1
学校が夏休みに入ったのだろうか。商店街では、昼間にも時折子どもたちの声が聞こえるようになった。
その商店街の中ほどにある不動産屋の2階、小宮探偵事務所。
窓際の水槽の前では、まひろが今日も嬉しそうに口元を緩めながら魚の餌を入れている。
午前10時ぴったりに、玄関の呼び鈴が鳴った。
篠原が、ドアを開けて来訪者を中へ通す。
「お待ちしておりました。どうぞ。」
「失礼します。」
事務所へ入ってきたのは、30代半ばほどに見える女性と、小学生くらいの女の子だった。
女の子は大事そうに一枚の写真を胸に抱えている。不安そうな表情で、きょろきょろと室内を見回した。
「どうぞ。」
まひろがソファを勧めると、女性は小さく頭を下げ、女の子と並んで腰を下ろした。
篠原は冷たい麦茶を二つ用意して女性と女の子の前に置き、自分はメモ帳を手にまひろの隣へ座る。
それを目の端で確認して、まひろが名刺を出しながら切り出した。
「はじめまして。探偵の小宮です。よろしくお願いします。」
女性がそれを受け取る。
篠原もまひろに続いて名刺を差し出した。
「助手の篠原です。」
女性は、そちらも受け取ると、2枚の名刺を並べて机の上に置き、「市川真由美です。」と名乗った。
まひろが真由美の隣の女の子を見る。
「娘さんですか?」
真由美は「はい。紗奈です。」と頷くと、一度紗奈の顔を見てから、静かに切り出した。
「実は、猫を探していただきたくて……。」
その言葉に、紗奈が写真を差し出した。
「この子!ネネちゃんです。」
写真には、小さな三毛猫が写っていた。赤い首輪をつけ、こちらを見上げている。
まひろは写真を受け取り、少し目を細める。
「かわいい。」
篠原も写真を覗き込む。
「まだ小さいですね。」
真由美が頷いた。
「四か月くらいです。1ヶ月ほど前に娘が学校帰りに見つけてきて……そのまま家で飼うことになりました。」
「いつ頃いなくなったんですか?」
篠原がメモ帳にペンを走らせているのをちらりと見て、まひろが尋ねる。
「一週間前です。窓を開けていた隙に出てしまったみたいで……。」
紗奈が俯いたまま、小さく呟く。
「ごめんなさい……。」
真由美は慌てて首を振って紗奈の背に手を添えた。
「ネネは外に興味津々だったからね。紗奈が悪いわけじゃないよ。お母さんも目を離しちゃったから。」
まひろは優しく頷き、写真を見つめた。
「最後に見た場所は、ご自宅の近くですか?」
「はい。近所は探しました。でも見つからなくて……。」
篠原が手を止めて、顔を上げる。
「特徴を教えていただけますか。」
「メスの三毛猫です。赤い首輪をしています。」
真由美が答えると、紗奈が少し身を乗り出して続けた。
「しっぽの先だけ、白いんです。」
篠原はまたメモを取りながら頷く。
「ありがとうございます。……首輪は、保護された時から付けていたものですか?」
「いいえ。家に来てから付けました。」
真由美が答えると、篠原は「赤い首輪」と書き添えた。
事務所に小さな沈黙が流れる。
しばらくして、真由美が口を開いた。
「……ネネは……うちに来てまだ日は浅いですけど……大事な子なんです。」
まひろは写真をそっとテーブルへ置いた。
「そうなんですか。」
紗奈が大きく頷く。
「ネネちゃんは、帰ってきてくれた子なの!」
「帰ってきた……?」
ネネちゃんが居なくなったという相談ではなかったのか。
まひろが首を傾げると、真由美が困ったように少し笑って言った。
「すみません、説明が足りないですよね。」
そして写真を見ながら続ける。
「1年前にずっと飼っていた猫を亡くしまして…。ちょうどその子の命日に、娘がこの子を拾ってきたんです。『この子はきっとあの子の生まれ変わりだよ』って……あの子は、私たちの家族でしたから……だから『帰ってきた』と……」
真由美は、声をつまらせてそのまま押し黙った。
「分かりました。」
母娘がまひろを見る。
「探してみます。」
その一言に、張りつめていた紗奈の表情が少しだけ和らいだ。
「よろしくお願いします。」
真由美も心なしかほっとしたような顔で深く頭を下げた。
まひろは微笑んで頷いた。
「猫ちゃんが好きな狭いところ、涼しいところ、探してみますね。」
「何か分かりましたら、すぐにご連絡します。」
篠原はメモ帳を閉じた。
その後、真由美は契約書を確認し、紗奈を連れて帰っていった。
まひろはそれを見送る。
篠原が麦茶のコップを片付けて戻ってくると、まひろは、また猫の写真を手に取っていた。
しばらく見つめ、顔をあげる。
「明日から、探し始めよう。」
「はい。」
二人は、手分けして地図やチラシの準備を始めた。
お読みいただきありがとうございます。




