ふわふわで温かくて、しあわせ」
「ん!」
男の子は、何度もこくこくと頷いた。
かわいいなあ、もう!
「レオン!」
男の子は立ち上がると、元気よくそう言った。
それが自分の名前だ、ということだろう。
「うん、私はあかり。よろしくね、レオン君」
私は右手を差し出した。
この世界で最初に、私がそうしてもらったように。
なんとまあその男の子が、「領主さま」のお坊ちゃんだったとは。
というか、教会堂の裏手で襲われてた子だよね⁉
あまりの変貌ぶりに、気が付かなかったのだ。
『触っても大丈夫』だなんてよく言えたものだけど、よく触ろうと思ったよね、レオン君も……。
「きゃあ! あっかりん素敵ですぅ☆」
エマさんが歓声をあげる。
姿見に映るのは、朱色のワンピースドレス……を着た私だ。
「ちょ、ちょっと派手じゃないですか?」
「そ~お? とってもキレイですよぉ!」
たしかに、そのワンピースは綺麗だった。
華やかな朱色とふんわりした素材が相まって、まるで火の妖精みたいだ。
けれどなんというか、これは悪目立ちするのではなかろうか?
「おもいっきり華やかにいきましょ!
あかりんは、今日の立役者なんですから☆」
私の不安を打ち消すように、エマさんはウィンクした。
昼間までの騒動もひと段落して、夕方。
私は領主さま邸の晩餐会に、お呼ばれするとのことだった。
その「領主さま」こそ、このクライセン公国で一番偉い人であり、その名を「フリードリヒ・フォーゲルハルト・フュルスト・フォン・クライセン」侯爵という。
そんな仰々しい名前の人にご挨拶をするわけで、私はエマさんに衣装を見繕ってもらっていた。
――そう、何を隠そう、私は今の今までパジャマを着ていたのだ!
猫耳としっぽのついた、もこもこ生地のパーカーとショートパンツだ。
……冷静に説明すると恥ずかしいけれど、就寝時に呼ばれてしまったのだ。大目に見ていただきたい。
結局、私は朱色のワンピースを着ていくことに決めた。
これでよし、とクローゼットの扉を閉めようとして、ふと不思議なものに気付く。
「あれ、この模様……」
内側の壁のすみっこに、小さな魔法陣が描かれている。
あの電気イスの部屋で見たものを、もっとシンプルにしたようなものだ。
「ああ、それは『スクリフト』ですよぉ」
「スクリフト?」
「魔法を使うときの、宣言みたいなモノですねっ。
ほら、ヨハンナせんせが言ってたでしょ?
私はシャロンの薔薇~って」
「ああ、はい。言ってましたね、何かカッコいいこと」
ぐいぐい蘇ってくる洗脳映像の記憶は無視して、私は応える。
「そうそう。ああいう『言葉』を、『絵図』に置き換えたモノがスクリフトです。
ま、よーするに、このクローゼットには魔法がかけてあるってコトです、ね☆」
「わ⁉」
私は叫ぶ。
「ね☆」と同時に、エマさんの服装が黒いドレスへと早変わりした。
「フフフ、見たか現役アイドルの早着替え!
らっきーすけべ対策もバッチリです★」
「へええ……」
らっきーウンヌンは置いとくとして、寝坊した日なんかにはものすごく便利そうだ。
余談ではあるが、エマさんのクローゼットにはありえない枚数の衣類が収納されていた。
きちんとしたパーティードレスから、アイドル活動用と思しき衣装、さらには用途不明の着ぐるみや、コスプレ衣装まで。
ハンガーに吊るされたそれらを掻き分ければ掻き分けるほど、次から次へと衣類が湧いてきた。
(空間が……壊れてる……)
私は軽く引いた。
おそらく、この鬼収納が魔法の効果なのだろう。
(この衣装代も、平信徒ファンからの献金なのかなあ……)
そしてその点に関しても引いた。余談おしまい。
部屋の扉がノックされ、マッスルさんが顔を出す。
昼間と同じ神父服姿だが、肩にタスキのような白い布を掛けている。
「はぁい。もう出発できますよぉ☆」
「……ム」
マッスルさんが、私の服装に気付いた様子。
気恥ずかしくなって、私は足元に視線を落とす。
すると、頭上に渋い声が降ってきた。
「トレボーネ」
「『素晴らしいね』ってコトです!」
すかさずエマさんが補足する。
な、なんだそれ。
マッスルさん、ちょっとカッコ良すぎじゃないかな?
私たちは三人で、領主邸へと向かった。
道すがら、私は今日のことを振り返る。
わけも分からずキャットタワーの上に現れちゃったことに始まり、ねこ怪獣に襲われ、タワーから落ち、そして復活。謎の映像を見せられ、またねこ怪獣に出会い、そして再び瀕死、からの復活。
――そして今に至る。
(やばいな……)
率直にそれだった。
繰り返し治癒魔法をかけてくれたヨハンナさんには、本気で頭が上がらない。
本来ならば、これからの晩餐にも彼女が同行する予定だったが、想定外の治癒無双をしいられた結果ダウンしてしまったのだ、――とエマさんから聞いた。
申し訳ない限りだ。
ちなみにテオ君は、教会堂の木製ドアを破壊した罰として『どっきどき・木になる体験学習!』という映像作品を強制視聴中だという。
4時間耐久で、例の脳内ジャック電気イスでもって。
なんでも、樹木になりきった催眠状態で、現実の1分間が作品中の1年間として体感されるそうだ。
4時間耐久だから、……240年耐久かな。拷問でしょ普通に。それはともかく。
私はこの世界に、猫たちを作り出してしまった。
「なるべく早く帰りたい」という最初の思いは、ひとまず保留することに決めていた。
二度目にハチワレ怪獣に飛びついた時に、そう決めたのだ。
サイズはどうあれ、人が猫を敵視しているなんて、見過ごしておけない。
それはただ心が痛むからだけじゃなくて、そんなことをしては、うにたんに会わせる顔がないように思うのだ。
私の神様は、きっと猫の姿をしている。
だから私は、それに恥じない自分でありたい。
なんだか、そんな気がするのだ。
(――それにほら、異世界トリップものって、最後はもとの時間と場所に戻ってくるモノだよね?)
だから今は、この世界の人と猫に、向き合ってみようと思うのだ。
領主邸のダイニングホールは、おごそかな空気に満ちていた。
ふかふかの床、キラキラのシャンデリア、白いクロスの敷かれたテーブルが並んでいて、――という、単にそういった場所ならば、高校生の私にも経験はある。
けれど、これが長い時間を重ねた建物の風格なのだろうか。おだやかで厳しい老先生の前に立ったように、私は自然と背筋が伸びるのを感じた。
その空気の中に、まるで歌の一節のように、軽やかな声が紡がれる。
「レオンハルト・フォン・クライセン。
どうぞお見知りおきを」
優雅なしぐさでお辞儀をする、綺麗な男の子。
レオン君は、昼間とはまるで別人のように、流暢な挨拶を述べた。




