6-3
一瞬ばかり、私の病は桜のせいなような気がしました。
桜の奴めが手招いているかのような気がしたのです。
そしてそのことに、私は歌によって気が付いたのです。
私さえ知らないでいた私の気持ちを勝手に表現してくれる、それはとても傍迷惑で憎たらしいものでした。
語呂だけで作り合わせたような彼の歌にも、そうしてみると、意味があることであるようにも思われました。
「天の国で舞っていた、無垢な天使こそお前には相応しい姿」だなんてお言葉も、本当の彼のお心なのでしょうか。
もしここが私にとって「付き無き世」ならば、桜が私を苦しめることは、正しい道へと誘おうとしているだけのことなのかもしれません。
そこが本当に天の国であるかはわかりません。
地の獄であるかもしれません。
けれどどちらも私にとっては大して変わらないものに思えました。
彼がいない世界なら、何にも沿わずだらだらとするのみです。
どうして私はこんなに頑張っているのでしょうか。
今更になって、そんな疑問が浮かんでくるのでした。
彼に仕えることを決めたのですから、決めたからには彼に尽くすことが当然の義理ではございます。
そうではありますけれど、どうして私が義理を尊重するでしょうか。
努力する理由が私にあるとは思えませんけれど、必死に私は頑張って頑張って、彼に尽くしているのでした。
それだけが生き甲斐だからでしょう。
そこで私は考えるのです。
生き甲斐がなくなってしまえば、死ぬのは怖くもなんともなくなるではありませんか。
そうなってしまえば、生きているのも死んでいるのも、変わらないではありませんか。
一生懸命に尽くした家臣は、最後の最後に裏切るものなのですよ。彼だってそれをわかっていたではありませんか。
だから彼から言われてさえいなければ、私はその手を取ったことでしょう。
そこまでわかっていたから、彼はそれを封じてみせたのでしょうね。
言っていいものかわかりませんでしたけれど、どうせこのままいなくなるのならば、私は言うしかありませんでした。
「私の言葉を聞いてください。私の言ったことを、私が残していくものを、あなたは全て間違えなく覚えていてくださるのだと言いましたね。ですから、私はあなたに全てを言いたいと思うのです」
なんだか神妙な面持ちで、彼は小さく頷きます。
「私は死にます。私は兵法書でも書き記そうかと思っておりましたけれど、もしあなたが覚えていてくださるのだとしたら、私流に手を加えた兵法術を私は言い残したいと思います。あなたの記憶の中だけに残るのなら、あなたの中で私は生きられますし、あなた以外の傍で私は生きなくても済みます。それにね、正直、今の私は震えて文字を書く自信もないのですよ」
ありのままの私を見せて、彼に受け止めてもらわないではいられませんでした。
兵法の基本から私は語り出しました。
彼ならば許してくださると思って、私の欲望から、私自身の話も織り交ぜながら説明を続けました。
理論さえわかっていただけたなら、その場面に相応しい策を選ぶことは、そう難しいことではありません。
地頭がいい人ですし、熱心に聞いてくださっておりますから、彼ならばすぐに私ほどの実力を得られることでしょう。
もっと早くこうしていれば、むしろ最初からこうしていれば、私など必要なかったことでしょう。
そうしなかったのは、私の我が儘のためですかね。
不必要になってしまうことが、彼に捨てられてしまうことが、私は怖くて仕方がなかったのです。
ですから知識の独占を謀りました。
矛盾していたのも、我が儘だったのも、私らしいものです。
「いつまで聞いていてくれますか?」
話している中、ふと不安になって訊ねてみました。
「お前が話のを止めるまで聞いている。一言も逃さず、漏らさず、全て聞いてやる」
そう答えてくださることが、どこかで私はわかっていたのでしょう。
言ってくださるに決まっていましたけれど、彼の声でほしかったのです。
満足した私は眠っていました。




