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そう昔のことを思えば、いつだって記憶の中、切り離せないところにあるのが”桜”というものでした。
いつもいつも、彼が庭の大きな桜の木を眺めているから、その印象があまりに強いのでしょうね。
桜は美しく、そしてこれは私にとって何よりも重要なことで、彼の注目をいつだって集めておりました。彼の興味を独り占めしておりました。
しかし私は愚かなことに、桜に憧れるのではなく、桜に自らを重ねておりました。
「桜よ、お前は、散りゆくことを知りながらもそうして咲いているのですね」
彼に仕えて四年目にして、こうして四度目の桜の季節を迎えたわけで、ですが彼がいない桜を見たのは初めてなのでした。
どんなときでも彼に見つめられていた桜の、だれも見ていないでも変わらずに凛としている姿に、つい私は語り掛けてしまっておりました。
答える声があるはずはありませんが、風に揺れては花弁を散らし、私に応えようとしてくれているかのようではありました。
「たった数日を咲き誇るために、一年を掛ける、いえ、一年を架けるのですね……。それは儚くも、あぁ、こんなにも美しいことなのですね。お前の美しさというのは、そのためなのですか」
尊い花弁をこうもまで惜しみなく散らしてしまうというのですから、死に損なってばかりの私とは、随分と違うものです。
ですが私の心はお前と重なり合っているように思えてならないのですよ。
それは一方的に、ね。
無言のまま、ひらひらと花弁が私を覆います。
「一緒に消えようなんて思ってるんじゃないんだろうな。来年もまた咲いてくれるのなら俺は桜を許す。圧力的にそれを見張り続ける、満足するまでずっとだ。勝手に終わることは許さない。それがこれまた勝手な勘違いのためだったとしたら、尚更だ」
いつからそこにいたのかは知りませんけれど、背後から彼の声が聞こえてきました。
私には、振り返ることができませんでした。
一歩一歩と私の足は桜に近付いて行ってしまっていたようで、それを私自身は気付いておりませんでした。
自覚はありませんでしたけれど、彼の言うように、一緒に消えようなんて思ってしまっていたのかもしれません。
今だって、彼が見ているのが私であるのか、わかりやしないのです。
桜に私が重なっているように私が思っているように、彼の目にもそのように映っているのではないかと思えました。
それは私の夢でしかないのでしょうが、この一瞬ばかりではありますが、信じてしまいそうになってしまっていたのです。
馬鹿らしいことではありますよ。
どうしたって現実的とは言えない論を、私は嫌います。
本人の意識の上だったとしても、無意識の中だったとしても、夢ばかりを語る人が私は嫌いなのでした。
現在の今を認めない、または理解できない愚か者だとしか、私には思えないのですから。
一辺倒な私では、これが当然の考えだとも言えることなのですよ。
そんな私が桜に呑み込まれるような夢を見るだとは、病はなんとも恐ろしいものですよね。
「桜は好きか?」
「いえ、あまり」
「どうして?」
「立派すぎるからです」
短く問答しました。
ふと、これまで目映く美しいものに思えていた桜が、私を死へと誘う悪魔の手に思えて、逃げ出さなければならないような気がしました。
悪魔の手に誘われたまま、花弁のように儚く美しく散ってしまうのも、悪くないのかもしれません。
けれど私は目立って死にたいとも思われませんでしたし、彼が勝手に終わることを許してくださらないのでしたら、私はその終わりに逆らうしかないでしょう。
私の意志よりも、世の常よりも、優先されるべきは彼のお言葉です。
それこそが何よりも優位に立つ私の意志でした。
振り返れば、聞こえた声よりもずっと近くに彼はいてくれて、驚きの中彼の腕の中に飛び込んでいました。
「人に戦わせるのだから、己も少しは戦え。己にしか倒せぬ敵くらいは、その手で倒してみろ。一度俺に命を預けたなら、絶対に俺を裏切るな!」
頭の上から降り注ぐ声は、熱く私を奮い立たせるものでした。
これならば、何も怖くありません。
恐怖から解放されたのは、とても久しぶりのことであるように思えました。
縁側に腰を下ろして、二人で桜を見上げます。
「裏切り者の汚名を負うつもりはありませんが、その言い方は横暴なのではありませんか? 絶対に裏切るな、ねぇ、この裏切りを悪とも呼べない時代でよくぞ言えたものですね」
私の言葉を不快に思う様子もなく、それどころか彼は笑い飛ばしました。
「あぁ、そのとおりだ。俺は横暴だろうな。だからどうした? 裏切りでさえ悪ではないのに、どうしてそれを悪と呼べるだろうか」
「さて、どうしてでしょうね。私たちが悪と称されなければならないのは、どうしてなのでしょうね……」
それから、理由もなく私は笑いました。
彼の笑いに私の笑いは重なりました。




