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4-2


 しかし、何もかもがお見通しだったとは思いませんでした。

「……はぁ」

 唯一、全てを捧げることができるくらい信頼していた、そんな彼が私を必要としていることは嬉しかったんです。

 今でも求めてくださっていることがわかって、嬉しかったんです。

 ですけど、同時にそれは辛かった、運命に抗えという命は、辛くて仕方がありませんでした。

 流れに沿って生きてきた私にはあまりに難しいことですよ。


 両手いっぱいに書類を抱えて歩いていたのですが、彼のご命令のことに頭は夢中で、足元の段差に気が付きませんでした。

 体が浮いて、転ぶとそう思ったのですが、そのまま私の体は浮きました。

 空から紙が舞い、私は彼に抱きかかえられておりました。

「すみません。私、ボーっとしてしまって、本当にすみません」

「だれかに運ばせたらいいだろうよ。怪我がないならいいけど、あんまり無理はするなって」

 私を降ろしてくれた彼は、そう言って私の手を握りました。

 あまりにも彼の表情が痛ましくて、俯いてしまうしかありません。

 心から不安そうな顔をした彼に、私は何をできるでしょう。


 私が思っていたとおりですよ。私が恐れていたとおりですよ。

 潔く散る覚悟が、桜のように美しく散りたいという思いが、ガラガラと崩れ落ちて行ってしまっています。

 かっこつけるなと彼がお命じなら、そうするつもりではありますけれど、やはり私は美しくありたいと思ってしまうのです。

 彼に見られずにひっそりと、それでも美しく散ることが私の願いでしたのに。

 だれも見ていないのに美しく堂々と咲いていたあの桜のように。


 望む場所へと彼を連れていく、そんな約束を果たせておりませんから、まだいなくなるわけにはいかないのです。

 まだここにいたい、そんな悪足掻きなんかじゃなくて、私にはまだやるべきことがあるからなのです。

 けれど、悪足掻きをすることさえも彼のお望みのことなのだとしたら、恥ずかしく悔しいことですけれど、嬉しいことでもありました。


 彼の優しさは私には毒ですね。

 密かに感じていた彼への愛しさを、表に出て来そうになるまでに成長させようとします。

 私にも気付かせないであってもらいたい、苦しくてならない感情ですのに。

 死にたくない、死にたくない、苦しくてならないですよ。

 こんなに苦しくなるのなんて、こんなの……嫌ですよ。


 感情がごちゃごちゃになって、涙がぽろぽろと零れていきました。

「どこか痛かったのか。泣くな、泣いてくれるな」

 いつも強気な彼が、オロオロとしているのです。

 戸惑いました。困りました。

 なんだか斬新で可愛らしかったのですが、どうしたらいいかわかりませんでした。

 こんなこと、今までなかったんですもの。

「私、死にたくないです」

 ずっと否定してきた感情を、私は彼にぶつけました。


 落ちた書類を拾い集めてから、彼は人を呼びました。

 わざわざ人を呼び出してやらせるようなことではないと思うのですけれど、それでも彼は、私が運んではいけないのだと言うのです。

 散らかしてしまった手前、何も言えません。

「あ、あの、いつまで手を握っているのですか」

「俺が安心できるまでだよ」

 意外な答えでしたが、そう言われては言い返せませんでした。


 意地でも私を逝かせてくれないつもりなのですね。

 一人で、静かに逝かせてはくれないおつもりなのですね。

「私はご命令に背きません。お約束を破りもしません。だからどうか、安心をしてください」

「信じられんな。こうもまで命令に忠実な奴は、最後の最後に裏切るって決まってるんだよ」

 最初にそう言われては、裏切ろうにも裏切れません。

 一つずつ私の手を封じていくのは、卑怯な方法に思われました。

 脳筋のようで賢い彼のことですから、それはそれは卑怯なことでありました。

「それはどうでしょう。では疑われないよう、適度にご命令に背いておいた方がいいですか?」

 答えに迷うような沈黙があってから、彼は呟くように言いました。

「はぐらかすな。そういうのは、卑怯だ」

 卑怯なのはどちらだと思いましたけれど、私が卑怯でないかと問われ否定する自信が私にはありません。


 お互いに卑怯な手を使って、策略に嵌め合って、優しい仮面を外さないまま自分の望みを叶えようとしているのでしょう。

 それなら、この駆け引きは恥じらう必要もないもの。

 申しわけない、そんな感情すら必要がない。

 お互い様だと思う存分そうしてしまうのが正解だとでも言えましょうか。

「正義が悪に勝利することはできません。躊躇いと倫理は、強さと効率の敵です」

 彼は深く頷いて、そのまま俯いてしまいました。

「そうだな」

 短く返して、もう私たちは話しませんでした。


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