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彼は私に尋ねました。
「惨いのは、戦ではないのか?」
もし私がしてきたことを彼が知らないのであれば、勝手な行動をした罪が私にはありますし、責任を持たず部下に悪戯に権力を与えた罪が彼にはありましょう。その場合だったらば、彼には人の上に立つ才能がないのだと私は間違えなく彼を見限りましょう。
しかしそうではないはずでした。
私がどのようなことをしてきたかご存知のはずですのに、彼はこのような言葉を吐いているということになるのです。
だとしたら、それは罪ではなくて思想でした。
それにしても、彼はあまりにつまらないことを仰るのですね。
「戦を起こすことは当然、だれがどう考えたとしても惨い行為です。非人道的です。しかしそれだけではなく、私たちは、終止符の打ち方までが非人道的で惨い方法でありました。血も涙もない私の策を、あなたはご覧になっていたはずです」
腕の痛みなど感じさせず、私の重ささえも感じさせない表情で、本当に何事でもないように私を抱きつつ私の言葉に耳を傾けていらっしゃいました。
少しの間の後、彼は仰います。
「結果論を優先しただけだろう? 百人を救うために一人を犠牲にするのだということを、どうして悪だと言えるのだろう。その一人を見捨てないために、百人を危険に晒すことを、どうして正義だと言えるのだろう。俺は俺の判断に自信を持っているし、俺はお前の判断を正しいと思っている。惨いのは、戦ではないのか?」
改めて彼は私に尋ねました。
彼の仰るとおり、戦は惨いことだと思います。それはだれだって思うでしょう。
けれど生贄という考え方を、機械的に、数値的に考える私を、悪と呼ばずにいることとはなんら関係のないことであるように私には思われました。
最終的には、どれも悪と成り果ててしまっているような、そんな正義論が生まれてしまいそうでした。
あからさまに俯くでもしないでは、私の論は私を覆い尽くしそうでした。
論ずることは、はっきり区別することは、学びというものの中で正解を探してきた私にとっては、仕方のないことなのかもしれません。
実践の中で重要なことを理解せず、形式的なものに縛られる、頭の固い学者ならではの思考回路です。
つまり私はそれがそうなのでした。
生贄のような形で私が意図的に死者を出すことは、一重に私を殺人犯と呼びました。その罪状を受け取る必要が私にはありました。
それが何というわけでもありません。
探したらば、本当に殺人犯を罪人として探したらば、こんな国は消え果てしまうことでしょう。国の長たる彼が、傍に私のような大量殺戮を行った大罪人を置き、それを肯定しているくらいなのですから。
仮に殺人が罪ではないとして、多くの人の命を奪った、これは恨まれることも当然のことと言えます。
けれど彼は私の汚れを認めようとはなさりませんでした。
なぜ何を信じているのか、私を抱き締めてくださいました。
私の望みは容易に叶えられます。
私は力を持っているからです。不正な力を、産まれてから持ち続けておりました。
裕福な暮らしができたこともそうですし、ふざけた我が儘を通してもらえることもそうですし、都合のいいように多くの人を操っていることも、どれも私の実力で正式に手にしたものとは思えませんでした。
だから私の望みは叶うのです。だから私は力を持っているのです。
生きる長さが決められてしまっているようで、そこに逆らえないのです。
それだけはいくら私にもままにはできず、やりたいことはなんだってできるのに、やる時間があんまりにないのです。
「惨いのは神様ですね。私やあなたも含めて、全ての人間は神様の残酷な悪戯に巻き込まれてしまったにすぎないのです。そうだとも思えませんか?」
小さく頷く彼の考えが、私にはさっぱりわかりませんでした。
私は彼という神様を否定したことなのかもしれません。そうなのですか?
そうなの、ですか……?
そうだとしたら、私を殺すのは彼なのですか?




